神世紀百七十二年ーー極秘研究施設五号館地下二階特殊実験専用区域
そこでは二人の少女が頭上から何体も現れる白い物体と鬼気迫る戦いを繰り広げていた。
「ぐぅっ!」
視界外からのタックルで仁美は地べたに叩き付けられた。
「げほっ!ごほっ!がぁ・・・」
体が求めるがままに呼吸を行おうとすると、血と胃酸が混じったものが腹の底から溢れ出てくる。
想像を絶する痛みが全身に走り、顔を歪めずにはいられなかった。
各部の痛みをしっかりと感じている様子から、頭の感覚の方はまだマシなのかもしれない。
あちこちで悲鳴を上げている体をどうにかして動かそうと試みる。
幸いなことに、武器はそこまで遠くには吹き飛ばされなかったようだ。
武器を杖代わりにし、なんとか立ち上がると今度は酷い目眩が襲ってくる。
揺れる視界に吐き気を覚えながら、仁美は左腕に取り付けられている装置で現在の時刻を確認しようとした。
自分の目が適切に業務をこなしているならば、戦闘開始から既に七時間は経過している。
確か戦闘が始まったのは深夜の十二時ぐらいだったはず。
どうやら私は徹夜で武器を振るい続けているようだ。
自分が今置かれている状況をしっかりと理解したせいか、握っている武器はさっきより何倍も重く感じる。
突如、耳を覆いたくなるような騒音が頭上から降り注いできた。
音が聞こえてきた方向へ顔を向けると、複数の白い塊が隊列をなして襲いかかろうとしていた。
物体の口にびっしりと生えている鋭い歯がここからでも分かる。
「くっ・・・このぉぉぉぉ!!」
仁美は渾身の力で武器を振るった。
武器の両端についている鋭い刃が白い物体を瞬く間に切り刻んでいく。
例えるのも億劫なほど不愉快な感覚が、手の奥の先にまで響き渡る。
白い物体は低い唸り声と共に赤い液体を辺りに撒き散らしながら、ぐちゃぐちゃに飛び散っていった。
「最終試験終了まで残り三分。」
耳元に付けられている装置が機械的な音声で残り時間を告げる。
三分。
いつもならあっという間に過ぎ去っていく時間だ。
しかし、今は違う。
この三分間に全てが掛かっているのだ。
(ここを乗り越えなければ、今までの努力が全て無駄になる!)
仁美はこれまでに二度もこの三分間という壁を前に敗れ去っていた。
一回目は三分前の時点で満身創痍の状態だったこともあり、十秒も耐えることが出来なかった。
二回目は前回の時と比べて幾分かマシにはなったものの、長時間の戦闘による集中力の散漫が一瞬の隙を生んだ。
残り数十秒のところで死角からの攻撃を立て続けに食らってしまい、あと少しのところで仁美は脱落した。
最終試験に挑戦出来る回数は一人三回。
三回目にあたる今回は最後のチャンスなのだ。
失敗は絶対に許されない。
この試験の不合格者は目標水準未到達者としてお役御免になる。
それは仁美にとって存在不要の烙印を押されることと同義であった。
(乗り越えるんだ!なんとしてもこの三分間を!!)
負けられない。
それだけは絶対に嫌だ。
それだけは。
武器を握る手にますます力がこもる。
白い物体は鼓膜を引き裂くような呻き声を撒き散らしながら大量に降り注いでくる。
「やぁぁぁぁぁぁーーーー!!!!」
仁美は負けじと腹の底から声を振り絞り、真っ白な群れに飛び掛かった。
武器の適正距離を取りながら戦うのが理想ではあるが、既に限界を越えている体でそれを行うのは不可能に等しかった。
多少のダメージを負うリスクも承知の上で相手に超接近戦を仕掛ける。
厳しい訓練と自主的に行っていた自己鍛練を通して導き出した作戦がこれであった。
仁美が使用している武器は柄の両端に両刃の剣がくっついたような出で立ちをしている。
その形状故に通常時の取り回しは最悪だ。
しかし、自分以外全て敵という今の状況では話は変わってくる。
通常の武器と比較し、攻撃範囲が広い上に手数も多い点が鬼神のごとき攻撃力を生み出すのだ。
季節外れの雪景色かと錯覚しそうになる一面の光景を前に仁美は武器を構える。
まず、真正面の個体に目掛けて勢いよく一差し。
これで一つ。
次に全体を振り上げ、もう一方の刃で後ろの個体を斬り飛ばす。
これで二つ。
振り上げた武器を横にスライドさせ、力任せに振り回す。
これで三つ。
四つ。
五つ。
六つ。
振り回した武器を思い切り後ろへ突き伸ばし、背後から襲いかかってこようとした個体をまとめて串刺しに。
これで七つ。
八つ。
そして死角から来た個体を手前の方にある刃で一振。
これで九つ。
後はこれの繰り返しだ。
残っている集中力を総出で死角からの攻撃に警戒しつつ、仁美は次々に大量の白い物体へ斬り込んでいった。
武器で白一色の空間をなぎ払う度に一瞬だけ目の前は赤色に変わる。
「試験終了まで残り二分。」
武器を振るう手がもはや自分の手であるかどうかすらも分からなくなってきた。
何時間も酷使している武器も最初の頃と比べて切れ味が格段に落ちている。
もはや斬るというよりも殴るような感覚に近い。
服も大量の返り血によって、本来の色すら分からなくなるほど赤黒く全身を染め上げられていた。
その染まりようは、まるで元からこの服はこの色であったと言わんばかりの有り様である。
(あと少しだ。敵の数も着実に減っている。この調子なら)
さっきと比べて自分の意識が遠のいていくのがうっすらと分かる。
まるで脳内が深い霧に包まれているようだ。
しかし、朦朧としていた意識は突然右足に走った激痛によって現実に引き戻された。
(右足がやられた!?)
