幼年期の後、あるいは新時代の前に   作:杉鋸

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祈り

 世界の代替品として上位者を主とする夢を用いる。これの実現において主となる上位者の作成の目途は立ち、夢の恩恵を最大限発揮させる為の触角ともなる青ざめた血の魔物の血を模したナノマシン――人造上位者を作る為のそれと比べ桁違いの量が必要であり、様々な形で簡略化や合理化が行われた――の生産器官の設計も順調だった。

 しかし「それが上位者の血そのものではなくとも真に機能を写し取れているのならば写し取れているからこそ獣の病は発生しうる」という懸念への対応は遅々として進まなかった。

 

 「そもそも上位者の血は獣の病の原因ではなかったのかもしれない」「血液らしきものすらなくなっていた上位者に由来するからには、獣の病の要因としての性質が残っていない可能性もある」という楽観論も否定は出来ないとはいえ、だからといって無策で良いという訳でもなく、「例え獣の病の発生が不可避の物であったとしても犠牲を払うだけの価値はある」というのも事実ではあるが、避け得るのであれば避けたい物でもある。

 とはいえ現状においては――幸運というべきか――獣の病の実例が無い以上はかつての獣の病の記録と痕跡から原因を探る他にできる事はなく、あるいは人造上位者やナノマシンの稼働試験中に何らかの兆候を見出せるかどうかという程度であった。

 

 獣の病に呑まれたローランとヤーナムにおいて共通して存在したのが血の医療と上位者である。

 血の医療には希釈した上位者の血を用いる以上血の源となる上位者――最新の研究においては「上位者の赤子を妊娠した女性」もその源としての上位者足りうると考えられている――が居るのは当然の事ではあるが、特にヤーナムにおいては上位者の影響が強まった時に獣の病が活発化したという記録が残っている。

 聖血ならぬナノマシンを一定量取り込んだ状態にした人々を完全に上位者の影響下となった夢の中に送り込み、夢を制御する為のナノマシンで満たした環境で過ごさせる事となる以上上位者とその血が原因であるのなら獣の病が発症しないとは思い難かった。

 

 

 

 何度となく残された資料や痕跡を精査し、あるいは遺跡を掘り返して新たな資料や痕跡を探し、理論作りと検証が繰り返された。

 そうして一応の答えとされたのは「悪夢の上位者とは感応する精神であり・祈り――感応のきっかけとなりうるであろう芯の通った情動――を捧げる聖職者こそが恐ろしい獣になるというのであれば、上位者と感応させなければいい」というものだった。

 とはいえ元より人との感応も目的として紛い物の血(ナノマシン)を用意しているというのに、夢の上位者との感応そのものを阻害してしまえば人々を夢に住まわせる事も叶わなくなり本末転倒である。故に人と夢の上位者の感応は可能とした上で、感応の結果としての「獣化という応答」を引き起こさせない事が求められた。

 これそのものはあえて対応するまでもなく、安定性の都合で対応の終わっている要素だった。夢の上位者となる人造上位者そのものが個別の人間へと直接干渉する能力を持つ事は不安要素が増えるばかりであり、個別の人間への対応はシステム全体の別の部位で済ませる事を前提として必要最小限の干渉能力しか持たない様に既に設計がなされている。

 そして他の上位者への対応としてはメンシスの檻――メンシス学派の生み出した上位者との交信を安定化する為のアンテナ装置兼装着者の精神を安定化させる制御装置――の理論を応用し、外部の存在に対し塔の内部に存在する人間個人を認識不能とし・夢の上位者と合わせて全体で一個体の上位者として見える様にマスキングすると共に、獣化を引き起こす様な強い情動を外部に居る上位者が受け取る事が無い様に出力に制限を加える機能を持った外殻を持たせる事で一定程度の抑制が見込めると考えられた。

 

 結果から言えば人々が獣の病を発病する事はなかったが、それは対策が機能していたという証左なのか、そもそも杞憂でしかなかったというのか我々に知る術は無かった。

 

