Fate/Zure   作:黒山羊

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お久しぶりです。


033:Hall of the drip.

 正面玄関からにしろ、裏口からにしろ、この市民会館に踏み込んだという点でアサシンとセイバー陣営は『侵入者』という点で等価である。故に、キャスターの罠は彼らに対し、平等に襲いかかる。

 

 アサシンが正面玄関に足を踏み入れ、ローションのヌメりと、漂う悪臭、不快な騒音に顔をしかめた直後。彼の頭上、エントランスの天井から、静かに起動した第五のトラップが強襲した。 侵入者を感知する結界をキーとしたそのトラップは、非常に簡易な魔術トラップである。仕掛けてあったのはロープで天井の梁にぶら下げたバケツ。ロープが初歩の着火の魔術で燃えるとバケツが落下する、というお手軽な仕掛けだ。

 

 そして、ポリエチレン製のよくある青バケツの中に仕込まれていたのは、濃硫酸である。車のバッテリー液を電気分解して煮詰めてバケツに詰め込むという完全に違法な行為で生成されたそれは、数個のバケツに汲み分けられ、侵入者を待っていたのだ。濃硫酸を撒き散らしながら落下する数個のバケツ。しかし、ただただ自由落下するだけのそれを食らうほどアサシンはバカではない。だが、彼の悲劇は『濃硫酸の特性を理解していない』ことだった。

 

 水浸しの床に落下した濃硫酸は急激に水と反応し、高熱とともに『硫酸の霧』を発生させる。綺礼の姿をしたアサシンはその霧をモロに浴びたことで全身に強烈な激痛を感じ、思わず身を強張らせた。

 

――――呪詛付与済み濃硫酸。マリクの呪術で呪われたその薬物は、確かにアサシンにダメージを与えることに成功したのである。

 

 英霊たるもの全身に硫酸を浴びた程度で死にはしない。だが、痛いものは痛いということに変わりはないのだ。そしてこの霧は、もう一つ重要な効果を持っていた。

 

「くっ、目が……!」

 

 目潰しとしてはオーバーキル気味だが、英霊にはこの程度やらねば意味は無い。そもそもこの罠が正面玄関にあるのは『正面から入ってくるのは実力に自信がある英霊』という想定の上の事なのだから。

 

 悶えるランスロットの元に軽快な動きで迫るのは、キャスターの『秘術夢幻香』で強化された兵士たち。頭から『石鹸水』をかぶり、覆面なども石鹸水でずぶ濡れにし、その上に水中メガネを付け、『カンジキ』を履いた彼らの姿はひどく滑稽だ。だが、ローションと硫酸の霧の双方を無効化する装備としては実用的なのは間違いない。――――酸はアルカリで中和するというのは中学生レベルの常識である。そして足の接地面積を増加させれば立ちやすくなる、などというのは最早小学生でも本能的に理解できることであった。

 

 まるでスケートでもするようにローションまみれの床を滑りながら迫る数名は、ランスロットに対し、手に持ったハンマーで殴り掛かる。斬撃には技量という要素がどうしても絡んでくるが、打撃であれば当てるだけで良い。素人を手っ取り早く戦力にするにはハンマーという武器は悪くないものだった。――――それに加えて、このハンマーは只のハンマーでは無い。

 

 龍之介のエコな発想で生まれた『生贄の大腿骨をリサイクルして柄に利用した手作りハンマー』は『苦悶の果てに死んだ人骨』というベストな素材を用いた呪具として生まれ変わり、人の血に漬け込まれて錆びた鉄塊は濃密な怨嗟の念を迸らせながらアサシンを猛打する。古典的でカルトな黒魔術であっても、それを『魔術師』の英霊が行使すれば、サーヴァントにすら通用するのは当然のこと。無窮の武練と無毀なる湖光によって辛うじて攻撃を凌ぎきるものの、鉄槌の一撃は確実にランスロットの腕に衝撃を与えていく。

 

 裏口とはうって変わって最初から殺意丸出しかつ、霊体化封じも兼ねた呪具まみれのトラップは、アサシンを十分に足止め出来ていた。

 

 

【033:Hall of the drip.】

 

 

 さて。視点は切り替わり、市民会館最奥、大ホール上の照明室。そこに安置されているのは、厳重に封印された黄金の杯。黒い泥を器の中程まで満たしたそれは、イスカンダルとアーサー王、そしてジル・ド・レェという三騎の英霊の魂で以って、大聖杯への路を開きつつあった。

 