慌てて痛みを感じる方向に視線を移すと一体の白い物体がふくらはぎにがっしりと噛み付いていた。
「このっ!離れろ!」
なんとか振り外そうと懸命に足を動かす。
だが白い物体は全く離れる気配が無い。
「離れろっていってるだろ!このっ!このっ!」
駄々っ子のように離れることを拒絶する白い物体は本体の部分を何度も武器で突き刺すことで、ようやく剥がれ落ちていった。
体勢が崩れたところを狙ってきた連中を相手にしながら、負傷部分の様子を確認する。
噛み付いていたのが一体だけであったためか、戦闘続行に影響を及ぼす程の深傷にはならなそうだ。
これなら急いで応急手当をする必要も無いだろう。
仁美の意識は再び白い大群との戦闘へ移っていった。
「試験終了まで残り一分。カウントダウン開始。」
遂に残り時間が六十秒を切った。
多少の負傷はしたものの、このペースで行けば制限時間以内に全ての個体を撃破出来るだろう。
残り個体数を確認していると、ちょうど目の前に残存個体群と思われる集団が見えてきた。
うねうねと眼下に広がる真っ白な光景に思わず息を呑む。
これで最後だ。
こいつらさえ倒せば全て終わる。
これまでの苦労や二度にわたる屈辱も全て報われるのだ。
白い物体は隊列をなして此方へ真っ直ぐ向かってくる。
深呼吸で息を整え、今一度武器を構え直す。
体に残っている力を一点に全て集中する。
ぴりぴりと血の味がする喉元からありったけの声を張り上げる。
「はぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
体全体を声の勢いに乗せて仁美は白い大群に目掛けて勢いよく突撃した。
大群との距離がどんどん狭ばっていく。
改めて正面から見ると白い物体の不気味さがよく分かる。
まるで端から端まで裂けているように見える巨大な口。
均一にびっしりと生えている鋭い歯。
何より、こんなバケモノが何十何百の集団になって襲いかかってくるのだ。
こいつらが西暦の悪夢を体現している存在と言われいる理由も分かる気がする。
こんなものがある日突然、空から現れたら誰でもトラウマになるだろう。
(昔の私なら何も出来ずに逃げ出していたに違いない。でも今の私には。)
迫りくる白い影。
次の瞬間にそれは赤い塵へと変わる。
(この「勇者」の力がある!)
二つの刃は肉塊にかぶりつく猛獣のように次々と物体を切り刻んでいく。
まるでそれ自体が武器の意思であるかのように。
そしてその意思に答えるが如く、仁美は腕を振り続ける。
気が付くとさっきまで辺り一面にいた白い物体は目の前にいる一体のみとなっていた。
(こいつで最後か!)
最後の一体になったところで、こいつらの行動パターンは変わらない。
ここ数時間の間に飽きるほど見てきた動作を取りながら白い物体は此方へ突っ込んできた。
最後の一体だろうと容赦はしない。
全力で撃破するのみだ。
(見切った!)
最後の突進を紙一重で躱し、仁美は勢いよく武器を振りかざす。
刃が物体の真ん中に食い付き、そのまま勢いよく斬り飛ばしていく。
最後の物体は二つの残骸になり、下の方へ落ちていった。
「やった!」
胸の中に広がる達成感に乗せられ、思わず心の声が出てしまった。
しかしこれで全ての敵は撃破した筈だ。
さっきまでの地獄のような感覚はどこへいったのか、右足の怪我の痛みすらも全く感じなくなっていた。
押さえきれない興奮は全身に浸透し、体全体を震えさせていた。
(これで私も真の「勇者」に・・・!)
左腕の装置にメッセージが表記される。
しかし、そこに記載されていた内容は目標達成を告げるものではなかった。
撃破目標残り一という文字列が目に入り込んでくる。
「え・・・ええ?」
あまりの内容に驚きを隠せず、文字列が頭の中でぐるぐると回る。
(残り一?さっきの個体で終わりではなかったということ?でもそんな個体どこに・・・)
もしかしたら機械側の誤表示かもしれない。
戦闘中に機械が損傷した可能性も考えられる。
そう考えて再起動を行おうとした次の瞬間、後方から急速にこちらへ接近してくる何者かの気配を仁美は感じ取った。
慌てて振り向くと大型の白い物体が大きな口をこれでもかと広げて自分へ迫っていた。
(こいつが本当の最後の一体だったのか!)
