【完結】「不死身(物理)なら尾形を愛せるのでは」という仮説とその検証について   作:捕まえようとした蝶

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過去
1話 鴨鍋とあんこう鍋


 ──読者から人気を得ながらも悲劇的な結末を迎えたアニメや漫画のキャラクター、と聞いて、誰を思い浮かべるだろうか。

 

 それらが『物語』という枠組みから逃れられない以上、彼らの『死』は物語から要求された役割となり、組み込まれた歯車のひとつとなる。経緯は色々あるだろう。初めから決まっていたことかもしれないし、あるいは大人の事情というやつなのかもしれない。

 けれど、いかにせよ彼らを愛した読者はこう思うはずだ──死んでほしくはなかった、と。

 そして、次にこう思う。

 どうしたらこの死は避けられたのだろう。彼らはどうすべきだったのだろう。

 例え、彼らの死が物語上必要不可欠なものだったとしても、そう思わずにはいられない。解決策を模索せずにはおれない。

 その気持ち自体はわかる。

 わかる、のだが──

 

 

「…………」

 

 季節は晩秋。ほとんど雪の降らない茨城の冬季は、ひたすらに木枯らしが冷たい。

 読むともなしに広げていた分厚い書物から顔を上げて、火鉢に寄り添う人影を見やる。

 ──形の良い坊主頭、ピラミッドの壁画を思わせる特徴な目元、どろりと濁って底の見えない虹彩。

 猫のように丸まって暖を取る着物姿の子ども。名前を尾形百之助、という。

 

「……うむ……」

 

 尾形百之助。

 ゴールデンカムイと名づけられた青年漫画において、あらゆる陣営をさんざ引っ掻き回し、挙げ句毒で錯乱して自殺、という中々な最期を迎えたキャラクターである。

 公式の投票において主人公と僅差で2位に食い込んでいるあたり、相当な人気の持ち主なのだろう。俺にはそこら辺の魅力はよくわからないが。

 いや、話を戻そう。

 今、俺の目の前にいる尾形は母であるトメも存命、彼の言葉を借りれば未だ清い体のまま。しかしまあ、それも時間の問題なのだろうけれど。で、どうして『こんなこと』になっているのかと言えば。はっきり言って、俺にもよくわからない。

 気づいたら明治時代で、気づいたら孤児として尾形家に拾われていて、気づいたらまだ子どもの尾形百之助が同じ屋根の下にいて、気づいたら女だった。

 そう。女だった。今はまだ女児か。確か尾形より2歳くらい年上だったはず。

 おかしいな、俺は現代日本で成人男性として社畜をやっていたはずなのだけど。

 なぜ明治時代、茨城の農村で尾形百之助と暮らしているのだろう。しかも俺、原作に存在しないポジションですよね。

 中身が成人男性だったせいか、俺には赤ん坊の尾形を連れたトメがこの家にやってきた記憶(当時2、3歳だったはずだけど)が朧げながらある。つまり俺と尾形の血縁関係はほぼ確実にない。そして俺は、既に育ての親たる尾形の祖父母から「お前は門の前に捨てられていた赤ん坊だ」と告げられている。まあ、おばあちゃまが産んだ子と考えるよりはだいぶ現実的である。

 幸い、彼らにはなぜか実孫である彼よりも可愛がられているような気がするけれど、このままでは尾形のキル数+1として回想でちらっと出てくるだけのほぼモブになってしまう。

 彼の選択ミスには巻き込まれたくない。

 なぜなら、俺は既に全てを知ってしまっているから。その上でただ無意味に殺されて終わるなんて、何を踏まえても御免被る。推しに殺されるなら……という奇特なオタクはいるかもしれないが、俺は普通に嫌だ。

 それと同時に思うのは。

 

 ──尾形百之助は、何をどうしたらあの結末を回避できたのだろう?

 

 母を殺し、弟を殺し、父を殺し。

 もはや尊属殺人フルコンプ説のある彼の道程は、始まる前から全てが終わっていた。

 そこにネームドキャラクターが関わってくる余地はほぼ無かった、と俺は見ている。あの鶴見中尉ですら彼を思う通りにコントロールすることは不可能だった。

 でも、尾形百之助は人を殺すことに罪悪感を覚えられる人間だったのだ。

 欠けた人間ではないのに、それに相応しい道をわざわざ歩んできただけだ、という自覚があった。宇佐美のようなナチュラルボーンキラーとはまた別の人種だった訳だ。

 それを、花沢勇作の“愛”と、彼と重なるアシㇼパの“光”によって気づいた。気づかされてしまった。今際の際に。

 駄目だ、それでは全てが間違っていたことになる。

 悲痛な叫びだ。でも、確かに何もかもが間違っていて、そして手遅れだった。

 最初の設問に立ち返ろう。

 

 ──尾形百之助は、どの時点で、何をどうすればあの悲劇的な死を回避できるのか?

