ビルゲンワースに端を発する狂気への対抗手段たるこの飲み薬とは濃厚な人血である。
注ぎ込まれた上位者の智慧という狂気に抗する術として、人を人と定義する遺志を継ぎ足すという方法を選んだものだ。
しかし自身を人と定義する為に他人の血を啜るとは、それそのものが正気とは言い難いのではなかろうか。
もっとも、気の狂いを止めたいのであって正気になりたいという訳ではないのかもしれないが……
「真理、清潔/聖血、啓蒙。全ては世の為人の為」そんなお題目に興味はないとも。
「どこそこの何某は獣である」とでも一報入り黄金色の道しるべが合わされば、予防の狩人様が医療を施して、
立派に毛の生えた獣が見えてても黄金色の目隠しが合わされば、予防の狩人様の蒙は閉じられっぱなし。獣の餌食が転がって、余所の狩人が獣を狩っても、予防の狩人様は知らんぷり。
都合がいいから獣になって、都合がいいから獣じゃなくなる。まったく、どこもかしこも人という名の獣ばかりじゃあないか。
でも、そんな事は最初から分かっていた事さ。
正しさと心中するか、生きる為に正しさを捨てるか。選べるのはいつだってそれだけの事。
信じてもない医療教会に拾われたのも、そこで怪しげな実験に参加したのも。
獣の様な力を持った狩人として恐ろしい獣と戦ったのも、人に紛れて人の姿のままの
……人ならぬ獣として追い立てられ、獣の様に人を喰らっているのもだ。
いい狩人がいくら常人離れした力を持っていると言っても、単純な身体能力だけで言えば獣の方がよっぽど強い。
だから「より強い狩人として『身体を獣と化し、人として狩りの技を振るう存在』を作り出そう」って発想は分かりやすくていい。
性能だけで言えばそれは実現できたんだろうさ。とはいえ所詮は人の姿を取り繕えるだけの獣。人血を啜ってようやく正気を保っていられるバケモノな事には違いはないし、趣味もよくはないだろうとも。
人が何人も集まれば、それを成果と呼びたいヤツも居れば失敗と呼びたいヤツだって居る。
運が悪かったのはそれを失敗と呼びたいヤツの方が争いに勝ったって事で、運が良かったのは
面白い話じゃあないか。俺の事を「人の姿を取り繕ってるだけの獣でしかない」と騒ぎ立てた張本人が俺の事を「人としておとなしく縛について刑死する」と思ってたっていうんだから。
人を捕まえるつもりで来た馬鹿面共を呼ばれた通りの獣として殺して逃げられたってのは、つまりはそういう事だ。
人として人の様に振る舞い続ければ、正気を失ってただの獣になる。
正気を保って人として振る舞いたければ、獣として人を喰らう必要がある。
ただの獣になれば俺というものはきっとどこにも残っちゃいないし、身体的にも早晩死ぬ。
人を喰らっていれば、いつかは危険な獣と知られて狩り殺される。
どの道獣として死ぬのなら、せめて少しでも長生きしたかったのさ。
「知ってるかい?人は皆、獣なんだぜ…」