【完結】「不死身(物理)なら尾形を愛せるのでは」という仮説とその検証について   作:捕まえようとした蝶

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13話 きらめけ!辺見ちゃん

「…………ん、……」

 

 カモメの鳴き声で、目を覚ました。

 見知らぬ天井。……いや、そんな惚けたことを考えるまでもなく。

 一瞬で、全てを理解した。

 ──辺見和雄!

 

「──っ、やられた、!」

 

 飛び起きる、

 

「っ、い゛……」

 

 後頭部に衝撃。

 ──柱か何かに、盛大に頭をぶつけた。

 狭い。大量の布団に挟まれている。どうやら俺の体は、番屋の物置だか押し入れだかへ適当に詰め込まれていたらしい。

 無理矢理折り畳まれた手足が痛む。雑に扱いやがってと思うが、原作だと汲み取り式の便所に押し込まれていたのだっけ?

 いや、そんなことはどうでもいい。

 辺見和雄はアシㇼパと接触していた!

 

「クソ、」

 

 幸いにも肩に引っかかったままだった銃を引っ掴んで、外に飛び出す。

 失敗した、失敗した、失敗した!

 アシㇼパを1人にしてしまった、否、それどころか、辺見和雄と引き合わせてしまった。彼女はやつが辺見ということをまだ知らない。隙をつかれたらおしまいだろう。

 嫌な想像ばかり駆け巡る。

 何もかもが俺のせい。

 ああもう、最悪だ!

 

「アシㇼパ! アシㇼパっ! どこだ!」

 

 がなりながら駆け回る女にヤン衆から奇異の視線が集まるが、構っていられない。

 違う、落ち着け!

 こんな広い漁場、やみくもに探しても見つかるものか。思い出せ、辺見は最後に何と言っていた?

 

 ──お手洗いですか?

 ──では、親方の屋敷のを借りに行きましょうか。

 

 乾いた唇を、なぞる。

 

「……ニシン御殿、」

 

 恐らくだが。まだ、それほど時間は経っていないはずだ。

 死体の隠蔽が甘すぎる。辺見和雄は、あれからすぐにアシㇼパを連れて番屋を離れたのだろう。であれば、彼女の案内が終わった時点で再びここに戻り、改めて処理を済ませるつもりのはずだ。

 

「…………」

 

 ──番屋で待っていればまた現れる?

 アシㇼパに危険は及ばないはずでは。

 駄目だ、彼女を探さなくては。

 この状況はもはや何もかもが“原作通り”ではないのだ。何があってもおかしくはない。

 希望的観測は捨てろ。

 

「アシㇼパ、」

 

 頼むから、無事でいてくれ。

 向こうに見える豪奢な建物目指して、どれだけ走ったのか。

 途中に見えた浜辺に──見覚えのある姿がいた気がした。

 

「っ、」

 

 視認して。

 足が、止まる。

 俺とは逆の方向にふらふら走っていく、ヤン衆の格好をした男。間違いない、

 

「……辺見和雄」

 

 どくん、と心臓が跳ねた。

 何故ここに? いや、

 ──1人だ。

 アシㇼパはどうした?

 ニシン御殿で別れたか──あるいは。ふらつく辺見は全体的に血濡れているように見える。

 誰の血だ?

 背中のライフルに手が伸びた。

 ほとんど無意識だった。

 撃鉄を半分起こす。レバーを引き、再び押し込む。弾薬が薬室に送り込まれる。撃鉄を最後まで上げ切って──銃身を、構える。

 その頭に、照準を合わせて。

 

「…………」

 

 考えて。……結局、銃口を下げた。

 引き鉄を引く。膝を撃ち抜かれた辺見和雄が、視線の先で崩折れる。

 

「…………これでいい、」

 

 とりあえずは。

 思わず漏れた呟きは、誰のためのものだったのか。

 今は、アシㇼパの無事の確認が最優先だから。そう言い聞かせて思考を放棄し、さすがにすぐには立ち上がる様子のない辺見に駆け寄……いや念のためもう一発くらい撃っとくか。

