魔物にとって狩りの業とは収集物であり、狩人とはそのアルバムの様なものだった。
狩人を使って狩り集め、遺志を介して狩人へと記録し、夜明けを迎えた狩人を使って増やし・新たな業を生み出す土壌を作り、次の狩りで狩り集めた新たな業を古い業と合わせて新たな狩人に記録する。
あるいは何度となく書き直されるレシピであり、夜の度に作り出される記念品であり、しかしその夜もまた求めるものへと届かなかった事を記した敗北の記念碑でもある。
古い狩人が伝えた業が全てただ劣化するだけに終わったとしても、見るべき成果と引き換えに必要なものまで削ぎ落されたとしても、それらの業が新たな狩人へと記録されるまでの間にゲールマンと魔物の手でその不足は補われる。
人から人へと業を伝え続けたローレンスの裔が血と上位者を信奉し人に害為すばかりとなった医療教会と成り果てたというのに、ゲールマンの裔は狩人のまま代を重ねられたのは偏に魔物の作用という他になかった。
無論それで続いたのは魔物の望んだものとしての狩人であり、ゲールマンの望んだものとしての狩人がどれほど残されていたのかはまた別の話ではあるが。
技や英知というものが人から人へと伝える間に衰退、形骸化、あるいは劣化していくというのは、ローレンスと医療教会に限った話ではない。
それこそローレンスやゲールマンすらビルゲンワースにとっては警句を捨てた事で恐れられていた通りの事態を引き起こした存在である。
だからこそ擦り切れずに技と英知を伝え続け、また伝えるに値する存在を見出す物としての英霊は生み出される必要があった。
上位者などという意思と扱いに困る力を持ちコストばかりが嵩む存在ではなく、それに紐付けられ擦り減らされていく存在でもなく、紐解くものにその英知と技を伝授するのに必要な機能だけを持たせた、扱いやすく壊れづらい道具として。
◇
ビルゲンワースの末裔と呼ばれるものは多い。医療教会も狩人もその好奇と罪、神の呪いを受け継いだビルゲンワースの末裔で、しかしビルゲンワースでは禁じられていた血を用いていた。
ビルゲンワースもヤーナムも過去のものとなった時代に人造の上位者を作った彼らも直接の教授こそ受けられる訳も無かったとはいえその知識は拝領され、しかしその効能ばかりを追求していたが為に手にした技術が上位者に伍していた事は気にもされなかった。
彼ら自身はその思想を継ぐ事はなかったが拝領された知識は当時の技術者達によって纏められており、また別途多くの注釈と訂正も付け加えられながら、書庫の奥深くへと封じられていた。
不用意に触れられる事が無い様に。必要な時まで残っている様に。必要となった時に迅速に利用できる様に。改めて解読する事になっても手がかりとなる様に。十分な耐久性を持った媒体へと情報を写し取り、丁寧に封じられていた。
その中にはかつてただ「神秘」としか呼び様の無かったものをより理解しやすく体系だった技術としたものもあれば、再現するのに必要な要素の揃わなかった事だけが付け加えられたものもあり、あるいは知識の拝領にあたって解釈の助けとすべく用意されたビルゲンワースや医療教会・狩人などの持っていた思想についての情報なども存在した。
◇
それはどうしようもない凡人でしかなかった。
胸に抱く好奇心は身を亡ぼす程ではなく、天才的なひらめきを持つ訳でもなく、ただただ特別な智慧を授かってしまっただけの凡夫だった。
古い時代の熱を帯びた発掘品は数多く、しかし「見る者が見れば分かる」などという程度にしかその特別さをひけらかしたりはしない様な発掘品は往々にして無知な発掘者の手でぞんざいな扱いを受けるもので、「幸運にも耐久性に優れていたから見出せる者と出会えた」という一握りの幸運も孕んだありふれた不幸がそれと彼が出会う切欠となった。
古い時代の特別な教えと特別な智慧の解読に血道を上げそれを現代に復古させようとする評判の良くはない学者と、学者に見限られない程度で学者を見限れない程度の能力故にその研究を継いでしまった学生。
学生には未知を解する才があったとは言えないものの、既知のものを引き継ぐ事に関しては少々得意ではあったのだろう。
その古い記録にあった特別な智慧の教えは記録そのものが分かりやすく作られていた上に学者による解読も十分に進んでいた為に、彼がやったのはそれらを覚え、最後に答え合わせをする役回りが回ってきただけと言ってもよかった。
