【完結】「不死身(物理)なら尾形を愛せるのでは」という仮説とその検証について   作:捕まえようとした蝶

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18話 偽となるか真となるか

 ついてこい、と居丈高に言い放った尾形がその足を止めたのは、家主を永遠に失った“江渡貝剥製所”の前だった。

 室内に踏み入ったところで、彼はおもむろに小さな切れ端のような物を取り出し。指先に挟んでこちらに見せつけてくる。

 

「俺がここで拾ったものだ」

 

 薄橙の地に、片方の端だけが黒っぽく染められている。紙や布ではない。それなりの分厚さがある。口を開いたのは、まだ何も事情を知らないキロランケだった。

 

「……まさか、人間の皮膚か?」

 

 若干、自信の無さそうな口ぶりだったが。軍帽の鍔を引き下げた杉元がその後を引き継ぐ。

 

「鶴見中尉は、ここで剥製屋に刺青人皮の贋物を作らせていた。俺たちは炭鉱で中尉の手下と、剥製屋の男の2人と贋物の奪い合いになったが、爆発事故が起きてうやむやになった」

 

 もともとが人間の死体から剥がされた非合法な代物だ。そっくりな贋作を作ろうと思えば、新たに死体を引っ張ってこなければならない。普通の人間なら思いついても実行できない作戦だが、鶴見中尉はやり遂げた。

 

「刺青人皮の贋物……」

「恐ろしい男だな……鶴見中尉」

「剥製屋の坊やは死んだ。俺が死体を確認した」

 

 外套を翻し、尾形が再び歩き出す。

 扉を開ける。その小部屋には、既に先客がいた。並べられた5つの椅子。顔を突き合わせる6人の男。指を立てたり、膝に手をついたり、各々自然なポーズを取っている。

 異様なのは、彼らが微動だにしていないこと。瞬きさえしていないのだ。そしてそれ以上に目を引く──生皮を剥がされた上半身。

 明らかな死体の集まりに、キロランケやアシㇼパのみならず、事情を知っているはずの杉元たちさえ息を呑む。

 

「贋物は──おそらく、この6体の剥製を利用して作られた」

 

 彼らの間を猫のようにすり抜けた尾形が、なぜか得意げに腕を広げてみせる。

 

「坊やと一緒にいた鶴見中尉の手下……月島軍曹は屈強な兵士だ。坑道からやつの死体が出なければ、6枚の贋物が出回ってしまうことを想定しなければならん」

 

 にゃあ。

 甘えたような獣の鳴き声が、すぐ近くでした。とっさに音の発生源を追った視線は、自らの足元にたどり着く。

 ──1匹の猫が、俺のくるぶしの辺りにしなやかな体を擦りつけていた。

 江渡貝の、おそらく飼い猫。ハチワレというには貧相な模様がどことなく間抜けに見える。相変わらず絶妙に可愛くねえ猫だな。

 

「猫がいる」

「タマが呼んだのか?」

「なんで?」

 

 ドラクエのモンスターじゃねんだからよ。そんなほいほい仲間は呼べないんですわ。……いやそもそも猫ちゃうわ。

 俺の足元を8の字に行ったり来たりしていたのが、音もなく離れていく。

 

「行っちゃった」

 

 白石がどことなく名残惜しげに呟いたが、猫好きでも何でもない俺には未練などない。放置して話に戻ろうとしたところに。

 なぁう。また、猫が鳴いた。

 少し離れたところにある戸棚の近くに座り込んで、繰り返し、こちらを見て鳴き続けている。

 

「ジジイは呼んだか?」

「もうすぐ来るはずだ」

「猫ちゃん呼んでるんじゃな〜い?」

「…………」

 

 面倒臭い。しょうがなくその場を離れて、猫が引っ掻いているその下を覗き込む。

 何かがあった。

 乱雑につくねられた──というか、うっかり落とした、というような風貌の薄橙の塊。見覚えのある奇妙な紋様が刻まれたそれに、あ、と思わず声を上げていた。

 

「なに?」

「……刺青人皮だ」

「え、」

 

 立ち上がって、広げてみる。

 江渡貝弥作の忘れ形見。これは6枚目の贋物だった気がする。確かに本物と遜色──と言っても、俺はそもそも刺青人皮をまじまじと見たことなんてないけれども。

 

「これは贋物? 本物?」

 

 何となくの呟きに、背後から応える声があった。

 

「……ああ。その忘れ物が、どちらなのか」

 

