【037:二年後】
聖杯戦争から二年。未だその爪痕は残るものの神秘の隠匿関連の業務は終了し、遠坂家は平時のセカンドマスター業に務めている。――――間桐雁夜が単身遠坂邸を訪れたのは、そんな魔術師達が普通の日常に戻りつつある中でのことだった。
「――――しかし、君が間桐の代表として訪ねてくるとは珍しいこともあったものだ。当主の鶴野氏か間桐翁が来るのが常だったのだがね」
「だろうな。俺だって自分の役目に集中したいところなんだが、ジジイは夜型で昼は寝てるし、兄貴は今うちの土地の見回りに出てるもんでな。仕方がないから俺が来たわけだ。個人的にはあんたに言いたい事が山ほどあるんだが……今日は無駄口を叩くなとジジイに軽い呪いを掛けられてるからな」
「なるほど、つまり君はさしずめ伝書鳩というわけか。――――しかし君は相変わらず粗野な口使いだな。学生時代から変わっていない」
「遠坂家と違ってウチには態度や口調に関する家訓は特に無いんでな。――――まぁ、さっきも言ったが、お互いつい二年前まで聖杯戦争に参加していた以上積もる話は山ほどあるが、今日はあまりそっちに脱線すると呪いが発動して面倒な事になる。さっさと本題に入らせてもらうぞ。……遠坂は、第四次の聖杯暴走をどう見る? ウチの生き字引曰く、アインツベルンがやらかしたせいらしいが」
雁夜が何気なく言い放ったその台詞に、時臣は珍しく驚きの表情を浮かべた。時臣の見立てでは、あの大火災はキャスター陣営が聖杯を苦し紛れに発動させた影響だと考えていたのだが、事はどうやらそれよりさらに重大らしい。
「……詳しく聞かせてもらおうか。アレはキャスターによる物ではないと?」
「ジジイ曰く、第三次で召喚されたアインツベルンの『反英霊』が大聖杯を内部から汚染してるらしい。――――俺もジジイの付き添いで大聖杯本体を見てきたが……素人目にも異様な状態だってのは判ったな」
「それほどの状態となると……いや、待て。今君は内部からといったか、雁夜? そうなると、今回の聖杯戦争の終結は重篤な事態を引き起こしかねないのだが」
「ああ、らしいな。これもジジイの受け売りなんだが、今までの聖杯戦争と違って今回は聖杯の魔力が『極僅かしか消費されていない』って話だ。ジジイの見立てだとあと八年後か、遅くても十年後には第五次が起きる。当然、そうなると聖杯の汚染がまた冬木に撒き散らされるわけだ」
甚だ不快だ、というように吐き捨てた雁夜は長口上の休憩に、出されていた紅茶を啜る。その間に時臣は雁夜の発言の信憑性を考えていた。
――――まず、雁夜の発言による間桐のメリットを考える。聖杯が汚染されているという発言が事実だった場合のメリットは、御三家の一角である遠坂を聖杯の正常化の為に協力させられることだろう。自慢というわけではないが、遠坂家は近隣ではマキリに次ぐ名門だ。歴史こそマキリより短いが、脈々と受け継がれる魔術刻印はまさしく名家と言うに相応しい画数を誇っている。
次に、嘘を吐くメリットだが……現状では皆無である。そもそもこの話が嘘だとしても、時臣が大聖杯を確認しに行けばその嘘は一瞬でバレてしまうのだ。そんな阿呆な嘘をわざわざ吐くほど間桐臓硯は耄碌していない。と、なると。
「――――こと聖杯戦争に関して言えば、間桐がそんな嘘をつくメリットは無い、か」
「ああ。ジジイが信用ならないのは俺も全面的に同意するが、聖杯はジジイの悲願でもある。流石にそれに関しては嘘をつかない筈だ。――――で、此処からが本題なんだがな。ジジイは、八年後の聖杯戦争を逆に利用して聖杯を浄化するつもりらしい」
「ふむ。……キャスターか?」
