【完結】「不死身(物理)なら尾形を愛せるのでは」という仮説とその検証について   作:捕まえようとした蝶

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19話 作麼生・説破

「用心して、他の人間とは出来るだけ接触せずに、月形の樺戸監獄まで移動したほうがいい。土地の人間の目撃情報なんかを伝って追跡されるからな」

 

 夕張を出た俺たちは、第七師団の監視の目を避けるため、山中の道なき道を進むことで月形へと向かっていた。

 俺を含めて山歩きには慣れたメンバーばかりなので、何の問題もない。

 問題があるとすれば、俺の古い銃だった。

 残弾数が7発を切り、いよいよ鈍器以外の使い道がなくなったスペンサー銃。かと言って俺は二瓶鉄造ではないので、小銃2丁持ちなんて嵩張る上に無駄な真似はできない。

 ただ、ちょっと特殊な銃ということで、むやみに捨て置くのも良くないという話になったのだ。避けられるリスクはできる限り避けるべき、ということである。

 

「すみません、先生。荷物を増やして」

「良いってことよ」

 

 で、牛山に持ってもらっている。鬼に金棒とは言うものの、牛山レベルの鬼神ならばそんな“金棒”は邪魔なだけだろう。

 

「俺もこの際、ライフルの使い方をちゃんと覚え直すかな」

「確実に必要ないと思いますが……」

 

 もはやデバフまである。

 鈍器扱いにしても、銃なんかで殴るより、明らかに自前の拳で殴ったほうが重い一撃が入るだろう。

 

「見ろ、2人とも」

 

 そこで、アシㇼパが呼びかけてくる。……まあ、杉元と、俺のことなのだろう。

 顔を向ける。彼女が指差す先、クチバシの細長い鳥が地面を器用に歩いていた。

 

「トゥレㇷ゚タ チㇼがいる」

「トゥレㇷ゚タ?」

「ヤマシギだ」

 

 ヤマシギ。聞いたことのあるような、ないような。動物に興味がないもんで。

 クチバシがオオウバユリの根を掘る“トゥレㇷ゚タニ”に似ているから、ウバユリを掘る鳥──トゥレㇷ゚タ チㇼと呼ばれるのだ、というアシㇼパの豆知識を聞きながら。俺は、まん丸の目がやたら上についているせいで不安になるフォルムだな、と考えていました。デザインに失敗したぬいぐるみみてえだ。

 

「美味いの?」

「脳みそが美味い」

「出た脳みそ」

 

 俺たちの会話を聞いていたらしい尾形が、少し離れた場所で、すっと銃を構えて。しかし、アシㇼパに見咎められる。

 

「おい、百之助! やめておけ」

 

 ほぼ面識のないアイヌの娘に、いきなりファーストネームを呼びつけられたことが衝撃だったのか。尾形がきゅっと瞳孔を細める。

 無言で視線を逸らしたのち、

 

「…………、食うんだろ?」

「1羽に当てられたとしても、他のが逃げてしまう」

 

 蛇行して飛ぶので、その銃で仕留めるのは難しい。アイヌはヤマシギの習性に詳しく、たくさん獲れるくくり罠の仕掛け方を知っている。

 真面目な顔で、懇々と止めるに至った根拠を語るアシㇼパ。……の後ろで、「怒られてやんの」顔の杉元。懲りないねえ。

 

「フン……」

 

 で、わかりやすく拗ねる尾形。このやり取りの中で一番精神年齢が高いのがアシㇼパなの、何かのバグか?

 離れていく尾形の背中を見つめる肩に、ぽんと置かれる小さな手。振り返ると、したり顔のアシㇼパと目が合った。

 

「……なに?」

「あとで慰めてやれ。な?」

「まあ……いつものことだから……」

「いつものことなんだね」

 

 罵倒ならともかく、正論言われて不貞腐れるルーティンまでフォローしていてもしょうがない。当人の気質みたいなものだ。

 尾形から、地面をうろちょろするヤマシギに視線を戻す。

 

「あ、ヤマシギが掘り出したミミズ食べてる」

「かわいいッ」

「かわいい……?」

 

 杉元の感覚、よくわからんな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結局、その日はヤマシギを見つけた川辺で夜を明かすことになり。

 並んで眠りについたまではいいが──体が持ち上がるような微妙な浮遊感で、目が覚めた。

 