 

「……百之助」

 

 机に頬杖をついたまま、全てが始まる前の尾形百之助に呼びかけてみる。

 

「…………」

 

 はい、当然のようにガン無視。

 頭のネジが既に取れかけているトメはともかく、こいつもなぜか当然のように俺をいない子扱いしてくる。何だこのクソガキ。

 まあ、そもそもはトメが俺を我が子どころか同居人としてさえ存在を認識していないらしいせいなのか?

 彼女から無視される俺は、彼女が世界の全てである尾形の中でもいないものということになっている?

 

 さて、導き出される解の話をしよう。

 トメが正気で、尾形を我が子として愛すことができればそれが最適解だった。

 けれど、それは不可能だ。

 少なくとも今の俺に何とかできるようなことじゃない。

 花沢勇作の愛に応えられたとしたら、少なくともベターな選択ではあった。

 でも、それも不可能。俺が手を出す余地がないから。女である俺は尾形にくっついて第七師団に入ることはできない。

 

 ならば、第三の選択だ。

 “俺”が、尾形を愛せばいい。

 我ながら傲慢な言い草だとは思うが、今の俺に出来ることはそれくらいしかない。

 尾形を愛し、トメの死を回避し、ついでに高確率で訪れる自身の死も回避する。無茶苦茶なアイデアだが、挑戦する意義はある。

 というか、そうしなければおそらく明日がない。このままだと多分俺はこいつに殺されて、原作開始前に死ぬので。

 それに、清い尾形が愛を知ることは、件の結末の回避にも何らかの益をもたらすはずだ。そうなった彼の行く末が気にならない、と言えば嘘になる。俺は自身が祝福されていると知った尾形の選択が見てみたい。

 はい。仮説おしまい。

 で、だ。

 

「……いや、それはそうなんだが?」

 

 残念ながら現状、全てが机上の空論である。

 いないもの扱いされているようでは好感度とかそういうステージでさえない。何とかして、ヤツの意識をこちらに向けさせることから始めないと。

 それにはきっかけが必要だ。

 

「……鴨……」

 

 口の中だけで呟いてみる。

 彼が獲ってきた鳥──おそらく尾形が好きな人間の大半が一度は考えることだろう。あの鴨から全てが狂い始めたのだ。ついぞ鍋になることはなかった母への贈り物。

 彼に取り入るとしたら、おそらくそこが唯一の鍵になる。

 

 ──まあ……今の尾形は、銃の扱いすら覚えていない段階だけれど。

 

 今は忍耐の時だ。

 余計なことはせず、“機”が熟すのを待とう。現状、俺にできるのはそのくらいだ。

 

「タマ」

 

 背後から祖母に呼びかけられて、我に返る。

 尾形タマ。言うまでもなく今世での我が名である。いやタマて。猫かよ。

 振り返った先、柔らかく微笑む祖母と目が合った。尾形には向けられない笑顔だ。

 

「おいはんにすっぺ」

 

 夕飯にしよう、とな。こちとら生まれも育ちも埼玉県民ですが、こてこての茨城弁にもさすがに慣れてきましたね。

 

 

 

 

 

 

 タァン、と。

 どこかで鋭い破裂音──否、銃声が聞こえた気がした。

 

「…………」

 

 火鉢の傍らに横たえていた体を起こす。

 ここ最近、やたらこの音を耳にする。ようやく尾形が銃の練習を始めたのだ。

 身内の小銃を勝手に持ち出して鳥撃ちを始めるキッズ、色々事情を踏まえてもかなりの特異点だと思うが、それを気にする人間は尾形の周囲にはいなかったようだ。まあ、祖父はその才能を見込んでか、彼に銃を教えたようだけど。

 いや、まず祖父から尾形に働きかけたのか? その辺りの前後は一緒に暮らしていてもよくわからない。何せ俺はヤツに全く懐かれていないもので。

 

