TS悪役令嬢になったオレ! 王子と婚約してるけど悪役令嬢だから婚約破棄されるだろうし、気にせず生きていくぜ! 作:冬月之雪猫
パシュフル大陸の上空を黒い影が翔けてゆく。
「あそこだね」
影は虚空を蹴り、進行方向を真下に向けた。まるで稲妻の如く地上へ降下した影は渓谷を覆う見えない天蓋と衝突した。
衝撃によって吹き荒れる烈風は付近の獣や鳥を驚かせ、渓谷に潜む者へ影の襲来を報せた。
「わたしと衝突して壊れなかった!? すごい!」
影は笑う。見えない壁の強度は中々の物だ。彼女がこうしてぶつかって壊れなかった物質はそう多くない。
剣聖マリア・ミリガンは愛刀である《フェムト》を鞘から抜いた。
ブリュートナギレスの
その瞬間、彼女の周囲に無数の魔法陣が展開された。四方八方から炎と雷が襲い掛かって来る。その全てを彼女は見切り、斬り裂いた。
「……止まらないか」
魔法陣は発動条件を設定し、必要分の魔力を篭めておく事であらゆる場所に設置する事が出来る。
設置した瞬間から篭められた魔力は魔法陣維持の為に消費されていくが、多めに魔力を篭めておけば術者が離れていても自動的に発動させる事が可能だ。その為、こうして拠点防衛の為に利用される事が多い。
けれど、通常は一度の発動で魔法陣に篭められた魔力は枯渇する。拠点の規模にもよるけれど、複数の場所に魔法陣を設置するとその分だけ大量の魔力が必要になる為だ。
使わなくても魔力が消費されていく関係上、定期的に魔力を補充する必要があり、その度に二回以上発動させる為の魔力を全てに注いでいてはリソースがいくらあっても足りなくなる。
だからこそ、今の状況は異常だ。魔法陣の発動から既に十三秒が経過している。魔法陣はその間に三度以上起動しているにも関わらず消滅する様子を見せない。
「噂に聞くオズワルド式かな」
カルバドル帝国が誇る諜報機関が長年アガリア王国の結界の調査と解析を進めてきた結果、僅かばかりではあるけれどオズワルド式結界の秘密を解明する事が出来た。
オズワルド式結界は一つの魔法で構築されているわけではなく、無数の魔法陣を連結させる事で壁を構築している。それぞれが連結されている為、術者が離れていても近くの魔法陣から遠くの魔法陣まで魔力を届けさせる事が出来る。
一枚の壁ではないからこそ、一部を破壊されても全体が破壊される事はなく、他の魔法陣が敵の迎撃に動いている間に魔法陣の組み方次第で破損箇所の補修を行う事も出来る。
それだけではなく、発動させる必要がある魔法陣を限定し、そこに他の魔法陣の魔力を集中させる事も出来る。
実に優れた方式の結界だ。カルバドル帝国としても現在の防衛網にこのオズワルド式結界を加えたいと考えている。けれど、その為に極めて優秀な魔法使いが必要だった。
帝国にも天才と呼ばている魔法使いが幾人もいる。けれど、ただの天才ではオズワルドの足元にも及ばない。彼らではオズワルド式結界を再現する事が出来なかった。
「百二十……、これだけ斬っても足りないか」
炎や雷を超え、ミリガンはその先にある魔法陣を斬り裂いていく。その数は彼女が言葉を言い切るまでに百四十六に上った。
けれど、弾幕は止まらない。魔法の種類も増えていく。魔力を物質化した鉱石の槍や人体に有害な猛毒が混ざる。
厄介なのは猛毒の方だ。それが出現した瞬間、空気が一気に汚染されていく。一呼吸で大型の獣すら死に至らしめる凶悪な毒は斬り裂いた所で防げるものでもない。
呼吸を止める事も対策にはなり得ない所が更に厄介だ。人間は肺だけではなく、その1%以下の効率だが皮膚でも呼吸を行っている。そして、皮膚呼吸は己の意思で止める事が出来ない。
その為、ミリガンは滅多に使う事のない剣聖の権能を起動させた。
『剣聖を超えた者だけが剣聖になれる』
裏を返せば、他者に超えられた者に剣聖たる資格なし。
剣聖とは最強也。剣聖とは無敵也。剣聖とは絶対也。
その権能に宿りし力の一端が解放される。剣聖の権能が持つ究極能力の一つ、絶対防御が猛毒を遮断した。
「斬れないものはないけれど、斬っても意味がないものはある。よく分かってるね」