「……ん、……?」

 

 瞼が開く。辺りはまだ明るくなったばかり、という雰囲気だった。

 他の3人はまだ眠っているようだ。じゃあ何だ、と視線を彷徨わせたところで。

 

「……ひゃくのすけ……?」

 

 俺の隣で寝ていたはずの尾形が、体を起こそうとしていた。どうやら、彼が身動ぐ度に妙な浮遊感じみたものが襲ってきている。

 どういう訳だと視線を向けると──何のことはない、俺がうっかり尾形の外套を下敷きにして寝入ってしまっていたせいらしい。要するに、彼は重石の俺から上着の端を引っ張り出そうとしていただけ。

 

「悪い、……起こしてよかったのに」

 

 起き上がって、解放してやる。

 ようやく立ち上がれた尾形は怒るでもなく申し訳なさそうにするでもなく、無言で銃を担ぎ直しただけだった。どこかに行こうとしているのだろうか。こんな朝っぱらから。

 

「どこに、……」

「……寝てろ」

「俺も行く、」

 

 手に入れたばかりの三十年式を担いで、遠ざかっていく背中を慌てて追いかける。ああ、寝起きのせいで足元がふらつく。こちとら何の訓練も受けてない一般人なんでね。

 先を行く尾形の足が止まったのは、昨日アシㇼパたちと手分けして罠を仕掛けたエリアから、少し離れた場所だった。

 どっかと地面に座り込んだ尾形が、構えた小銃で狙うは、

 

「……ヤマシギ?」

 

 昨日と変わらず、地面を行き来する鳥の群れ。──ああ、そういえば、だった。

 アシㇼパの発言に不貞腐れた尾形は翌日、単独でヤマシギを獲ってくるのだ。隣に座って、彼が淡々と鳥を仕留めていくのを見守る。銃声は2回。撃ち落とされた鳥は、2羽。相変わらず、機械みたいな腕前だ。

 で、立ち上がって獲物を回収してきたのを、ぱちぱちとぬるい拍手で出迎える。が、尾形はここに来て呆れたような顔で、

 

「なんで来た」

「三十年式の撃ち方……」

 

 教えてもらいたくて。

 あくびを飲み込んでそう伝える。ため息とともに、彼が再び隣に腰を下ろしてきた。

 いいから戻っていろとは言われなかったことにほっとしつつ、

 

「早く、撃てるようにならないと」

 

 撃てない銃を、それこそお飾りの威嚇用としてぶら下げていたってしょうがない。

 何気ない呟きだったが。

 尾形が、俺を見た。

 

「…………」

「……、?」

 

 単に視線を向けたというには慎重な仕草に、うっすら疑問を覚える。しかし、首を傾げたところで目を逸らし。こちらに手を突き出して、

 

「……貸せ」

 

 教えてくれるようだ。が、尾形はその自分をボコボコにした三十年式が手元に来るなりむっとした表情になる。

 

「手入れがなってねえ」

「まあまあ……」

 

 ……ということらしい。銃と銃と銃のことしか得意じゃないだけはある。俺には違いがわかりませんが。

 話が進まないので適当になだめておくと、尾形は嘆息しつつも、腰に巻いた弾薬盒に手を突っ込んで。弾を取り出してくる。

 

「──装弾数は5、」

 

 指先に挟まれた、底を何か金属の留め具で纏めて固定されている5本の実包。

 

「5……7じゃないのか」

「スペンサーはそうだったな。気をつけろ」

 

 頷く。いつもの感覚で撃っていたらいつの間にか弾切れを起こす、ということだ。

 

「これは?」

「挿弾子だ。これごと装填する」

「へえ」

 

 何度も言うがミリオタでも何でもないので、誰でも知っているようなことしか知らないし、原作の銃を留意して見た覚えもない。まあ、尾形の講釈を素直な気持ちで聞けてよかったとでも思うべきか。

 

「お前が使っていたスペンサーと三十年式では仕組みがまるっきり違う。前者のほうが装填から排莢までの一連の動作は速い。だが、暴発の危険も多かった」

 

 それすら言われてみれば、という感じだった。

 

「三十年式の発明は偉大だったが、それがなくとも株を奪われていただろうな」

「…………」

 