 

「……え、……?」

 

 辺見の澱んだ瞳が、丘を下って近寄ってきた俺の姿を認める。苦痛にしかめられていた顔が緩んで、惚けた表情になった。

 脇腹から出血している。……なんかこいつ、既に満身創痍では? 俺が撃つまでもなく。

 泡立っていた思考が、ここに来てようやく凪いでくる。ああ、焦っていいことはない。

 

「……あ……どうして……?」

 

 持っているのは、例の玉切り包丁ではなく──銃剣? どこで手に入れた?

 辺見はまだぼうっとしている。

 首をへし折って確実に殺したはずの女が、自分を追いかけ、銃で撃ち抜いてきたのだから当然か。

 

「ゆめ……?」

「残念ながら夢じゃない」

 

 それ痛いだろ、と撃ち抜いた足を指差すと、揺れる瞳がさらなる疑問を訴えかけてきた。何故。……微笑みかけてやる。

 

「不死身なんだ」

 

 ふじみ。ぺたんと尻餅をついたままの辺見が、朦朧と繰り返して。そのだらしなく開いた口元から、唾液が一筋滴った。

 ……信じたのか? これだけで。

 まあ、信じざるを得ないか。それにしても飲み込みが早い。無差別連続殺人犯の思考なんぞわかりたくもないが。

 

「別に、お前が初めてじゃない。俺を殺そうとしたやつは他にもいたし……殺されたこともある」

「ほ、……他にも殺されたことが……?」

「3回くらいか。毒殺、射殺、刺殺?」

「〜〜〜〜〜ッ、」

 

 座った姿勢のまま、ぐんにゃと仰け反って悶える辺見。うーん、グロテスクな話のはずなのに、なんかセクハラされてる気分。

 

「ど……どれが一番……?」

「……まあ、そんなことはどうでもいい、」

 

 お喋りは終わりだ。話したいことはもう話した。……こいつには、どんな手を使ってでも今のうちに聞き出しておかねばならないことがある。

 

「アシㇼパに……俺の連れの、アイヌの子どもに何をした?」

 

 新しく弾薬を装填して。

 改めて、銃を構える。

 

「答えろ、辺見和雄」

 

 なぜかここでだんまり。おい。逆に、それ以外の理由でここまですると思うか?

 

「今ここでお前を動けなくして、海に放り込んでやったっていいんだぜ」

 

 絶対に嫌だとまで言い切ったその“つまらない死に方”をちらつかされて、それでようやく辺見の肩が跳ねた。本当に、こいつは。

 

「お、お手洗いを借りたいというので……親方の住む豪邸に……でも、そこですぐ別れました……」

「傷つけてないだろうな」

「こ、殺す訳ない……」

「信用ならねえんだよテメエは」

 

 こいつすぐしらばっくれるし。すぐ殺すし。とにかく、信憑性が薄いとはいえ、本人の口から情報は得られた。

 ……あとはこいつを片付けて、御殿までアシㇼパを探しに行けばいい。

 辺見は、恍惚とした表情で銃口を──その向こうの俺を見上げている。

 

「あなたみたいなひと、初めてだ……」

「そりゃそうだろうな」

 

 死ぬ度に生き返るタイプの物理的不死身がその辺に何人もいて堪るか。

 

「輝いて死にたい、」

「…………」

「でも、僕ではあなたの望む煌めきには足りなかった……だからあなたは……そういうことなんでしょう……?」

 

 尾形に負けず劣らず謎理論。

 しかもなんか気色悪い解釈されてないか?