 未だ俺の足元に纏わりついていた猫を、慣れた手つきで抱き上げる長髪の老爺。

 

「判別する方法を探さねばな」

 

 ──土方歳三。

 頭に霜を置く歳になってなお、光の衰えぬ瞳が杉元を真っ直ぐ射抜いている。かと思えば俺に視線を移し、優雅に微笑みながら、

 

「お嬢さん、それを頂いても?」

「あ……はい」

「この猫と交換しよう」

「いや猫はいらないんですけど」

 

 おいだからいらねえって。半ば強引に押しつけられた江渡貝の猫を、渋々抱える。

 

「なぁん」「なぁんじゃないっての……」

 

 俺が可愛くない猫の扱いに悩まされている間にも、小さく首を傾げた杉元が、

 

「ジイさんあんた……見覚えがあるような。どこかで会ったかな?」

 

 ニシン場でのことを言っているのだろう。尾形に負けず劣らず対人記憶力に優れた男だ。

 慌てたのは白石だった。何せ、彼はこの段階で土方陣営のスパイなのだから。

 

「いや……! 会ったことがある訳ねえ、」

 

 こいつは、土方歳三だぞ。

 

「…………」

 

 箱館戦争の敗残兵、新撰組“鬼の副長”。

 脱獄の指揮をした囚人の親玉であり、のっぺらぼうをよく知る人物。

 白石の一言に、杉元の纏う雰囲気が変わる。銃のスリングを握った手が、それを肩から下ろし。異様な空気を察知したか、ふしゃあ、と腕の中の猫が毛を逆立てる。

 こいつ、離したくても着物に爪を立てられていて下ろしようがないんだが、何これ罠?

 早々に戦闘ムードの若造を尻目に、当の土方は落ち着いたもので。

 

「……久しぶりだな、白石由竹。お友達を紹介してはくれんのか?」

 

 玉の汗が坊主頭に滲んでいる。余計なこと言うなジジイ、の顔だ。

 

「ひょっとして……キロランケの村に来たってのはこのジイさんか?」

「……そうだ」

「土方歳三……会ったら聞きたいことがあった。のっぺらぼうがあんただけに伝えた情報があるはずだ。あんたをある程度信用してるのか……あるいは、大きな目的が一致してるのか」

 

 この辺りもはや俺には関係ない話なので、人間の剥製でも眺めて暇を潰す。旅の目的上、皮を剥がれた死体は何度か見てきたが、江渡貝の腕前なのか、こちらのほうが綺麗な剥がされ方をしている……気がする。

 

「手を組むか……この場で殺し合うか、」

 

 グキュルルル。

 張り詰めた空気に響き渡る腹の音。

 

「刺青を売った金で故郷に帰り、嫁さんでももらって静かに暮らせる道もあるが。若いもんにはつまらん道に聞こえるかね?」

「……のっぺらぼうに会って、確かめたいことがある。それまで金塊が見つかってもらっちゃ困る」

 

 相棒の頼もしい発言に、瞳を静かに輝かせるアシㇼパ。グルルッ。コロコロコロッ。そして腹の虫で台無し。

 

「会いに行くだって?」コロコロ。

 

 コロコロコロコロコロッ。

 

「なあに!? コロコロって!!」

 

 ぶち壊された空気の中で青筋を立てる杉元。育ち盛りだからね、しょうがないね。

 

「結局あの時、食べ損ねたから……」

「そういえばそうだったな」

 

 俺もさすがに腹が減ってきた。

 で、そこで永倉新八の後ろからひょっと出てくる細身の人影。

 

「私が何か作りましょうか?」

「家永生きてた!」

 

 お話の続きは、食事の席でされてはいかがでしょうか。

 

 

 

 

 と、いうことで。

 

「“なんこ鍋”でございます」

 

 江渡貝邸の長机を借りて、家永特製の鍋料理を囲む。

 

「おい家永……この肉、大丈夫なやつだろうな……?」

 

 箸でつまんだ肉をじっと見つめる白石。俺は同じテーブルに皮剥がされた人間の剥製が座ってることのほうが気になるけどね。

 

「ご安心ください。“なんこ”とは方言で馬の腸という意味ですから。馬のものを使ってます」

 

 途端に噴き出す愛馬家キロランケ。俺の愛馬が!

