Fate/Zure   作:黒山羊

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008:Boy meets Girl”s.”

 雨生龍之介にとって、”死”というものは永遠に理解できない難解な方程式の様なものである。例えるならそれは、円周率を正確に算出する事に似ていた。

 

 ごく一般的な人間において、死とは『何と無く理解できる』存在だろう。例えばスプラッターホラー、例えばドキュメンタリー、例えばアニメーション、例えばコミックマガジン。様々な情報源から得られるイメージを元に組み上げたその『死』のイメージは、取り敢えず円周率を3.14としておいて円を描く様なそこそこの正確さを持っている。

 

 しかし、雨生龍之介にとって、その『死』はどうしても偽物だった。3.14ではなく3.14159であっても同じこと。無限の果てに存在する、否、存在するかもわからぬ小数点以下の数値まで、きっちりと正確に描かれた円。龍之介にとってはそれで漸く『死』なのである。

 

 故に彼が挑戦を始めたのは、至極当然のこと。神に臨む聖職者の様に、世界を演算する数学者の様に、宇宙を彫刻する文学者の様に。――――死を探求する殺人者は、真摯な姿勢で死を観察する。

 

 その研究は、現在冬木に拠点を移して継続されていた。

 

 

【008:Boy meets Girl”s.”】

 

 

 さて、現在龍之介には二つの問題が降りかかっていた。

 

 一つは、先日うっかり逃がしてしまった少年について。龍之介はよく分からないサラリーマンのよく分からない妨害の末、龍之介は史上初の目撃者を生み出してしまったのである。よく分からないサラリーマンが『闇に溶ける様に』消えたのを見て混乱した龍之介が正気に戻った頃には、少年はとっくに逃げきっていた。幸いにも夜のことだったので姿を正確には判別できていないだろうが、少なくとも幾つかの情報が流出してしまったのは確かであった。

 

 だが、この問題は実のところそれほど重要ではなかった。あの少年が警察に駆け込む可能性はほぼゼロと言って良いからだ。――――なにしろ、そんな事をすれば少年は『鶏を盗みに来た』時に殺人現場に偶々出くわした、という明らかに怪しい存在になってしまう。鶏泥棒は普通に窃盗罪だし、マトモな警察なら真っ先に少年を疑うだろう。

 

 ついでに言えば、龍之介に襲われた時に少年は『英語』で喋っていた。勤勉な殺人鬼である龍之介は日本各地で様々な人物を殺害してきた経験上、英会話もそれなりのモノだと自負している。――――東洋と西洋の人種の差が死にいかなる影響を与えるのかという崇高なる研究のためには、『研究対象』とのコミュニケーションは極めて重要だったのだ。英語圏の人間の死を観察するには英語を理解する必要がある。例えば日本人の『命乞い』と英国人の『命乞い』に差異があるかという問題を研究する際には英語に含まれるスラングや文法の違いによって内包される意味合いが異なってくるという点を――――――。

 

 閑話休題。何はともあれ、諸々の理由で少年から自身の情報は漏れないだろうと考えた龍之介にとっては、続く二つ目の問題がネックである。

 

 つい最近までの龍之介は、深刻なモチベーションの低下に悩まされていた。所詮、個人の想像力には限度があるという事なのか、彼は最近あまり新鮮味のある殺人をしていなかった。そこで一つ原点に立ち戻るべく帰省した実家で、先祖の黒歴史ノートと思しき『オカルト趣味の日誌』を発見した彼は、そこから得られたインスピレーションを元に『儀式殺人』というジャンルの開拓を始めたのだ。

 

 そこまでは、よかったのだ。が、しかし。

 

「うーん。やっぱり何か足りないのかな? 呪文? 虫食い部分かなぁ、やっぱり」

 

 とまぁ、現状ご先祖様が言う『悪魔』がさっぱり召喚できないのである。呪文を唱えるたびに全身を駆け廻るゾクゾクとした悪寒から、龍之介は『日誌』の表記に疑いを持っていない。しかし、どうにも古い書物ゆえに所々虫食いがあり、呪文が一部読めないのだ。