 

「あなたほどの人が求める至高の煌めきをこの目で見てみたかった、きっと、とても美しかったんでしょうね……ああ、でも……」

「違う、」

 

 唾液と熱にまみれた不気味な語りを遮る。

 顎を上げる。傷ひとつない首筋を、海風が撫でていく。

 

「俺は死ぬために生きてる訳じゃない。生きているのは果たしたい目的があるからだ」

 

 尾形百之助が、欠けた人間にふさわしい道を選ばないように。

 その選択を、函館駅行きの列車で見届けるために。

 

「こんなところで……止まっていられないんだよ」

 

 そのためなら、この体が幾度無意味な死を迎えても構わない。俺は、“つまらない死に方”に怯えたりなどしない。

 

「それだ! その思いが強いほど、強く激しく煌めくんです! 素晴らしい……ッ」

「……!?」

 

 で、どういう訳だか瀕死の辺見のテンションを盛り上げてしまったらしく。

 明らかな満身創痍から一転、身軽に立ち上がって銃剣を構えてくる。いい加減にしろ。

 

「あなたの知っている“一番のやり方”でッ! 僕をとことん煌めかせてくださいっ!!」

 

 悲報、こいつマジで話通じない。

 

「うるせえなあ、一人でやってろ!!」

 

 大体、毒殺はここじゃ無理だろ!

 力いっぱい振り下ろされた剣先を、ぎりぎり銃床で防いだその瞬間、

 

「タマさんっ!?」

「っ、」

 

 背後から聞き慣れたクソデカボイス。

 ……ああ。もうクジラを仕留めて陸まで戻ってきたのか──

 

「──杉元佐一、」

 

 辺見の背中越しに駆け寄ってくるのが見える。いきなり見知らぬヤン衆とバトっている俺に最初は困惑の表情だったが、

 

「どうし、」

「杉元ッタマちゃんっ!! そいつが辺見和雄だぞッ!!」

 

 遅れてこちらに気づいたらしい、白石の魂の叫びを聞いた途端。

 

「──その人から離れろッ!!」

 

 シームレスにガチギレ。

 躊躇なく銃剣を抜き、悪鬼の表情でこちらに迫ってくる兵士の姿に辺見は当然大歓喜。

 

「あああ同時になんてっ激しすぎるッ!」

「やかましいっ」

 

 辺見が、興奮に任せて再び振り上げた右腕に──音もなく突き刺さる、見覚えのある矢尻。

 

「……!」

 

 とっさにその方角を振り仰ぐ。

 崖の上で、矢を射ったそのままの体勢でこちらを見下ろすアイヌの娘、

 

「アシㇼパ!」

 

 見たところ五体満足、どこも怪我などしていないようだ。ひとまず安堵する。

 今になって思う。辺見の負傷は、やはり御殿に控えていた第七師団の兵士とエンカウントした結果だったのか? この銃剣は彼らから奪ったもの。で、命からがら1人で逃げ出したところを、俺が見つけたと。

 ──ならば、こいつはいよいよ用済みだ。

 

「急げ杉元ッ、第七師団が追ってきてるぞ!」

 

 わかっている。

 こんなもの、杉元にやらせるまでもない。

 

「ゔっ」

 

 一瞬の隙。くるぶしに蹴りを入れて転ばせる。

 仰向けに倒れたその右手から、銃剣を蹴り飛ばして。腹に足を掛け、眉間に銃口を突きつける。

 

「……ロウソクの灯火、命の煌めき……どれも、お前がただそう思っていたいだけだ」

 

 死ぬことに意味などない。

 人間は生まれも、そして死に方さえも選べはしないのだ。死とは単なる結果でしかない。

 

「消えるところが見たいからロウソクをつけるのか? 馬鹿げていると思わないか? 命が煌めいているのはいつか来る死を輝かせるためではない」

 

 命に価値があるとするならば、それは今生きていることそのものであり、死ねば全てが終わるだけだ。

 ああ。辺見が深く息を吐く。

 

「……あなたみたいな“素敵な女性”に殺されるなんて……生きててよかった……」

「…………」

 

 聞いちゃいねえし。

 まあ、どうでもいいか。こいつが言う“素敵な女性”が俺の内面外見どちらに因るものでもないことも、どうでもいいことだ。

 

「……はあ、」

「あ……せめて……最期に名前、」

 

 名前。そういえば、名乗っていなかったっけ?

