オレンジの誓い 作:黒の夢
新学期が始まって、ひと月が過ぎ。新しいクラス、新しいクラスメイト、新しい日々に慣れ始めた頃、二年に進級して最初の二者面談が行われていた。
「どうよ、このヘアスタイル。イカしてるだろ?」
「戸田だろ」
「デビッド様だよ! 赤くねぇだろ」
「ぜんぜん似てなーい。私、芸人さんだと思ったー」
「そもそも、若干古い」
「良いものに廃れなんてものはない! オレ今、何気にいいこと言った。名言じゃね?」
新旧の友人たちと駄弁りながら、自分の順番が回ってくるまで、別室で待機。しばらくして、一人前のクラスメイトが知らせに来た。輪を抜けて、二者面談が行われる教室に入る。
「どうぞ、座ってください」
「失礼します」
向かい合う形で設置された机に、見慣れた無表情の教師が何とも形容しがたいオーラを醸し出しながら凜とした姿勢で腰をかける姿に、思わず畏まってしまった。椅子を引き、腰を下ろす。零奈先生は手元の資料から目を離し、真っ直ぐ目を見て話し始めた。
「いかがですか? 学校生活の方は」
「まぁ、それなりに」
「そうですか」
中途半端な返答。気を抜くと、吸い込まれてしまいそうな錯覚を覚える程の深い視線、深い瞳をしている。
「進路希望の用紙には、進学希望とありますね。将来の目標はあるのですか?」
「いえ、特にこれといったものはまだ何も」
「ひとえに進学といっても、様々なかたちがあります。大学、短大、専門学校。大学や短大は、数多くの学部があります。
「それも、まだ⋯⋯」
まだ、二年の一学期。ぶっちゃけた話し、進級したばかりで、中間試験もつい先日終わったばかりで、まだ一年以上も先のことなんて分かるはずない。配られた進路希望のプリントも、何となくそう書いただけのことであって。具体的な将来の目標とか、そこまで深く考えて答えたわけでもないし、進路希望の内容も大まかな二択しかなかった。明確な目標、夢を持っている友人も周りにはいない。
「なるほど。では今から、学業はしっかり励みましょう。将来、選択しなければならなくなった時、必ず必要となりますから」
ただきっと、この時からだったんだろうと今になっては想う。少しずつ、自分の将来のことを意識し始めたのは――。
明くる日の放課後、昼過ぎから降り出したどしゃ降りの雨で部活は中止。突然出来た時間を利用して、校内の図書室を訪れていた。先日返却された中間試験は、上から数えた方が早いくらいのまずまずの結果。家でもいいけど、
空いている席に腰を下ろし、試験結果の見直し。教科書を開いて、間違えた問題の正しい解答をノートに書き綴る。こうして見直すと改めて、得手不得手がはっきり分かる。区切りの良いところで一旦、休憩を入れる。外はまだ、雨模様。降り止む気配は見受けられない。視線を戻すと、眼鏡をかけた感情の薄いクラスメイトの中野が、分厚い参考書を手に空席を探している。不意に、目が合った。軽く手を上げて合図すると、何事もなかったかのように顔を背けた。
「おいこら、委員長。無視するなよ」
「⋯⋯何だ?」
二人掛けの席、空いている正面を二度、三度軽く叩く。小さく息を吐き、正面の椅子を引いて、腰を下ろす。そして、俺など最初から存在していないかの如く、無言で開いた参考書に目を通し始めた。
「礼のひと言もなしかよ」
「この席は普段、僕が使用している。キミがいることがイレギュラーな事態なだけだ」
「そりゃどうも」
「テストの見直しかい?」
クラスでも寡黙で近寄りがたい存在の中野の方から珍しく、途切れ掛けた話題を繋ぎ止めた。
「ちょっとな。二者面談あっただろ。それで、少し考えてみようと思って」
「それは、殊勝な心がけだね」