 なぜか得意げ尾形。こいつ銃のことになるといきなり饒舌になるよな。

 ……と、教えてもらっている立場でそんなちくちく言葉をぶつける資格はないので、無言の視線で続きを促す。

 

「撃ち方だ。安全子を引き出して、倒す。これが起きていると引き鉄が固定されて撃てない。槓杆を起こして引くと、弾倉が露出する。実包を押し込み、挿弾子は取り除く。この状態で槓杆を戻し、薬室が空の状態で一度空撃ちする」

 

 丁寧な手つきで解説してくれる。

 取り除くんだあ。スペンサーは弾の入ったチューブごと弾倉にぶち込んでましたが。実包かさばらなくていいね。

 

「槓杆を元の位置に戻す。これで撃てる」

 

 そう呟いた瞬間、いきなり目にも留まらぬ速さでボルトを押し込んで。おなじみ座射の姿勢で、即座に第一射。再びボルトを操作し、空薬莢が地面に転がる。

 

「……排莢。ここまでだ」

 

 うーん、最後のほうが流れるような一連の動作すぎていまいち頭に残らなかったが、多分大丈夫!

 

「簡単」

「そうか」

 

 三十年式を俺に渡そうとして。はたと、動きが止まる。何、と思ったのも束の間、再び銃を手元に引き寄せた尾形は、

 

「この、遊底止にある槓杆止。ここを押しながら、槓杆を引くと──」

 

 小さな出っ張り。そこを薬指と小指で押さえながら、人差し指と中指でボルトを挟み。開放されたそれを引き抜く。──こうやって記すと随分ちんたらした動作に見えるが、ほぼ一瞬の出来事である。

 抜き取ったボルトを器用に指の先で回しながら、

 

「……これで、この銃は撃てなくなる」

 

 で、出た〜、伝家の宝刀ボルト抜き。

 鶴見中尉もやってたけど、こんな芸当とっさにできるかな? まあ、怪しい小銃があったらとりあえずボルト抜いとけってこと?

 

「……覚えておいて損はねえ」

 

 ボルトを再び銃に収めながら、尾形が言う。俺で役立てられるといいけどねえ。

 それで今度こそ銃をこちらに返してきたかと思えば、

 

「撃ってみろ」

 

 ええ?

 ……今の俺の心境、まだうろ覚えの業務をいきなりベテラン上司の目の前でやらされることになった時のそれ。

 

「…………」

 

 まさかここに来て嫌ですと言う訳にもいかず、恐る恐る三十年式を構える。尾形式座射には慣れていないので、いつも通りのやり方で。途端、ため息が降ってきた。

 

「どんな構えだ。変な癖がついてるな」

「我流なもので……」

 

 それからはもう散々で。ちゃんと肩に委託させて安定させろとか、表尺があるんだから使えとか、手の位置がおかしい重心を支えろとか、俺は陸軍二等卒かと錯覚するような尾形上等兵殿の有り難いご指導が入りまくった訳だが。

 

「……まあ……狙いのつけ方は悪くない」

「アリガトウゴザイマス尾形上等兵殿」

 

 最終的に、とりあえず当たってるからいいか……ということで放免された。身内補正がないまま尾形にねちねちやられていたであろう谷垣一等卒その他に、合掌。

 はあ。

 嫌な汗をかいてしまった。北海道の朝はまだまだ涼しいはずなのに、文字通り撃ち方を手取り足取り教わっていたせいで、密着した背中のあたりが少し蒸し暑い。

 絵面だけ見れば座った状態のあすなろ抱きなのだが、行われているのはパワハラぎりぎりの射撃指導である。

 ヤマシギは既に手に入っているし、これ以上鮮度が落ちる前に戻るか。

 そう思って、立ち上がろうとしたのが。

 ──動けない。

 

「っ、」

 

 尾形の両腕が、俺の胴体をがっちり捕らえていた。俺が動いたことは伝わったはずなのに、腕を緩めてくれる気配はない。何か、意志のようなものを感じた。

 

「……百之助……?」

 

 タマ。

 抱きすくめられたまま、名前を囁くように呼ばれる。すぐ耳元で。

 そのせいだけではない悪寒のようなものが、汗ばんだ背に走った。

 何か嫌な予感、

 

「あの銃で誰か殺せたか?」

 

 ひゅ、と。喉が乾いた音を立てた。

 ……殺せた?

