私の意識は左右に揺さぶられている体によって現実世界へ引き上げられた。
耳元から響いてくる騒がしい声が私の名前を呼んでいる。
重い目蓋を気怠げに開けると、目の前には包帯でぐるぐる巻きになっている友奈の姿があった。
「あっ、ようやく起きた!おはよう!仁美ちゃん!・・・いや、もう夜だからおはようはおかしいか。今晩は!仁美ちゃん!」
うるさい。
あまりにもうるさい。
それと怪我人を揺さぶるな。
恨めしそうに彼女を見つめるが当の本人は私の心情など微塵も分からないのか、屈託のない笑顔である。
彼女の名前は倉留友奈。
私と同じ中学二年生の勇者候補生だ。
どうやらこの友奈という名前には特別な意味があるらしく、初代勇者の一人と何か関係があるらしい。
彼女の代名詞とも言えるのがこのうんざりする程の明るい性格だ。
集団内の会話で用いる潤滑油としての評価は優秀なのだが、これを彼女の個性として捉えるなら別だ。
よく被害者となる私だからこそ断言出来る。
彼女はとにかく多面的にやかましい。
こっちのことにやたらと干渉してくる上、その場の閃きで勝手に動き出すし、私を引っ張り回すことに何のためらいも無い。
私が男だったら彼女にしたくない女子ナンバーワンだ。
彼女の問題行動は他にも色々とあるのだが、とにかく彼女と接するのは疲れる。
特に今のように体のあちこちが悲鳴を上げている時は尚更だ。
「・・・もう夜になったのか。」
「そうだよ。今は夜の七時過ぎ。大体半日ぐらい眠っていたことになるね。」
半日も・・・
さっきの最終試験で相当体にガタがきていたのだろう。
今でも体を少しでも動かそうとすると鋭い痛みが全身を駆け巡る。
「本当に心配したんだからね!仁美ちゃん、試験後に突然ばたーんって倒れちゃったんだよ!?もう少し体を大事にしないと。」
「顔面ミイラ女に言われてもな。お前の怪我の方はどうなんだ。」
そもそもあの試験の後にピンピンしている方が人間としておかしい。
化け物かお前は。
「私?私は全然大丈夫だよ!こんなのただのかすり傷だし!」
嘘だな。
そもそも何故かすり傷で包帯を巻く必要がある。
おそらく友奈の怪我の原因は能力過剰利用の副作用だろう。
戦闘訓練中でも度々やらかしていたので一目見たらすぐに分かる。
下手したら顔に一生消えないレベルの傷が残るとあれ程教官から言われた筈なのにコイツときたら・・・
よく勇気と無謀は違うと言うが、無茶と無謀をごちゃ混ぜにして動くのはおそらく彼女だけに違いない。
「そう言えば仁美ちゃん、お腹空いていない?ずっと寝ていたから朝も昼も食べてないでしょ。」
「・・・いい。食べる気がしない。」
「駄目だよ!食べないと元気にならないよ!?私が仁美ちゃんの分も持ってくるからちょっと待ってて!」
私の意見は少しも尊重してくれないらしい。
普通の場合ならば怪我人の主張は優先されるものだろうに。
まぁ彼女にそこらへんの普通を求めても無駄だということだ。
どうにかタイミングよく看護師が登場してくれないだろうか。
このままだと怪我が完治する前に彼女の底抜けの明るさに振り回されて死ぬ。
そう思いながら病室の奥の方へ視線を向けると友奈は器用に車椅子を乗りこなしつつ、テーブルの上に置いてあるおぼんを運ぼうとしていた。
「また義足をダメにしたのか。」
倉留友奈には足が無い。
詳細な内容については本人が全く語らないので不明だが、関係者曰く小学生の頃に交通事故に巻き込まれたことが原因で両足を切断することになったらしい。
そんな彼女が勇者候補生として選ばれた際に貰ったのが先程の戦闘でも活躍していた義足だ。
通常の義足とは全く異なる設計で作られている特注品らしく、その性能は折り紙付きと聞く。
しかもこの義足は日常生活でも使える優れものらしく、使用者である友奈の様子から見るに使い心地はかなり良好そうではある。
