【完結】「不死身(物理)なら尾形を愛せるのでは」という仮説とその検証について   作:捕まえようとした蝶

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14話 人魚の夢

 辺見の皮を手に入れてから。

 何やかんやシャチ食ったり土方歳三と会ったりしつつニシン場を出た俺たちは、コタン近くの川でキロランケに遭遇していた。白石を餌にして(?)釣り上げたイワンオンネチェㇷ゚カムイもとい、クソデカイトウの姿焼きを囲みつつ、話をする。

 ……こう要約するとなんか食ってばっかだな。

 

「目玉しゃぶっていいぞ杉元」

「おっきい」

「もう一個あるからタマも食べろ」

「やった〜?」

 

 イワンオンネチェㇷ゚カムイから穿り出されたクソデカ目玉をしゃぶらされる杉元(と俺)を眺めていたキロランケが、そこで小さく反応した。

 

「杉元……」

 

 茹でダコの味……? 熱が通ってタンパク質が変質してしまっているのか、硬くてかじれそうにはない。あむあむ。なんかボールとかにして遊べそうですね。

 

「不死身の杉元か?」

「あっつ」

 

 無理に歯を立てたら、薄皮から煮汁が飛び出してきて火傷しそうになった。なんか周りはシリアスムードになりつつあるのに。

 

「……なぜそれを?」

 

 その一瞬で。隣の男の顔が、魚の目玉べちゃべちゃしてヒンナヒンナしていた杉元佐一から、不死身の鬼神に切り替わる。

 アシㇼパと白石に緊張が走る。

 しかし、杉元がそんなクレイジースイッチボーイであることをまだ知らないキロランケは、優雅にキセルの煙を燻らせながら、

 

「俺は第七師団だ」

「…………」

 

 杉元は、そこで静かに目を細め。けれど、銃剣に手は伸びなかった。代わりに、

 

「……尾形百之助という兵士を知っているか?」

 

 え、そこ聞いてくれるの?

 そう問われたキロランケは当然、

 

「いや……知らんな。少なくとも俺がいた小隊に尾形なんて男はいなかった。俺は既に除隊して村で生活しているから、誰とも関わりはないし……」 

 

 それはそうだ。彼は鶴見中尉の直属の部下ではない。……なおのこと、別の師団にまでその名を轟かせる『不死身の杉元』の異質さが際立つ訳だけれど。

 聞いた杉元は、静かに視線を落とす。

 

「鶴見中尉の手下ではない、か」

「…………」

 

 その呟きを耳にして、思う。もしかして、尾形のことを聞き出すついでに鶴見中尉の手下かどうかを炙り出す一石二鳥テクニック? 頭良い。怖い。

 それを知ってか知らずか、キロランケは至ってのんびりとした雰囲気のまま、

 

「名前と顔の傷でピンときた……不死身の杉元、こんなところで戦争の英雄に会うとはな」

 

 そこで、傷跡が横断する頬に微かな笑みが浮かんだ。自嘲の微笑みだった。

 

「英雄なもんか。……死に損なっただけだ」

 

 死に損ない。聞いたばかりの八尾比丘尼の話が思い浮かぶ。人魚の肉を食って、不老不死になった娘。死に時を逃した哀れな子。

 俺が考え込んでいる間にも、終わった戦争の話題に拘泥するつもりはないらしいキロランケは、どんどん話を進めていく。

 

「アシㇼパは、どうしてこの人たちと一緒にいるんだ?」

 

 緊張が解け、再びイトウにかじりついていたアシㇼパが顔を上げて。杉元を見た。

 

「──相棒だ、」

 

 相棒。尊く煌めくその響きに、杉元が眩しそうに目を細める。

 

「そしてこっちの白石は役立たずだ」

 

 きらきらお目々でサムズアップ白石。役立たず同士、強く生きていこうな。

 で、最後に俺に向き直ったアシㇼパが何を言うのかと思えば。

 

「あと、このタマはメコだ」

「猫ではないんだけど」

 

 どんな説明の仕方だよ。さしものキロランケも微笑の中に「猫……?」みたいな疑問符を浮かべている。

 

