TS悪役令嬢になったオレ! 王子と婚約してるけど悪役令嬢だから婚約破棄されるだろうし、気にせず生きていくぜ!   作:冬月之雪猫

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第百話『ヴィヴィアン・アガリアとエシャロット・ゾア』

 ネルギウス王とカトレア王妃の間に長子であるヴィヴィアン王女が生まれた年、エシャロットはゾア公爵家の三女として生を受けた。ゾア公爵家は王家に対する忠誠心が最も強い事で知られ、長女であるララティナがネルギウスの専属使用人を務めるなど王家からも厚い信頼を寄せられている。故にこそ、同じ年に両家で生まれた二人の少女が生後間もなく引き合わせられた事は必然と言えた。

 

『エシャロット。ヴィヴィアン王女殿下はお前の主となる御方だ。良く尽くすのだぞ』

 

 物心付く前から数え切れぬ程に繰り返された言葉はエシャロットの心に深く刻まれていた。

 彼女の為に浮かべる笑顔を作った。

 彼女の為に服の着付けを学んだ。

 彼女の為に紅茶の淹れ方を練習した。

 彼女の為に剣を握った。

 自分の為ではなく、家族の為でもない。けれど、それを苦と思う事は無かった。

 そもそも、それが常識だったからだ。それ以外の生き方を知らない彼女にとって、その生き方は唯一無二の道だった。初めから一本しか無かったからこそ迷う事もなく、必要な事を事前に学び、準備する事が出来た。だから、何も不満など抱かない。順風満帆だとすら思っていた。

 

「ねえ、わたしもエシャロットの髪を結いたいわ」

 

 ある日の出来事だ。突然、主であるヴィヴィアンにそのような事を言われた。

 エシャロットは困った。主人の髪を結うのは侍従の務めであり、侍従の髪を主人に結わせるのは常識外れの事だったからだ。けれど、断る事も出来なかった。主人の意思は何よりも優先される。例えば、主人に犯罪を命じられたとしよう。その罪によって死刑になるかもしれない。それでも侍従は命令に従わなければいけない。それは正しき忠義ではないと言う者も居るだろうが、少なくともエシャロットにとっての忠義はそういうものだった。

 主人に髪を結わせる。それは死を持って償わなければならない不敬であると考え、彼女はヴィヴィアンに頭を下げた。

 

「かしこまりました、お嬢様。毒を飲みますので少しお待ち下さい」

「……え?」

 

 ヴィヴィアンは困惑した。当然だろう。いつも髪を結ってくれるエシャロットの為に、彼女はただ何かをしてあげたかっただけなのだ。その一つとして提案した事が髪を結うという行為だった。その提案に対して、毒を飲むという返答はあまりにも彼女の理解を逸していた。

 

「ま、待ってちょうだい! なんで? どうして!?」

「わたくしはお嬢様の侍従です。お嬢様に髪を結って頂くなど、身に余る光栄で御座います。しかしながら、侍従の身で主人のお手を煩わせるなど不敬の極みでも御座います故、先に死を持って贖罪を……」

「え? え? え?」

 

 ヴィヴィアンにはエシャロットの思考回路が全く理解出来なかった。そして、その事がショックだった。

 物心付く前から一緒に居る事が当たり前の関係だったのに、そんな相手の事を自分がちっとも理解出来ていなかった事を悟ったからだ。

 

「……ダメ」

「お、お嬢様?」

「ダメなの……。死ぬなんて、絶対ダメなの!」

 

 その日、ヴィヴィアンは大きな声で泣き叫んだ。聡明で穏やかな性格のヴィヴィアンが突然起こした癇癪に王城の誰もが慌てふためき、ララティナと共に部屋へ乗り込んだネルギウスはオロオロとしているエシャロットに事情の説明を求めた。

 そして、彼女はありのままを答えた。その上でネルギウスに深々と頭を下げて自らの首を晒した。

 

「……お嬢様を悲しませてしまいました。その罪は万死に値すると自覚しております。どうか、死罪を御申し付け下さい」

 

 その言葉でネルギウスはヴィヴィアンが泣いている理由の真相を悟った。

 生まれた時から侍従としての忠義を叩き込まれて来たエシャロットは自尊心というものを持っていなかったのだ。ただ、ヴィヴィアンの為だけに生きている。それは人としての在り方ではなく、その事に聡明なヴィヴィアンは気付いてしまったのだ。

 

「エ、エシャロット……」

 

 ネルギウスの隣で彼女の話を聞いていたララティナはショックのあまり崩れ落ちた。

 そんな生き方は誰も望んでいなかった。

 ゾア公爵が彼女に様々な教育を施したのはヴィヴィアンの侍従として必要な能力を授ける為だった。王女の侍従となれば将来は約束されたようなものであり、その為に必要な事を教える事こそが娘に与えられる精一杯の愛情だと考えていた。忠誠心の重要性を説いたのも、軽はずみな言動や行動で王女の侍従という立場を失う事が無いようにと言う親心でしかなかった。