反応に遅れをとってしまったことで仁美は既に目と鼻の先の距離にまで詰められてしまっていた。
(武器は!?)
なんとか応戦しようと試みるが、それにはあまりにも遅すぎた。
ダンプカー程の大きさを持つ塊が仁美の体を真正面から襲う。
まるで身体中に丸太の山が突き刺さってきたかのような勢いだ。
「ぐうぅぅぅ!!」
巨体から繰り出された衝撃によって体が嵐に巻き込まれたかのように吹き飛ばされる。
その勢いのまま、体は硬い地面へとボールのように叩き付けられた。
「ぐはっ!」
頭からモロに入ってしまったせいか、一瞬意識が飛んでしまった。
慌てて意識を取り戻すことは出来たが、大きく歪んで見える視界の奥からは再び攻撃を仕掛けようとする巨体の姿が見えた。
(次の攻撃!?)
体の様子をすぐさま確認する。
衝撃の大きさの割には出血量は少ない。
咄嗟の判断で武器を盾にしたことが幸いし、攻撃の直撃は避けれたようだ。
だが負担が大きかったのか、手元には見るも無惨にバラバラとなってしまった武器が転がっていた。
(これでは反撃が・・・!)
今の状態で肉弾戦は死を意味する。
あの巨体の攻撃をまともに受けてしまったら今度こそやられてしまう。
逃げようにも先程の一撃のせいで右足が普通なら曲がらない方向へ大きく変形してしまっている。
これでは歩くことはおろか、立つことすらままならない。
巨体は標的が身動きをとれないことを理解したのか、ジリジリと距離を詰めてくるという形で此方へ迫ってきていた。
(コイツ・・・私をなぶり殺しにするつもりなのか!)
仁美は可能な限り思い付く策を脳内で挙げていった。
攻撃は武器が破壊された以上、望ましくない。
回避も足の負傷具合から現実的ではない。
防御行動なら一応取れるが、最初の一撃以降はどう対応する?
おそらく此方が次の行動に移る前に奴は二撃目を放ってくるだろう。
せめて最後くらいはコイツの醜い顔に噛み付く程度の抵抗ぐらいしようか?
(いや・・・もう疲れた。)
フル回転していた脳が突然作業の手を止めた。
同時に後悔と絶望が頭の中で急速に広がっていく。
数十秒前の愚かな自分の行為が恨めしくて仕方がなかった。
あの時撃破したのが本当に最後の一体であったのか確認さえしていれば、今の状態にはならなかったのだ。
少なくともあの場で本当の最後の一体を発見出来ずとも、ある程度の警戒は出来たはずである。
(もういい。もういいんだ。所詮、私の才能なんて初歩的なミスで躓くほどちっぽけなモノだったんだ。)
自分が持つ可能性を信じ、努力を重ねてきたこれまでの日々が途端に馬鹿馬鹿しく思えてきた。
寝付けられないほど痛む傷を負う訓練や、ボロボロの体を無理矢理動かして続けた鍛練の結果がこれか。
自分の哀れなほどの滑稽さに笑いが漏れそうになる。
「本当、馬鹿だな・・・私。」
もうどうにでもなれと仁美が目を閉じたその時であった。
遠くから聞き覚えのある声が微かに聞こえてきたのだ。
何と言っているかは分からないがアイツの声であるのは間違いない。
毎日耳にタコが出来るほど聞いていれば、この距離でも案外分かるものなのか。
そんなことをぼんやりと考えていると、目の前の白い巨体が私を骨の髄まで食らい尽くそうと口を大きく開いた。
流石に彼女でもこの状況からなんとかするのは不可能だろう。
(日頃無茶ばっかりするアイツには良いお灸になるかもな。)
眼下に広がる無数の牙を前に私は何故か落ち着いていた。
これが悟りというものかと一人で勝手に納得していると、今度は耳元で叫ばれたようなボリュームの彼女の声が聞こえた。
「勇者ぁぁぁぁぁぁぁキッィィィィィク!!!!!!」
その声と同時に一人の少女が巨体のど真ん中に大きな穴を開け、砂塵を撒き散らしながら私の目の前に舞い降りた。
白い巨体は自分の身に何が起こったのか理解出来ぬまま、音を立てて倒れた。
あまりの急展開に脳が追い付かず、呆然としていると慌てた様子で彼女は私の元に駆け寄ってきた。
「仁美ちゃん大丈夫!?怪我は!?全身血だらけだよ!?特に右足!折れちゃってるよ!?急いで応急処置をしないと!」
必死に涙目でまくし立てる彼女の前に私はこう呟くことしか出来なかった。
「・・・やっぱ凄いよ。友奈は。」
左腕の装置からは試験終了を告げる電子音声が延々と流れ続けていた。