【完結】「不死身(物理)なら尾形を愛せるのでは」という仮説とその検証について 作:捕まえようとした蝶
さて、いよいよやって参りました。
炭鉱の町、夕張。
一応の目的は、人間の皮を表紙にした本の作成者──江渡貝弥作についての情報を集めることである。
ここでの問題は、俺は坑道でのトロッコ追いかけっこに参加すべきか否か、という点だ。
夕張に来るまでの間、フキ食ったりヤツメウナギ食ったりしながらずっと考えていたが、明確な答えは出なかった。一番現実に即した回答として、参加しても、参加しなくても同じ。要するに、結果には影響しない気持ちの問題なのだ。
まあ……避けられる危険は避けたほうがいいのかもしれないな。また心配や迷惑をかけるだろうし。
何度か殺されて、感覚が麻痺してきている部分は確かに、ある。
「…………」
「タマ、どうした? 腹減ったのか?」
聞き込みをしながらも考え込んだふうの俺に、アシㇼパが気を遣って声を掛けてくれる。
それは良いのだが、一応はそれなりの年齢の女であるはずなのに、最初に上がる内容が空腹って何? 食いしん坊と思われてる?
俺が返答に悩んでいる間にも、アシㇼパはくるっとキロランケを振り返り、
「なあ〜キロランケニㇱパぁ、そろそろ食事にしないか? タマも腹が減ったと言ってる」
言ってねぇーし。
それで言うなら、減ってるのはお前のほうだろ。ついでぎゅるる、と鳴り渡ったもちろんアシㇼパの腹の音に、キロランケも何とも言えない表情をしている。
「まあ、そうだな…………ん、」
煙管を唇から離したキロランケが、長い睫毛に縁取られた目を瞬く。呆気に取られたような仕草だった。何、と思ったのも束の間、
「……あれ、杉元と白石どこ行った?」
「えッ」
いやさっそく出遅れてて草ァ!
振り返った先、あの目立つ2人組の姿はもうどこにも見えない。うーん、さっきまですぐ隣にいたはずなのに。アシㇼパに気を取られている場合じゃなかった。
第七師団絡みだから何かあれば声をかけてくれるかも、と思っていたが。
「野グソかなあ」
「こんな街中でか?」
「…………」
漠然とした不安を覚えたが、今から離脱して杉元たちを追っても、もはや手遅れだろう。アシㇼパ、杉元、両者に要らぬ心配を掛けるだけだ。
「まあ……あいつらのことだから、心配は要らんだろ」
言いながら、キロランケがさりげなく俺の着物の袖を引いてくる。呟くというよりは、こちらに言い聞かせるような響きだった。
「先に飯屋を探すか」
「……、うん」
ここで抵抗しても仕方ない。
先を行くキロランケと、アシㇼパの背を追う。この辺りは炭鉱が近いせいか、その労働者による外部経済効果が発生しており、飲食業やサービス業の発展が目覚ましい。
食事にも期待できそうだ。……今はそう考えて、気を逸らすしかなかった。
しばらく歩いたところで。
「うおッ」
──急に、地面が揺れた。
轟音。震動。大気が、戦慄く。
一瞬、地震かとも思ったが、明らかにそれとは質が違う。突発的かつ、人為的な現象だった。
たたらを踏んだキロランケが、怪訝な顔で音のしたほうを見やる。
「何だ? 爆発か?」
ガスケだ、とすれ違った男が口にしたのが風に乗って届いた。
「ガスケ? ……炭層ガスの爆発か!?」
「炭層ガス、」
「炭鉱ではよくあることだが……」
平和な昼下がりの街中が、にわかに騒がしくなる。老いも若きも、男も女も建物の中から出てきて。炭鉱があるのであろう方角を、緊張した面持ちで見つめている。
再び、激しい地鳴り。
野次馬たちが騒ぎ出す。
「またガスケだ」
「今のは久々にデカかったな」
「山が揺れたぞ、」
「大非常だ……!」
大事故。──炭鉱事故に関する話は、歴史に明るくない俺でも多少は知っていた。
メタンガスの溜まり場。ガス突出。爆発。それに伴う火災。かつての鉱業は危険と隣り合わせだ。
一応は無関係なはずの俺たちも、騒ぎに飲まれて立ち昇る煙を眺めていたが。
「……なんだか嫌な予感がする……」
もしかして。アシㇼパが、呻くように呟いた。
「杉元たちは、何か刺青人皮の手がかりを見つけて、炭鉱に向かったんじゃないか?」
それで、この事故が起こった?