「……機が熟した」

 

 それと同時に、Xdayが近づいてきている事実に漠然とした不安感を覚える。

 このままただ放っておけば、尾形はあんこう鍋に殺鼠剤を仕込んで巣立ちの儀式を成し遂げてしまう。この初めての殺人が防げるか防げないかで、おそらく俺と尾形の今後は大きく変わってくるのだ。

 

「…………」

 

 この妨害工作もとい『祝福作戦』を尾形に気取られてはマズい。そんな感覚が何となくあった。

 常に冷静沈着に見えて、カッとなると何をしでかすかわからん激情ハードコア男子だからな。

 天井のシミを眺めながらぼんやり考えていたら、今度は引き戸が開く音が聞こえてきた。鳥を仕留めた尾形が帰ってきたらしい。

 足音が素通りする。この部屋に入ってくる気はないようだ。ならば、向かうのは。

 

「……よし、」

 

 立ち上がって、微かに開けた襖から外の様子を窺う。──ナイスタイミング。廊下の奥に尾形の背中が見えた。片手に銃、片手に鳥の死骸を持った物騒な立ち姿。

 忍び足でそれを追いかける。尾形は脇目も振らず板張りの床を進んでいく。目的地には、既に見当がついていた。

 

「…………」

 

 案の定、台所で足を止める小さな狩人。黄昏時の近いこの時間、我が家の炊事場は既にトメが占拠している。

 素足の張りつく足音にも、トメは一切の反応を見せなかった。普段の乱れた小紋姿ではなく、きっちり髪を上げ、襷を掛けた姿であるのが逆に恐怖を煽ってくる。もはや彼女にはこのあんこう鍋しか残っていないのだ。

 

「おっ母」

 

 蚊の鳴くような声で、めげない尾形が母を呼ぶ。

 声変わりの済んでいない、か細く高い少年のそれだ。これがあと10年もすると喉から津田健次郎を出すようになるのだから、人体の神秘を感じる。

 

「見て」

 

 そこまではっきり呼びかけて、ようやく彼女が手を止めたのが見えた。

 

「あら、百之助……」

 

 色が白く、彫りの深い端正な顔が尾形に微笑みかける。陸軍のエリート候補が手を出すだけあって、トメは美しい女だった。

 作者には個性的な美形認識されているらしい尾形は、顔面の出来については両親からの取捨選択が上手くいっている感じがする。何たって幸次郎のカオはうん……まあ……いや逆にトメはアレのどこが良かったのだ?

 母がこちらを見たことで、尾形は一瞬表情を緩めたが。

 

「おっ母、」「もうすぐ出来るからね。あっちで良い子に待っていらっしゃい」

 

 その笑みの前駆体は、トメの優しい呼びかけによって一瞬で消え去った。

 普通、幼い我が子が小銃と死んだ鳥を持って突っ立っていたら、色々聞きたいこともあるだろう。──普通は、だ。

 

「おっ母。はじめて当たった」

「ええ、ええ……あの方も、お父っつぁまもすぐにいらっしゃるから……」

「おっ母、」 

 

 明らかに会話が成り立っていない。

 前に向き直り、危なっかしい手つきであんこうを捌き続けるトメ、その背後でひたすら彼女を呼びながら鴨を掲げ続ける尾形。

 

「…………」

 

 出来の悪いホラー映画でも見せられているような気分だった。

 

「おっ母、…………」

 

 埒の明かない不気味な問答に、先に音を上げたのは尾形のほうだった。

 鴨の首を引っ掴む右腕が、おもむろに垂れ下がり。無言で彼女に背を向ける。土間を出て行く。

 何の感情も窺えない無表情。でも、傷ついていた。

 

 ──なんて声をかけるのが正解なんだろうな。

 

 再び外に出ていくその背中をこっそり追いつつ。すぐには正解が思い浮かばなかった。

 尾形の悲しさは、俺には共感できない類のものだ。愛のない両親から生まれた子ども。俺の前世は客観的に見て、そのカテゴリーには当てはまらない。

 俺が尾形に感じる悲しみは、ごく客観的な感情だ。寄り添えている訳ではない。大丈夫だろうか。今さら漠然とした不安を覚えつつ、彼を追いかけて家の外まで出てきてしまったことに気づいて、我に返る。

 尾形百之助は、今まさに肥溜めへ用済みの鴨を放り込もうとしているところだった。やっべ。

 

「わ、わあ〜、死んだ鴨初めて見たなあ〜!」 

 

 慌てて物陰から飛び出し、何気なくを装って声を上げる。いや、これ装えてるか?