 ネルギウスやカトレアはそもそもエシャロットに忠誠心など望んでいなかった。ただ、娘と身分を超えた友になって欲しいと思っていただけだ。侍従という立場はただ二人が一緒に居られるようにと考えての事であり、もしも侍従として不出来な態度をとっても黙認するよう王城の全ての者に言い聞かせていた程だった。

 ララティナはネルギウスとカトレアの考えも聞いていた。親の指導理由も知っていた。だからこそ、妹の内面に今の今まで気付く事が出来なかった自分を責めた。ヴィヴィアンを泣かせたのは他ならぬ自分であると考え、死罪は自分にこそ相応しいとネルギウスに懇願するほどに取り乱した。

 ララティナとエシャロットが姉妹揃って死罪を求めてくる状況にネルギウスは弱り果てた。

 

「ヴィヴィアン、泣き止みなさい!」

 

 そして、カトレアが泣きじゃくるヴィヴィアンの肩を掴んだ。

 

「泣いている場合ではありません。今すぐにあなたがエシャロットとどういう関係でありたいかを答えなさい」

「……お母様」

 

 苛烈とも言えるカトレアの言葉にエシャロットは慌てて二人の間に割り込んだ。

 王妃と王女の間に割って入るなど、それこそ不敬の極みだ。それでも彼女はカトレアの前に立ちはだかった。それがヴィヴィアンを守ろうとしての行動だと誰もが気付いた。

 

「エシャロット……」

「ヴィヴィアン。今すぐに答えなさい。あなたにとって、彼女はどういう存在なの?」

 

 だからこそ、カトレアはネルギウスですら殆ど聞いた事がないほどに厳しい声で言った。

 有無を言わせない彼女の言葉にヴィヴィアンは怯えた。すると、エシャロットは剣呑な眼差しをカトレアに向けた。彼女の忠誠心はヴィヴィアンの為ならば王にすら刃を向けるものである事をネルギウスは悟った。

 そして、ヴィヴィアンも漸く彼女の本質に気が付いた。カトレアの声が彼女の思考を一度リセットさせたのだ。冷静さを取り戻した彼女は母の言葉を反芻した。

 彼女が自分にとってどういう存在なのか? その答えは物心付く前から決まっている。

 

「大切な御友達です!」

「お、お嬢様?」

 

 エシャロットが困惑の表情を浮かべている。その事がヴィヴィアンの心を大きく軋ませたけれど、彼女は拳を固く握りしめて耐え抜いた。

 この瞬間、ヴィヴィアンは漸く自分の立場というものを理解した。その上で友を得る事の難しさも。

 

「エシャロット」

 

 ヴィヴィアンは理解した。

 泣き喚いても解決しない事がある。

 他の誰にも解決してもらえない事がある。

 自分自身で解決しなければいけない事がある。

 だから、まずは第一歩を踏み出そう。

 

「わたし、あなたが好きよ。大切な友達だと思っているし、あなたにも友達だと思ってもらいたい」

「……そ、それは」

「難しい事を言っている事は分かっているわ。ただ、知っていて欲しいだけなのよ。あなたの髪を結いたいと言ったのは、いつもわたしの髪を結ってくれるあなたにお礼がしたかったの。あなたの為に出来る事をしたかったのよ」

「お嬢様……」

 

 エシャロットの瞳が揺れた。彼女の中で凝り固まっていた常識にヒビが入っていく。彼女と自分は主従関係にあり、それが変わる時が来るとすれば彼女が自分を不要と切り捨てた時であり、そうなった時は潔く消えなければならないと信じていた。けれど、ヴィヴィアンは友達になりたいと言った。切り捨てるのではなく、違う関係性を結びたいと。

 彼女がそう望むのならばそうするべきだ。けれど、それでは主従でいられなくなる。エシャロットとて、友人という関係性がどういうものかくらいは知っているのだ。ヴィヴィアンが服従する者を相手に友達ごっこを興じたいと考えているわけでは無い事も理解しているのだ。だからこそ、動けなかった。

 頷く事も出来ず、否定する事も出来ず、その無様な自分の有り様に胸を掻き毟りたくなった。

 

「変われとは言わないわ。だって、それだと命令になっちゃうもの。命令で友達になる事を強制するなんて、そんなのおかしいでしょ? だから、待ってるわ」

「……お嬢様」

「あなたがいつかわたしを呼び捨てとか、愛称とかで呼んでくれる日を」

 

 彼女はそれを望んでいる。ならば、そうするべきだ。けれど、口をどんなに動かしても声が出て来ない。

 王女を呼び捨てにするなど不敬にも程がある。その後、相応しい罰を与えられるのならば彼女の為に実行する事も厭わないが、彼女は罰など与えてはくれないだろう。

 そのように考えて、エシャロットは愕然とした。

 

 ―――― 与えてくれないって、なんだ?