「ヒトです」

「そうか……アシㇼパがそう言うなら信用できるんだろう」

 

 あっ今この人テキトーに流しましたよ。

 

「今よりもっと小さい頃から恐ろしく賢い子どもだったからな……最後に会ったのは、」

 

 お前の父親の葬式か。

 ……ウイルク。

 葬式といっても当のウイルクは生きていた訳で、弔われた遺骸の正体は存在しないと思われていた8人目のアイヌ──キムㇱプだったはずだ。

 

「戦争から戻っていたなら、会いに来てくれればよかったのに」

「行ったけど、お前はいつも村にいないと聞いたぞ」

 

 ちょっとむくれるアシㇼパに、昔馴染みの保護者らしい柔らかい笑みを向けるキロランケ。それがおもむろに引き締まる。

 

「──だから、俺はここで待っていた。お前に伝えることがあるのだ」

「……?」

 

 キロランケが言うには、ある日、年老いた和人が村に来た。

 その和人はある女性を探していると言っていた。その人の名は、“小蝶辺明日子”。

 

「私の和名だ……! どうして、その名前を知っているのは死んだ父と母だけなのに、」

 

 かつてなく動揺を見せるアシㇼパ。色んな意味で蚊帳の外な俺は、明日子はともかく小蝶辺ってどういう意味なのかなと考えたりしていました。

 

「網走監獄で起きたこと……俺は既に知っていた。のっぺらぼうは、外にいる仲間に囚人が接触できるヒントを与えていた」

 

 それが、『小樽にいる小蝶辺明日子』。

 網走監獄にいるのっぺらぼうは、父母しか知らないアシㇼパの和名を元に、彼女に金塊を託そうとしていた。それが意味することとは。

 

「──のっぺらぼうは、アシㇼパの父親だ」

 

 ゴールデンカムイという作品の、その核心に触れる情報に。アシㇼパが崩折れる。

 もちろん、杉元たちも混乱の渦中入りだ。

 金塊が見つかれば、仇どころか当のアシㇼパの父が死刑になってしまう。

 ならばどうする。どうすればいい。思惑が錯綜する中、最たる当事者が鶴の一声を放つ。

 

「……私は信じない。自分の目で確かめるまでは。だから、のっぺらぼうに会いに行く」

 

 異を唱える人間はいない。

 娘のアシㇼパがそうしたいと言っているならそうすべきだ。……では、どうやって?

 アシㇼパ杉元俺の眼差しが、1人の坊主頭に注がれる。言うまでもなく適任がいる、

 

「脱獄王、」

 

 サンキューシライシ。

 それはいいんだけど、キロランケなあ。どうしても、こいつ尾形と組んでウイルク殺すんだよな〜という目で見てしまうな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……こりゃ、随分と古い銃だねえ」

 

 in 札幌。網走までの中継地点であるこの町で、俺たちは鉄砲店に立ち寄っていた。

 道中で白石が遭難したりもしたけど、フチの家にいた谷垣が元気そうだったのでオッケーです。そして相変わらずビビられる俺というね。尾形と扱いが変わらん。

 話を戻そう。

 それで、この三田火薬銃砲店の店主は、俺のライフルを見るなりそう言った。

 

「うちの店では弾薬も本体も取り扱ってないよ。これ、戊辰戦争時代の舶来品じゃないのかねえ。聞いたことだけはあるよ。なんでも、随分と高価な銃だったとか」

「……タマさんの親御さんって何者?」

「さあ……?」

 

 戊辰戦争……天皇擁する新政府軍と、将軍擁する旧幕府軍の内戦だっけ? 何度も言うが興味がないのでよく覚えていない。尾形タマが産まれる前の話だろうし。

 実家、言われてみれば武家屋敷っぽかった気もする……と思いを馳せる俺に、店主が慎重に声をかけてくる。

 

「飾って眺める分には価値があるんだろうが……鉄砲ってのは撃って使うもんだ。見たところお若いようだし、そんなレトロな銃にこだわる意義は、あんまりないんじゃないのかねえ」

 

 うーん、正論!

