TS悪役令嬢になったオレ! 王子と婚約してるけど悪役令嬢だから婚約破棄されるだろうし、気にせず生きていくぜ! 作:冬月之雪猫
目の前でファイティングポーズを取っているエレインから目を逸らして、わたしはレネに助けを求めた。
「レネ。エレインは何を言ってるの?」
「殴り合おうぜって、言ってるよ」
「……ロ、ロゼ。エレインとレネは何を言ってるの?」
「な、殴り合おうぜって、言ってる!」
「ザ、ザイリン……?」
「殴り合おうぜと言っているんだ。安心しろ。お前の耳は正常だ」
おかしい。誰に聞いても殴り合うぜのフレーズばかりが返って来る。
もしかすると、わたしはまだ夢の中にいるのかもしれない。寝起きで海賊船に拉致られるなんてエキセントリックな展開はわたしの寝惚けた脳が生み出した幻に違いない。
「そろそろ起きなきゃだね。レネ! ちょっと、わたしの頬を抓ってくれない!?」
「現実だよー」
「……ロゼ! ちょっと、頬を抓ってくれない!?」
「ゆ、夢じゃないよ?」
「この際、ザイリンでもいいよ! 頬を抓って!」
「現実を受け入れろ。夢ではなく、現実だ。現実にエレインはお前と殴り合おうとしている。受けて立ってやれ」
まあ、分かっていた。魔王の権能はわたしに幻覚耐性を付与している。幻覚や夢の状態であれば、それが分かる。その気になれば完全な遮断も可能だ。
だからこそ、溜息が出る。
「……本気?」
「本気だ」
「わたし、これでも魔王なんだけど? 本気で殴ったら、エレインなんて一撃で潰れたトマトだよ?」
魔王覇気を放ちながら脅し文句を口にしてみた。それでも、誰も引き下がってくれない。
権能を持ってるわけでもなく、魔王覇気に抗う術も持っていない筈なのに、どうして誰も怯えてくれないんだろう?
「やってみろよ」
「……やったら、死んじゃうよ?」
魔王覇気を少しだけ強める。強め過ぎると、みんなの精神に癒えない傷を残してしまうから慎重に出力を上げていく。
「アリーシャ」
エレインは一歩近づいて来た。
あり得ない。もう、魔王覇気は厳しい鍛錬を積んだ騎士や冒険者でも足踏みするレベルまで引き上げている。
レネやロゼは限界だ。立っていられなくなっている。泣きそうになりながら、必死に堪えている。これ以上は不味い。
「お前に掛けてやれる言葉を色々探してみたんだ。わたしなりにさ。だけどよ、お前の不幸に共感出来るほど、わたしは不幸な人生を歩んで来なかったんだ。幸せに生きてる奴が不幸な奴に何を言っても、嫌味にしかならないだろ?」
平然と肩を竦めながら、彼女はまた一歩近づいて来た。
おかしい。怖い筈だ。魔王覇気はそういうスキルなのだ。あまねく人類の魂に根深く巣食った恐怖の感情。それを呼び覚まされて、平気な人間なんていない。
「……なんで」
「言ってんだろ。掛けてやれる言葉が見つからなかったってよ。だから、殴り合いだ。そうしたいなら、殺す気で殴って来ていいぜ。とりあえず、お前が抱えてる鬱憤をわたしにぶつけて来いよ」
「なんで……、そんな事をするの?」
「それ以外、お前を止める方法が思いつかないからだ」
理解が出来ない。わたしの力は実際に彼女を殺す事が出来てしまう。
わたしはもう理性を手放している。怒りを拳に篭めて殴ったら、手加減など出来ない。
それなのに、彼女は本気だ。その瞳を見れば分かる。
欠片も揺らぐ事のない眼光は彼女の言葉にやましさなどない事を示している。
彼女は本気で殴り合おうと言っている。
「お前は友達だからな。友達が暴走してんだぜ? 止められなきゃ、破滅まで一直線って言われちまったら、命賭けても止めるしかねぇだろ」
「……わたし達、出会ってまだ一か月程度だよ?」
「だから、どうした? 一か月じゃ足りないのか? お前だったら、命を賭けるのに何か月必要なんだ?」
相手が貴女なら、わたしだって一か月で命を賭けられる。レネのためでも、ロゼのためでも、ザイリンのためでも、フリッカのためでも、命を賭けられる。
だけど、それは彼女達に生きる価値があるからだ。