 あと一押しで決壊すること確実なその物体。それはザイードの予想とは異なり、到底『聖杯』と呼べるものではない。だが、それならそれで使いようはあると、ザイードは『蔵知の司書』スキルで他のハサンから魔術知識を借り受けつつ、この汚染された聖杯を分析していたのだ。

 

 その分析結果を裏付けるべく、ザイードは『龍之介に連絡を取り』、他のハサンが生み出した使い魔で大聖杯を確認して貰っていたのである。ザイードがその使い魔から情報を受け取るまでの時間稼ぎこそが、アサシンとセイバーを苦しめるトラップの役割なのである。

 

――――そして、『答え』を導き出したこの瞬間、時間稼ぎは不要となった。

 

 最後の仕込みとして聖杯を大ホール直上の屋根裏へと隠し、大ホールの舞台に陣取ったザイードは、手駒達に『時間稼ぎ』から『サーヴァント討伐』へと作戦を切り替えるように指示を出した。それと同時にザイードは、その総身に魔力を漲らせ、館内の二陣営を挑発する。――――その魔力を感知した二騎のサーヴァントは、間違いなくザイードの待ち受ける大ホールへと向かうだろう。この市民会館に訪れた以上、彼らの目的はキャスターで間違いないのだから。

 

 現状を頭の中で整理し、計画が順調に進んでいる事を確認しながら、壇上でパイプ椅子に腰掛けるザイードはその時をただ静かに待っていた。

 

 

* * * * * *

 

 

 吊り天井、床を爆砕する事による落とし穴、壁から突き出る鉄の杭。一体全体、何処の忍者屋敷だと言いたくなるような無数のトラップに加えて、迫り来るのは明らかに人外じみた動きをする人間達。キャスターの魔術の影響か、下級サーヴァント並みの性能を持つその兵士達を相手に、切嗣、舞弥、そしてセイバーの三名は持久戦を強いられていた。

 

 如何に強化されているとはいえ、所詮は人間だ。頭に銃弾を叩き込めば死ぬし、セイバーの魔槍、魔剣の前には巻き藁に等しい。だが、それらの欠点を補いうる程に、その数は驚異的だった。――――廊下を埋め尽くす人、人、人。ゴキブリ宜しく次から次へと湧いてくる敵に、戦況は膠着状態に陥っていた。

 

「くそっ、動きを見せないとは思っていたけれど、まさかここまで大量の手駒をかき集めていたなんてね」

 悪態をつきながらキャレコの弾丸をばら撒く切嗣は、傍で戦うセイバーに小さく声をかける。

 

「セイバー、一先ずこの場から抜け出そう。隙は僕が作るから、モラルタで床をくり抜いてくれ。僕の入手した図面だと、この下には役者用の控え室があるはずだ。そこから非常用通路を使えば、このホールの外に抜けられる。この分だと、外からミサイルでも撃ち込んでキャスターを叩きだした方が効率が良い」

「確かに此処は相手に有利過ぎる。一度引いて体勢を立て直すのには賛成です、主」

 

 セイバーの返事を聞いた直後、切嗣は自身の魔術を発動させる。――――固有時制御(タイムアルター)二倍速(ダブルアクセル)。自身に流れる時間そのものを加速させた切嗣は、手榴弾をキャスターの兵士達の頭上に向けて投擲する。

 

 本来ならば、四秒程度の待機時間の間に手榴弾は地面に落ちてしまうはずであり、数を頼みとする敵相手では『数名が覆い被さり封殺する』などの対処で被害が抑えられてしまう。だが加速した切嗣は、その手榴弾の殺傷力を最大限に発揮させる事が可能だ。――――加速した世界の中では、手榴弾の起爆時間は体感で八秒。きっかり『六秒』数えて投擲されたそれは、兵士達の頭上ピッタリで炸裂し、鉄片と爆風を降り注がせる。

 

 その直後、セイバーの斬撃で床ごと階下に落下した三人は、出口に続く道をひた走る。限界まで身体を強化し、滑る床の上で必死に走る彼らと、それを追う無数の兵士達。出来の悪いゾンビパニック映画のようなその光景は『観客』である英雄王を中々に楽しませる事となっているのだが、それを当人たちが知る由はなかった。

 

 

* * * * * *

 

 

――――結論から言えば、やはり円卓最強の騎士は伊達では無かった。時臣と綺礼のバックアップを受けたランスロットは無毀なる湖光の能力を以って、迫る兵士達を斬り伏せることに成功したのである。

 