最も先述した無鉄砲さによって戦闘訓練時にスクラップにするのは日常茶飯事であり、車椅子中心の生活を送っているのもこれが原因だ。
「ま、まぁね・・・えへへへ・・・」
彼女はいつもこうだ。
他人には慈悲だの愛だのを一方的に語るくせに、自分の身のことは一切顧みない。
まるで自分のことは何も痛まんとした姿勢は正直不気味に感じる。
「・・・もっと自分の体を大事にしろ。」
「右足の怪我の処置をほったらかしにしていた仁美ちゃんがそれを言うの?」
「私こそ大丈夫だ。あれぐらいの負傷ならすぐ直る。」
「強がるのはいいけど、目の前の光景を見ても同じセリフが言えるのかな?」
友奈の視線の先には包帯でぐるぐる巻きにされた私の右足が見事に空中で固定されていた。
「誰がどう見ても大怪我でしょ。それ。」
・・・流石にこれは言い逃れ出来そうにない。
この感じだとおそらく治療とリハビリに夏休みを全て費やすことになるだろう。
まさかここまでの重傷だったとは。
負傷した時はこんなに酷い怪我だとは全然感じなかったのだが。
「怪我を早く治すためにもしっかり食べないと。はいこれ!仁美ちゃんの分だよ。」
そう言いながら友奈はおぼんの上にある白い容器をベットテーブルに置いた。
容器からは、ふわふわと綿のように広がる白い湯気とめんつゆの香ばしい香りが漂っていた。
「うどんか。食べるのは久しぶりだな。」
うどんは私の故郷である香川県のソウルフードだ。
町を見渡せばそこら中にうどん屋があるし、スーパーやコンビニに行けば冷凍うどんやカップうどんも山のように並んでいる。
香川県民の生命線といっても過言ではない。
だが、それも数年前までの話だ。
ここ数年に渡って続いている冷夏や日照不足が原因でうどんの原料となる小麦の生産数が激減しているらしい。
その影響か地元のうどん屋は殆ど閉店に追い込まれ、店頭からはうどんの麺が姿を消した。
庶民の味方だったうどんは今ではすっかり高級品の仲間入りだ。
「そうだよ!うどんだよ!!う!ど!ん!本当に久しぶりだなぁ~!仁美ちゃんは最後に食べたのっていつ?」
「まぁ・・・去年のどこかかな?」
確か最後にうどんを食べたのは去年のお正月だったはすだ。
お雑煮とうどんが合体したお雑煮うどんとして昼食に出され、お餅とうどんという圧倒的炭水化物の暴力を前に四苦八苦したことを覚えている。
少食の私にとってはまるで一つの試練のような食事だった。
「いいなぁ。私なんか最後に食べたのがいつだったかもう覚えてないよ。」
「そうか。なら、一本一本大事にゆっくりと食べろ。」
「そうだね!いただきます!」
そう言うと友奈は勢いよくうどんを啜り始めた。
元々量が少ないうどんの麺が彼女の器からあれよあれよと消えていく。
久しぶりのうどんの味を前に数秒前に話した内容は遥か彼方へと飛んでいってしまったらしい。
まだ体も本調子ではない筈なのだから、下手にがっつくと後々苦しむぞ。
あまりの食べっぷりに思わず苦言を呈しようかと思ったが時既に遅かった。
「私のうどん、もう無くなっちゃった・・・」
友奈の器からは麺の存在がきれいさっぱり消え去っていた。
これが早食い競争だったならば、かなりの高タイムだっただろう。
突然舞い降りてきたうどんで目が覚めた友奈の胃袋はもっと寄越さんと言わんばかりの呻き声を上げ始めた。
「はぁあ・・・どこかにうどん売ってないかなぁ・・・」
「即席うどんならこの前、隣町のスーパーに売っていたな。」
確か午後の鍛練後に飲料水を買いに寄った際に数個だけ並んでいた筈だ。
まるで仏壇にお供え物として置いてある和菓子のように崇めたてられており、あまりの神々しさから商品として並んであることに気付くのに数分必要とした。
