【完結】「不死身(物理)なら尾形を愛せるのでは」という仮説とその検証について   作:捕まえようとした蝶

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24話 ズーフィリアってかネイチャーフィリア

 鳴り響いた銃声を頼りに足を向けた林の中、見慣れた白い外套の背中が見えた。

 良かった、方向合ってた。

 

「──頼めよ。“助けてください、尾形上等兵殿”と」

 

 空砲の薬莢を吐き出しながら、尾形が悠然と呼びかける。こちらからではまだよく姿が見えないが、“彼”も居るのだろう。

 銃を捨てろ。

 誰かが叫んだ。聞き慣れない声だった。インカㇻマッが言っていたアイヌの男か。

 多少急いだほうがいいな。

 尾形の横をすり抜けて、俺が多少ひらけた場所に出たのと──膝をついた谷垣源次郎が口を開いたのは、ほぼ同時だった。

 

「あんたの助ける方法なんて、」

「──“助けてください、尾形上等兵殿”」

 

 淡々と復唱しながら。幾つもの銃身越しに、ずぶ濡れの谷垣と視線が絡んだ。

 谷垣は尾形にぶつけかかった制止を飲み込んで、代わりにいきなり現れた俺にぎょっと目を瞠る。尾形からは特に目立った反応は無し。

 

「っ、尾形タマ……」

 

 低く、唸るような呟き。もうそれ尾形と会った時とほぼ同じ反応じゃん。あの短期間でどんだけ俺は警戒されてんだ?

 

「谷垣源次郎」

 

 アイヌの男数人に取り囲まれたその姿を、見るともなしに眺める。少し見ないうちにまたムチムチ度が増した気がする。濡れて張りついたシャツがセクシー。

 まあ、ファースト写真集の表紙を飾れそうなドジスケベマタギはどうでもよくて、今問題なのは未だ殺気立っているうちのセクシー上等兵のほうだ。とりあえず敵意バリバリなこの姿勢のままだと話が進まないので、

 

「百之助──銃を下ろせ」

 

 構えた三十年式改め、三八式の銃身に手を乗せ。やんわり力を込める。

 

「…………」

 

 尾形は一瞬こちらを見て、でも、それだけだった。抗うことなく銃口を下向ける。

 とりあえずこれでいい。

 残る問題は、尾形がいたずらに刺激してしまった地元のアイヌたちだが。

 

「……テッポ アマ ヤン」

 

 俺たちの動きを見てか。最も年嵩らしい老爺が、小銃を構える男たちに振り返って言った。俺にアイヌ語はわからないが、男たちはそれで渋々といったふうながら銃を下ろす。

 さらにその老爺が続けるには、

 

「コタン オレネ チトゥラ ワ パイェアㇱ」

 

 うーん、なんて?

 多少複雑な文法のリスニングはさっぱりです、助けてアシㇼパ先生〜!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 どうやら、彼は「村に連れて行く」というようなことを言っていたらしく。

 男たちに引きずられていく谷垣を追いかけた先、辿り着いたのは彼らのものらしいコタン。そこでは既にアシㇼパと杉元が待機しており、ヘペㇾセッ──子熊用の木檻に拘束された谷垣を囲んでの言い争いに、彼らとともに巻き込まれることとなった。

 

「殺してはダメだ」

「でも逃せば同じことを繰り返す」

「和人なんだから警察に連れて行けッ」

 

 アイヌの中でも意見が割れているらしく、ひとことで言えば、カオスである。

 まあ、和人が動物を強姦殺害して回るなんて事件は前代未聞だろうし、彼らもジャッジしかねているのかもしれない。そうそう起きて堪るかこんなもん。

 ──最終的に、なんか体の部位をいっぱい切って放逐しようみたいな方向性で纏まり出してしまったので、

 

「ちょっと待った」

 

 静観していた杉元が、さすがにその間に割り入った。しかし、

 

「お前もこの男の仲間か!? 退けッ」

 

 杉元よりも上背のがある巨漢のアイヌが、固めた拳をその顔面に叩き込んできた。

 ……彼は、その一撃でノックアウトできると思ったのだろう。だが、こちらは帝国陸軍が誇る不死身の鬼神。ふらつきさえしなかった杉元は悠然と軍帽の鍔を上げ、

 

「……まあまあ。落ち着きなって」

 