 そして優しい。特に抵抗する根拠が見当たらない。尾形の忘れ形見というのは事実にしても、それこそ攻撃手段としての銃火器をお守りにしてどうするのだという話で。最初の彼の発言に立ち返ってしまう。

 

「安くしとくよ、三十年式」

 

 優しいうえに商売上手。

 かと言って、超個人的な理由から首を縦に振る訳にはいかない俺が黙っていると。

 

「……いや。とりあえず遠慮しとくよ」

 

 隣で事の成り行きを眺めていたらしい杉元が、口を挟んできた。代わりに、やんわりと断ってくれる。

 

「な、タマさん」

「……うん、」

 

 そして水を向けられたので、便乗して頷いておく。商売上手な店主はそこで無理に追い縋ることなく、また気が変わったらいつでも来てくれよ、とだけ言って引き下がった。サンキュースギモト。

 その場から少し離れて、

 

「……ごめん、杉元」

「いや。大事なものなんだろう」

 

 非合理的な判断だということはわかっているつもりだ。何か言われても文句は言えないと思ったが、彼はここに来ても思いやりがあった。

 

「……女の人が銃を使うってことは、並大抵の覚悟でできるものじゃない。その銃、あんたにとっては単なる武器じゃないんだろう。何となくわかるよ」

 

 彼なりに理解を示してくれる。

 優しいかよ〜。杉元との親密度が上がれば上がるほど、尾形との今後が不安視されるというのはとりあえず考えないでおこう。

 

 

 

 

 その後、店主から近隣の空いている宿屋についての情報を得た結果。

 いよいよやってまいりました。札幌世界ホテルもとい、家永カノの殺人ホテル。

 ──で、肝心の部屋割りだが。

 辺見和雄の件で、戦闘力たったの5のゴミとアシㇼパを組ませてしまったのが流石に杉元の反省点となったのか、キロランケ・白石/アシㇼパ・杉元・俺という組み分けである。俺はアシㇼパとベッドを共有。

 ……いや、杉元が俺に手を出す訳がないという大前提はともかく、これはこれでどうなんだ?

 

「シンナキサㇻ」「シンナキサㇻ」

 

 そして、先んじて家永に襲撃された白石が不在のまま、ホテルの廊下で牛山辰馬にも遭遇。デカァァァいッ、説明不要!

 

「……なに?」

「変な耳」

「それは柔道耳ってやつだ」

 

 餃子耳って言ったりもしますね。

 

「アンタ、相当やってたね? 俺は体質なのか、そんな耳にはならなかったよ」

 

 素人目から見てもかなり鍛えているとわかる牛山に、戦闘狂の血が疼いたのか。杉元がぐいぐい距離を詰めていく。

 

「ほう……心得があるのかね?」

 

 牛山が差し出した手を、杉元ががっちり握り返し。一瞬の硬直の後──お互い掴み合いになった。ええ?

 すわ喧嘩かと思ったが、確か原作ではそうならなかったはず。案の定、牛山はパッと杉元の胸ぐらから手を離して、

 

「……このままでは殺し合いになる。こんなに強いやつは初めてだぜ、気に入った……」

 

 ふすん、と得意げに鼻から息を吐く。

 

「奢ってやる! 飲みに行こう!」

 

 やったあ、奢りだあ。

 まあすぐに殺し合うんですけどね。

 

 

 

 

 またまた場所が変わって、西洋料理が売りという『水風亭』に連れて来られる。今日は移動が多い。ちょっと疲れちゃったよ。

 さあて、気を取り直して、本日の乾杯メニューは?

 

「エゾシカ肉のライスカレーだ」

 

 カレーライス!

 田舎暮らしの俺は、この時代で実物を目にしたのは初めてだったが、杉元は慣れた様子でスプーンを手に取っている。もしかして軍で食べたことがあったのかもしれない。

 

「オソマ……」

 

 無論、アイヌの子であるアシㇼパなんかは威嚇する犬の目で湯気立つ平皿を眺めている訳だが。

 かと思いきや、隣でカレーを掬う俺をちらっと見て。口に含み、嚥下するまでをじっと観察してくる。え、毒味?