 

「……おが──」

 

 まあそれくらいはいいか……と引き鉄に指をかけつつ、口を開いたのが良くなかったのだろうか。

 ざっぱん。がぶー。

 ──おもむろに海から飛び出してきた、巨大な“何か”が、波打ち際で辺見の左腕に噛みついて。

 そのまま、波間に引きずり込んでいった。

 一瞬の出来事だった。

 

「……は、?」

「……え──ッ!?」

「なんだこりゃ!!」

 

 遠ざかっていく。

 白と黒、ゴムのような滑らかな体表、ぴんと立った背鰭。これは、

 

「レプンカムイだ!!」

 

 ……忘れてた!!

 そうだ、辺見は結局シャチに襲われるのだっけ!?

 アシㇼパのことで完全に頭から飛んでいた、クソ、波打ち際から引き離しておくべきだった? いや何もかも今さらだ、

 

「タマさん、走れるか!?」

 

 呼びかけに、顔を上げる。

 いつのまにかすぐそばまで来ていた杉元に、空いていた左手を取られて──

 

「あ、ああ、」「行こう!」「ヴェッ」

 

 ──明らかに、リードするとかそういうレベルじゃない力加減で引きずられる。

 ぬいぐるみじゃねんだぞ。別に女とかそういう点は考慮しなくていいからせめて生身の人間としての扱いをしてくれよな!

 

「アシㇼパさん、白石、船に乗れッ! 刺青がシャチに食われちまう!」

「あああ」

 

 なんかもはや杉元のダッシュがヤバすぎて両足浮いてない? 俺飛んでる!

 

「辺見和雄を取り返すぞッ!」

「どうやって!?」

 

 で、しゅっこー。

 元気いっぱい血気盛んなゴールデントリオとは対照的に、俺は既にグロッキー。

 取り返す? 取り返す方法、

 

「う……海に飛び込む、」

「やっぱそうなるよねえ!?」

「わたし……私が、……泳げないけど」

「泳げないんじゃん! 泳げないんじゃん!」

「色々と無茶だタマ!」

 

 死に戻った直後に激しい運動をしすぎたせいか、体調がだいぶ良くない。具体的に言うとさっそく船酔いが酷くてリバースしそう。いやこれ杉元のせいか?

 

「シャチが辺見をぶん投げてる!」

「何やってんだ?」

「……ヒグマのリコシノッと同じようなものかも、」

「吐きそう」

 

 もはやシャチによる辺見の蹂躙ショーを眺めている余裕もない。

 

「……げ、第七師団だ! アイヌの船を奪って追ってきたッ!」

「何にしてもシャチがすぐ喰わねえってんなら……この隙に取り戻すしかねえっ!」

「だからどうやって!?」

「う……海に飛び込む!」

 

 ──と、いう訳で。

 

「チクショウこのクソ冷たい海に飛び込むのかッ、止まるなよ俺の心臓ッ!」

 

 船縁に立って気合を入れる全裸の杉元。新しい二つ名みたいになってしまった。全身の傷跡が生で見るとだいぶエグい。

 

「アシㇼパさん見ないで、……タマさんはまずせめて隠す振りからして!?」

「酔いがヤバくて……動いたり視界隠すと吐きそうだから……」

 

 寒さで縮んでるけどナイスちんちん。前世で見慣れてるのでオッケーです。

 

「俺は不死身の杉元だッ」

 

 詠唱のち、波打つ海面にダイブ。

 あとは流れでお願いしまーす。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 杉元が捨て身で回収してくれた辺見から皮を剥いで、用済みになった遺体を今度こそ水葬する。

 ただ船から捨てただけとか言ってはいけない。海洋生物さんたちの栄養になるのでオールオッケーです。一応、拾われても個人が特定できないように杉元が顔面を滅多刺しにしていたけど、それでも大丈夫なんです。

 

「大丈夫か、タマ?」

「うん……だいぶ良くなってきた」

 

 人間の解体現場を見つつ船酔いが改善するの、倫理観のバグで草。いや、俺のことは別にどうでもいいんだけど。

 それよりだ、

 

「はああ」「む、」

 

 隣に座るアシㇼパの体を、抱きしめる。柔らかく、温かい。命の手触りだ。

 海風に吹かれてもさらさらの黒髪を優しく撫でる。ああ、生きている。

 

「アシㇼパが無事で良かった」

 

 思わず漏れた呟きに、腕の中から惚けたような青の眼差しが返ってくる。やべ、ちょっと馴れ馴れしかった?