 瞬間。巨漢のアイヌは躊躇なく腹パン。次いで流れるように横っ面をぶん殴る。

 

「杉元ッ!」

 

 見かねたセコンドアシㇼパが声を上げる。が、彼女が案じているのは無論、杉元の身ではなく相手のアイヌの無事である。

 

「…………」

「…………!」

 

 案の定ピンピンしている杉元は、無言で彼女を制止して。鼻血で汚れた顔ににこやかな笑みを浮かべたかと思えば、

 ボコォン。

 彼の良い右ストレートが、顎に入った。

 不死身の一撃を食らった巨漢は、ぐらっと大きくふらついて。──そのまま、後ろにひっくり返って動かなくなった。

 

「…………」

 

 そういうことじゃないんだけどな……のアシㇼパ谷垣の真顔が杉元を見つめ、沈黙の中で尾形の拍手だけが微かに響いている。

 

「……犯人の名前は姉畑支遁、」

 

 豪快に鼻血を拭った杉元が、その手を谷垣の(ぱつんぱつんの)胸元に伸ばして。

 パァアン。流れるようにボタンを飛ばし。

 ブチィン。流れるように胸毛をむしる。

 

「この谷垣源次郎は、寝てる間に犯人に村田銃を奪われたドジマタギだッ!」

「うーふッ……!」

 

 ファサァ。格好よく後ろ手で宙に放られる胸毛。だが胸毛だ。

 

「俺たちが必ず姉畑支遁を獲ってくる」

 

 クシュン。胸毛を顔から浴びたアシㇼパがくしゃみをして、綺麗なオチがついた。……いやこれどんなオチ?

 

 

 

 

 

「百之助はどこだ?」

「あ! あんなところにいる!」

 

 メロスの如く3日の猶予を与えられた杉元たちは、さっそく出立──の前に、当然のように単独行動の尾形を探していた。

 少し離れた場所で、人んちの穀物庫の前へ勝手に陣取るその姿。相変わらず放っておくと高いところに登りたがるな。

 

「なんでまたそんなとこに……」

「ほら……馬鹿となんちゃらは高いところが好きって言うし」

「ウフフ、ぼやかすところ違くなぁい〜?」

「…………」

 

 無言の抗議を感じるが、無視です。

 とりあえず話が纏まったところで、谷垣は既に檻へぶち込まれている。あの檻臭そう。

 穀物庫の前に仁王立ちしたアシㇼパが、真っ直ぐ尾形を見上げて、

 

「私たちが3日以内に、姉畑支遁を連れて戻れなかった時は……」

 

 百之助が、谷垣を守ってくれ。

 原作を読んだ時も思ったまさかの采配だが、尾形は泰然と前髪をかき上げながら、

 

「あの子熊ちゃんを助けて、俺たちに何の得がある?」

 

 うん? 俺“たち”?

 あれ、これアシㇼパも尾形も、俺を自分たちのグループの頭数に入れて話してないか? 俺は1人しかいませんよ。

 そこで、アシㇼパの視線が斜め下横にスライドする。目が合った。

 

「……じゃあ、タマが谷垣を守ってくれ」

 

 なんで俺。まあ良いけど。

 尾形に倣って拒否する理由も別に見当たらないので、安請け合いしておく。

 

「尾形合点承知之助」

「おい」

 

 途端に鋭く声が飛んでくる。

 やっぱりおこかなぴえん、と思いつつその顔色を覗ってみたが。……いや、あれ谷垣を守る云々ってよりは俺の激ウマギャグに対する抵抗の顔か?

 

「百之助はいつも通り、谷垣を守るタマを守ればいい。それなら問題ないだろう?」

 

 微笑むアシㇼパ。なるほどなあ。

 うーん、これはウイルクの娘。

 

「…………」

 

 尾形のほうはうんざり顔をしつつも、じゃあこいつも守らんとかいう逆張りはしてこなかった。最低限の好感度は保証された事実について喜ぶべきか。

 

「……よし、これで安心だな!」

「ちょっと待て。……奴は、鶴見中尉の命令でこちらを追ってきた可能性が高い。あの男は、中尉を信奉し、造反した3人組を小樽の山で殺した」

 

 そこで思い当たる節があったのか、今度は杉元が口を挟んでくる。

 

「谷垣と行動していた3人のことか? ……あいつらを殺したのはヒグマだ。俺がその場にいたんだから間違いない」

 

 いやてか、襲われてやむなくとはいえ、造反組がヒグマにブチ殺されたのは主に杉元のせいだよね?