 

「おいしいよ」

 

 慣れ親しんだ現代のカレーよりは本場志向というか、さらさらしていてスパイスが効いている。俺はインドカレーも好きなので無問題。

 アシㇼパは、そんな俺を見て恐る恐るスプーンを口に運び。ばくっと、勢いよく食らいついた。そして、

 

「……、……!」

 

 だん、と拳で机を叩き。細い肩を戦慄かせながら突っ伏す。あまりの様相に杉元が見かねて呼びかけてきたが、彼女が言うには、

 

「ヒンナすぎるオソマ……」

 

 いやオーバーリアクション。お前は美味しんぼの登場人物か。

 しかもウンコであるという評価は変えないんだ?

 

 ──飲みに行く、という当初の発言通り、食事の後はビールの飲み比べ勝負(と言っても飲んでるのはほぼ牛山)が始まった。

 コップでちびちび飲んでいる俺たちとは対照的に、牛山は一升瓶をラムネのようにガンガン一気飲みしている。正気か?

 いつの間にか酔っ払って(発育に悪い!)牛山の額のハンペンをもぎ取ろうとするアシㇼパ。それを酒の肴で眺める俺に、すっかり出来上がった杉元が声をかけてくる。

 

「タマさん全然赤くならないねえ……お酒つよぉい……」

「酔わない訳じゃないよ」

 

 ただ、酒豪揃いの親戚の集まりでしか酔ったことはない。それに、俺は酔うとものすごく機嫌が悪くなるらしく、最終的にあまり飲むなと言われていた。別に酒の味自体は好きじゃないから良いんだけれど。

 

「お嬢ちゃん、良い女になりな……いいか、男を選ぶ時はチンポだ」

 

 そしてアシㇼパの凶行を笑みひとつで流す心が海より広い牛山、彼女に対して未成年にしてはいけないタイプの絡み酒。

 持論とはいえ偏った言説すぎる。アシㇼパを性豪にでもするつもりか。

 

「チンポは海で見たけどぉ……なんか、……フフッ」

 

 しれっとアシㇼパも杉元に気があるということをゲロっているが、どいつもこいつも酔っているせいか誰も気に留めない。俺もカプ厨ノスタル爺ではないので軽く流す。

 

「ねえ、男は寒いと縮むんだよ? 伸びたり縮んだりするの知ってる? アシㇼパさん」

「私は良いチンポだと思ったよ、杉元。ナイスちんちん」

「ほんとォ〜?」

 

 乗っておいてなんだが、何の話なんです?

 抱くとかどうとか、中身男の鉄の処女にはほぼ無縁の話だな。強いて言うなら尾形が吝かでない寄りの吝かであるというだけで、俺は基本的には男に体を許す予定はない。まあ、その尾形も大概ヘタレなので。

 

「大きさの話じゃないぜ〜? その男のチンポが“紳士”かどうか……抱かせて見極めろって話よ」

「そのとーり!」

 

 牛山の自説に、最終的に妻子をコタンに残して樺太で息絶えるキロランケが熱い同意を見せる。ウイルクもやべーけどこいつもじゅうぶんやべーよな。

 で、今度は俺をじっと見てくる牛山。何だよおと思ったのもつかの間、

 

「あんたもかなりの美人だが、うーん……ちっと色気がな……」

「銃持ってるからでは?」

 

 和装にライフルの女、インディーズホラーゲームの敵キャラみたいだもんな。

 エロい以前にミスマッチかつシュール。峰不二子がモーニングスター持ってるようなもんである。

 

「ま、でも、そんだけの器量良しならすぐに良い男が見つかるさ。嬢ちゃんもだが……特に肌が白いのがいい。七難隠すって言うだろ?」

「はあ……」

 

 別に、こいつに見初められてもいいことないしラッキーか。そんなことを思う俺の目の前に、牛山が空にした何十本目かのビール瓶がダァン、と勢いづけて置かれる。

 

