どれぐらいの時が経っただろうか。
辺りは闇に包まれており、空には満月が浮かんでいる。
微かに虫の声が聞こえ、北の方角から流れてくる冷たい風は、もうじき冬が始まろうとすることを告げている。
「ん…」
ひんやりとした風に反応するかのように少女の意識は覚醒する。まだはっきりとしない意識の中で、少女はその重たい瞼を必死に持ち上げてみる。
「え…?」
しかし、目の前の光景を認めた途端その目は見開かれた。目の前に広がるのは自分の慣れ親しんだ霧の立ち込める森ではない。
木は少なく、妙な形をした金属?があり、地面には砂が敷かれている。
その外側には岩?のようなもので舗装された道があり多くの家が立っている。明らかに自分の知っている場所ではなかった。
(とりあえず移動しないと何も始まらない…)
そう判断し、少女は疲労で重くなった体を起こして立ち上がった。
「?」
しかし、すぐに違和感を感じた。いつもよりかなり目線が低い気がする。それに服が邪魔になってどうも動き辛い。
(服が…邪魔?!)
そこで重大なことに気付いた。服のサイズが明らかに大きく、目線も低くなっている。このことから導き出される答えは一つ。
(身体が…縮んでる?!)
元の大きさよりかなり小さくなってしまっていた。年齢で表現するならば6~10歳程度。
明らかに意識を落とす前の姿とはかけ離れていた。なんとも頼りなくなってしまった自分の姿にアリスは大きなショックを受ける。
しかしアリスの思考は新たなものへと切り替わる。身体の幼児化のほかにもう一つ重大な問題。
自分の存在意義とも言え、最大の武器が今この場で使えるのか。
「…フレイム」
アリスが目を閉じてそう口にすると、シュボッという音と共に掌の上に小さな炎が現れた。
魔法使いである彼女になくてはならないものが魔法だ。
自分の持つ最大にして唯一の武器であるため、アリスはどうしてもそれが使えることを確認したかった。
魔法が使えることを確認し安堵すると、アリスは当初の目的を思い出して歩き始める。
いきなり未知の場所へ転移させられたため、彼女には絶望的に情報が足りない。
いつ元の場所へ帰れるか分からないため、ここに関する情報を集めなくてはならない。
アリスはアスファルトという名前すらも知らない物質を踏みしめながら新たな知識を求め進み始めた。
♦
北に向かって歩を進めていると、一般的な家の多い住宅街から巨大建造物の建ち並ぶ繁華街へと切り替わっていった。
次第に人の数は多くなり、少しでも気を抜けば方向感覚を失って迷ってしまいそうだ。アリスは全く縁のない環境に緊張感を覚えながら喧騒の波に足を踏み入れた。
この場所は幻想郷とは異なり夜でも多くの人で賑わっていた。幻想郷の人々は大半が夜は出歩かず眠りにつくが、この街の人間はまるで寝ることなど知らないと言わんばかりに活気を見せている。
未知の場所へ来てしまった上、喧騒の中が余り得意ではないアリスは、強い疲労感に襲われた。
人の居ない場所を求め、道の脇にある細い路地裏へと逃げるように入り込んだ。
路地裏に入って少し進んだところでアリスは壁に背中を預けた。そこで溜め息を一つ吐くと得た情報を纏めてこれからのことについて考える。
分かっていたことだが、ここは幻想郷ではない。街の名前が幻想郷には存在しないものだし、科学があきかに幻想郷より進んでいる。
次に考えるのは一体何処で寝泊りするのかということ。野宿するにも適切な場所を選ばなければ面倒なことになってしまう。
懸命に思考を巡らせるが答えは出てこない。こんな未知の場所に心当たりなどないのだから。
「ねぇ。嬢ちゃんこんなところで何やってんの?」
「?!」
意識が完全に思考に向いてしまっていた所為で気付くことができず、咄嗟に飛び退く。
「そんな反応しなくてもいいだろ?どうだい?迷子ならおじさんが家に泊めてあげよう」
泊めてくれるのなら願ってもない話だが、アリスはどうもこの男を信用できずにいた。何か裏がありそうな予感がしたからだ。