 

 自分が望む物を与えてくれないからと、主人の望みを叶えないなど、それこそ不敬の極みだ。

 その事に気付いた時、エシャロットは立っていられなくなった。自分の忠誠心に疑念を抱いた為だ。

 

「エシャロット!?」

 

 エシャロットは頭を抱えながら叫び出した。

 自分の事を優先して、主人を蔑ろにするなどあり得ない。そんな者がのうのうと生きているなど許せない。けれど、己の死を主人はダメと禁じた。ならば、死を選ぶ事など許されない。それが辛いと嘆く自分が憎らしくて堪らない。

 彼女の中で自己嫌悪が際限なく膨らんでいく。

 

「い、いかん!」

 

 その事に気が付いたネルギウスが駆け寄ろうとすると、カトレアが腕を掴んで止めた。

 

「カトレア!?」

「いけません」

「このままでは彼女の心が壊れてしまう!」

「それでもです」

「なっ!?」

 

 その時、ネルギウスは初めて妻に怒りの形相を向けた。

 彼女に何らかの考えがある事は分かっている。それでも年端のいかない少女が自己嫌悪に押し潰されて心を壊す光景を見過ごす事などあり得ない。かくなる上はヴィヴィアンから遠ざけて、静かな場所で心を落ち着かせるほかない。それなのに手を離さないカトレアに叱責を飛ばそうとした。

 そんな彼にカトレアは言う。

 

「わたくし達が彼女の為に行動すれば、本当に彼女の心は壊れてしまいます」

「……それは」

 

 妻の言葉を聞いて、ネルギウスは自分が冷静ではなかった事を自覚した。

 彼女を苦しませているのは主人であるヴィヴィアンに対する忠誠心が故の自己嫌悪だ。その気が無くとも、恩を着せてしまうような行為を取れば、今度こそ彼女は自己嫌悪に押し潰されてしまうだろう。

 けれど、何もしなければ彼女はやはり壊れてしまう。

 

「エシャロット。わたしはあなたの何もかもを許すわ」

 

 ヴィヴィアンが言った。

 その言葉を口にする事は苦痛だった。親しき友でありたいと願う相手に対して、あまりにも不遜な態度だとヴィヴィアンは血を吐くような苦しみを覚えた。けれど、それはエシャロットの主人であるヴィヴィアンだけが彼女に与えられる言葉だった。

 その時、ヴィヴィアン・アガリアという人間の少女時代は終わった。

 エシャロットが苦しむ理由を考え、それが自分の『彼女と友達になりたい』という欲望によるものだと理解した。その苦しみを取り払う為には自分が苦しまなければいけない事を理解した。

 愛する事の意味を知った。愛とは愛する人よりも苦しむ事を受け入れる事なのだ。愛する人よりも楽になりたいと望むなら、それは所詮自己愛なのだから。

 覚悟を決めた。彼女を友達として愛する為に彼女の主となる。例え、彼女からは友達と思ってもらえなくても構わない。

 彼女が望む自分になろう。そう決めた。

 

「……あっ、ああ」

 

 その覚悟にエシャロットは気付いた。忠実な侍従として彼女を見守り続けて来たからこそ、彼女の真意を見抜けてしまった。自分の為に苦しむ事を選んだ彼女の愛にエシャロットは大粒の涙を零した。そして、漸く彼女は目を覚ました。

 忠義だの何だのと言っておきながら、自分はただ自己愛に浸っていただけなのだと思い知った。結局、彼女(ヴィヴィアン)の事を何も見ていなかった。

 

「……ヴィ……、ヴィヴィ……、ちゃん」

 

 ここで彼女に何も報いられなければ、それこそ最悪だと必死に絞り出した。

 

「エシャロット……?」

「……わだじ、ヴィヴィちゃんに苦しんでほじぐない!」

 

 涙と鼻水でグチャグチャになった顔を彼女に向け、敬語も使わずにそんな言葉を口にした。

 

「わた……、わだしもよ。エシャロッ……、エシャロット! わた、わたし! あなたに苦じんで欲しくないの! あなたが望まないなら、あな、あなたが望む関係でいいの! あなだが望む主人になるがら!」

「わた、しの望みはヴィヴィちゃんが幸せでいてくれる事だけでず!」

 

 その後、二人はもう自分が何を言っているのかも分からないくらいグチャグチャになりながら泣き喚いた。

 その光景を見て、ネルギウスは自らの浅はかさを悔いた。彼女達には相手を思いやる優しさがあり、その為に必要な強さがあったのだ。その事も見抜けずに二人を引き離そうとしてしまった。カトレアが止めていなければこの素晴らしき光景を見る事は永遠に無かっただろう。

 

「……凄いな、カトレア。君は本当に素晴らしい……。さっきはすまなかった」

「素晴らしいのはわたくしではありません。わたくしはただ、信じただけなのですから……」

 

 それが何よりも素晴らしい事なのだとネルギウスは妻に対する愛情をより深めた。

 その日を境にヴィヴィアンとエシャロットの関係は大きく変わり、二人だけの時は気の置けない友として語り合うようになった。

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