「よしッチンポ講座終わりッ! 帰るぞッ! 女将が部屋で俺を待っているッ!」

「せんせーごちそうサマー」

 

 それで、眠くなる前にお開き……となったのはいいのだが。

 

「ちょ……アシㇼパ? 寝てる、」

 

 いつの間にか、アシㇼパがセミの如く俺の背中にしがみついていた。おまけに、酔っていたせいか既にぐっすりのようだ。

 

「髪食うな」「あら〜」

 

 夢の中でも何か食べているのか、もしゃもしゃと掃除機のように口に吸い込まれていくポニーテールの先っぽを取り上げる。唾液でべっちょべちょ。

 いやちょっと……平均的成人女性である俺が、12歳の児童を背負ってホテルまで帰るのは、物理的に無理があるんですけど?

 

「剥がれな、……え、子泣き爺?」

「そのまま連れて帰るしかねえなあ」

 

 寝てるくせに力が異様に強い。もはや怪異の類である。そして他人事キロランケ。支払いを済ませた牛山は既にこの場にいない。

 

「…………マジで背負って帰るの?」

「荷物持つよ」

 

 杉元が雀の涙ほどの配慮を見せてくる。

 あの、荷物はいいからアシㇼパごと俺をおぶってくんない?

 

 

 

 

「重いっ」

「アシㇼパさんは本当にタマさんが好きだなあ」

 

 結局というか案の定というか、別に近くもないホテルまで俺がアシㇼパを背負って帰ることになった。何これ、拷問?

 アシㇼパに定位置を奪われた銃を代わりに背負ってくれている杉元が、隣からのほほんとしたコメントをかましてくる。

 苦痛で埋め尽くされていた脳内にポップアップしてきたその発言に、思考が止まった。

 

「……そう、なのかな……」

 

 よく、わからない。

 信頼するとかしないとか。愛しているとかいないとか。好きとか、嫌いとか。

 もしかすると、そんな空っぽの人間に愛しているなどと嘯かれる尾形百之助の不幸具合もまた、原作と大差ないのかもしれない。

 黙ってしまった俺に何を感じたのか、

 

「……でも、本当に、頼りになるって感じがするよ。俺もそう思う」

 

 杉元視点からもフォローが入る。

 まことに〜?

 

「……、そう思ってもらえるのは、有り難いこと、なんだろうけど、ね、……」

「ああ。アシㇼパさんは、あんたを信用してるはずだ……」

 

 この時点で深い意味はないんだろうけど、将来的にアシㇼパの手を振り解く可能性もある身からすれば耳が痛いぜ。

 

「……ありがとう。期待に応えられるよう、頑張るよ」

「…………」

 

 今度はなぜか杉元が黙ってしまった。あれ、そういうことじゃない?

 ──で、異常に時間をかけつつも、何とかホテルに帰着。

 

「はあ、」

 

 道中の階段なんかはさすがに杉元の助けを借りながら、どうにかこうにか部屋までは辿り着いた。

 ベッドに腰掛けた途端、見計らったかのように背からぽとりと落ちて、ぐうぐう平和な寝息を立てるアシㇼパ。それはいいのだが、唾液でびちょびちょの肩が冷てえ。

 

「……杉元」「ん〜?」

 

 彼女の荷物を、ベッドの端の邪魔にならない位置に寄せつつ。扉の近くでしゃがみ込む杉元に呼びかける。……明らかに酔っ払って眠いです、みたいな返答に不安を覚えたが、とりあえず続けてみる。

 

「キロランケに会う前に……人魚の肉の話をしたと思うけど」

「にん……ぎょ?」

「おい」

 

 FXで有り金溶かしたみたいな顔してる。

 こりゃダメかと思ったが、杉元は若さの感じられない掛け声とともに立ち上がり。

 

「いや……覚えてるよ、不老不死の話だろ?」

 

 軍帽を目深に被り直して、ベッドに横たわった。それ寝る姿勢じゃんと思いつつ、言葉を繋ぐ。

 

「あの時。杉元は、死すべき時に死ねないつらさ、と言っていたけれど、」

 