 愉快げな響きを含んではいたが、からかっているふうではなかった。どこかで見た覚えのある問いに、背筋を冷たい汗が伝う。

 

「江渡貝剥製所で……俺を襲っていた兵士を、わざと撃たなかったな?」

 

 いやバレてーら。誰だよぎりぎり間に合ったとか言ったやつ。

 

「何故だ? ……手を汚したくなかったからか?」

 

 どくどくと、自分の鼓動がうるさい。……いや、これは尾形のものか?

 

「ここまで来ておいて、自分は清いまま、この争奪戦をやり過ごすつもりか?」

 

 清い人間。尾形は、俺をそう思っているのか。アシㇼパや、──勇作と同じように。朦朧と思う。彼はまだ話し続けている。

 

「なぜ三十年式の撃ち方を習いたがった? アイヌやマタギの真似事で、食うための獣を仕留めるためか? ……違うはずだ、」

 

 骨張った指先が、俺が構えたままの銃のラインをなぞる。ゆっくりと、しなやかに。見せつけるような仕草だった。

 スペンサー銃も、戦争で使われていた銃ではあるが。そう前置きして。

 

「三十年式歩兵銃……洗練された、美しい形をしている。人間を効率良く殺すためだけに生み出されたモノ」

 

 手の中の銃。あの兵士は、これで誰か殺したことがあるのだろうか?

 

「お前はたった今、人間の殺し方を覚えた。他ならぬお前自身が望んだことだ」

 

 もう、後戻りはできない。俺を優しく抱きしめた悪魔が囁いてくる。硝煙の香り。ああ、頭がくらくらする。

 

「お前がこの銃で殺すところを見てみたい」

 

 そうか、俺は見たくないけど。

 いや、何か言わないと、

 

「……駄目だ、」

 

 せめてもの抵抗で、後ろ手にやんわりその胸板を押し返したけれど。

 

「何故?」

 

 鋭く問いが飛んでくる。尾形がぐっと顔を寄せてくる。離したはずの身体が再び重なって、俺の頭上に昏い影を落とした。

 

「お前は俺と同じ、欠けた人間のはずだ」

 

 逆光。それが生み出した暗がりの中で、尾形は無表情のまま、俺を見つめていた。

 同じ。単なる事実以上の意図が込められた呟きに、唾液を飲み込む。喉が、乾いていた。

 駄目だ。唇を動かす。

 

「人間を殺すと、罪悪感が生まれるから」

「……罪悪感?」

 

 くっ、と片眉が跳ね上がって。歪んだ唇から尖った歯並びが覗く。珍しく、悪辣さを全面に押し出した笑みだった。

 

「帰還兵に言う台詞じゃねえな。お前は日露戦争で俺に死んでいてほしかったのか? 罪悪感ゆえに敵兵を殺さず、代わりに殺される、清く正しい愚か者として」

 

 クソ、尾形のくせに痛いところを突いてくる。

 しかし、人殺しはいけません、などと戦場帰りに説いても仕方がないのは事実だ。戦争が事実として起こり、彼らが命を賭して動員されてしまった以上、それは単なる綺麗事の嫌がらせでしかない。

 負けを認めて死ねという勇気はないのに、馬鹿げている。そういうことだ。

 尾形の読み通り、反駁に詰まった俺に対して、彼は饒舌に畳みかけてくる。

 

「俺はあの203高地を生き残った。それは決して、1/2の当たりくじを引いたからなどではない。俺に罪悪感は存在しなかったからだ」

 

 てかおい、なんか理論が原作よりも進化してないか!?

 勇作殿とどんなやり取りをしてきたのかなんてわかりようもないが、とにかく日露戦争を経て尾形の理論が嫌な形で煮詰められてしまっているのを肌で感じる、

 

「道理だ」

 

 聞き慣れた単語に。

 はっ、とした。

 道理。──これまでになく落ち着いた気持ちで、その底の無い瞳を見つめ返す。

 

「明確な道理さえあれば、罪悪感など覚えず人間は人間を殺し得る。それができなかった奴から死んだ。罪悪感などというまやかしに惑わされた、“清い”人間から」

 

 結局は、それか。

 変わらぬ本質を前に、俺の胸に去来するのは、安堵か、空虚か。

 道理。道理。口の中だけで繰り返して、舌ですり潰して、飲み下す。何の味もしなかった。呟いてみる。

 