 しかし、アシㇼパは次いで照れたように笑んで、手を伸ばしてきた。同じように頭を撫でられる。

 

「……タマは大袈裟だな。私は平気だ」

「…………」

 

 ──杉元佐一ならば。もっと上手くやったのだろう。原作の通りに。

 俺が女だから上手くいかなかったのだとは思わなかった。それは事実のようでいて、都合の良い責任の転嫁だ。俺が不死身の杉元でも脱獄王白石でもない、ただの“俺”である限り、この思考はつきまとっていくのだろう。

 

「ごめん、杉元も……寒くない?」

「ああ。タマさんこそ怪我しなかったかい?」

「大丈夫」

 

 頷くと、向かいに座る杉元がにっと歯を見せて笑った。

 

「しかし……あんた、相変わらず度胸があるな」

 

 今のところ、変に疑われたりはしていないようだ。

 

「……第七師団も刺青囚人も、もはや銃を担いでるだけで怯んでくれる連中ではないし。それで戦闘員として頭数に入れられることもあるだろうから、やっぱり戦わなきゃ」

 

 言いながら、考える。

 今回のことで改めて見えてきた、重大な懸念事項。

 

 ──やはり俺は、俺が思っていた以上に殺人に対する抵抗がなさすぎる。

 

 まあ、辺見はともかくとして。

 良くない。これは、だいぶ良くない発見だった。

 17歳の尾形の思考は理解できないと思っていたけれど、あれはただ、当時の俺が抵抗する手段を持っていなかっただけだった。

 もし、山で男に襲われたあの時。俺に銃があって、使い方を知っていたならば。──俺はとっさにやつを撃ち殺していただろう。そんな、嫌な確信があった。

 何故。

 最も効率が良いやり方だからだ。

 殺しさえしてしまえば、最短距離で目前に迫る危険を取り除くことができる。

 当時の尾形が語ったことを、今になって揺るぎない事実として受け止めた。

 きっと、人はどうすれば人を殺せるのかを本能的に識っている。脳を使わずそれができる。殺さずに無力化するためには思考が必要だ。

 ただ、その“本能”を大抵の人間は無意識下でセーブしているのだろう。

 それが無い人間は「とっさ」で人を殺せてしまう。それは例えば辺見や、杉元や……俺だ。

 

 ──まずいな、

 

 改めて思う。

 俺は極力、人を殺すべきではない。

 例え、その結果として俺が殺されても。

 それは、尾形に語る持論に説得力を持たせるためである。罪悪感のある人間がそれを口にするから意味を持つのだ。欠けた人間が同じことを言っても机上の空論に過ぎない。

 少なくとも、尾形の前でうっかり殺してしまうのは絶対に避けるべきことだ。

 その場合、きっと尾形は異母弟(偽)が局部を振り回していた時並みの素敵な笑顔を見せてくれるだろうが、その時点で俺たちの旅はバッドエンドがほぼ確定してしまう。

 極力、抵抗しないことに心を砕こう。

 殺すくらいなら殺されたほうがまし。

 しかしまあ、やはり銃など覚えるべきではなかったな。俺も、尾形も。

 

 ──……とか言って、今まで二瓶とか辺見とか当然のように殺そうとしてたろ。

 

 セルフツッコミ。

 どの口が、という話である。いや、だからこそ、と言うべきか。

 覆水盆に返らず。一度喪失してしまえば、二度と清い体には戻れないのだ。

 本当に、今後は気をつけなければ。

 

「…………うん」

 

 ……いや、やっぱ辺見は別に良くない?

