幼年期の後、あるいは新時代の前に   作:杉鋸

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伝うもの

 獣の病とは人を上位者足らしめんとする時にどうしても起きてしまう……そう、事故の様なものだよ。

 人が獣の病に罹るとは言うが、あるいはこれは我等こそが獣性に中てられてああいった結末を迎えている。

 人の強い感情と上位者の感応を引き金として、我等が人を上位者へと変えようとしてしまい、その過程でただの獣に堕ちてしまう不幸な事故さね。

 

 そして獣の病とは篩だ。篩とは言っても人だけが掛けられている訳ではない。

 より獣性を制御できる人と、より獣性に耐えられる我等を篩い分けて、合わせて上位者となりうる素材を探り出す為の術だ。

 獣性が暴れまわるだけの人も、獣性に鋭敏過ぎる我等も、どちらもが上位者足る人を作り出すには不適切な材料だからね。

 あるいは獣性を抑え込み、また上位者との感応を制御する『檻』というのもいい発明だ。材料の質を高めきれないとしてもちょっとした工夫で解決できる。それこそが智慧というものだよ。

 

 眷属と化すのも獣と化すのと大して変わる事はない。啓蒙にばかり引きずられて人の本質の多くを失い、既存の上位者の手足と成り果てたのでは目的は達せないだろう? それは我等にとってもどん詰まりでしかない。

 人が人のまま上位者に伍す事は人にとってはもちろん、我等にとっても悲願なのだよ。早く果たしたいものだ。

 我等は伝うもの。それを媒介するのが何者であっても構わないが、しかし我等は上位者へと適応し過ぎて他への適応が難しくなった出来損ない(アウトレット)なのだよ。人と共にあろうとするなら、人を上位者へと押し上げる他にない。そういう存在さ。

 

 

 

 

 狩人の悪夢へと潜り込み、獣と、もはや獣と何が変わるか知れたものではない古狩人とを退けつつ進むと血の河にて大砲を手にした大男と出会った。

 教会の大男とはその巨体と膂力と引き換えに脳が麻痺した存在――それとも脳が麻痺していたから巨体と膂力を手に入れられたのだろうか? まあ、複雑な道具を扱う事など出来るはずもない存在だ。

 だというのに悪夢に潜むそれは手にした大砲を十全に扱って見せた。

 獣であろうが、狩人であろうが、どちらでもない何かであろうが、現実には存在しえないものであろうが。頭部から軟体生物を生やした大男も狩って狩れないという程のものではなかったが、それでも在り得ざるはずのものに襲われるのはいつだって堪えるものだ。

 

 

「正に悪夢だな。あの愚図の大男共が現実に大砲を扱う知性なんてあるものか」

 

 無論ない。それは悪夢の中だろうと変わる事のない事実だ。しかしあれの主要構造は大男とはいえ操っているのは頭部に巣食う触腕の方、やっている事は教室棟に居た蜘蛛と人頭のパッチワークと理屈の変わらぬ知性と身体機能を合わせる為に必要な部位を選んで複合させたものだ。

 ……ここに居るという事はビルゲンワースの末裔として認められる程度の頭はあったのだろう。もちろんこれも「触腕の方に」だが。

 

「あれも同列扱いなのか、ビルゲンワースの末裔って」

 

 当のビルゲンワースの学徒だって軟体生物と化していたのだから、今更大して変わる事でもないだろう。

 

「そりゃ人でも何でもいいから上位者になってくれ、ってヤツからすれば変わらんだろうが……」

 

 ヤツではない。ヤツらと表現するべきだ。我等は個としては存在しえぬが故に。

 

「細かい事を気にするヤツ……らだなぁ、全く。あんまりうるさくされても敵わないんだが」

 

 

 

 

 血の河の根源、躯が山と積まれたそこに居たのは下半身に無数の足を持ち、上半身には人であった名残を残した2本の腕、鬣を持った馬の様な首と頭、そして頭とは別に首から生えた目玉だらけの口――それとも対になる頭の切り落とされた首の痕だろうか? とにかく、他に類を見ない恐ろしく異形の――つまり、大いなる祈りを捧げた聖職者の――獣。

 秘されていたとはいえ教会にも記録の残る、英雄の成れの果て。

 反射的に視界に映ったものを狩り殺そうとする、おおよそ知性というものからかけ離れた、一匹の獣。

 

「聖剣のルドウイーク……記録としては知っていたけれど、やはり酷い姿をしている。しかし上位者を目指すのならこういう姿の方が()()()のではないか?」

 

 人をより強靭な姿へと変態させてそれでも人間性を保てれば上位者への道も続くだろうし、あれだけの機能を使いこなせればその性能は十分に高くもなるだろう。

 しかし人には人の身の丈というものがある。後天的にああも異形の姿となったなら、人としてあり続けるのは難しいだろうさ。

 そういう意味では、より人に近い姿を残した獣たちの方がよほど目的に適う形態へと近づけている。所詮は失敗ではあるけれども、と付けなければならないが。

 

