我等はかの上位者が『白痴の蜘蛛、ロマ』と呼ばれる存在であるという事を知っている。
しかし蜘蛛に擬えられているのは伴うもの達の姿の影響であろうと推察する事は出来ようとも、なぜ白痴であるのかを知る者は居ない。
真に白痴であったのか、「上位者と比べれば白痴同然である」とでも称していた賢人が至った存在なのか、人知の及ばぬ智慧を理解できぬ人々から白痴と思われたのか。
あるいは白痴ではないのか、ただ白痴であるのか、白痴である事に上位者の意図が絡んでいるのか。
白痴、白痴とは何か。我等の多くこそが知らぬという事すら知らないままではないか。
血に溺れ、ビルゲンワースを裏切った者達が居た。
彼らは貴重な遺物をビルゲンワースから上手くせしめたつもりなのだろう。
仮にも共にあった者達だ、情もある。――だからこそ、彼らには苗床となって貰わねばらなぬ。
道を違えたとはいえ共に智慧を求めた者達なのだ。探求の礎とするのがせめてもの弔いというものじゃあないかね? ビルゲンワースとは学びの為の場なのだから。
そして確かにあれらは貴重な遺物ではあったが、我等の手には余る物だ。物も者も、厄介払いが出来たというものだ。……彼らには可哀相な事ではあるがね。
ビルゲンワースが夢の中へと姿を隠してからしばらくの間は単に来訪者が少なく、しかしその分だけ来訪者の質は良く、あるいは夢の中そのものがより探求に向く場である様に思えた。
しかし時が経つにつれ学徒達の中から人としての姿を失うものが出始めた。
そも夢とは物質に依らぬ場である。人以上の思考の瞳――高次元思考者たる要素、上位者に伍する視座――を求めるのに向く場ではあっても、人を人と定める血が真に機能するとは言い難い曖昧な場でもある。
血に依らぬ進化を目指した我等が、血に依らぬが故にまた人を失う。
ああ、それでも。高次元思考者となれるのならば、人である事のなんとくだらないことだろうか。
血に依って他の何かへと変わるのではなく血が抜けて純粋な思考者となるのであれば、それは些事からの解放と呼ぶべきだろう。
血が抜け人を失い、姿形を蕩けさせるにつれて思考能力をも失う学徒もまた増えた。
我等が未だに人であるが為に人ならぬ智慧を理解できていないだけであるのか、人ならぬ身体に適応できなかったという事なのか、人としての外形にこそ――無論人以外の姿をした知者も居るとはいえ、少なくとも人の系譜にあるのならば――思考能力の要があったとでもいうのか。
時に危険をも顧みずに挑戦する事も必要とはいえ、だからと言って都合の良い理屈を並べて無謀なばかりの試みを真っ先に行うべきという訳でもない。
外形と共に思考能力を失う可能性を考慮すれば血が抜けようと外形を保つ事を試みるのが先であろう、とその術を探る時に月の香りの残り香を漂わせた狩人がビルゲンワースを訪れた。
狩人曰く「狩人の夢に居る人形は白い血を持ち、啓蒙を持つ者であればその知性と対話する事も可能」……白い血とは夢の内に血の抜けた我等の体液とも似る様に、またそれが外形を保つ事で知性を残した例とも思われる話であった。
蕩け正体を無くした学徒を人であった頃の面影を写し取った器となる人形に収めるとその正体は取り戻された。
それから先は同じ事の繰り返しである。面影を写した人形を作っては蕩けたそれを収め、あるいは蕩ける前から人形を用意しておいて蕩けたならばすぐに収め、最後に蕩けた学長のウィレーム先生も人形へと収めてビルゲンワースは学徒も教授も全てが人形の学び舎となった。
生粋のビルゲンワースの人間が全て人形と成り果てても来訪者が人間である事は変わらず、時に人形の数も増えつつ、またしばらくの時が経った。
カインハーストやヤーナムの惨状を苗床として、来訪者を利用し、また来訪者に利用されながら探求は続き、ビルゲンワースへと一度は入れども夢に蕩ける前に現実へと帰るものもありながら変わらぬ日々が続くと思われたある日の出来事だった。
そう。起こりうる事であるのだからいつかは起こるというものだ。人形となった学徒と学徒が衝突して砕け、中身が混ざり合ってしまった。
その学徒の成れ果ての中身を何とか詰め直したはいいものの一方だけが人の様に振る舞い、もう一方はすぐに人形から抜け出て知性の感じられぬ振る舞いをする。
人の様に振舞う側も両者に似れども両者とも違う、しかしより知性のある存在へと変わっていた様であった。
高次元思考者へと至る術はこれではないかと色めき立った学徒達は互いに混ざり合い、最後にはウィレームをも含めて生粋のビルゲンワースの者達は全て一つに混ざり合って、ウィレーム人形の内へと収まった。
その惨状に驚いたのは買い出しから帰ってきた外様の学び手であった。
学徒達は砕けてその中身が徘徊しており、人形の残っているウィレーム先生すら意思の疎通もままならない存在になっている。