アシㇼパはそう言いたいのだろう。……実際は、杉元たちが坑道にやってきたことと、ダイナマイトがガス溜まりを引き当ててしまったことには直接的な関係性はない。むしろ、杉元たちはただ事故に巻き込まれただけだ。
キロランケが顔を顰めた。それなりに信憑性があると思ったのか。
「あいつら、勝手に行動しやがって」
立ち尽くす人混みを掻き分けるようにして、炭鉱に向かう広い背中。どうしても人の波に飲まれやすい体躯のアシㇼパの手を引いてやりながら、俺もその後を追った。
辺りにいる人間に細かい道のりを聞きながら、ようやく辿り着いた坑口のひとつでは。
──既に、板と粘土による密閉作業が、佳境を迎えたようだった。
「この坑口はもう塞がれたよ、」
煤と煙にまみれた半裸の炭鉱夫が、がらがらの嗄れ声でそう教えてくれる。
確かに、今まさに、暗がりの奥からノコギリやスコップを持った労働者たちがわらわらと、蜘蛛の子を散らすように出てくるところだった。
「誰か、探しているのかい?」
「……炭鉱夫ではないんだ」
年齢も、性別も、服装もばらばらな労働者たちの中に、見慣れた軍帽と坊主頭はない。まあ、これはわかっていたことだけれど。
「…………」
アシㇼパが無言で繋いだままの手に力を込めてくるのを、握り返す。
その時。どよどよと、纏まりなく騒いでいた労働者たちが。一斉に、沸いた。
「誰か出てくるぞッ」
1人が、坑口を指差してそう叫んだ。
煙を纏って穴から出てくる、大柄な人影。上半身がやけに膨らんだその影は、
「すげえ! あの旦那、2人も助け出したぞ!」
杉元と白石──を軽々担いだ、スーツの巨漢。札幌世界ホテルで行方が知れなくなった牛山辰馬その人だった。
「よお……嬢ちゃんら。また会ったな」
牛山ガチ勢のアシㇼパは、杉元らの無事より彼との再会が嬉しかったようで。少女らしく、頬をりんご色に染めて微笑んだ。
かと思えば、懐からいそいそと茶色い紙屑のようなものを取り出し、手のひらに乗せて彼に見せつける。……ホテルで拾ったハンペンのミイラですかね、これは。
「チンポ先生ェ……」
「ハンペンまだ持ってるうッ」
乾き切った声ながら、それだけ元気にツッコミができるなら安心だな杉元。
「水を分けてもらってくる、」
デキる大人の男キロランケが、炭鉱夫の集まりに駆けていくのを視界の端で見送り。
俺は、坑口に向き直る。
まだ。まだ1人、出てきていない。
……牛山辰馬が杉元たちの救出に乗り出したということは、“居る”はずなのだ。
これは、希望的観測などではない。
間違いなく。
何度目か、煙臭い唾液を飲み込んだ。
──そうして、“彼”が現れる。
「っ、」
軍服の、男。風にたなびく白い外套と、伸びた黒髪を神経質に撫でつける左手。反対の利き手に握られているのは、三十年式歩兵銃。
安堵はしなかった。ただ、よくわからない感情だけがいっぱいに膨らんで、胸を満たしていた。
とっさに名を呼ぼうとして。
できなかった。
彼が、顔を上げる。
「──────、」
──目が、合った。
確かにこちらへ近づいていた歩みが、ぴたりと止まり。漆黒の瞳が、見開かれる。
気づいた。
「百之助……」
ようやく、喉の奥からその響きが漏れて。
……けれど、すぐに逸らされてしまう。
彼の手が、慌てたように外套のフードにかかり、目深にそれを被ってしまう。焦っているというか、怯えたような仕草だった。
え、なんで今無視した?