 要するにモツの味噌煮込みで、この辺りの炭坑夫の郷土料理らしい。

 

「…………」

 

 鍋は美味い。美味いのだが。

 問題は、今の俺がなぜか杉元と尾形の間に挟まれているという点である。

 事の次第としては、キロランケ、白石と来て、杉元がその隣に着いたので。俺も詰めて座るかと思ったら、その隣になぜかすぐさま尾形が来てしまったのが原因である。

 同陣営のはずのアシㇼパがタッチの差で負け、彼女は「しょうがないなあ〜」みたいなシパシパ顔で許容していたが、杉元はすごい勢いで尾形を威嚇していた。もう気まずい。

 

「……あんたら、その顔ぶれでよく手が組めてるな」

 

 しかも杉元煽る。もう煽る。

 

「特に、尾形百之助……こいつは鶴見中尉の手下だったはずだ。一度寝返った奴はまた寝返るぜ」

 

 身内の前でめちゃくちゃ言うじゃん。俺はどう反応するのが正解なの?

 とりあえず無視して飯を食う。なんか喉乾いてきた。

 

「杉元……お前には殺されかけたが、俺は根に持つ性格じゃねえ。だが今のは、」

「嘘つくんじゃねえ、タマさんお前のことかなり根に持つ性格って言ってたぞ!」

「ちょ百之助そこの土瓶取っ……え?」

「…………」

 

 つい実家ノリで尾形に茶を取らせようとしたら、思いもよらぬ方角からの流れ弾が飛んできた。おい馬鹿バラすな杉元。

 どういう感情なのか尾形の目が瞬時にキュッとなって、それでも染みついた癖なのかちゃんと土瓶を取って、しかも湯呑みに注いでくれた。やさしい。

 

「……ありがとう」

「…………」

 

 土瓶を戻した尾形はむすっとしたまましきりに髪を撫でつけていたようだが、やがておもむろに、

 

「…………、随分とこいつに馴れ馴れしいようだが……お前が小樽で俺にしたことは話したのか? 北海道までわざわざ俺を探しに来た女に対して、お前は今までどの面を下げて接してきた?」

 

 あーもうなんかさっそく面倒臭い。

 そう来たか。杉元を不快にするためなら俺の存在を引き合いに出すことも厭わない、という強い意志を感じた。

 杉元も放っておけばいいものを、そもそも尾形みたいな男がめちゃくちゃ癇に障るタイプなのか、几帳面に青筋を立てている。

 

「俺の腕を折り──銃剣を突き立てようとした手で、そいつに触れたのか? 傷つけぬように優しく? どんな気持ちだ? 教えてくれよ、不死身の杉元ォ……」

「っ、テメエ、」

「やめなさい百之助」

 

 煽り全一かよ。いよいよ隣からシンプルな殺意を感じたので、ひとまず仲裁しておく。

 

「…………」

 

 で、なんか知らんが素直に黙る尾形。

 杉元のことは語彙をフル活用して煽るくせに、俺については不自然なくらいノーコメントか。昔から尾形は俺をほぼ叱らないんだよな。別に俺が良い人間だった訳ではない。

 

「……怒られてやんの」

「杉元もだ」

「ハイ」

 

 5歳児か。

 

「……タマは、これからどうするんだ?」

 

 クッソ低レベルな喧嘩が一区切りついたところで、頬に異常な量の米粒をつけたアシㇼパが俺に尋ねてくる。いやどう食ったらそうなんの?

 杉元と白石もそれは気になっていたのか、2人の視線が集まるのを感じる。アシㇼパの頬の米粒を気にしろよ。ていうかちょっと待て、モツの筋噛みきれない。

 

「尾形百之助は見つかった訳だけど」

「……ん、百之助がおとなしく私と実家に戻ってくれるというなら、手を引くけれど? アシㇼパお弁当ついてる」

「ん」

「お弁当っていうか一個小隊分の食糧って感じだけど」

 

 手を伸ばして米粒を取ってやる俺の頭上で、ちょっと嫌な顔をする尾形。最終的にぷいっと目を逸らして意思表示してくるのを、背後の杉元たちに顎で示す。

 

「……ね」

「なんか言えよ」

 

 ド辛辣杉元。やめてあげてください、見かけによらず繊細な子なんです。

 

「もし、ここであなたが“駄目だ”と言ったとしても、私は今まで通りアシㇼパと杉元の旅に同行するだけだから」

 

 尾形がいるからと言って、俺の籍が土方陣営に移る訳ではない。アシㇼパ杉元には変わらず助けてもらった恩があるし、無理筋な理論という訳でもない。

 

「私は構わないぞ。な、杉元」

「……ああ」

 

 明るく頷いてくれるアシㇼパはともかく、なぜか軍帽の鍔を下げながら答える杉元。怖いんですけど。

 

