幼年期の後、あるいは新時代の前に   作:杉鋸

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落ち所
物事の辿り着くべき場所。決着となる所。
しかしそれが落ちた先にあり、また底が失われたというのならばいつまで経っても辿り着けはしないだろう。

落ちていくそれらの飽和を恐れる事はない。底抜けたそれが現実のものとならないのなら、やがて意味すら失われるだけの事だ。


底抜け底抜け落ち所。だからすべてはそこにある

 ヤーナムにおいて獣や上位者を狩るのは狩人で、銃は水銀弾を放つ物であった。

 しかし如何な獣や上位者と言えども、水銀弾や狩人――神秘以外の手で討ち滅ぼす事が出来ないという訳ではない。

 その身から血が全て失われたのならば、獣も上位者もただの死肉に変わるのだ。

 尤も費用対効果を考えれば「常人と鉛弾」で狩るなどというのは馬鹿馬鹿しい事ではあったのだが……

 

 それもあくまでヤーナム地方における獣狩りの夜と神秘探求が行われた時代においての話だ。

 より多くの人員を養う農業力と、より多くの機材を製造する工業力と、より多くの弾丸と人員を届ける輸送力。あるいはより硬い鎧とより大きな砲をも一体として運用できるだけの力。技術力によって費用対効果は覆された。

 獣の一匹を狩るのにヤーナムでは考えられない程大量の弾丸を用いるとしても、狩人と水銀弾という神秘の粋を持ち出すよりも安くつく。それこそが人類の得た進歩だ。

 空から鉛弾を雨霰と降らせてもいい。地平線の彼方から巨大な砲弾を降らせてもいい。獣の爪と牙に耐える装甲を持った戦闘用車両が肉薄して砲撃してもいい。

 普遍的な力によって人も獣も神も等しく死ぬ。人類による人類の為の時代とはそういう姿をしていた。

 

 地の果てへと逃れた獣は見た事もない獣としてヤーナムの血を受けた訳ではない常人の狩人達に狩り殺された。

 海の底へと逃れた上位者は近くに潜んだ潜水艦目掛けて投げ込まれた無数の爆雷が生み出す水の振幅によって粉砕された。

 戦車の前へと姿を見せた上位者は何もできないまま粉砕され、しかし証拠も持ち帰れなかった兵達はただ酩酊して弾薬を浪費したものと思われた。

 普通ではないから狩られ、普通のものに巻き込まれ狩られ、普通ではないから存在すら否定される。

 

「そんなまともではないものなど、存在しているはずがない!」

「本当に存在していたのならば、なぜ今日という日まで知られなかったというのか!」

 

 普通である事こそを武器として、全てを普通へと塗り潰す。それは時に当たり前ではなかったものを当たり前へと引き摺り下ろす事で、時に当たり前ではないものを棄て去る事で達成された、全てが完璧に普通で、まともで、当たり前で、くだらない、予測可能なものだけの、普通の人類の為の世界。

 神など何処に潜む事が出来ただろう?

 

 そう。潜み様がない。神というものが死に絶えた時代だ。それ以前の世界から断絶した神無き世界なのだ。

 いいや、潜むまでもない。人こそが神であり、あるいは神とは人の使う道具でしかない時代だ。神すらも当たり前にありふれている。

 

 まあ、どちらでも大差はない。それは最早上位者などとは呼べない程に卑小なものになっているのだから。

 

 

 

 『普通』の世界を壊すのは普通ではないもの。棄て去られ・忘れられた異常者だ。イレギュラー、けだもの、あるいは人類種(ノーマル)の天敵。それは棄てられたもの達の怨嗟と呪詛の降り積もる先だったのだろう。

 それは全てが普通であり続ける事で維持される世界という歯車仕掛けへと挟まった小石の様なものだ。

 かつて信じられていた神の作る王国ですら終わりを迎えるというのだから、神ならぬ人の作る世界が滅びない道理もない。

 

 世界が滅びゆく最中の事だ。飛び切りの普通ではないもの――在りし日に追い求められ、人々に棄てられた上位者、青ざめた血の魔物に見えたのは。

 

 

 

 

 

 

 肉であろうと甲殻であろうとその耐久力には限りがあり、それを肥大化させるのにも限りがあり、そしてそれを純粋な血肉で構成された身体として実現すればその再編に掛かるコストは尋常なものではなくなってしまう。