学者は道半ばに斃れ、学生自身が学者になる頃にはそれらの知識と共に思想を受け継いだ最も新しいビルゲンワースの末裔が生まれていて、上位者を人の手で生み出した彼らの知識と合わせ、血によらずより上位者に近い次元の思考を可能とする瞳を作り出す事に成功していた。
◇
一つの場所に真に君臨しうる上位者――すなわち全てを自在に操れる夢の上位者――は常に一体である。
もしも一見して「一つの場所に複数の夢の上位者が並立している様に見える」とすればそれは、複数の上位者である様に見えてそれら全てで一体の上位者であるか、それぞれが断絶した別の夢に存在しているか、あるいはそれらの上位者よりも更に上位に「その全てを内包する夢を持った上位者」が存在しているかだろう。
夢に居る夢の上位者を狩る事は難しい。その上位者と十分に近しい力が無ければ上位者の意向一つで全てはただの夢であった事とされてしまうし、あるいはその反対にそこでの死は夢の狩人であったとしても絶対のものと成りうる。
夢の狩人が借り受けた上位者の力によって全てを夢であった事とできるのあくまでそれはその上位者の支配する夢の内であればこその話だ。
あるいは夢の狩人であれば夢の上位者を狩ったという事実を夢とされる事を止める事は出来るだろうが、夢の上位者にとってその狩られた肉体が無二のものである事は保証されていない。
であるのならば、なぜ最後の夢の狩人は無謀と言う他にないあれだけの上位者との戦いの数々を生き延びる事ができたのか。
それは「上位者に至ったから」ではない。その理屈は「上位者に至ったのは、かつて上位者に至れたから」を無限に後退させ続ける事しか出来ない理屈だ。「最初に上位者へと至る道筋」の問題を解決できないのでは理屈が通らない。
「ただひたすらに強く、ただひたすらに幸運であった」と考えるのもいいだろう。強いから生き延びた。幸運だから生き延びた。それそのものは十分にありうるのかもしれない。
しかし「我々の知る上位者よりも更に上位のものが関わっていた」――そんな風に考えるのは馬鹿らしいだろうか?
あるいはガーランドの末路の選び方もそうだ。あの出来事には決別の霊廟――上位者との交戦が起こった訳ではないとはいえ他の、ガーランドと同程度の力量はある上位者の影響下にある場所が関わっている。当然ガーランドが一方的に夢へと組み込めるものではない。
双方を一方的に夢へと組み入れる事のできるより上位のものが介在していたとする方が自然ではなかろうか?
血の赤子が、HELLSINKERが一体何を引き付けていたのか。
獣狩りの夜が、聖杯が、いばらの鎖が、かの広大な遊戯施設が、一体誰を地獄に繋ぎ止めていたのか。
そこには影が残されている様に思えるのに、影がどうしようもなく黒々と残っているはずなのに、そこに影が残っている訳も影を残した存在が何を目的として行動していたのかも私には理解が及ばない。
「更なる上位者の影らしきものが見える」それだけが私の瞳に映ったものであった。
私には未だに瞳が足りないとでも言うのだろうか? それとも妄執に憑かれ、ありもしない幻を探しているだけなのだろうか?
地平の末端、世界の天頂、宇宙。あるいは地の底。俗世の全てから遠く離れた客観を得てもなお、終ぞそれを認識する事は叶わなかった。
瞳
かつて瞳を求め物質的な数量ばかりを競うという愚かしい真似も行われていたとはいえ、そもそも瞳とは一つあれば十分な物ではない。
人間が二つの目を持ち、視差によって平面的な画像情報から立体的な像を捉えるのと同じ様にまた別の視点からの情報が必要なのだろう。
そして両の目の距離は離れていればいる程に良いのだろう。その視差は大きければ大きい程に対象との距離を鋭敏に捉える術となるのだから。
……しかし俗世の全てから離れた客観にこそいと近しいものを見ようというのに、俗世からの客観ばかりを誇るというのは滑稽である。
近すぎる場所にあるものの姿は像が定まらなくなるというのに。まして両の目を離してしまえばその像はより断片的で不鮮明となるだろう。
また俗世からの客観とは常識という霧を払う術である。俗世から離れるという術そのものを視線を遮る霧とするのでは、集めた目玉で体を飾り立てるのと何が変わろうか。