「ああ、その通りだ。キャスタークラスで古代の大魔術師を召喚し、令呪で縛りあげて聖杯を修繕させる。――――シンプルながら、中々悪くない案だな。だが、俺はこの案は少々不味いとも思う。……聖杯に干渉できる程のキャスターが、そう易々と令呪に従うか?」
「成程。君の言う通り確かにその案は最後の手段とした方が賢明だろう。――――では、もう一つの案は? 君の事だ、その指摘を間桐翁にしていない訳がない。そうなれば間桐翁も代案を示した筈だろう?」
「ああ、その代案なんだがな。ジジイの話じゃ、アインツベルンの本拠地に居るユーブスタクハイト・フォン・アインツベルンを引きずり出せばどうにか出来るかもしれんって話だ。聖杯戦争のシステムはジジイが作ったらしいが、大聖杯その物はアインツベルン製って話だからな。それに関しては俺よりアンタの方が詳しいだろう、遠坂時臣」
「……成程。確かに道理には叶っている。――――しかし、アインツベルンの本拠地は何処にあるかも判らないのだがね? ドイツ、という事だけは辛うじて分かっているが」
「それに関してなんだがな――――ジジイは、『衛宮切嗣』に訊けと言ってる」
「……ああ、そう言えばあの魔術師殺しは今も冬木に居るのだったか。間桐翁は、奴がアインツベルンの本拠地を知る手がかりだと?」
「ああ。あいつはアインツベルンの元マスターだ。当然、アインツベルンの城のありかも知ってる」
そう雁夜が言いきってから、時臣と雁夜に暫し微妙な沈黙が流れた。――――はたして、衛宮切嗣に話を持ちかけるべきか、否か。そう考える二人はしかし、特にこれといった代案も思い浮かばず、間桐臓硯の案に乗る事となる。
* * * * * *
衛宮邸。冬木でも指折りの大邸宅であるそこには、聖杯戦争以来、セイバーのマスターだった衛宮切嗣とその部下である久宇舞弥、そして切嗣の養子となった衛宮士郎が住み着いている。半ば家族のように過ごしている三人の元に来客があるのはそう珍しいことではなく、お隣さんの藤村大河などが高校の帰りに良く立ち寄っている。————だが流石に、今訪れている客は流石の切嗣も想定外であった。
「間桐雁夜に遠坂時臣、だって? セカンドオーナーへのみかじめ料は今月分既に振り込んだし、間桐に因縁を付けられる心当たりはないぞ……? というか、遠坂には少なからず因縁があるにしても、僕を殺す程度遠坂時臣ならこの二年のうちに何回でもチャンスはあったはずだ。————となると、襲撃ではない? いや、それならなおの事訪問理由がわからないな……」
「切嗣、いつまでも門前で待たせる訳には」
「あ、ああ。すまない。……取り敢えず、居間に通してくれ、舞弥。あそこなら最悪庭から逃げられる。————それと、士郎は?」
「今日は小学校です。切嗣、落ち着いてください」
「……すまない。僕は最低限武装してから行くから、それまで茶でも出して要件を聞いておいてくれ」
混乱する切嗣と、冷静に対応しつつも額には冷や汗を浮かべている舞弥。————そんな二人がおっかなびっくり時臣と雁夜に会い、その提案にさらに混乱するのは、この少し後の話である。
* * * * * *
復興しつつある冬木で御三家のうち二つと衛宮切嗣達がなんだかんだと策を練っている頃。
時計塔でケイネスの代役として一部の授業を受け持ち始めたウェイバーは、様々な部署からたらい回しにされた挙句自分の元に転がってきた、鈍臭い後輩に手を焼いていた。十五歳で時計塔の門を叩いた彼女の名はバゼット・フラガ・マクレミッツ。
そんな彼女を自陣に引き込んだのが、絶賛勢力拡大中のアーチボルト派閥である。確かに伝承保菌者ともなれば、派閥の箔付けとしては悪くない選択だった。また、彼女の扱うルーン魔術にケイネスが興味を示した、というのもある。刻印によるエンチャントは、低燃費の魔術という研究課題を掲げるケイネスにとって新しい発想を与えてくれるものだったらしく、彼はここ数日でそこそこの数のルーンをマスターしつつあった。