「え!?本当に!?それなら明日買いに行ってくるよ!」
「一個五千円だったぞ。」
「おぉぉうふ・・・・」
そもそもお前は怪我人だろうが。
今の顔面ミイラ女の状態で買い物なんか行ったら、不審者だと誤解されてそのまま交番行きだ。
頼むからベットで静かに寝ていてくれ。
「そんなにうどんが食べたいなら私の分を食べろ。」
仁美はうどんの容器を友奈の方へゆっくりと移した。
「それは出来ないよ!だってそれは仁美ちゃんの分でしょ?」
「別にこれを貸しにするつもりはない。今はお腹も空いていないし、冷めるのが勿体無いからせめてお前に食べて欲しいだけだ。」
「・・・」
「なんだ?食べないのか。冷める前に食べてくれ。」
「分かったよ、仁美ちゃん!。仁美ちゃんの本当の気持ちが!今!」
まずい。
友奈の変なスイッチが入った。
何か猛烈に嫌な予感がする。
五感から伝達されてきた情報の全てから警告メッセージが出ている。
「私に食べさせてほしいんだよね!!」
何でそうなる。
いや、本当に何でそうなるんだ?
ロジックが飛躍しすぎて大気圏外にまで行ってしまっているぞ。
「一つ、いやたくさん突っ込んでいいか?
・・・まずなんでそう思った。」
「フッフッフ・・・簡単だよ。そうやってツンツンしているのはあくまでも表向きで、本当は食べさせてもらいたい気持ちを押さえるのに必死なんでしょ!そういうテンプレ展開は山程勉強しているからこの推理には自信があるよ!」
「どこでそれを学んだ?」
「図書室の青春ラブコメコーナー!」
あぁ成る程、そういう訳か。
一学期の図書委員が誰だったかは覚えていないが、誰であろうと許さん。
絶対に許さん。
知らない人の存在をここまで憎たらしく感じたのは今日が初めてだ。
気が付くと友奈の手に握られている箸がうどんの麺を今にも私の口へ運ぼうとしていた。
「どう頼んだら、この動作を止めてくれるのか教えてくれないか。」
「そんなに緊張することでもないよ~。仁美ちゃんは怪我人なんだから無理しなくてもいいんだよ。ほら、リラックス!リラックス!」
もう駄目だ。
このベットの上だと彼女の魔の手からは逃げられない。
まな板の上で包丁が振り下ろされるのを待つ魚の気持ちが今分かった気がする。
いつもだったら猛ダッシュで私を現場から避難させてくれる自慢の足も、今はただの案山子である。
目の前に迫ってくるうどんを前に辞世の句が頭に浮かび上がったその時、病室のインターホンが鳴る音が聞こえてきた。
「誰か来たみたい。ちょっと待ってて!今行きまーす!」
うどんの麺は私の口の目前で進軍を止めた。
危機一髪といったところか。
私もまだ運に見放されてはいなかったそうだ。
「眞子ちゃん!さっちゃんも!お見舞いに来てくれてありがとう!仁美ちゃんも奥にいるよ!こっちこっち!」
「やぁ倉留さん。怪我の具合はどうだい?」
「こんばんは、友奈さん。中に上がらせてもらいますね。」
・・・前言撤回。
どうやら私は既に嵐の中に取り残されていたようだ。
一難去ってまた一難。
この病室に安息の時間が訪れることは無いのだろうか。
仁美はそんなことをとりとめもなく考えているとベットの横から聞き慣れた声に話し掛けられた。
「その様子だとまた随分と無茶をしたもんだね、乃木さんは。戦闘時の負傷は気を付けろとあれ程教官に言われていただろうに。」
この少しきざっぽいやつの名前は御堂島幸。
私や友奈と同じ勇者候補生の一人だ。
彼女のことを一言で言い表すなら、最適化と合理化の擬人化だ。
進んでリーダー役を引き受けたり、的確な指示を出すところなどは素直に尊敬出来るのだが、かなり飄々とした性格の人物でもあり友奈とは別の方向性でめんどくさい。
「余計なお世話だ。」