「……わたし、勝手に暴走してるだけなんだよ? 誰も望んでないのに、誰のためにもならないのに、生まれ変わる前の恨みを晴らすなんて、意味分かんない事のために暴れようとしてる馬鹿なの! そんな馬鹿野郎のために命を賭けるなんて、わたしだったら何百年経とうが真っ平だね!!」
「あっそ」
どうでも良さそうな返事をされた。
「まあ、お前がそういうスタンスなのは別に構わねぇよ。けど、それはお前だけだ。ここにいる全員、お前が暴れたら死ぬかもしれないって教えられた上で来てるんだぜ?」
まだ、魔王覇気を解除していない。それなのに、レネとロゼは一歩前に出て来て頷いた。ザイリンも仏頂面を下げながら、彼女達の横に並ぶ。
ここに来た時点で、彼女達はとっくに命を賭けていた。
「なんで!?」
意味が分からない。そこまでの関係には至っていない筈だ。
フリッカが相手なら分かる。常にわたし達の中心にいる彼女のためなら、命を賭けるに値する。
だけど、わたしは彼女じゃない。
「一応、他にも理由はあるぞ。ラグランジアでヤバいのが暗躍中らしい。フリッカはそっちに集中しとかないといけないんだ。それに、お前が殺したい相手も国防の要って奴なんだろ? わたしはフリッカの側近候補って奴だからな。そういう意味でもお前を見過ごしてはやれねぇんだ」
「……なるほどね」
フリッカのためなら、この状況にも納得がいく。
ただ、100%わたしのためって、少しだけ己惚れてしまった事が恥ずかしい。
「まあ、五分五分だ。お前のためとフリッカのため。ただまあ、言い訳させろよ。ラグランジアの件が無かったら、フリッカもここに居て、全員お前のためだけにここに立ってたぜ」
「あはは……、ちょっとだけ、その光景を拝んでみたかったかもね」
でも、彼女がここに居なくて良かった。
「……多分だけどさぁ、わたしを信じてくれちゃったんだよね?」
少なくとも、彼女は殺さずに済む。
「でもさぁ……」
そろそろ限界だ。
理性が溶け消えていても、わたしの中で友達を失いたくないと言う本能がアルトギアに対する殺意を食い止めていた。
本当にどうしようもない女だ。
命を賭けてまで止めようとしてくれている友達よりも、遠い昔の出来事に対する復讐の方が大事だなんて、どうかしている。
「……もう、本当にこれが最後だよ。今すぐ、わたしから逃げて」
多少の後遺症が残っても、死ぬよりはマシだろう。わたしは更に魔王覇気を強めた。
それと共にわたしの中の魔王の力が肥大化していく。
「イヤだ。わたしはお前を止める」
更に魔王覇気を強める。それでも彼女は退かない。
どうして、耐えられるのか分からない。だけど、もはやどうでもいい。
◆
一線を越えた。
己の身に宿る海賊王の権能が語る。
アリーシャ・ヴィンセントという少女は終わりを迎えた。
魔王覇気とは、対象の魂に根付く魔王に対する恐怖心を想起させるもの。
魔王覇気を使うと言う事は、魔王を演じると言う事だ。それ故に、オズワルド猊下はその行為を魔王の権能の第一段階と捉え、『魔王再演』と名付けた。
そして、演じるに留まらず一線を越えた時、魔王としての覚醒が始まる。
「……これが本来の『魔王再臨』か」
以前、迷いの森で見た魔王の姿を思い出す。
それが恒久的であるのならば問題ない。けれど、それは希望的観測に過ぎない。
その証拠が目の前にある。多少の差異はあれど、条件はほぼ同じ。魔王アシュリーに起きる事は、魔王シャロンにも起こり得る。
「さて……」
背を預けていた船の手摺りから身を離し、私は魔王に転じてしまった少女を見た。
彼女の身から溢れ出す紅蓮の炎が船体を照らしている。
肩までだった髪は腰まで伸びている。その先端は炎によって象られ、揺らめいている。
服装も変化している。アザレア学園の制服は燃え果て、代わりに炎王の巫女が身に纏う装束が炎によって形成されている。
大きな翼を広げ、彼女はゆっくりと宙へ浮かんでいく。
その姿は紛れもなく魔王。七大魔王の一画にして、炎王の加護を受けし者。
炎凰アシュリーが現れた。
「この試練を乗り越えなければ、望んだ未来は得られませんよ。貴女も、そして……、私も」