ミリガンは感心しながら呟いた。斬ろうと思えば時空すら斬る事が出来る彼女にとって、斬っても意味がないものこそが天敵なのだ。権能を考慮しなければ猛毒こそが彼女を打ち倒す最適解と言える。
無論、それで彼女を倒す事など出来はしない。彼女の権能は勇者や七王クラスでなければ突破する事が出来ない為だ。
「おっ、諦めないねー! 偉い偉い!」
彼女の真上に巨大な岩塊が現れた。遠目に見えていた山が消えている。山そのものを彼女の真上に転移させたようだ。
超大質量による圧殺は悪くない選択だ。山一つでは足りなくても、更に二つ、三つと重なれば多少は動きにくくなる。
ほぼ同時に周囲の空気が消失した。温度も急激に下がっていく。
対応が早い。それに加えて対処法も的確だ。
環境の変化に関しては斬っても意味がなく、絶対防御も意味がない。
宇宙空間や深海に転送されても問題なく活動出来る剣聖の権能持ちでなければ確実に死んでいる状況だった。
「……これは確定かな」
降ってくる山を真っ二つに斬り裂き、彼女は結界の内側へ侵入した。
この世で最も硬い金属で壁を作ろうとも、溶岩や猛毒を垂れ流そうとも彼女を止める事は出来ない。
彼女が結界の前で留まったのは、相手の対応力の高さに興味を抱いたからだった。
好奇心の高さ。それこそが本当の意味での彼女の弱点であり、そこを突けたという点で言えば結界の主の対応は大正解と言える。
「これはこれは……」
ミリガンが渓谷の表面を覆う偽装を突破すると、そこには研究施設が広がっていた。
その壁を三枚ほど斬り裂いた先には首輪を付けられた全裸の人間が百人ほどいた。
彼らはそれぞれ一メートル四方の柵で覆われた個室に入れられている。個室の前には溝があり、そこを水が流れていた。
以前、これと似たような光景を見た事がある。牧場の牛舎だ。
「もしもーし! 私はミリガン! 君の名前は?」
試しに近くの少年に声を掛けてみる。けれど、彼はまともに意思疎通を行う事が出来なかった。
体力や精神の衰弱が原因ではない。そもそも、彼女の言葉を理解出来ていない様子だ。
よく見ると、その目は少し白濁している。手足や背骨の形状も歪だ。
「生まれた時からこの状態って事かな」
彼は赤ん坊の頃から繋がれていたらしい。言葉を理解出来なかったのは、そもそも教えられた事が無いからだ。
「……困ったなー」
恐らく、彼らを帝国に連れて帰ったとしても殺処分されてしまうだろう。
字の読み書きどころか言葉自体知らない獣同然の人間をボランティアで養うほど、帝国は優しくない。
だからと言って、自然の中に放り出せば魔獣や獣の餌になって終わりだ。
彼らにとっての最善は現状維持なのだろう。
「仕方ない!」
そう言って、彼女は少年の首を撥ねた。少年の死を目撃した周囲の人間達は悲鳴を上げた。
死の概念を知らなくとも、首を切り落とされる事の恐ろしさは本能的に理解出来るらしい。
ミリガンは彼らを哀れんだ。そして、恐怖が長引かぬよう彼らの首を迅速に斬っていった。
彼らの首から吹き出た血が室内を赤く染め上げる。血の海を歩くミリガンの姿を施設の奥深くで見ている者はそのあまりの容赦の無さに恐怖を抱いていた。
いくら救いようのない者達とはいえ、迷いもなく皆殺しにするというのは常人の選択ではない。
例え殺処分にされると分かっていても帝国に持ち帰るなり、どこぞの善良な愚か者に押し付けるなり、少なくとも自分で始末をつける判断など下せないものだ。
なにしろ、彼らに罪など一切ない。純粋なる被害者達だ。それも生まれた時から不幸を背負う哀れな子羊達なのだ。救いたいと思うのが普通だろう。
事ここに至り、その者は剣聖という存在の危険性を認識した。
斬っても意味がないものはあっても、アレに斬れないものなど存在しない。人間牧場の奥にある赤子の培養室を血の海に染める姿を見て、それは確信に至った。
「そいっ!」
逃走を決断した瞬間、それを察したかのようにミリガンは地下七階層まである施設を真っ二つに斬り裂いた。
様々な防衛システムが天井や床ごと切り裂かれ、その斬撃は咄嗟に回避する直前まで彼がいた場所を両断していた。
「みーつけた―」
死神が嗤っている。