「結構です。迷子じゃありませんので」
予感を信じて断った。しかし…
「まあまあ…そんな事言わずに…」
男は腕を伸ばしてきた。ここで予感が確信に変わったアリスは身を翻して走り出す。
「ッ?!待ちやがれ!」
男は走って追いかけてきた。子供の足では簡単に追いつかれてしまう。そう感じたアリスはある手段に出た。
「…ウィンド」
そう唱えるとアリスの背後に追い風が吹き始めた。風に押されてアリスのスピードは上がる。
しかしそれでもやっと男と同程度。幼児化の影響で魔力量も減ってしまっているようだ。
やがて路地裏を抜け近郊の住宅街に出る。周りに人は居ない。
本当は人の多い繁華街へ出るべきだった。しかし焦りと疲労のたまっていたアリスは逆方向へ進んでしまっていた。
子供になってしまった所為でそろそろ体力も限界を迎えていた。魔法も維持できなくなり、アリスは小石に躓いて転倒する。
そこで男が追いついて来た。男は走るのを止めゆっくりとこちらに近づいてくる。
「ったく、手間取らせやがって…」
男は若干の苛立ちを見せている。どんな目に合わされるか分からない。捕まってしまう事への諦めと恐怖でいっぱいになったアリスは目を瞑る。
「いい年した大人が、小さな女の子いじめて何が楽しいんですか?」
そんな声が聞こえ目を開けると一人の少年が自分の前に立っていた。
「んな事如何だっていいだろ。俺はそこの女に用があんだ。ガキはすっこんでろ」
「そんなわけにはいきません。これを見過ごせば、あんたみたいな悪趣味変態野郎と同類になる」
少年がそう言うと男の雰囲気が変わった。目を見開いてありったけの殺気を放っている。
「ガキ…言わせておけばごちゃごちゃと訳の分からねえ事を…気が変わった。まずはお前からだ」
そう言って男は殴りかかってきた。少年の顔面に向かって拳が襲い掛かる。
しかし少年は最小限の動きで躱す。すると流れるように反対の腕が腹部めがけて飛んでくる。
これは当たるかと思いきや、まるで分かっていたかのように少年は身を翻す。
相手は想定外だったのか若干動きが遅くなる。そのわずかな隙を少年は見逃さない。
男の腹部を拳で突き、勢いのまま耐性を崩した相手の即頭部に回し蹴りを喰らわせる。
相手は脳を揺らされ、そのまま倒れこむ。
相手が動けないことを確認した少年はアリスの方へ振り向く。
「さあ。もう遅い時間です。君はもうお家へ帰りなさい」
それだけ言って少年は去っていこうとする。
「待って!」
アリスは少年を引き止める。
「私、本当に家がないんです。だから…」
アリスは真剣な顔で少年の目を見る。
「私を家においてくれませんか?」
♦
突然のアリスの要求に少年は動揺する。
「いや、俺未成年だし!それよりも警察に言って保護してもらったほうが…」
「私にまたこの夜道を歩かせる気ですか?」
しつこく頼み込んでくるアリスに対し少年は必死に代案を模索する。なぜなら犯罪者になってしまう可能性があるから。
「じゃあ俺が送ってってあげるので…」
「私もう疲れました。早く寝たいです」
「じゃあ俺がおんぶして…」
少年がそう言うとアリスは立ち上がった。
「私…怖いんです」
「え?」
「いきなり知らない場所に送り込まれて、近づいてきた大人には追い掛け回されて。もう何を信じたらいいのか分からない」
この言葉に偽りはない。そう少年は感じ取った。
「今更他の大人を頼れって言われたって無理。怖くて近づきたくない。だから…」
アリスは一泊置いて少年の目を見て告げた。
「あなただけが頼りなの」
少年は追い詰められた気がした。ここまで言われてしまったら逆に突き返すのもどうかと思う。それに、この少女はただの子供ではない。そんな気配が感じ取れた。
「わかりました。そこまで言うのであれば協力しましょう」
「ありがとう。私はアリス・マーガトロイド」
「俺は藍場 凛玖です」
互いに名乗り合った二人は凛玖の自宅へ向かうべく歩き始めた。