 

「うーん、みたせ……が四回じゃ駄目だったから……繰り返すつどに五度ってあるし、五回に増やしてみようかな。えー、ゴホン。『素に銀と鉄……』」

 

 めげずにどうにかこうにか思考錯誤する龍之介。人の生き血で書いた魔法陣も今日はなかなかの出来栄えである事だし、今日で無理ならそろそろこの街での殺人をやめて余所に移ろう。そう考えながらも龍之介は、過去最高の『悪寒』を感じながら詠唱を継続し――――遂に唱え切った。

 

 その、直後。発生した突風と閃光がごく一般的なリビングを蹂躙し、テレビをはじめとした家具を吹き飛ばした。その風はしかし、龍之介を吹き飛ばす事無く徐々に収束し、魔法陣の中に『悪魔』を顕現させる。実に陳腐な演出だが、それが現実に発生しているとなると龍之介のテンションは鰻登りだった。そんな彼に、顕現した悪魔は問う。

 

「――――我らの主と成る者にその名を問おう。我らキャスターを顕現せしめた貴殿は何者か?」

「あっ、俺? えっと、雨生龍之介っす。えー、職業はフリーター、趣味は殺人。最近は原点に戻って剃刀を使ってます。……って、お見合いみたいだね、これじゃ」

「……契約は成った。我らは貴殿と共に聖杯を求めよう。――――万能の釜を貴殿に捧げ、我らの悲願を果たす為に」

「……うーん、何かよくわかんないけど、さ。……悪魔さんは名前なんて言うの? それと、我らって何? 俺には取り敢えず黒いマッチョさんしか見えないんだけど」

「――――我らの名は、ハサン。我らは個にして個に非ず」

「よくわかんないなぁ。……取り敢えずはよろしく、ハサンの旦那」

 

 疑問に首をかしげたまま手を差し伸べる龍之介。しかし、その直後、彼は驚きに目を見開いた。目の前で筋骨隆々の黒い大男が、褐色の美女に入れ替わったのである。

 

「――――龍之介殿。『マリク』めが失礼をいたしました事。お詫び申し上げます。――――呪術の腕は確かなのですが、アレは少々口下手でして」

「お? お!? すげぇ、さすが悪魔、変化とかできるんだ。……ってあれ、マリク? ハサンじゃないの君?」

 

 混乱する龍之介に、美女は平謝りしながら詳しい解説を始める。

 

「誠に説明不足で申し訳ありません。――――我らは、龍之介殿に判るように言えば、多重人格。八十の人格を持つ我らの総称こそがハサンであり、各人格の名前はまた別にあるのです。故に、先程の男はハサンの中のマリク、というのが正しい呼称と成ります」

「あー、そういう? で、人格が変わると見た目も変わる訳ね」

「はい。他には人格ごとに分離することなどが可能ですね。――――ああ、申し遅れました。私はハサンの中の『ヤスミーン』と申します。キャスターのクラスで召喚されましたので、キャスターとお呼びください」

「オーケー。宜しくヤスミン。……ところでさ、悪魔召喚にはやっぱり生贄かなーと思ってこんなの用意したんだけど、どうかな?」

 

 キャスターの手をぶんぶん振りながら、龍之介はそんな台詞と共に魔法陣から離れた部屋の片隅に転がる少年を指差した。この御家庭の住人、鈴木ゆういち君(10)である。彼の両親と姉を殺した分の生き血で魔法陣が製作できたため、彼はまだ生きてその場にいた。その口には丸めた靴下が押し込まれており、恐怖の絶叫が外に漏れる事は無い。その段になってようやくキャスターは此処が殺人現場であると理解した。だが、彼女はそれに眉をひそめる事は無い。

 

「生贄を頂けるというのならばありがたく頂戴しますが……。龍之介殿。この現状をみる限り、惨殺をお望みですか?」

「うーん。いや、取り敢えず好きにやっちゃって」

「では、御意のままに」

 

