禁忌とされた獣喰らいによって生まれたという禁域の森の蛇。
それらは時に人の内に潜み、時に蛇のみで集まり絡み合う。
頭が失われど動くそれに覚えがあるだろう。人の内からまろび出るそれに覚えがあるだろう。首の有無を問わずに動く人の成れ果て、獣血の主の似姿だ。
そも蛇とは爬虫――虫の一種である。
禁域の森の蛇とは、獣血の主が獣化した生物の持っていた頭部ではなくその内に潜む虫に動かされていたのと同じ様に人体を内に潜む蛇が動かしているもの共と、人体から抜け出た蛇の寄り集まったもの共だ。
マダラスの双子とは毒蛇と呼ばれる虫を宿したまま育ち、言葉すら介さずに人ならぬ友誼を交わしたものであり、しかし弟は兄――それに宿る毒蛇――を連盟の狩りの対象として殺したのだ。
マダラスの弟が「蛇とは虫である」と気付いたのかは定かではない。ただ兄の内に虫を見出し、その正体が何であるかなど気にもしていないのかもしれない。
虫を狩ろうとしたその結果として兄と毒蛇は死に、しかし毒蛇は悪夢の内へと逃れ、毒蛇は笛の音に呼応し助力を行う……弟は狩るべきと定め狩り損ねた虫をそうと知ってなお使っているのだろうか?
この蛇という虫は人の内に宿る虫ではあるが、しかしこれは寄生バチの様な捕食を目的とした寄生であり、また寄生生活を営むのは一時期のみという進化を果たした虫だ。
上位者と共にあり刺激を与え力を発揮させる寄生虫ではなく、他者へと依存する事無く己が身一つを以て上位者たらんと進化を続けている虫だ。
例え力を得うるのだとしても、蛇が成長しきった時には喰い殺され、脅威となる蛇を残す。人にとり用いるに好ましい性質とは言い難いものだった。
◇
なぜ動物は全ての菌を滅菌する事を目的とした免疫を自身で持つのではなく、他の菌と競合し・蔓延を阻止する常在菌を多数存在させているのか。
生物は大きくなればなる程にそのコストから子を作る数量も頻度も低下する。例えば人間であれば生まれてから子を産む(少なくとも機能上産める様になる)までに10年は掛かるだろう。産める様になってからも1回の出産につき10ヶ月程度の妊娠期間が掛かり、一度に生まれる人数も1人の事が多い。倍に増えるには10年と20ヶ月が掛かる計算だ。しかし大腸菌は20分もあれば倍に増える事ができる。
子を作る数量と頻度が低下するという事は進化の速度が遅くなる事を意味する。
動物が菌類――小さく・子を作る数量と頻度の多い生物――と進化競争をするのであれば、より大きい動物の方が負けるのだ。
だから常在菌という都合のいい菌類を飼い、それを有害な菌類と同じだけの速度で進化させ続けるという戦略が選ばれたのだろう。
己が身一つを以て上位者たろうとするとは「全ての菌を滅菌する事を目的とした免疫を自身で持ち・常在菌を持たない存在になろうとする」のと同じ事ではなかろうか?
限りなく子を作る数量と頻度に劣り、すなわち進化の速度で劣り、他種への対応速度で劣る偉大なる"神クラス様"だ。
栄華を誇れる時が無いだろうとは言わないが、それは長続きする様なものではない。より多くの世代を重ね対抗戦術を発達させた卑小なる菌の一撃に殺されるだろう。
増殖に時間は掛かれども強固で住み良い環境を提供する巨大生物と、単体では脆弱で環境を整えられずとも宿主により無害でより強い力を与える様に素早い進化を続ける寄生虫。
動物と菌の複合体が系としてより良い組み合わせとなる事で生存確率を高めるという戦略と同じで、上位者として認識された巨大生物とその寄生虫はそれらの複合体であるからこそ系として上位者であるのだ。
どちらかの欠点を補えないか、短所と共にどちらの長所をも捨て去ってしまうか。宿主を捨てるという蛮勇による進化のなんと情けない進化か。
◇
それが他の上位者の如く何かを寄生させる側になったのか、寄生させる事なく滅んでいったのかは定かではない。
いずれにしろ道具――子を用いずに進歩させられる力――を操る上位者の前に存在し続ける事ができたとは考え難い事に違いはないのだから、重要な事ではないのだ。
スパゲティコード
無用に複雑であり、故に全体像を掴めず、往々にして修正が困難となっているプログラムのコード。
スパゲティがこんがらがっている様に擬えて渾名される忌むべきものだ。
下手に大きく作っても問題を引き起こすが、妙な所を細かくし過ぎてもまた問題を引き起こす。バランスを拝領したまえよ。
時に根気強く解きほぐそうとするよりも、最初から作り直す方が早い事すらありうる。
遺伝子というスパゲティコードが偶然にも都合のいい形へとほぐれるという幸運を期待するのは獣の愚かで、道具を扱う術を捨てるのは人の堕落だ。