一方、中野の方はというと既に、大学入試本番に向けた準備。一年の頃から不動の学年一位の秀才、当たり前といえば当たり前。
「そういえば、知ってるか? うちの担任、零奈先生のファンクラブが出来たって話し」
「それは、初耳だね」
クラスじゃ⋯⋯イヤ、部活でもしょっちゅう話題に上がってるけど、食いつくような
「キミも、入っているのか? 先生のファンクラブ」
「はあ? イヤ、入ってないけど」
意外や意外、この手の話題に中野が食いついて来るとは想わなかった。
クラスメイトで部活の仲間の
けど俺の場合は、初日に弁解の機会も与えられず罰則を喰らった身、第一印象は正直あまりよろしくはない。今もまだ、若干抵抗がある。ある種のトラウマといってもいいかもしれない。
「それは、キミの落ち度だ」
「だから、ちゃんと罰則は受けたし。今は、報告している。迷惑をかけるようなことはしてねぇよ。アイツらと違ってな」
頬杖を付き、窓の外へ目を向ける。反対側の校舎の廊下で以前、同じく罰則を受けた三人のうちの一人、教師たちの間で問題児として目を付けられている金髪の上杉がまた、零奈先生に捕まって、鉄拳制裁を受けていた。ツルんでいた二人は⋯⋯少し離れた場所で、同じように頭頂部を抑えている。今度は何をしでかしたのやら。
「お前には、縁のないことだろ」
「その通りだ。さて。では僕は、勉強に戻らせてもらう。静かにしてくれ」
やや返答に間があった気がしないでもないが、そう言った中野は、下校時間10分前を知らせる校内放送が流れるまで、一切口を開くことなく黙ったまま、呆れるほどの集中力で資料から目を離さなかった。
帰り支度を整え、一足先に校舎を出る。昼過ぎから降り続いていた雨も若干小降りになり、雨雲の切れ間から差し込む夕焼けの太陽の光を受け、オレンジ色の雨粒が混じり、宝石のようにキラキラと輝いている。部活で使う予定のスポーツタオルを傘代わりして、走り出そうとしたその時――横から、女性ものの傘が差し出された。
「風邪引くよ?」
傘を差しだしてくれたのは、今は別のクラスで一年の頃は同じクラスの、仲の良かった女子。
「遠慮しないで。大丈夫、私、折りたたみも持ってるから」
そう言って笑うと半ば強引に傘を押し付け、折りたたみ傘をスクールバッグの中から取り出し、黒地の折りたたみ傘を差した。
「ね?」
「⋯⋯出来れば、そっちがいい」
「ん? あ、そっかそっか。じゃあ、はい」
受け取った傘を交換してもらう。
「今日は、付けてないんだ。トレードマーク」
「うん、雨だからね」
傘の柄を肩に預け、彼女は手を伸ばす。手のひらに当たって弾ける雨粒。それが面白いのか、ずっと笑顔だった。
「今日も遅いんだね。部活?」
「今日は、休み。図書室で、テストの見直ししてた」
「真面目くんだ」
「茶化さないでくれ。そっちは?」
「うん、ちょっとね」
こういう曖昧な返しの時は、あえて深く触れないのが吉。
「ねぇ」
不意に立ち止まった彼女の数歩先で振り返り、問いかける。
「どうした?」
「聞いてもいい?」
次の瞬間、彼女の口から発せられた言葉は――「結婚願望ってある?」それは、全く想定しない言葉だった。
☆ ☆ ☆
過ごしやすい日々続く梅雨前の晴れ間。先日のあの雨の放課後、笑顔がよく似合う女友達から唐突に告げられた言葉は今も、頭の片隅に残って離れない。
『ねぇ、聞いてもいいかな? 結婚願望ってある? 私は、あるよ』
なぜ、あのタイミングであんな言葉を声にしたのか。そして、何を意味していたのか。今もまだ、分からずにいた。