「冷たいなぁ・・・仮にも私たちは同期の仲間じゃないか。こう見えて私も乃木さんのことはとても心配していたんだよ?暇潰しと思って私たちとのおしゃべりに付き合ってくれよ。」
「お見舞いとしての用事が済んだら帰ってくれ。私は寝る。病室は静かであるべきだ。」
少しでも早く病室内を快適な空間にするために孤高奮闘していると、さっきとは別の声が仁美に語り掛けてきた。
「仁美さん、おしゃべりを通して笑い合うことも大切な治療の一部です。少しの間だけでも皆さんとお話しませんか?」
優しげに話す声の主の名前は聖眞子。
絵に描いたような優等生キャラであり、いま病室内にいるメンバーの中で最も常識がある人物だ。
友奈ほどではないが彼女も困っている人を放っておけない性分らしく、かなりの世話焼き屋でもある。
戦いとは全く縁が無さそうに見えるが、彼女もまた勇者候補生の一人である。
「・・・分かった。でも一応ここは病院だということを頭の中に入れておいてくれ。」
「勿論です。それと痛みが出てきたら無理をしないで私に教えてて下さいね。念のため、今の怪我の状態を確認させてもらってもよろしいでしょうか?」
「傷口に触らなければ別にいいが。」
眞子は仁美の怪我の状態を一通り確認すると少し顔をしかめながら話し始めた。
「友奈さんの怪我も酷かったですが、仁美さんは本当に自分の体のことを何だと思っているのですか?訓練の時よりもボロボロじゃないですか。」
「少し無茶をしただけだ。あまり気にしないでいい。」
「今の貴女の状態は無茶の範疇を完全に越えています。怪我はしないことに越したことは無いのですよ。もっと自分の体を大切にしてください。」
「・・・出来るだけの努力はする。」
同い年とは思えない彼女の口振りを前に仁美は素直に返事をすることしか出来なかった。
「ところで皆さん、お見舞い用の果物とは別にケーキも買っていたのですが、今から皆さんで食べませんか?」
どこから取り出したのか、眞子の片手にはほんのりと甘い匂いがする白い箱が提げられていた。
あの箱は小麦不作の影響で同業者が店を畳む中、店主の意地と努力でなんとか続けられているケーキ屋のものだったはずだ。
店側の熱心な営業努力の甲斐があったのか、知名度が少しずつ口コミで広がっていき、今ではかなりの行列店となっている。
そんなお店のケーキを全員分しっかりと用意してくる眞子の手際の良さは、まさに神業そのものだと言える。
「わぁい!ケーキだ!ケーキ!ありがとう眞子ちゃん!」
「どういたしまして、友奈さん。ケーキと一緒にお茶の用意もしますので少しの間待っていてくださいね。」
そう言いながら奥の方へ姿を消した眞子の姿を眺めていると幸が気になる話題について耳打ちしてきた。
「さっきニュースでも言っていたが今日も起きたらしいぞ、『漂白化』。」
「今週だけで遂に五回目か。」
「一体なんなんだろうねぇ、あれは。ほい、夕方のニュースだ。見てみ。」
幸から手渡されたスマートフォンの画面は、まるで白いペンキが入った容器を空からひっくり返したような白さに染まった海岸を映していた。
漂白化。
大体一年くらい前から海に面した場所を中心に目撃されている謎の現象。
当初は誰かの手の込んだイタズラとして軽く流されていたのだが、この現象が四国全体で目撃されるようになると警察などによる本格的な調査が開始され、ワイドショーの主役にまで登り詰めた。
「来週からは大赦も本格的に調査に加わるらしいけど、どうだか・・・。」
大赦か。
そう言えば何故今回の件は大赦がすぐに動かなかったのだろう。
こういうことが起きたら真っ先に手を回しそうなものなのだが。
今の大赦が一枚岩でないのは乃木家で暮らしている私からしたら既に分かりきっていることなのだが、どうにも何かが引っ掛かる。
まるで焼き鳥の欠片が歯と歯の隙間に放置されているような感覚だ。
何なんだ一体・・・?