茫然として一日を過ごし、さめざめと泣いて一日を過ごし、それから再び学ぶ事を決意した。学徒達は人形の内へと戻せば元に戻るはずであるのだから、と。
今の我等とはビルゲンワースの全てが一つとなったと言っても過言ではないものとなっているが、しかしヤーナムの者達が求めた様な上位者には未だ遠く、それでも人よりも思索に長けた存在とは成れた。
思考者としての贅肉を削ぎ落す過程で語らう術も歩む術も失いはしたが、よく見える瞳の代償としては安いくらいだろう。
思索の前にその元となる知見が必要であるが、人の知りうる事のなんと乏しい事だろうか。
それが絶対確実に起こりうる普遍的な事象であるのか、万に一つの奇跡であるのか、真実どちらであろうともどちらであるという事も人に知る事は出来ない。
人には知り得ぬそれを捕えられる瞳を得ても、『人以上』如きに出来る事のなんと乏しい事だろう。
その事象が万に一つの奇跡であると知った所で我等にはその奇跡を扱う事は出来ない。
万に一つの事象を必然とできるからこその上位者なのだ、とようやく我等は上位者の上位者たるを知った。
そして。我等も、ヤーナムの者達も。獣も、怪異も。地下に眠りし神々も、市街で夜を明かす上位者も。全ては大いなる意思によって配置された箱庭と駒でしかない。
人の作る箱庭と違うのは箱が大きく、景色作りの邪魔になる真実の天頂を雲が隠しているという事。また張り子を神々に仕立て上げる為の霧で覆えるという事だろう。
――白痴とは、知らぬという慈悲を掛けられた在り様であったのだろうか。
我等は「それは血ではないのだから」とカレル文字――上位者の発する『力持つ声』の内、人が図形として認識・筆記できる部分――を脳裏へと焼き付けてきた。
血の本質とは在り様を定める情報であり、また啓蒙・知識を得るとは情報を受け入れるという事なのだから。血を避けた所でその本質をその身に受け入れ続けてしまえば結末とて変わるはずもない。
ローレンスやゲールマンという生徒が出来の悪い生徒であったと言うのなら、それは教えた師の出来の悪さを写した鏡であったという事なのだろう。
誰もが誰をも試すが為の篩、赤子という実を結びうる種を選び取る術とされている。
だからこそ赤子という実を結ぶ為に動かずとも、まして赤子という実を結びうる可能性のあるものを打ち滅ぼそうとしてもなおその存在を上位者に許されている。
水や土による断絶、神の墓地にひしめく怪異達、ロマによる秘匿がそうであった様に。僻地にあるヤーナムという断絶された土地に、獣と眷属と神秘使いという怪異達があるのだから。ロマによる秘匿が為されてもそれは寧ろ当然の事ではないだろうか?
何も無ければ既に準備を終えたローレンスの裔が上位者へと歩みを進めるのであろう。ゲールマンの裔も上位者の助力を得ているとはいえこの永くも短い一夜の内、それも早くにローレンスの裔の企てを止める事が出来る訳などないのだ。
だからゲールマンの裔が力を得るまでの間にローレンスの裔が上位者と成れぬ様にロマによる秘匿を行い、しかる後にロマという篩を抜けたゲールマンの裔がローレンスの裔を打ち滅ぼす。
もちろんローレンスの裔が秘匿を破ったり、ロマを打ち倒したゲールマンの裔がそれでもなお足りぬ可能性もあるとはいえ他にローレンスの裔を出し抜き得る絵図を描く事はできなかった。
……ローレンスの裔はあまりにローレンスの思いからは離れてしまったのだから、名残を残したゲールマンの裔の方を贔屓したいと思うくらいの事は許されるだろう?
[H/D] Head of Byrgenwerth / 英霊・ビルゲンワースの学長
在りし日の学長の面影を刻み込んだ人形へとビルゲンワースの粋を注ぎ込んで作成された原始的な英霊。
ガーランド建造時に探されたヤーナムの先行研究の集積体であったもののそうであると判明するまでに非常に長い時間が掛かっており、重要な知識を豊富に持っていたもののガーランド建造への貢献は低いものに留まっている。
現行の技術で作成される英霊と比べるのであれば英霊本体の読み出し機能およびテンポラリ領域の欠如、物理レイヤーでの障害に極めて脆弱であるなど英霊としては決して優れている訳ではないが、歴史的・技術的価値の高い遺産の一つとされていた。
非常に繊細であった為にオリジナルは既に失われて久しく、失われる以前に作成されていた現行の英霊技術(その源流に当たるもの)を用いたエミュレーター上で動作するコピー品がガーランドの書庫へと収録されていたという記録があるが、こちらも散逸しその行方は杳として知れない。
「技術や知識の伝承ではなく・没後もなお業を続ける術として業績を記録し、仮初めの身体に実体を伴わせた存在」という点においてはPRAYERの祖先として見る事も可能であり、いずれにしても時代を超越した神憑り的な産物である事は間違いないだろう。