「あなたがここで何か成し遂げたいことがあるというなら、最後まで見守るよ。おとなしく実家に、と言ったけれど、あなたにそれを強いる権利は私には無い。あなたに私を縛る権利が無いように」

 

 尾形は、しばらく無言で俺を見つめていたが。やがて、髪を撫でつけながら、

 

「……好きにしろ」

 

 ぼそっと呟かれた言葉に、なぜかアシㇼパのほうがほっとした顔をしていた。

 

「相変わらず、肝の据わったおっかねえ別嬪さんだよ」

「良いじゃねえか。女は度胸だ」

 

 にゃあ、と足元でねこまんまにがっついていたハチワレ猫が、得意げに鳴いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日。

 熊岸長庵目当てに月形の樺戸監獄に向かう前に、江渡貝邸、夕張炭鉱と二手に分かれて。前者は残された贋物の手がかり、後者は月島軍曹の死体を探すことになった。

 俺はまあ、尾形がいるから、と土方率いる江渡貝邸の探索チームに加わった訳だが。

 

「三十年式欲しいなあ」

 

 俺の呟きに、振り返った尾形がやや不可解そうな顔をする。手に入れる機会がなかった訳ではないだろう、という雰囲気だった。

 

「買えばいい」

「撃ち方がわからないから」

 

 戸棚を漁る音が、止んだ。

 

「……あいつに教わらなかったのか?」

 

 今度は振り返らないまま、尾形が淡々と問うてくる。杉元のことだろう。彼は三十年式を使っているし、実際、教えてあげると申し出てくれたこともあった。

 でも。

 

「百之助に教えてもらおうと思って」

「…………」

 

 無言の返答。いつもの癖をやりながら、自然なふうで遠ざかってしまう。あれ?

 うーん、良かったんだか良くなかったんだか。「確かにそうだね」とか返すよりはマシな答え方だったと思いたいが。

 尾形が部屋を出て行ってしまったので、しょうがなく1人で部屋の剥製を眺める。俺がここで判別の手がかりを見つけてもしょうがないんだよ。

 ……で、その背後に忍び寄る影。

 ズズズッ。

 蕎麦でも啜るような不快な響きに思わず振り返ると、至近距離でばっちり目が合った。

 

「うわ」

 

 言うまでもなく、家永カノ。

 彼は未だズチャチャ、と舌なめずりと歯軋りの境目のような舌技を真顔で繰り返している。妖怪?

 

「気色悪い」

 

 俺の率直な罵倒にもめげない家永、ぐいぐい顔を寄せてくる。やめろ。

 

「あのホテルで私があなたに打ち込んだ液体……成人男性の致死量を超える毒を配合してありました」

「そう……」

 

 そんなことだろうと思ったけど。こいつが言いたいのは、それでは無いのだろう。

 

「その並外れた強靭さ……どこを食べたら手に入るのでしょう?」

 

 出たぁ(ドラえもんバトルドーム)!

 

「まるで不死身のよう」

「…………」

 

 不死身。──家永としては単なる比喩表現なのだろうが、本質を突いた発言だった。

 こいつが俺の肉を食えば不死身になるのかな。

 その検証に興味がないと言えば嘘になったが、家永カノには“死ぬべき時”があるのだ。

 

「血液? 肝臓? ……それとも、心臓?」

「それ以上俺に近づいたらこいつでドタマぶち抜くぞ家永ァ」

「やんっ」

 

 それはそれとしてシンプルにウザいので、わざとらしく弾薬を装填して、横目で睨みを効かせる。んまあ、我ながらお行儀の悪い。

 尾形にはナイショだよっ!

 ぶりっ子する家永が距離を取って、一息ついたのも束の間。

 ──隣で、窓ガラスが割れる音がした。

 

「あッ!?」

 

 尾形の焦ったような声。

 家永がつられて部屋の外に出て、俺もそれを追いかける。

 

「どうしたんでしょう……っ、!?」

 

 床を舐める炎の舌に、仰け反る家永。

 この時代の建物は、レンガでなければ大抵は木製だ。火の回りは早い。

 わかっていたことだが、第七師団の兵士が攻め込んできたらしい。

 

「火事です! 逃げないと……!」

「外に出るな。撃たれるぞ」

 

 玄関に向かおうとする家永の首根っこを掴んで、引き戻す。とりあえず開いていた窓の近くまで誘導して、

 

「煙を出来るだけ吸い込むな。何でもいい、布を口に当てろ、……」

 