彼は自らを極悪だと考えている。けれど、そんな自分にも降りてくる間に横目で見えた人体実験の被験者達や権能取得の為に洗脳を施している者達を丁寧に殺し尽くしていく彼女に対して残酷だと感じる心が残っていた。
その事に驚いている間に彼女が目の前までやって来た。
「ふーん、アンデットかー」
「……驚かせてしまったかな?」
この施設の主は
「ううん。ただ、レムハザードが関わってるのか気になっただけだよ」
「……あの御方は無関係だよ」
「でも、あの御方って呼ぶんだ」
「呼ぶとも。偉大なる死霊の王! 霊王レムハザード様は我らにとって、君達にとっての神にも等しいのだからね」
「そうなんだ。あんまり信仰とかに興味ないからよく分かんないけど、よく分かったよ!」
本当に分かっているのかどうか不明だが、彼にとっては満点の解答だった。
なにしろ、答えてくれた分だけの時間を稼ぐ事が出来たからだ。
転移の魔術の発動が完了した。転移が完了するまで1秒と掛からない。その間に十三の斬撃が彼を襲ったけれど、切り離された部位すべてを転移先へ持ってくる事に成功した。
バラバラになった体を急いで再生していく。
「あれが剣聖。恐ろしい生き物だ」
死霊である己が恐怖のあまり咄嗟に転移の魔術を使用出来なかった。彼女が降りて来る前に発動していればバラバラにされる事も無かったかもしれない。
「……いや、それはないか」
彼女の刀は
結果は何も変わらなかった。
「恐ろしい生き物だ……」
◆
「あちゃー」
直ぐに逃げなかったから戦う気があるのかと思ってしまった。
死霊は既に死んでいる存在だから、ただ体を細切れにしても復活出来てしまう。粉に変えてすらもだ。
だから、倒す為には魂そのものを斬らなければいけなかった。けれど、斬らなかった。
「まあ、いっか」
彼はこれからも地獄を作っていくだろう。それでも取り逃がした事に後悔はない。
なにしろ、彼は強かった。Dr.クラウン以外で久方振りに楽しめた。今後もきっと楽しませてくれる。
「……帰ろっと」
彼女は正義の味方ではない。赤子を殺しても心に波風一つ立たない冷酷さを持っている。
怪物よりも怪物。ただ斬る事ばかりを考えている殺戮者。彼女が望むものは斬り甲斐のある強者のみ。
勇者に喧嘩を売り、勇者に傷を負わせ、それでも罰せられなかった唯一無二の存在。その殺意が国に向けられれば国が滅び、世界に向けられれば世界が滅ぶ。
嘗て、カルバドル帝国とイグノス武国、ルテシアン連邦国を三つに分けていた山が真っ平らの平原に変えた勇者と剣聖の激突は剣聖という存在の本性を各国の王族に知らしめた。
決して手を出してはいけない。興味を引いてもいけない。
「キャロは元気にしてるかなー」
幸い、彼女に心が無いわけではなかった。助けを求める者には手を差し伸べる優しさがあり、自分を慕う者を愛する心を持っている。
◆
かくして、彼女が取り逃がした死霊は暗躍を続ける事になる。
剣聖を恐れた彼は拠点をバルサーラ大陸に移す。目を付けたのは滅びに向かう嘗ての大国、ラグランジア。その王の下を訪れた彼は契約を持ち掛けた。
「誰にも理解されぬ苦しみ、私にはよく分かる。君を助けてあげようじゃないか」
それが悪魔の誘いである事を知りながらも、ラグランジア王に受け入れる以外の選択肢など無かった。
アガリア王国に睨まれ、メルセルク王国が軍備を整えていく情報が届き、民の間では革命の機運が高まり続けている。
敵ばかりを作り続けてしまった愚王は悪魔に縋り、国を売り渡した。
ゲームにおいて、ラグランジア王国関係の話はあまり語られていない。それは情報統制が行われた為だ。これからラグランジア王国で行われる悪魔の所業を人々が知れば死霊が作り上げる権能を更に強化してしまう恐れがあるとネルギウスが判断した為だ。
だからこそ、その地獄をフレデリカ・ヴァレンタインは知らない。後にザラクという少年の物語が始まる時には復興が完了している事を知っているが故に調べようともしない。
「我が国のすべてを捧げます。ですので、どうか! 我が身に輝かしき未来を!!」
「約束しよう。必ずや君の未来に光を灯してみせると」
これこそが《エルフランの軌跡》におけるラスボス、三代目魔王誕生の瞬間である。
「このファルム・アズールの名に掛けて」