一人で考えを巡らせている仁美のベットに幸は突然ばふんと顔を埋めた。
「あーあ・・・。こんなことが起きなければ今年も海で遊ぶことが出来たのになぁ。」
「どのみち試験の影響で今年は無理だったと思うが。」
夏休みを楽しむことにさえも合理性を求めるのが彼女だ。
夏らしいことをしないまま夏休みを終えることは幸にとって相当屈辱的なことなのだろう。
「試験を効率的にすれば一週間位は空くでしょ。そもそも今回の試験はもっと合理的にするべき箇所が多すぎるんだよ!」
まぁ今回の試験は理不尽なことだらけだったことに関しては同じ意見だ。
おかげで夏休みの宿題も全然片付いていない。
今から大赦に相談すればなんとかしてくれるだろうか。
「幸は夏休みの宿題はもう終わったのか?」
「夏休みの宿題?そりゃまぁね。とっくの昔に終わってる。」
流石幸といったところか。
この手のものを仕上げるのは容易だったようだ。
「具体的にはいつ頃?」
「終業式の日の夜には終わってたね。自由研究に関しては六月ぐらいから慌てて始めたから間に合うか心配だったよ~。」
駄目だ。
コイツはイレギュラー過ぎて全然比較対象にならん。
後で眞子らへんにもう一度聞いてみるとしよう。
「夏休みの宿題・・・はぐぅ。思い出したくないよぉ・・・。」
死にかけのセミのような声で友奈がのろのろと呻く。
この様子だと私の分だけでも早く終わらせた方がよさそうだ。
このままだと確実に友奈は私に泣きついてくる。
共倒れだけは絶対に避けたい。
そう思いながら友奈の宿題援助要請をお得意の論破術で華麗に拒否する幸の様子を眺めていると手前のベットテーブルにケーキとお茶が姿を現した。
「今年の夏休みの宿題は大変ですよね・・・。取り敢えず、甘いもので頭をスッキリさせましょうか。」
「すまない。動けない身からすると本当に助かる。」
「いえいえ・・・。仁美さんは怪我人なのですから、ご遠慮なさらずに私を頼って下さい。ところでそのうどん、どうします?一旦別のテーブルに移しますか?」
ケーキの横には先程、友奈が私へ食べさせようとしたうどんの姿があった。
うどんは後にするか。
みんながケーキを食べる中で一人だけうどんを啜るのも気が引ける。
「後で食べるから隣に置いたままで。」
「分かりました。汁を溢さないように気を付けて下さいね。」
うどんもだったがケーキも久しぶりだ。
改めて小麦の偉大さが身に染みて感じる。
綺麗に切り分けられたケーキの端をフォークですくい、口へ運ぶ。
ふわふわとした甘さが瞬く間に口の中で広がっていく。
果物の酸味がいい感じにアクセントとなっており、甘いものが少し苦手な自分でも食べやすい。
ベットの側に置いてあるテーブルでは他の三人も久しぶりの甘味に舌鼓を打っていた。
「おいしい~!すっごくおいしい!全体的においしいよ、これ!」
「私はこのスポンジケーキの部分が気に入ったよ。口の中でふわっと溶けていく食感がクセになりそう!」
どうやら今回のケーキは相当皆の口に合う品であったようだ。
「いい食べっぷりでしたよ。仁美さん。」
気が付くとあっという間に皿の上からケーキは姿を消していた。
「その様子だと夏休み前までになんとか退院出来そうだね。」
「おいしいものを食べると元気になるでしょ!仁美ちゃん!」