性別も関係なく、誰とでも打ち解けられる人懐っこい性格の女子。あれは、俺に向けられた言葉⋯⋯ではないことは間違いない。彼女には、交際相手がいる。交際相手との将来のことを示唆していたのか、それとも深い意味なんてなくて、ただ、そういった考えを持っていることを、誰かに知っていて欲しかっただけなのか、本当の胸の内は分からない。
「結婚するの?」
二者面談後に行われた席替えでひとつ前の席になった女友達の瀬戸が、後ろを振り向い首をかしげる。意図せず声が漏れていたのを拾われてしまったらしい。
「しないけど。瀬戸はさ、結婚願望ってある?」
「結婚願望? 結婚願望って⋯⋯あの、結婚の?」
「どんな結婚があるかしらんけど、想ってるやつで合ってる」
「えっ! えっと、分かんないよ、そんなの⋯⋯」
若干引かれた気がした。似たような反応をしていただろうから、気にはしない。
「だよな、普通」
俺たちはまだ、高校二年になったばかりで、まだ今年17で、たった一年先のことすらも満足に見通せない子どもで、毎日手探りの日々を過ごしている。確かに法律の上では、来年の誕生日を境に可能になるんだろうけど。あとたったの一年の間に、冷静に向き合えるほど大人になれるなんて想像は出来ない。
「そもそも、彼氏居ないし」
「寂しいな」
「キミも、彼女いないっしょ! もー。てゆーか、どうしたの? 急に」
「ま、何となく。女子って、そういうの早いのかなって」
「んー、どうだろ? あたしの周りには居ないかな。イケメン俳優みたいな人がいいとか話すことはあるけどねー。男子だってあるでしょ? 綺麗な女優とか、可愛いアイドルとか」
「ああー⋯⋯そういう感じのノリのやつね」
「そ。そういう感じのノリのやつ」
なるほど。少なくとも今の俺には、結婚願望なんてものは微塵もないし。果たしていつの日か、そういった感情を抱くようになるのかも不鮮明で、想像の域を出ない。
「何だよ?」
「キャラに合ってなーい」
「ほっといてくれ」
可笑しそうにクスクス笑うと、前を向いて授業の準備を始めた。見習って、授業の支度を進める。教科書とノート、筆記用具を用意して、窓の外に拡がる薄い雲が浮かぶほんのり夏空が近づいて来た青空を眺めながら、担当教師が教室へやって来るのを待った。
☆ ☆ ☆
高校総体は各ブロックに分けられた地域予選を勝ち上がり、県大会へと駒を進めた。最終成績は、目標だったベスト8の壁を目前に敗退。今年の夏も、本格的な梅雨の始まりを告げる前に幕を閉じた。冬まで残る三年生も多少いるが、多くの三年生はこの日を境に引退、新チームも初秋の新人戦へ切り替えて動き出すことになる。
「皆、よく頑張った! 最後まで投げ出さない姿勢に僕は、感動を禁じ得ない! キミたちなら、この苦い経験を必ず将来の糧に出来ると信じている!」
采配を一切振るわない顧問による大袈裟なリアクションは、良くも悪くも、敗戦後の湿った空気をぶった切る。
「さて。では、次の主将を発表するよ」
そして、余韻など一切なく、瞬時に切り替え、次期キャプテンが発表された。顧問の独断ではなく、今大会で引退する現キャプテンと副キャプテンの意見を元に決められたそうなのだが――⋯⋯。
「何で、俺なんだよ⋯⋯」
帰りの電車の中、思わず愚痴が溢れた。
リーダーなんて、柄じゃないってのに。
「謙遜するなよ、キャプテン。いい響きじゃん?」
「じゃあ、替わってくれ」
「冗談、パス。てかオレも、副キャプテンだし」
隣に座る豊橋は頭の後ろに両手を回すと、座席に深く背中を預けて、大きなため息をついた。
「残る
他にも色々あるけど、不満を挙げたらきりがない。それらをこなしてた先代のキャプテンたちの偉大さを痛感させられた。愚痴なんて、軽々しく口に出来る気分じゃなくなった。
「ま、決まったこと嘆いても仕方ないし。景気づけに何か食ってこーぜ」