 キャスターは滑る様な軽い足取りで少年に近付くと、何処からともなくナイフを取り出した。龍之介はその動作を目に焼き付けようと嬉々とした表情でその姿を見守っている。――――そして、ナイフが踊った。高速で振るわれるナイフはしかし、ごくわずかな血しか流さない。キャスターのナイフはものの数分で少年を『生かしたままバラバラに』してしまったのだ。血管を傷つけず、肉と脂をぎりぎりまでそぎ落とす。その卓越した技量によって、少年はまだ生きていた。唯一無傷で残ったその頭部は、あまりの痛みに意識を失っていたが、脈打つ心臓がその生をまだ訴え続けている。その少年の鼻と口を覆う様に、キャスターは深く口づけた。一種妖艶なその行為は、少年の呼吸を封じ、死に至らしめる。その幼い魂を、キャスターは容赦なく咀嚼した。

 

 その一部始終は、龍之介に大きな感動を与えるに十分であった。自分にはできない新たな『殺人』をやってのけた悪魔に龍之介は思わず抱きついて賛辞を贈る。

 

「すげぇ、すっげぇよヤスミン! アンタ超COOLだ!」

「お褒めに与り恐悦至極です、龍之介殿。……しかし、我らはこれより証拠隠滅作業に入りますので、出来れば離していただけると幸いなのですが」

「あ、ごめん。流石に女の子抱きしめるのは失礼だった。うん。……で、証拠隠滅って言うけど、今からやってたら朝になっちゃうよ? それよりも逃げた方がいいと思うんだけど」

「御心配には及びません。私ではなく『我ら』で片付けますので」

 

 そんな台詞と共に、キャスターの身体から湧きでる様に数人の影が出現する。先程のマリクの姿も見受けられるその集団は、ある者は死体をかき集めてミンチにし、ある者は床を雑巾で拭きとり、ある者は集められた死体や拭き終わった床に片端から洗剤と湯をぶちまける。まき散らされた湯がもうもうと湯気を立てるその状況に、龍之介は困惑しながら問いかけた。

 

「えーっと、ヤスミン。これ何してんの?」

「湯と洗剤を用いて簡易的な証拠隠滅をしております。……ひとまずは、この場に落ちた龍之介殿の毛髪や皮膚の隠ぺいのため、部屋をこの家の人間の肉片で満たします。湯と洗剤は、肉を僅かに溶かすので、部屋全体に満遍なくこの家の人間を満たせます。これで、龍之介殿に法の手が及ぶ事は無いかと」

「あー、そう言う事なのか。捜査かく乱って奴?」

「はい。流石に一家惨殺ともなれば衆目を集めますので。……龍之介殿。以降は出来るだけ我らがさらって来た人間の殺害で妥協していただきたいのですが、宜しいでしょうか。我らであれば一切の証拠を残さずに人をさらう事も可能ですし、龍之介殿のアリバイも作る事が出来るかと」

「そりゃあ至れり尽くせりだ。……ヤスミンちゃん、良いお嫁さんになれるんじゃない?」

「お戯れを。……さて、龍之介殿。此処から脱出いたしますので、しっかりと捕まって下さい」

 

 軽口を叩く龍之介に苦笑を返し、キャスターは龍之介を抱えて二階の窓から脱出する。裏路地にすたりと降り立った彼女はいつの間にか盗み出していたらしい洋服を身に着けると龍之介に尋ねた。

 

「龍之介殿。拠点はどちらでしょう? 脳裏に念じて戴ければ判りますので」

「ああ、地下にいい感じの場所があったんで其処を使ってるんだけど……」

「了解しました。では早速向かいましょう」

 

 再び龍之介を抱えたキャスターは、屋根から屋根へと飛びつうつり、音もなく夜の冬木を駆け抜ける。

 

 

 キャスターこと、ハサン・サッバーハ。本来であればアサシンであるはずの彼女達が殺人鬼の配下と成る。

 

 それは、冬木の街が、殺人鬼の狩猟場と化す事を意味していた。

 


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