 

「……!」

 

 思ったよりデカい声が出てしまったためか、びくっと尾形の肩が震えた。

 

「…………」

「…………」

 

 当然というべきか──その場で静止し、無言で俺を観察してくる。彼が完全に“見”に回ってしまったため、こちらもGO!皆川のポーズで固まらざるを得ない。

 マズい、初手からミスったかな。

 

「……それ、捨てるのか?」

 

 その沈黙を破ったのは、当然というべきか俺だった。尾形は未だに人間と出会した野良猫のごとく微動だにしていない。反応はないが、とりあえず勝手に話を進めてみる。

 

「捨てるならくれよ」

 

 彼に向かって手を差し出す。そこで、尾形が初めて顔を動かした。俺の手と、握ったままの鴨を見比べる。

 

「……何に使うの?」

「食べるんだが?」

 

 初めて会話が成立した──いやどういう意図の質問だよ。

 動物の死骸を生贄として怪しい儀式でも始めるやつとでも思われているのだろうか。

 

「せっかく立派な鴨なのに、もったいない」

 

 適当な美辞麗句を述べつつ、獲物の状態を観察してみる。

 地味な体色。メスのマガモだろうか。それとも、飛来してきたばかりのオスでまだ繁殖羽になっていないだけか。

 

「初めてのお前の獲物だろ」

 

 しかし、やはり尾形は生まれつき銃の才能に恵まれていたのだろうか。何としてでも母親の関心を引きたいというのっぴきならない事情があったとはいえ、上達が早すぎる。

 家で銃声をただ聞いていただけの素人でさえそう思うのだから、プロであるヴァシリがその腕に執着するのもさもありなん。

 

「お前には稀な狙撃の才能があるよ、百之助。なかなか出来ることじゃない」

 

 尾形がなかなか獲物を渡してくれないので、少し歩み寄って距離を詰めて、空っぽのままの手のひらでその頭を包んでみる。初めての接触にしては馴れ馴れしいかもと思ったが、尾形は嫌がらなかった。

 気が済むまで撫でて離れたところで、目を伏せた尾形少年がぽつりと呟いた。

 

「……おっ母は要らないって」

「そうか。でも俺は要る」

 

 トメがその鴨を受け取らなかったことと、俺がその鴨を欲しがることには別に何の相互関係も無いと思うのだが。どんなものも欲しがる人間はいるし、言うまでもないことだが要らないと拒否する人間もいるだろう。

 よくわからんな、と空を仰ぎかかったところで。視界にフェードインしてくる羽毛の塊。

 

「…………」

 

 尾形が、無言で鴨をこちらに差し出していた。

 

「……ありがと──ぅ重」

 

 まだ10歳かそこらなキッズの片手にはちょっと堪える質量だった。鳥って動物の中では見かけのわりに軽いはずなんだけどね。

 で。無事、渡してもらえたのは良いのだが。

 

「さて……どうするか」

 

 前世も今世もぬくぬく温室暮らしのバルチョーナクに、鴨の捌き方などわかるはずもない。ネットのない時代、知識を得る方法は『周りの人間に聞く』しかない訳だが、何だかそういう気にもなれなかった。

 

「とりあえず血抜き……いや羽根むしればいいのか……?」

 

 他ならぬゴールデンカムイで見た。

 手頃な石に座って、むしむしと羽毛を……羽毛……いやこれ難しいぞおい?

 尾形はしばらく脇で突っ立って俺を眺めていたが、やがて隣に腰掛けてきた。光のない瞳がじっと不慣れな手つきを観察してくる。

 その視線が、鴨から俺の横顔に移ったのを何となく気配で感じた。瞳だけを動かして彼の様子を窺う。案の定、目が合った。

 

「……なに?」

 

 何となく、聞いてみる。尾形はそれには答えず、俺を見つめたままゆっくりと瞬き。

 それから、子どもらしくまろい頬にフ……と微かな笑みを浮かべて。

 

「下手」

「あ? このクソガキ……」

 

 台所から勝手に鍋と包丁を持ち出し。見よう見まねで初めて作った鴨鍋はひたすら血と臓物の味がしたが、尾形は全て平らげていた。

 

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