 姿勢を低く、と付け加えようかと思ったが、やめた。結局は牛山たちが助けに来る。その時に外から姿が見えなければ、元も子もない。

 

「タマさんは、」

「尾形の援護に行く」

 

 お気をつけて、とさっきまで俺の血肉を貪ろうとしていた人物のそれとは思えないエールを背に、急な階段を駆け上がる。

 中腹に差し掛かったあたりで、上がってすぐの部屋から鈍い打撃音が聞こえてきたのに気づいた。ほぼ同時に、階下がにわかに騒がしくなる。杉元たちが乗り込んできたのか。

 とにかく上がり切って、部屋に駆け込む。煙漂う中でも見えた、部屋の隅で仰向けに倒れた尾形と──それに跨る軍服の男。

 とっさに、家永のことで既に準備万端だった銃を構えて、引き鉄を、

 

「っ、」

 

 ──撃つな!

 すんでのところでシナプスにブレーキを掛け。とっさに引き鉄ではなく銃身を掴んで、長物の要領で少し離れた位置の男目掛けて振り下ろす。

 

「がッ」

 

 濁った声を上げて倒れ伏す兵士。まだ息はあるようだが、もう動けないだろう。

 それを退けて上体を起こした尾形が、俺を無言で見上げてくる。

 ──ぎりぎりで間に合った。

 胸を撫で下ろす。

 尾形のことではない。……人間に向けて銃を撃たなかったこと、だ。

 殴るのと撃つのとでは訳が違う。

 抵抗ではなく、殺傷するための手段に躊躇いがないところを見られてはまずい。

 

「……大丈夫? 百之助」

 

 なぜか立ち上がらない尾形に、一応手を差し伸べてみる。彼はなぜか倒れた兵士にちらっと視線をやって。傍らに落ちていた、その兵士が使っていたらしい三十年式を、差し出した手のひらに乗せてくる。

 

「おいそれさっきまで殴られてた銃だろ」

 

 めちゃくちゃ自然に渡してくるので受け取りそうになったが、普通にちょっと嫌。

 

「……タダで手に入った。喜べよ」

「血ついてるんだけど」

 

 そんなこと言ったら俺のスペンサー銃の銃床にも兵士の血は多少ついているが、身内の血だと“嫌”の次元が違う。

 そんな俺の訴えは無視して、再び窓に近づいていく尾形。一発撃って様子を見ていたかと思えば、窓に背を向け。

 

「行くぞ……タマ」

 

 俺に向けて、手を差し出してくる。

 

「……うん、」

 

 温もりの足りない指先に五指を重ねると、しっかり握り返された。そのまま階段へ走り出すのを、慌てて追いかける。

 杉元は結局、上がってこなかったな。俺がいるからいいと思ったのかもしれない。

 

「逃げるなら今しか無いッ! 急げ!」

「行くぞジイさん!」

 

 杉元の声が、少し離れたところから聞こえた。いよいよ建物全体に火が回って、いつ倒壊してもおかしくない状況だ。

 何とかぎりぎりのところで脱出したが、他のメンツはとっくに離脱が済んでいたようで。遠ざかっていく背中がちらっと見えた。

 

 

 

 

「……こいつらと?」

 

 しばらく走って、夕張の街中。

 ようやく他のメンバーと合流できたのはいいが、馬に乗った土方たちはもう出立するところだった。聞き取れたのは、呆気に取られたような牛山の呟きだけ。

 

「何の話だ?」

 

 尾形の疑問に、3人が振り返る。振り返って、まず俺たちの顔を見て。……次に、繋がれたままの手を見る。じっと、無言で。

 そこでようやく気づいたのか、尾形がそれとなく手を離してきた。ようやく温まってきたところなのに。またすぐに冷たくなってしまうのだろうな、とぼんやり思う。

 

「…………」

 

 で、誤魔化すように黙って背を向けてしまう。しょうがないので俺が代わりに聞いておく。

 

「で、何だって?」

「二手に分かれて、月形の樺戸監獄に向かうことになった。タマは私たちと一緒だ」

 

 牛山の肩で戸愚呂兄みたいになったアシㇼパが、簡単に状況を説明してくれる。

 ようやく、か。

 なんとなくそんな気持ちになった。

 

「……じゃ、行こうか」

 

 三十年式を、担ぎ直す。金塊争奪戦も、アイヌの独立も、本質ではない。なかった。

 “尾形タマ”の旅は、ここから始まるのだから。

 

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