「そうだな、そうするか」
最寄り駅より前の、少し都会の駅で下車。ちょっとしたサプライズが遇ったあと、駅近くのファミレスで現実逃避に興じる。スポーツ、流行の音楽、ドラマ、ゲーム、マンガ等など、テキトーにダベり。そしていつしか、話題は学校のことに。
「零奈先生ファンクラブ会員、遂に100人突破したんだぜ!」
「イヤ、知らんけど」
「貴様、正気か⋯⋯?」
その台詞、一言一句そっくりそのまま返してやりたい。
「ホント、人気あるんだな」
「当たり前だろ? 見目麗しい無表情から繰り出される愛の鉄拳。一度でいいから喰らってみたい!」
「とんだド変態だな。校則違反起こせばいいじゃないか、上杉たちみたいに」
「そいつは、ダメだ! 会員は全員、紳士協定を結んでる。零奈先生に迷惑をかけることは御法度だ。破ると強制退会処分になる」
「へぇ、意外とちゃんとしてるんだな」
会員は学年、性別を問わず、教職員も含まれている中、見事まとめ上げる優れた統率力。いったいどんな人物が立ち上げて、まとめているのやら。是非とも組織をまとめるコツを仰ぎたいものだけど、そもそも、ファンクラブってどんな活動をしているのだろうか。プロスポーツだとグッズの割引とか、優待券が貰えたりするけど、その辺りの疑問は尽きない。
「てかさ、ヤンキーはモテるって都市伝説じゃなかったんだな。オレも、デビッド様みたいに
「制裁喰らうぞ」
「紳士協定バンザーイ! ハァ⋯⋯」
テーブル突っ伏してまるで抜け殻のように、窓の外をぼーっと眺め出した。
駅を出た直後、偶然、出くわしたカップル。先日の雨の日、折りたたみ傘を貸してくれた、トレードマークのサングラスを頭に乗せた人懐っこい笑顔の女子の隣を歩いていた男子は、同じ学校の上杉。他二名の男女と共に毎日のように、零奈先生から容赦のない鉄拳制裁をお見舞いされている不良と、人気のある女子が付き合っていることを知って、少なからずショックを受けているのが手に取るように分かる。
「意外性ありすぎて、逆に冷静になったわ」
「ま、悪いヤツじゃねーよ。上杉も、上杉とツルんでる二人もな」
「しばかれてるのに?」
「手伝ってやった礼に、飲み物奢ってくれたぞ」
罰則の草刈り以来、顔を合わせた時は言葉を交わすようになった。二人が付き合ってことも、その時に聞いた。下田は相変わらず口は悪いけど、何だかんだ言って、先生のことを慕ってる。最近は、真面目に授業受けることも増えたみたいだし、図書室で自習している姿を見かけたこともある。眉を剃った厳つい坊主頭は、家庭科の調理実習でキャラ崩壊を想わせる程の腕前を披露したのが記憶に新しい。
「さすが、零奈先生。手を焼く不良をも改心させる美しさ、気高さ、高嶺の花!」
「しばかれてるけどな」
「ご褒美だろ」
「真顔でいうな」
先生の話になった途端に立ち直って饒舌になった友人に呆れて果て、頬杖を付いて、窓の外に目を向ける。すると、いつかと同じように大柄なスキンヘッドの後ろ姿が視界に入った。
「おい、見てみろよ」
「あん? あれって、
顧問の無堂先生と想われる人物はしきりに、腕時計を気にしている。どうやら、誰かと待ち合わせをしているようだ。悪いと思いながら観察を続けていると、しばらくして、駅の方から待ち人と想われる人が歩いてきた。
相手は女性。すれ違う通行人は漏れなく、よく知る雰囲気と若干異なる雰囲気の彼女に目を奪われている。
最初は、新任教師とベテラン教師の打ち合わせか何かだと思った。
けど――これは後に、波乱を起こすことになる。
そう、学校中を巻き込むほどの、大きな波乱を巻き起こすことになる、その始まりを告げる、序章に過ぎなかった。