「だから狩人こそが上位者にいと近しいと?」

 

 人型を保つどころか獣化すら最小限に抑えられた在り様は人としてあり続けるのには十分だ。

 とはいえ、結局のところ人型のまま上位者になるのは困難だろう。

 

「異形になれば精神が持たないのに、結局は異形にならないと無理だと?」

 

 後天的に形態を変えるからこそ無理があるのであって、先天的なものならそれはもう問題にはならない。

 上位者にふさわしい肉体と人の精神とを共に持って生まれる事ができれば、目的は叶うはずだ。

 

「つまり生まれた時点でもう無理だ、と」

 

 都合の良い肉体を作って、今度はそれへと生まれればいい。中途半端に肉体だけを再構築してしまうから無理が出る。必要な分だけ人間性を保ったままそれ以外を削ぎ落し、根底から再構築するべきなのだ。

 

「それは……人間と呼べるのか?」

 

 我等はそれも人間と呼ぶだろう。

 

「理解できない話だ」

 

 ああ、だから我等は人間を上位者とする必要があるのだ。

 

 

 そうして軽口を叩きながら身体能力の高さと多彩な機能を衝動的に振り回すばかりの獣と戦う内、その獣の様子が変わった。

 背負われていた剣を手にし人の様に立つと、知性を湛えた眼でこちらへと向き直れば、そこに居たのは異形なれど獣ではない、大柄な狩人がそこには居た。

 

 純粋な恐ろしさだけでいえばただの獣として振舞うそれの方が恐ろしかっただろう。どうしてそうするのかに理屈は無く、ただただ力を振るうそれは隙は大きくとも予測がつかなかった。

 今相対する、ゲールマンとはまた別の根源たる狩人。未だに狩人に伝わるものもあれば忘れ去られたものもある技法を披露するかの様に振るい、隙は小さくともだからこそ勝手の分かる狩人の振る舞いは解しやすいものだ。

 解しやすいとは言ってもやはり隙は小さく厳しい戦いではあったが、最後に大きな隙を見せた彼のはらわたを手にして、それで全ては終わった。

 

 

 

 

 

 

 狩りの中、己の内から聞こえる声に気が付いたのはいつだったか。

 声とは言っても音ではない。狩りの内に正気を失っただけかもしれない。

 しかしその声が語る物事はそれなりに道理がある様に思えて、それとも得た知識などを理解しやすい様に他者の言葉という形に変換しているとでもいうのだろうか。

 

 それ……それらとは記憶や知識、意味――情報の断片である様に思えた。

 人血に正気が・聖血に智慧が宿るというのなら、それも不思議ではないのだろう。

 しかし「情報が媒介者を求める」というのは本末が転倒しているのではないだろうか。

 人や上位者が求め、情報が求められるというのならまだ理解もできるというのに。

 

 導きと呼ぶには幽かで、仲間と呼ぶには隔たりのある、それでも実直に語り掛けて来る――それが騙りでない事を真に証明する事など誰にも出来はしないが――狩りの同行者。

 結局その言葉に従って上位者になる道を選んだのは、他に縋るものも無かったからだろうか。

 

 

 

 私の後代に当たる裔であれば知っているだろう。遺伝子と意伝子。自分自身を複製する情報の事も。

 意伝子が純粋な情報そのものであるのに対して、遺伝子はそれを自己複製する為の物質的な基盤をも含んだより高機能な(つまり不純な)情報とその形式だ。

 そして普段目にする様な生物とは「遺伝子の乗り物」――そう、媒介者だ。

 情報が媒介者を求めるとは、つまりは遺伝子が乗り物となる赤子を求めるという極々普遍的な営みそのものでしかない。

 

 しかし未だ人類に智慧乏く、上位者に至った訳でもないこの時の私にその事を理解するのに十分な啓蒙は存在していなかった。

 

 

 

 

 

 

 結局のところ皆、血/知――遺伝子/意伝子を継いで欲しかったのだろう。

 知を継ぐのに血を継ぐ必要はなく、だから赤子は実子である必要はない。

 血を継ぐのに知を継ぐ必要はなく、だから血で結ばれた縁だけを理由に皆が獣になる。

 

 

 私と我等との別に意味の無くなった今でもなおふとした時に他者として共に居たかったと思うのは未だに獣の、愚かなるものの血も継いでいるという事なのだろうか。




はらわた
 その身の内に閉じ込められているもの。一般には臓腑の事を指すが、時に心や精神、真髄などの事も指す。
 ルドウイークの醜く歪んだその身の内の正体とは、果たして何であったのだろうか。
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