「……道理、」

 

 いつの間にか、笑みがこぼれていたらしい。尾形がすっと目を細める。

 

「何がおかしい?」

 

 何がおかしいって。

 そうだ、

 

 ──道理も、所詮はエクスキューズに過ぎない。

 ──それを欲する心の動きこそが罪悪感の発露であり、お前が欠けた人間などではない証拠なのだから。

 

 7年近くも前に考えたことを、今なお自分ごととして噛み締める。

 顔を上げる。

 ああ、尾形百之助。

 

「……その生み出した道理こそが意図的な閉目であり、罪悪感なのでは?」

 

 滲んだ汗が、緩くつり上がった頬のラインをなぞるように伝って。銃身に、滴った。

 尾形が、静かに目を瞠った。

 沈黙が落ちる。

 

「──────、」

 

 やがて、血の気のない唇が薄く開いて、何かを言いかけて。また、噤んでしまう。けれど、尾形は落ち着いていた。恐ろしいくらいに。

 ああ。彼が、喉の奥から絞り出すようにそう漏らして。

 

「よく、わかった」

 

 雰囲気が、温む。──それに、一瞬でも油断したのが良くなかったのだろうか。

 強引に腰を捻り、前面を向けた俺の上体。今度は背後からではなく、正面からそれを優しく抱きしめられて。硝煙の香りがする肩口に顔をうずめたところで、

 

「…………ぁ、?」

 

 違和感に、体を離す。

 今度は抵抗されなかった。

 恐る恐る視線を下げる。何かが、腹から生えていた。否。深々と突き刺さる、

 

「ゔ、」

 

 激痛。背筋が一瞬で冷たくなった。

 視界の端に、中身のない銃剣の鞘が映る。臍下丹田の位置に突き立てられたその刀身。

 ──また、かよ。

 復旧不可能なダメージに、ぐらりと傾いだ体を受け止められる。

 熱くて冷たくて、息が苦しい。目眩がして、吐きそうだ。しきりに上下する背中を撫でられる。穏やかに、慈しむように。

 

「おが……た、」

 

 俺の虫の息に応えるように、耳道に淡々と吹き込まれる囁き。

 

「俺は、罪悪感など感じない」

 

 ──それは、“大切”であるはずの俺を殺しても?

 

 

 

 

「…………」

 

 そこでふと気づいた。

 足音が、近づいてきている。

 背後から迫る、第三者の気配。尾形は俺を抱きしめたまま動かない。

 

「おい、尾形」

 

 やがて、杉元のそれとも違う、低い男の声。……牛山だ。そう思った。

 目覚めて尾形が近くにいないので、同陣営のよしみで探しにきたのだろうか。

 

「朝から何やって、……あのお嬢さんも一緒か?」

 

 胡座をかいた尾形の背から飛び出す足を見たのだろう。あと少し歩いて、ちょっとでも覗き込めば“見える”距離だった。

 ぜいぜいと落ち着かなかった呼吸はもはや下火になって、普通の寝息程度に落ち着いていた。これ以上良くなることはもちろん、無い。脱力した手足が冷たくなっていく。

 

「どうかしたのか、」

 

 呼びかけに反応しない俺を見て、牛山が平坦に問うてくる。

 尾形は、焦るそぶりも見せなかった。真っ直ぐ前を見据えたまま、唇だけが動く。機械のように。

 

「寝てるだけだ」

 

 落ち着いた、いつも通りの声。

 相手は尾形とはいえ、仮にも家族だった男の言うことだ。牛山は全く疑った様子もなく、ははっと軽妙な笑い声を上げて、

 

「仲が良いねえ、まったく」

 

 牛山に、助けてほしい訳ではなかった。

 おそらく、そのはずだった。

 そもそも、この傷ではもう助からないだろう。バレても面倒だ。……それでも。

 

「……っ、……」

 

 最後の力で、伸ばしかけた手を。

 ──尾形のそれが、難なく捕らえて。深く、指を絡めてくる。檻から出られぬまま、重なり合って、胸元に墜落する冷たい手。

 

「……すぐに戻る」

 

 微かに掠れた、低い呟きが耳を打つ。

 柔らかな死刑宣告。

 最後に見たのは、既に息絶えたヤマシギたちの、光を失ったボタンのような眼だった。

 

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