「銃の嬢ちゃん、今……?」
俺の呟きに、牛山とキロランケは怪訝な顔で俺たちを交互に見て。事情を知っている3人組は、緊張した様子で一挙一動を見守っている。
「あ、ちょっとタマさん……!」
……埒が明かない。
とっさに走り出した背中に、杉元の声が掛かったが。構っていられない。
フードの裾を限界まで引き下ろし、佇んだままの彼へ、一直線に駆け寄る。そのすぐ目の前を陣取って、最後に会った時よりまた背が伸びたその顔を、フード越しに睨む。
爆発の煙が未だ充満しているせいか、空気を吸い込むと肺が痛い。構わず口を開く。
「百之助っ!」
びくっ、と。肩が跳ねた。
おそるおそる、といったふうでこちらを見る彼の引き絞られた瞳孔が、俺の顔を再び捉えて。息を、呑んだ。それが聞こえた。
「…………タマ、……?」
掠れた声。困惑の滲む表情。
それに、何となく違和感を覚えた。
……まるで、たった今、ようやく俺に気づいたみたいな。確かに目が合ったのに。
「どうして……」
彼が──尾形が、改めて俺に向き直る。
自然な手つきでフードが取り払われ、陽光の下に晒される血の気のない顔を、俺も改めて見つめ返す。
未だ生々しい顎の縫合痕。そして、空前絶後のセクシー上等兵の二つ名を欲しいままにするに至った、代名詞のひとつとも言える黒髪ツーブロオールバック。義姉に向かって何だそのツーブロオールバックは。
「知り合いだったのか?」
「……タマさんはずっとあいつを探していたんだ。家族らしい」
「家族……」
「あの男だったんだ尾形百之助、」
背後から、水を飲む杉元たちと、牛山の会話が聞こえてくる。
煤にまみれた顔が何となく痛々しくて、手を伸ばして拭ってやる。触れる瞬間だけ小さく身動ぎしたが、尾形は抵抗しなかった。
拭うついでに、盛り上がった縫合痕を指の腹でなぞってみる。尾形タマの知らない傷。杉元佐一が残した爪痕。
“俺”にとっては、見慣れているとも、見慣れていないとも言えるその姿。
尾形は、無表情で俺を見つめている。観察されているみたいだな、と何となく思った。
「馬鹿。手紙も返さないで……心配したぞ」
「…………」
しかし──何というか、妙に落ち着いている。もう少し取り乱すかと思ったが。
まあ、ポケモンと違ってこいつが混乱した時にする行為って基本的に他傷なので、平常心でいてくれるのに越したことはない。
「……手紙」
「うん?」
黙っていた尾形が、喉奥から絞り出すようにこぼした。手紙。それがどうした、と思ったところで、底のない目が俺に焦点を合わせてくる。
「生きていたのか」
次いで淡々と呟かれて、さすがに一瞬面食らった。
……死んでいたと思われていた?
何故。尾形はその身を以て“知っている”はずだ。疑問に二の句が継げない俺の頬に、今度は彼の手が添えられる。温もりを確かめるように。
冷たい手だ。何度目か同じことを思っ、
「ゔんッ」
なぜか、何の前触れもなく頬肉を強めにつままれる。待ってどういう意図?
「…………」
そしてなぜか無言。何か言えよ。
だんまりのまま解放された頬をさする。
いや、つーかそれにしても、
「クサイ」
「……炭鉱爆発に、巻き込まれたから……」
いつの間にかやけに距離が縮まっていた分厚い体を、やんわり押し返す。
とにかく焦げ臭い。セクシー上等兵からしちゃいけないニオイがしている。メタンガス自体は無臭だが、爆発と火災が起こればそれなりの悪臭が発生するものだ。
そこで、尾形はようやく俺が担いでいるブツのほうに目が行ったらしい。肩に食い込むスリングを軽く指先で持ち上げ、
「……スペンサーM1860。悪夢が正夢になった」
え、なんて?
理解できる単語がひとつもない呟きに、彼の顔を見返す。至近距離で、インクを塗り込めたような漆黒の瞳と再び目が合った。
「納屋にあったジイさんのだな……? こんなレトロなライフルでよく……」
そこでようやく、先程の呪文がこいつの型番だったことを悟る。銃と銃と銃のことしか得意じゃない鬱々ニㇱパは伊達じゃないらしく、尾形は見ただけで名前と出処がわかったようだ。
「……戊辰戦争時代の輸入銃だから、弾の流通も無い。お飾りの威嚇用か?」
来歴にも詳し──いや顔が近い。鼻先くっついちゃうって。
ああ、異様な距離感の俺たちを遠巻きに眺める5人の気配を感じる。
しかし、案の定というべきか銃の話か。ええと、
「弾は残ってたのをありったけ持ってきた。……獣ならこれで仕留めたことがある」
そう付け加えた途端、尾形はなんとも言えない微笑みを浮かべてみせた。満足げなというか、恍惚とした、というか。うーん、不気味!
「ああ……撃てるようになっていたのか」
……二瓶とか辺見とか家永の刺青囚人に躊躇なくバンバンぶっ放してたことは、絶対に言わないようにしよう。というか、言わなくて正解だった。とっさの判断だったが。
つーか、いやだから、
「百之助……クサイ」
「…………」
気を抜くとガンガン距離を詰めてくる尾形を、やっぱりやんわり押し返す。みんな見てるんですよ。
そこでようやく我に返ったか、誤魔化すように髪を撫でつける尾形。頭髪があるとその妙な癖もなんとなく様になっている。
後ろに控える5人に目をやり、
「どうして北海道に……今までこいつらと行動してたのか?」「うん」
クソ今さらである。俺が持ってる銃>俺がここにいる事、なの本当に歪みねえな。何か逆に安心してしまった、変わらなさすぎて。
当時の一般女性ならば有り得ないはずの出奔と金塊争奪戦への参加にそこまで強く疑問を呈してこないのは、俺ならやりかねないとでも思われているからなのだろうか。
はあ。尾形が嘆息する。
「しょうがねえ……ついてこい」
いや……とにかく、知らん顔されなくて良かったです。マジで。
「百之助、その前にお水飲みなさい」
「…………」
「やだ、お母さん〜?」