 耐久力以外でもそうだ。膂力にしろ感覚にしろ質でも量でも目指せる上限というものがあり、身体として実現したが最後、別の手段を選ぶ事は困難になる。

 かつての上位者達を追い落とした人間という上位者の強みとは手段を身体以外として実現し、他の手段をも選べるという事だ。人に由来する新たな上位者がその特徴を吸収しない理由もないだろう。

 

 目的への最適化の為の再編を前提とした、紛い物の血肉による拡張身体。

 手が、足が、瞳が足りないのなら増やせばいい。重すぎるのなら減らしてもいい。分割、合流、身体以外のものとしての運用。何に使ったっていい。

 必要な機能を、必要なだけ備える為の能力だ。

 

 悪夢から帰ってきたかの魔物に流れる血とはそういう血なのだから――まして、普通ではないものなのだから――それが尋常な生き物の血であるはずもない。

 

 しかし上位者であるそれにとって死など一夜の夢と同じはずだ。血肉すら端末として洗練してなお死なぬ様に振る舞うのはかつての名残だろうか?

 

 

 

 

 

 

 医療教会の理論によると『理想的な肉体』に流れる血を全て入れ替えたのならば、それは入れ替えた血の持ち主そのものとなる。

 その理屈に従うのならば聖体から得た聖血を十分に注げばいくらでも聖体を作れるはずだが現実にはそんな事は起こせていない。

 『血を一滴残らず、完璧に入れ替える事ができない』などという技術的な不足ではない。上位者の血の求める水準に対して、人の肉体には不足が多すぎるのだ。

 

 人の体には神秘が足りず、啓蒙が足りず、血量そのものすら足りず、人体を原料に上位者の肉体を再現する以前に上位者の血が十全に働く事すらできない。

 だから橋渡しとなる比較的マシなもの、上位者に近い要素を持つ者、血の聖女と、より要求水準の低い上位者の血が必要で、要求水準を引き下げたが為にその神秘の力は低水準――尤も拝領者共にとっては十分だろうが――なものに留まらざるを得ない。

 

 そして上位者の求める赤子、自分よりもより進化した、新しき、真なる上位者の原料としては悪くはないとはいえ、求めるものそのものではない。

 

 その血の力を発揮したとしても、その血の上位者そのものになっては意味がない。

 その血の力を発揮したとしても、元通りの獣がただ本性を現すだけは意味がない。

 元の上位者を超える力を持った、新しい存在が生まれなければならない。

 祈り求める者に応えるそれは互いに求めるものを得ようとする行為であり、獣とはその多くが辿った誰も望む事のない不幸な結末だ。

 

 

 

 ……青ざめた血の魔物も子を作るのに失敗したのだろう。

 血とは意味であり、人と上位者の遺志を集めて生まれた魔物と、棄てられたもの達の遺志を集めて生まれたそれは同質の存在だ。

 同じ様にして生まれたのなら、同じ様なものが生まれる。求め合い感応するのは自然とはいえ、そのまま同化してしまっては最早自分でしかない。

 この世ならざる場所に居た魔物は子を作り損ねて、あの日に再誕したのだ。

 

 

 

 

 

 

 世界が神の血で満たされ、神は居ても祈りを聞き届ける存在ではなくなって久しい今、それでも祈るものはその思いの強さから人である事を止め、時に異形と化す。

 しかし今の神の血の力は身体の変容に重きを置いては居ない。

 幽かな生物によって得られる力とは目に映る事のない外骨格であり、軍勢でもある。

 身体能力を強化・身体機能を増補するのであれば身体の変容を引き起こすのではなく、身体の周囲に能力を強化・機能を増補する幽かな生物による場を作って実現する事が選ばれやすい。

 人がそうである様に、神もそうなった様に、獣もまた能力と機能を再構成するものへと至ったのだ。

 

 人でなしのけだものですら道具を使い、それらこそが遺志を受け入れるか葬るのかを考えている。

 星も大地も古い言葉に残されるばかりの今日なのだから、獣の在り様が様変わりする程度何も不思議がる必要などない。

 いや。許しも得ずに墓を暴き死体を検分してまでそれらの成果を知り、それを己のものとするか、はたまた真に葬り去るかを考えるなど、元より獣の所業だ。

 仮初めであっても名誉を得ていたかつてのヤーナムとの違いなど、それくらいだろうとも。




底は抜けるし、箍は外れて、人は獣で、獣は人で。
――なあ、君はどこに落ちたい?
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