 キャスターの誤算は、ランスロットのマスターが『治癒魔術においては遠坂時臣以上』の腕前を持つ言峰綺礼だった点である。パスを介して彼の治癒を受けたランスロットにとって、キャスターの操り人形は確かに『足止め』にこそなるが『敵』ではない。それらを文字通り『粉砕』したランスロットは、エントランスからホールに侵入することに成功し、舞台の上で待ち受けるキャスターを睨みつけた。

 

 流石にホールの中には粘液が撒き散らされることもなく、その優美な内装は未だ穢されることなく新品の輝きを見せている。――――そのホールの最奥。舞台の上で異様な魔力を迸らせるキャスターは、じっとランスロットを見つめている。前回の遭遇時にはフードで隠されていたその素顔は、特徴のないごく平凡なアラブ人青年のもの。間違い無く英霊でありながら、凡そ英霊らしい要素のないその姿に、ランスロットは思わず呟いた。

 

「それが、貴様の素顔か、キャスター。……隠しているからには顔が割れれば正体が割れる英霊だと思っていたが、どうやら思い違いだったようだ」

 

 その呟きに、舞台の上のキャスターは答えない。――――客席にずらりと並んだ百名近い兵士達も主と同じく微動だにせず、ただただランスロットを見つめている。妙に焦点の合わぬその視線は、薬物に溺れた物に特有の狂気を帯びていた。

 

 それらの異様な光景に、ランスロットは多少当惑しつつも、油断無く周囲に気を配りながらキャスターに向けて歩を進めていく。――――と、客席の中程までランスロットが歩を進めた瞬間、兵士達に異変が起きた。

 

 一人、また一人。バタバタと糸が切れた人形のように崩れ落ちる兵士達。ランスロットが混乱を強める中で、ホール中の兵士から魔力が立ち昇り、キャスターへと吸い込まれていく。――――魂喰い。その行為によって数百人の命を吸い上げたキャスターはその魔力を大幅に増大させた。その行為を理解した瞬間、ランスロットは激しく憤った。

 

「――――キャスター、貴様ッ!」

「……」

 

 霊体として存在する以上、サーヴァントは魂喰らいの化物であるというのは間違いない。だが、かつて英霊であった者にとって、その手段は忌避すべき行為であるはずだ。ましてや、『仲間』を喰うなど、騎士であるランスロットにとって認められるものでは無い。変装や近代兵器の使用といった騎士らしからぬ行為に手を染めようと、彼はその誇りまでは捨て去っていないのだから。――――そして当然ながら、敵の『自己強化』を黙ってみている理由はない。

 

 無毀なる湖光の能力を発動したランスロットは、弾丸の様にホールの客席を駆け降りる。舞台上のキャスターまでものの三秒で到達したランスロットは、その魔剣を大上段に振り被ると、裂帛の気合いと共にキャスターへと振り下ろした。――――果たしてキャスターは抵抗せず、無毀なる湖光の刃はその霊核を破壊してのける。相手を切った確かな手応えを感じながらも、あまりに呆気ないその最期に、ランスロットは先程までの憤怒が一気に冷めていくのを感じた。

 

――――何かが、おかしい。

 

 そう考えるランスロットの前で、キャスターは初めてランスロットに語りかけた。

 

「……他愛無し」

 

 魔力の粒子と化して霧散する直前にキャスターが発したその言葉に、ランスロットがどういう意味かと問い返そうとした直後。キャスターが仕掛けたトラップが、彼の『頭上』から滴り落ちる。百人の魂を取り込んだザイードが生贄に捧げられた事で遂に決壊した『聖杯の中身』はホールの天井を侵食し、落下してきた黒い泥を浴びたランスロットは、断末魔をあげる暇もなく泥に吸収されて果てた。

 

 

――――自身を引鉄に最強のトラップを発動させたザイードは、その身を犠牲にランスロットを『暗殺』したのだ。彼の狙いは、『キャスター陣営の敗退を演出する』事。本来の計画ではギリギリまで粘った後に聖杯を相手に取らせて終わるつもりだったその計画は、聖杯の中身を知った事で『敵と心中する』計画に変貌したのだ。

 

 本来ただ負けるはずの役回りを演じる筈だったザイードは、期せずして歴史に名高いランスロットと相討ちするという大金星を挙げた形になる。

 

 そしてザイードの最期をひそかに見届けた一匹のカラスは、泥によって燃え上がるホールから飛び立つと、遥か上空へと飛び去っていく。その後には、甘い香の薫りと、焔を上げる市民会館、そして天に穿たれた黒い孔だけが、残されていた。


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