TS悪役令嬢になったオレ! 王子と婚約してるけど悪役令嬢だから婚約破棄されるだろうし、気にせず生きていくぜ! 作:冬月之雪猫
話し込んでいる内に朝食の時間が来てしまっていた。わたし達はそれぞれの寮の食堂に急いだ。
急ぐと言っても、わたしは公爵令嬢であり、皇太子の婚約者。常に優雅であらねばならない。こういう時、シェリーの教えがとても役に立った。彼女はありとあらゆる場面を想定して教育を施してくれていて、こういう時の動き方についても教えてくれていた。
慎み深く見える動きの中で最速の歩き方で移動して、既に事情を把握していた有能な精霊であるボンズが用意してくれたすぐに食べられて、腹持ちが良く、見た目が華やかな食事をこれまた優雅かつ最速の食べ方で平らげた。コツは一口サイズの上限を見極める事だ。上品さを維持出来る上限まで口を開き、無理なく食べられる最大サイズで食べ物を口に運んでいく。
教えられている時は役に立つ時が来るのか疑問だったけれど、これは必須の技能だった。
「あれ? もう食い終わったのか!?」
先に食べ始めていたエレインはわたしの皿がいつの間にか空になっている事に気が付いて目を丸くした。
彼女の皿にはまだステーキが一枚残っている。
「エレイン、食べ切れるの……?」
レネが心配そうに声を掛けた。
「だ、大丈夫に決まってんだろ!」
実に疑わしい。彼女は昨日もステーキを食べていた。どうやらいたく気に入ったらしく、今朝は草履のような大きいステーキを三枚も注文したらしい。
「調子に乗るからだ。そもそも、ステーキは朝から食べる物ではない」
「うっせぇな……」
ザイリンの説教に対する反論にキレがない。どうやら、かなり苦しいようだ。
「仕方ないなぁ! わたしが半分食べてあげよう!」
「食えるって言ってんだろ!」
「えー? 意地張らないほうがいいよー?」
「意地なんて張ってねぇ!」
意地を張っている。
だけど、そろそろオリエンテーションの二日目が始まる。あんまりモタモタしてもいられない。
「エレイン。そのステーキはそんなに美味しいのですか?」
「おう! ハッキリ言って、最高だぜ!」
苦しそうな顔をしながらも彼女は断言した。
「なら、一口頂いてもいいかしら?」
「……そう来たか」
エレインは降参とばかりにフォークとナイフを置いた。すると、有能な精霊であるボンズはささっとエレインからステーキの皿を取り上げると見事な手際で切り分けてわたしやアリーシャ達の前に小皿に乗せて置いてくれた。
『ちょびっとわさびソースを付けると美味いで』
ボンズが言うと、半透明の球体の中に十字のコアが見える精霊が魔法でわさびソースが乗った小皿を人数分運んで来てくれた。
「え? わさびソース!? お、おい、わたしもやっぱりもうちょっと食べるぞ!」
『いけません。あなたの胃はもう限界です。ランチの時間に小皿で用意しますので、我慢して下さい』
物凄くかっこいい声で謎の球体型精霊は言った。
「……いや、でも」
『我慢して下さい』
「は、はい……」
謎の球体形精霊の有無を言わさぬ圧にエレインは負けた。
「ボンズ。あの精霊は何という名前なのですか?」
『イオーンやで。ちなみにこのステーキ焼いたんもイオーンやで』
「そうなの!?」
なんとびっくり、謎の球体型精霊イオーンはこの食堂のコックさんだった。配膳だけではなく、厨房でも精霊が働いているとは知らなかった。
わたし達の会話が聞こえていたらしいエレインはとても気まずそうな表情を浮かべながらイオーンに「すまねぇ……」と頭を下げている。
『反省しているならば野菜も食べてるように。最初は大目に見るようにしているのですが、連日肉料理ばかりでは健康を害します。いいですね?』
「……はい」
お母さんみたいだ。イオーンお手製のステーキにわさびソースを付けて食べてみた。
「おいしい!」
「わお!」
「かりゃい……」
「おいしい」
「ほう」
エレインが病みつきになるのも納得の味だった。彼女はクラブ棟の料理研究会『冒険者の食卓』で食べたアレクサンドラのステーキを食堂のステーキよりも上だと評していたけれど、わさびソースをつけると評価が一気に難しくなった。ロゼには辛過ぎたみたいだけど、それほどまでにわさびソースが美味しい。どうやら、柑橘系の果物をベースにした甘酸っぱいソースにわさびを溶かし込んだものらしい。
「ロゼ、大丈夫ですか?」
