幼年期の後、あるいは新時代の前に   作:杉鋸

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Solidstateized Memories

 神秘とは正しく神の秘する力の事であるが、しかしそれをただ神秘と呼び続けるのは敗北でしかない。

 神秘とは人には未だ理解できず、名付ける事すらままならぬものどもを一纏めに呼ぶ言葉なのだから。

 

 断絶を埋め、神の潜む水辺を干拓し、神を遠ざけ――あるいは神を殺し人の世を広げる。

 ただ使えるままに使うのではなく――その正体を暴き、性質を表す名を与え、人知の及ばぬ神秘を取るに足らない常識へと零落させる事こそが人の勝利なのだ。

 

 地の底にも、水の底にも、空の底にも神が残る事の無い様に。

 上位者を只人へ、果てには下位なる者へと引きずり下ろす事こそがメンシスの望む狩りである。

 

 

 

 メンシスの檻の始まりは大聖堂の地下牢であった。

 「ただ牢に居るというだけのはずであるのに、獣となる者の何と少ない事か」という驚き・気付きが発端となり、「獣化の抑制は『閉じ込める部屋』によって可能であるのか」と牢を模した部屋が試され、次第にそれは内鍵の付いた檻へと変わり思索と交信の場となった。

 

 それを人の頭に被せようと思い至ったのはまた別の切欠があっての事だ。

 夢の内のビルゲンワースに居るという、蕩け・人の形を失った学徒を人へと留める器としての人形。

 牢獄と内鍵付きの檻と器たる人形という三者に共通する要素から「望まれぬ変態を止める術とは、人を閉じ込める物である」と見出され、部屋という大きさを省く事が模索された。

 

 メンシスの檻という多機能かつ高機能な変態抑制装置に至るまでに多くの模索が行われており、その中にはメンシスの檻とはまた別の解として完成した物もある。

 防具としての性質をより高めた檻である兜に荒縄という拘束具を合わせたヤハグルの黒衣もまた内鍵の付いた檻の変形であり、同時に聖布――更に古くは異常者の巻き付けた触手の意義をも問い直さんとする意欲作であった。

 

 

 

 血に依る進化を目指した医療教会における上位会派の一つ、聖歌隊はエーブリエタースという上位者を手本として、聖血に宿る神秘を用い・宇宙との交信による上位者への進化を目指した集団である。

 そしてまた上位会派であるメンシス学派は月の影響によって曖昧になった境を超え、上位者を血に限らずに掌握する事で上位者への進化を目指した集団である。

 医療教会の内においては血と神秘による医療を中心に置いた聖歌隊こそがより正統派の流儀で振舞っていると認識されているが、利用できるもの全てを利用してその狂的な好奇を満たさんとするメンシス学派こそが原初の医療教会の似姿であった。

 

 神たる上位者へと祈り、言葉通りに瞳を抱いた巨大な脳を得た事でメンシス学派は「上位者とは人の様な知恵は持たない」と知った。

 故にとって上位者から瞳を得るとはすなわち上位者からの拝領、上位者の瞳を奪い取る事を意味した。

 

 

 

 

 

 

 この世界において真実人間性と呼ぶべきものは無く、確固たるものとして存在するのは獣性――血に刻まれた本能――と神性――本能を抑え込みうる智慧――ばかりであり、人間性と呼びうるものとはその二つのせめぎ合う在り様の内にしかないのだろう。

 だから人が人のままに上位者へと伍するのであれば、獣の愚かを克服しようと人が獣である事を除け者にはできないのだ。

 獣と共に人である事そのものまで除けてしまっては、残るは身に受け入れた上位者の血ばかりではないか!

 

 

 

 ロマの秘匿によって妨害された儀式、襲い来る狩人、何と素晴らしい事だろうか。我らは未だに篩に掛けられて居る。

 上位者は「上位者に迎え入れうる者であろうか」と、我らに試し続けるだけの価値があると見ているのだ。

 

 肉の寄せ集めでもいい。首のすげ替えでもいい。我らが上位者へと至ったのなら残りの上位者をも寄せ集め上位者を越えた上位者、真なる上位者を目指そうではないか。

 人を寄せ集めただけでもあれだけの力を得られるのだから、上位者を寄せ集めればどれだけの力を得られるだろうか?

 夢の月のフローラ(植物相)。その花々を摘み取り夢を、我らの勝利と名誉を祝福する花冠(ガーランド)を!

 

 

 

 痛みを越え、ルビコン川を渡り、辿り着かなければならないのだ。

 ゴース(kos)ゴスム(kosm)……そう、宇宙(Cosmos)へ。

 

 

 

 

 

 

 人を人たらしめる要素とは何か?

 『姿形そのもの』というのも、まあ、何もないよりはマシだろう。姿形と共にそれを捨て去ってしまうという失敗は多いのだから。

 しかし予防の狩りを専門とする狩人達を必要としている事からも分かる通り、姿形こそ人のままであっても人ではなくなるというのは実に多い。

 この事からも姿形というものが決定的な要素ではない事が分かる。

 

 様式美――人の営みが生んだ典型的手法の内へと美を見出す事――を、縁とする狩人も居る。これは姿形そのものよりも人の本質に近いものだろう。

 しかしその様式の意義が忘れられ、ただ様式だけが残された時に、それに美を見出し、あるいはそれだけで以て異形の何かを人と呼べるのだろうか?

 

 思うに、人の本質とは手段を選べる事だろう。

 獣は強く、その強靭な肉体と秀でた膂力、牙や爪で事足りるから武具などを用いる理由がない。

 人は弱く、だからこそ武具を作る事を選んだ。

 強い刃を受ける為に鎧を生み出し、それすら貫く長銃が生まれた時には鎧を脱ぎ捨て身軽になる事も選べる。

 時に剣を使い、槌を使い、銃や爆弾の類を使う事もできる。

 

 進化論に基づけば獣も長い時を掛ける事で新たな力を得る事ができるというが、人はより早く新たな力を作る事で手にできる。

 人は進化という遅れたものから脱却し、より早く進歩する術を得た存在なのだ。

 

 それでもなお人の肉体という枷から抜け出す為に進化を求めるのなら、その進化はより多くの手段を扱う為の進化でなければならない。

 用途に合わせて衣服や鎧を誂え・脱ぎ着する様に、必要な機能を持った肉体を作り・それを交換する。

 核となる意思へ、目的に必要な要素を付与する。その手段だ。

 

 我々が上位者をその手段としているのはただ手に届く場所にあったのが上位者というだけの事で、その術があるのならそれは緻密な機構でも未知の神秘でも構いはしない。

 獣を狩るのに鉄塊を用いようと、神秘探求の粋を用いようと、獣が排除されるという目的が達せられるのなら違いなどないのだから。




何も変わらねえんだよ、結局。
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