 それを聞いて、考えたこと。

 不死身などという大層な二つ名をつけられた彼。実際に死んでも死なない俺。

 メタ的に言えば、杉元佐一はこの物語の最後まで生き残る。それはわかっている。わかっているけれど。死に損なった、とキロランケに語った彼を、見つめる。

 

「あなたは……“不死身の杉元”には、今まで死すべき瞬間があったと思っている?」

 

 我ながら無礼な質問だと思うが、杉元は落ち着いていた。少なくともそう見えた。

 

「……どうなんだろうな。でも……“人魚の肉を食べた瞬間”はあったのかもしれない。俺が気づかなかっただけで」

 

 人間をやめた瞬間。

 不死身になることを選んだ瞬間。

 それでも叶えたい願いがあった。だから恐れなかった。杉元が大きくあくびをする。溌剌とした喋りが眠気で蕩けていく。

 

「タマさん、俺はね……まだ、どうしても死ぬ訳にはいかないんだ、……あの子に、梅ちゃんに、アメリカで目を治すための金を渡してやらないと……」

「梅ちゃん?」

「ああ……好きだったひと……俺は幸せにしてやれなかったけど、」

 

 明らかに寝落ちる寸前のせいか、かなり細かいことまで話してくれる。アシㇼパといい、既に知っているプライベートな話を本人の口から聞くのは謎の気まずさがある。

 

「杉元は優しいな」

 

 ふ。小さく息を吐き出す音がした。笑ったのだ、と少し遅れて気づいた。

 

「……あんただって、尾形百之助が心配でわざわざここまで来たんだろ……アシㇼパさんにも良くしてくれるし、……優しいよ」

「…………」

 

 優しい──その評価からは目を逸らして、尾形について考える。

 そうだ。俺も同じなのだ。何が何でも生きて、あの列車に乗らなければ。

 

「……ああ。俺も、まだ死ねないんだ」

 

 独り言じみた呟きだったが。杉元からの反応はなかった。顔を上げる。

 

「…………杉元?」

「グー」

 

 いや普通に寝てて草。

 寝づらそうなので軍帽は取ってやろうかとも思ったが、結局すぐに起きて動き回ることになるはずなのでやめておいた。

 

「…………」

 

 静かになった部屋で、俺もベッドに体を横たえる。

 天井を見つめる。家永カノを思う。

 若い頃は力強く、美しかった。他人から奪ってまで最高の自分にしがみついた。

 

「……老いとは病か?」

 

 戻りたい輝かしい過去なんてものは、俺には思い出せそうもなかった。

 過去とは単なる足跡だ。それを見て想起されるのは、かつての俺がその場所を歩いたという事実だけ。そこに羨望が入る余地はない。

 

「“足りない”ことは悪なのか?」

 

 欠けた人間。非難する意図を含んで放たれたかつての言葉を、朦朧と反芻する。

 欠けている。何が。……“理想”か?

 

「他人から奪って理想が手に入るものか?」

 

 それさえ結局は無いものねだりだろう。

 そんな都合の良いことが簡単に起きる訳もない。あの家永も、本当に望んでいた“完璧”を手に入れることは叶わなかった。

 尾形百之助のことを考える。父の愛を求め、愛してくれた異母弟を殺して成り代わろうとした彼のことを。

 人間は自分以外の誰かになることはできない。

 胸元に手を当てる。着物越しに、前世では存在しなかった柔らかな膨らみに触れる。それでも、何の感情も湧いてはこなかった。

 

「“俺”は、尾形タマにはなれない」

 

 俺はどこまで行っても俺のまま。

 いくら外見を取り繕っても、それだけなのだ。悲しくはなかった。そうなのだろうな、と思っただけだった。

 

「…………」

 

 俺がこの旅で得られるものは何もない。

 事実を、事実として受け止めた。

 

「……俺も寝よう、」

 

 微かに甘い匂いが漂ってくる。

 これで寝て起きたら即で家永との戦闘かと思うと、普通に嫌だな。

 眠いので寝ますけど。

 


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