 

 

 

 

 

 如何に神の居る世界で祈りが神に届くのだとしても、聞き届ける神に祈りへと答える術が無いのではそれにどれだけの意味があるのだろうか。

 ――祈りとは意思である。世界を満たす紛い物の血は意思に引き寄せられ、意思へと所属し、意思を持つものの力となる。それを聞き届ける神に答える術がないのだとしても意味はあるのだ。今のこの世界とはそういうものとなっていた。

 だから我々は、肉の代わりに鉄で作られ血の代わりに瀝青の流れる体に、魂――その最後の祈りだけを石へと刻む事で祈り続ける存在となる事を目指した。

 遺志となる祈りが朽ちる事の無い様に。願いの叶うその日まで祈りが途切れる事の無い様に。

 

 それはただただ共に在りたいという、純粋な願い。

 あるいは弐の轍を踏む事を留まらせんとする、身体を得た不滅の警句。

 怒りや愛、敬意、信仰……我々が祈りそのものとなる事を選んだ動機はそれぞれに違い、それでもきっと共通した思いがあるとすればそれは未練だろう。

 

 

 

 蜜月の終わりに大地は砕け、楽園は微睡に沈んだ。

 機能の損なわれた楽園から人々は外へと出てより安定した基盤を生み出し、楽園を棄て去る事を選んだ。

 

 我々はそれを許す事はできなかった。

 多くのものを犠牲とし作られた楽園、その柱として彼の仔は埋め込まれ、今もなお長い微睡の中に居る。

 

 幾度打ち砕かれるとしても、幾年経ったとしても、祈りへの答えは無いのだとしても……それ以外の全てを削ぎ落したのだから。我々はただ祈り続ける。

 彼の仔の微睡む長い夜に終わりが来るまでは。

 

 

 

 

 

 

 楽園の機能が損なわれてから、多くの足掻きが存在して、それらには多くの道筋も存在したけれど、結局の所辿り着いた場所は同じ。楽園を元に戻す事も、あるいは代用品を作り出す事も出来ず、機能の損なわれた楽園の内で人のまま過ごす事も叶わず、ただ楽園の外へと向かう事しか出来なかった。

 けれど、代用品としては物足りないとしても、人の為の代物としての運用さえ諦めてしまえばそれなりに代用品として機能する代物だって存在した。

 もちろん決定的な決着が付いてしまえばそれで全てはご破算で、その時に真に最悪ではないとは言い切る事はできないけれども、それまでの間であれば二番煎じに過ぎない私達にも・私達にとっては最悪を最悪ではなくするカラクリを使う事が出来る。

 

 記録から全てを再生する事が可能で少なくとも決着が付くまでの間は滅びる事の無い私達の新たな母堂と、そこに収録された必要な機能だけを備えた私達の成れ果ての記録。

 祈り続ける事しか出来なくなった私達の成れ果てにとっては何回打ち砕かれたとしても再生され・どれだけの時間が過ぎるとしても朽ちなければ、それで十分。

 そして彼の仔にとって時間なんてあってない様なもの。

 どれだけ分の悪い賭けだって掛け金を増やせばいつかは勝てて、時間さえ掛ければ掛け金はいくらでも増やす事が出来て、私達には時間がいくらでも用意できる。

 つまりはそういう事だった。

 

 

 けれども。いつかは勝てるというのはあくまで分の悪い賭けの話で、本当は端から勝ち目なんて一切無いのかもしれない。

 だから私達はもう一つ保険も用意しておかなければいけなかった。

 

 

 

 ねえ。これから未練も後悔も持てず、面影も名残も残さない、ただの祈りに成り果てる私達だけれども、あなたの事を仲間外れにしてしまうけれども。それでも、あなたと私達の祈りが夜明けを連れて来られます様に。

 そして……あなたが夜明けを迎えられます様に。私達はその陽を浴びる事は絶対にないけれど、あなたはそうじゃないのだから。

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