これらの状況から推測するに私はかなりの勢いでケーキを頬張っていたことになる。
そんな覚えは全くないのだが。
「・・・そんなにがっついていたのか?私。」
「まるで戦闘訓練の時のような気迫だったね。仁美さんは結構見た目で出るから分かりやすいよ。」
「体は頭よりも正直なものですよ。疲労がたまっていた証拠ですね。」
時間遅れで襲ってきた恥ずかしさに顔が赤くなるのを必死に耐える。
せめてこれだけは表に出るのを避けなければ。
慌てて手元のお茶を喉に流し込む。
「そういえば、こうやって集まってのんびりと話すのもこのメンバーでは初めてだよね。」
幸がテーブル上の皿とフォークを片付けながら話し始めた。
「試験の期間中は一日の休みもないほどスパルタでしたからね・・・。こうして話しているだけでもあの悪夢の日々が頭に浮かんできます。」
「辛かったエピソードだけで夏休みの日記が埋まりそうだよ・・・。休みなのに何で休めていないんだ私たちは。」
今回の勇者選抜試験は夏休みの大半を費やす形で実施された。
試験は大赦の施設内で基礎体力、勇者としての教養、そして勇者としての戦闘力の三つを中心に測定される。
試験の間隔は週一であり、試験までの期間は施設内で試験を想定した各訓練が用意されている。
寝食は大赦が貸し切っている旅館を利用することが出来たが、食事や風呂が豪勢であったかと言えばそうでもなく、ごく普通の食事と風呂しか用意されなかった。
寝床は四人で一部屋で私の場合は友奈、幸、眞子の四人構成であり、今の三人との関係も全てここから始まったものであった。
「今振り返ってみると三週間は長いようであっという間の時間でしたね。」
「だねー!施設の中だったからかもしれないけど、本当にあっという間だったよ。」
確かに友奈の言う通り、初日のことがまるで昨日の出来事のように思えてくるほど三週間の訓練と試験は時の流れを非常に短く感じるものであった。
別の視点で見ればそれほど過酷な環境であったとも考えることが出来るだろう。
「折角ですしここは一つ、これまでの三週間の日々を振り返ってみませんか?」
また幸と友奈の二人が飛び付きそうなことを・・・。
「いいね。腹ごしらえも済んだことだし、賛成!」
「わーい!女子会だ!女子会!」
やっぱりこうなるか。
まぁ怪我のせいで朝のトレーニングが困難な今の状態ならば、少しだけ参加しても生活リズムが崩れる心配はしなくてもよいだろう。
「・・・一応病室内だということは忘れないで。」
「「「了解!」」」
それから仁美たち四人は夜遅くまで訓練や試験の思い出話に花を咲かせた。
旅館の露天風呂に何故か入れなかった話。
戦闘訓練で慣れない武器の扱いに苦労した話。
冷房が故障したせいで暑くて眠れなかった夜の話。
楽しい時間はあっという間に過ぎていき、時計の針が次の日を示しかけた頃、仁美は他の三人の話し声が徐々に遠くなっているのを感じながら深い眠りへと落ちていった。
神世紀百七十二年。
大赦によってバーテックスや勇者の存在は秘匿され、人々は仮初の平和な日々を謳歌していた。
しかし彼らの何気ない日常の裏では勇者として戦い続ける少女たちの姿があった。
これは勇者が忘れ去られていた時代の中で勇者であろうとした者たちの物語である。