「ひゃ、ひゃい! 大丈夫です!」
ロゼは涙目になっている。彼女にわさびはまだちょっと早かったようだ。
「おい! わたしの為に無理をさせるわけにゃあいかねぇ! 残りはわたしが食べてやんよ!」
エレインが瞳を輝かせながら都合の良い事を言い出した。みんなが絶賛するわさびソースを堪能したいようだ。
『甘口のソースを用意しました』
けれど、イオーンが許さなかった。ロゼの前にオレンジ色のソースを置くと、エレインとロゼの間を漂った。エレインがぐぬぬと歯ぎしりしても一切譲らない、まさに不動の壁となって立ちはだかっている。
「この匂い……」
ロゼはソースの香りに心当たりがあったらしい。
「もしかして、キドア?」
『その通りです。昨今の情勢の為に仕入れが困難になって来ていますが、キドアの独特な酸味は肉料理にとても良く合いますよ』
どうやら、ソースの素材に使われているのはキドアという珍しい果物らしい。ちょっと気になる。
「……昨今の情勢。ああ、キドアと言えば寒冷地方の果物だったな」
「何の話?」
ザイリンのつぶやきにアリーシャが首を傾げた。
「ん? いや、単に産地が気になっただけだ。ラグランジア産か?」
ザイリンが問い掛けると、イオーンは『はい』と答えた。
『ラグランジア王国のセキア地方イトア村のキドアです。このキドアを育てている子は65年前のアザレア学園の卒業生なのです。彼が故郷であるラグランジア王国に帰郷し、農園を開いてから二十七年。年々、キドアを含めたフルーツや野菜類の味が良くなって来ておりました。また、来年も仕入れられるといいのですが……』
イオーンの球体の体がゆらゆらと揺れた。
「えっと、どういう意味……?」
アリーシャにはイオーンの言葉の意味が掴みきれていないようだった。
それはエレインやレネも同様らしい。
「戦争が始まるんだ」
ザイリンが言った。
「せ、戦争!?」
アリーシャは目を丸くした。
「な、なんで!?」
「……事情は色々とあるが、主な要因はラグランジア王にある。歴史的に見ても、類を見ないレベルの愚王だ」
嫌悪感に満ちた彼の声にロゼの体が震えた。
「ザイリン。食事中に話す事ではありませんよ」
わたしが嗜めると、彼は「す、すまない!」と慌てて頭を下げた。
「戦争……」
アリーシャは戸惑っている。アガリア王国の治安は現代日本と同等かそれ以上に良い。二代目魔王や七大魔王の出現でさえもこの国の平穏は破られなかった。戦争の存在自体は知っていても、対岸の火事と言ったところだったのだろう。
わたしだって、似たりよったりだ。現実の戦争なんて知らない。生まれ変わる前に戦争の悲惨さを描いたドキュメンタリーや映画を見て、漠然と恐ろしさを感じている程度だ。
身近なところで戦争が起ころうとしている。だけど、やっぱり実感が持てない。
『申し訳ございません』
イオーンが謝った。
『余計な事を言いました。失礼致します』
そう言い残すと、イオーンはふわふわと揺れながら厨房の奥へ消えていった。
「……キドアを作った人と仲が良かったのかな」
『ヤンチャな
厨房を見つめながら呟いたレネにボンズが言った。
『あの坊も肉料理ばっかり食べとって、イオーンに怒られとった。そんで、しばらくサラダばっかり食わされとったなぁ。それがまた絶品だったみたいで今度は野菜ばっかり食べるようになっとった。元気にしとるとええんやが……』
しみじみと語るボンズの言葉にはキドアを作った元アザレア学園の生徒の安否に対する不安が感じ取れた。
ラグランジア王国の現状はかなり酷いものだとアルから聞いている。慰めたいけれど、迂闊な事を口にする事は出来ない。わたしの言葉はそのままアガリア王国の言葉になりかねないからだ。
陛下を始め、国の上層部は戦争を回避する為に動いている。けれど、秘密警察や密告制度なんてものが運用されている国だ。とてもではないけれど楽観的には考えられない。
あの国はライの国でもある。わたしに出来る事があるなら何でもする。だけど、わたしに出来る事は限られている。
「とりあえず、さっさと食っちまってくれよ! 目に毒だぜ……」
エレインの嘆きの声を聞いて、わたし達はそそくさとお肉を口に運んだ。戦争というワードに少し食欲が落ちてしまっていたけれど、それでももっと食べたいと思わされる味わいだった。食べ終わったら、いよいよオリエンテーションの二日目だ。