ただ、ケイネスが必要なのは彼女の知識と家柄であって、彼女自身ではない為、その世話を焼いてやる事はない。————となると、世話役が弟子のウェイバーになるのは当然の事だった。
「————ってのは、まあ仕方ないとしてだ。バゼット。お前、赤ん坊以下の生活力ってどういう事なんだよ。毎食フィッシュアンドチップスとか、体壊すに決まってるだろ」
「……ベルベット先輩も似たようなものでしょう。その目の下のクマが証拠です。『黒ずみ』を通り越して『黒い』じゃないですか」
「僕とお前を一緒にするなよ。僕は呪いで眠りを奪われただけだ。————第一、今ぶっ倒れたお前に『すりおろしリンゴのパン粥』を作って食わせてやってるのは誰なんだよ。……はぁ。魔術より先に生活力つけさせたほうがいいかもなぁ」
「……魔術師なら魔術だけ修めていればいいのでは」
そう言って首を傾げるバゼットに、ウェイバーは溜息と共にデコピンをくれてやる。
「どうしようもなく馬鹿かつアホだなお前。————まぁ、僕にもそんな時期はあったけど、それは思春期特有のイタい妄想だ。魔術師だって食べなきゃ死ぬし、そもそもお前は魔術師以前に『女の子』だろ。料理の一つや二つ覚えておかないとモテないぞ」
「……私を女扱いする人がいたとは」
「……重度の『
そう言って、ウェイバーはほぼ未使用のバゼットの部屋のキッチンの掃除にひとまず取り掛かる。————ギルガメッシュの呪いの内、女性化の呪いに関してはこのケイネスに解呪に関する知識を手解きして貰いつつ行った二年間の試行錯誤で、かなり緩める事に成功している。現状での解除率は凡そ十パーセント。まだ性別は女性のままだが、背は男性並みに伸び、声も女性としては低めになってきている。ただ、身長の伸びが止まってから数ヶ月経っているところから察すると完全に成長期が終わったらしく、骨格ばかりは解呪だけではどうしようもなくなってしまった。このまま上手く解呪出来ても顔つきは女のままだろう、という暗い未来予想が最近のウェイバーの悩みである。
閑話休題。ともかく、呪いが緩んだ影響で身長だけは成人男性並みのウェイバーは雑巾一枚で戸棚なども手早く掃除する事が可能である。完全未使用なだけあって多少埃を被っているだけなのが救いだったといえよう。仮にバゼットの不精に気づくのがもっと遅ければ、その間に台所は朽ちていたかもしれない。
「……なぁ、バゼット。お前は何故歴史的に男の魔術師より女の魔術師が多いか知っているか?」
「いえ、あいにく」
「魔術と科学ってのはその始まりは同じなんだよ。錬金術なんて殆ど科学に近い。————その始まりは、キッチンだったって言われてる。要するに、最初の魔術師は主婦だったんだ」
「はぁ。……あの、先輩。何を仰りたいのでしょうか?」
「要するに、お前は基本がなってないってことだ。……そもそも、師匠が使う試薬やらの調合は弟子の仕事だぞ? お前、料理が出来ないってことはロクに調薬とかしたことないだろ」
「言われてみればたしかに。……なるほど、まずは料理から始める事で魔術を教えていただけるのですね、先輩」
「そういうことだ。……というか、お前、超絶名家のお嬢様なソラウさんでさえ料理は一通りできるってことに何か疑問を抱かなかったのか?」
「考えてもみませんでした。今まで食にさっぱり興味がなかったので」
「ファック…………これは先が長いぞ、頑張れ僕。大丈夫、ライダーの無茶振りに比べれば此奴に料理を教えるほうがマシだって。うん」
若干頭を抱えつつ、ウェイバーはこの後バゼットに料理を仕込んでいくこととなる。————その道が予想以上に苦難に満ちた道のりになることを、今のウェイバーは知る由もなかった。