 俺を殺した相手を俺が殺しても、発生した罪が相殺されてニュートラルな状態に戻るだけでは(謎理論)。

 

「おい、見てみろよ」

 

 ──白石の漠然とした呼びかけに、思考の沼から引き上げられる。

 とにかく、やるべきことは決まった。

 これ以上だらだらと考えるのはよそう。

 船縁から身を乗り出し、白濁して揺蕩う海面を覗き込む彼に向き直る。

 

「この白く染まった海水……全部ニシンの精子だぜ」

「精子?」

「ニシンのメスが海藻とかに卵を産みつけて、オスがそれに精子をかけるんだ」

「精子?」

 

 スルー安定白石。聞かれて困ることを口に出すんじゃない。大人は汚ねえよ。

 

「お、……いいものが流れてきたぞ。高級食材、子持ち昆布!」

 

 掬い上げられる……なんかカビちゃいましたみたいな昆布。第一印象が失礼。

 さすが明治の北海道、自然が豊かである。腹が減っていたらしい白石は嬉しげなほくほく顔だが、俺は違うところが気になってしまった。

 

「子持ちって言うけど……それ別に昆布の実子じゃない……」

「後妻……いや托卵か……?」

「やめな〜?」

「精子?」

 

 昆布の親権が無から発生しているが、単に産卵床ごと卵を食っているだけである。

 そして頑なにスルーされ続けるアシㇼパの疑問。どっちか教えてやれよ。

 で、結局俺にお鉢が回ってくる。

 

「タマぁ、精子ってなんだ?」

「精子っていうのはねえ、」

「タマさん女の人がそんなこと言っちゃだめぇっ」

 

 杉元に勢いよく制止される。精子だけに、じゃなくて。

 面倒臭えな、摩羅を女陰に〜とかそういう話をしてる訳でもないんだから黙っとれ。明治の価値観とはいえ俺がはしたない女扱いされるのは腹が立ったので、翻って杉元を刺してみる。

 

「杉元……精子も卵子も別に人間だけのものではないし……こんな単なる知識の話でいやらしく感じてしまうのは、単にお前がいやらしい男だからなんじゃないか?」

「エエッ」

 

 予想外の展開に、なぜか頬を染めて目を剥く杉元。やめろ、俺がセクハラしたみたいな……いやこれセクハラか?

 

「杉元はいやらしい男なのか……?」

「えっ違っ違うよアシㇼパさん!?」

 

 アシㇼパがやけに神妙な顔でその幇助をしてくる。年端も行かぬ少女に言われるほうが心的ダメージがあるのか、杉元は赤い顔を今度は青くした。

 

「動物なら新たな生命を生み出す、人間ならお互いの気持ちを確かめ合う、そういう本質を無視して助平なところにしか目が行かないんだからそういうことだよなあ……?」

「杉元ぉ……」

「いやらしくない! 俺いやらしくないもん!」

「ねー何の話?」

 

 昆布をぽりぽりかじる白石が口を挟んでくる。えーと……精子の話だっけ? どちらにせよロクな話題じゃない。

 

「……で、その精子っていうのは男側が持ってる子どもを作る素で、人間だと普段は金玉の中に入ってるんだよ……タマだけに」

「そうなのか」

「ウフフ、タマちゃんってマジでクソみたいなダジャレ好きだよねぇ〜」

「んもぉ〜タマさんっ!」

 

 俺の激ウマギャグをクソみたいなダジャレとは何事か。けしからん。

 

「百之助も好きだから」

「確かになんか言ってた気がする」

 

 この状況で不死身の杉元は手に負えん、片腕だけに。

 絶体絶命の状況で何言ってんだ? 身内のネタは積極的に擦っていくスタイルです。

 どっとはらい。

 

「あ、タマちゃん子持ち昆布食べる?」

「食べる」

 

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