 

「ヒグマ?」

「谷垣はマタギに戻りたがっていた。足が治った後も軍に戻らずフチの家にいたと聞いたし……あいつに何かあれば、フチが悲しむ」

「アシㇼパさんの頼みを聞かねえと、嫌われて獲物の脳みそもらえなくなるぜ?」

「脳みそいる?」

 

 尾形、原作通りここで不穏な煽りを入れてくるかと思いきや。

 

「……フン」

 

 目を逸らしつつ、鼻を鳴らして髪を撫でつけただけだった。あら。

 俺が残る手前、そういう発言は口だけのそれだとしても避けようという気になったのか。あるいはまた別の理由か。

 とにかく、原作とは違ってアシㇼパは微笑ましいにこにこ顔のまま、大きく手を振って村を出て行った。

 

「タマの言うことよく聞くんだぞ!」

 

 こいつが有事の際に俺の言うこと聞いた経験とかあんまりないけど大丈夫かな?

 

 

 2人がコタンを発って。

 要するにセリヌンティウス役を任された俺たちだったが、特に今の段階ではすることもない。脱走は確か2日目なんだよなあ。

 しばらく尾形に寄りかかって空などを眺めていたが、監視役らしいアイヌの1人がこちらを見ているのに気づいたので、挨拶してみる。

 

「イランカラㇷ゚テ〜」

 

 どもども〜、と手を挙げる。

 すると、なぜか彼はこちらに近づいてきた。どこか見覚えのある顔。マタンプㇱを目深に巻いた──えーと、確か名前はキラウㇱ。後々、土方陣営に加わるアイヌだった気がする。

 

「……アイヌ語わかるのか?」

「単純なあいさつだけなら」

 

 へえ、なかなかやるじゃんみたいな顔になるキラウㇱ。警戒心が無いな、なんか。

 よくわからん人間からワカサギをもらって素直に喜ぶ末っ子気質だし、もともと人懐っこいタイプなのかもしれない。

 

「道すがら、こういうコタンにお世話になることも多いから、アシㇼパ……一緒に旅をしているアイヌの女の子に教わった」

「ああ、あの……」

 

 教わったと言っても、本当に初歩的な数単語だけだが。アイヌ語の挨拶は日本語のような「おはよう」「こんにちは」という時間帯による使い分けはなく、全て「イランカラㇷ゚テ」で済ませられるらしい。合理的。

 

「ここは良いところだな。自然も豊かで……タンチョウヅルなんて初めて見た」

「サロルンカムイか」

「不味かったけど……」

「ふ、はは、食べたのか?」

 

 キラウㇱが笑顔を見せる。そんなに愉快な話なのだろうか。まあ、その辺にいるミシシッピアカミミガメを捕まえて煮て食ったという話ならちょっと面白いかもしれない。馬鹿みたいという点において、だが。

 

「泥臭かった。アシㇼパはマナヅルのほうが美味しいと言っていた」

「オクンネシャロルンはたまにしか飛んでこないんだ……俺も一度だけ食べたことがある、確かにサロルンカムイよりは美味いだろうな」

「そう……食べてみたかった」

「…………」

 

 背後から「なに馴染んでんの?」という圧を感じる。

 良いじゃん、雨が降るまで特にすることもないし。もたれかかっていたのを、さらに体重をかけてみる。……背中ごと軽く押し返された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 で。昨晩からの雨が夕方まで降り続けた、2日目。

 なぜか尾形から『猫でもわかる! 外套を使った身代わりの術』の指南を受けつつ、檻の屋根を外して救出した谷垣とともに、見張りの隙を突いてコタンをこっそり抜け出した。

 いや、普通に重労働でしたが。原作ではこれを1人でやった尾形はとても偉い。

 偉い、のだが。

 

「……杉元たちを信じて待っても良かったのに……」

 

 谷垣、まだ言っている。というか、最初から抵抗を示していたのだが。

 最終的に尾形の「騒ぐな気づかれる」の一喝でなあなあになっていたが、コタンから離れたここに来てまた言い出したらしい。

 

「時間が迫ればそれだけ監視も厳しくなる」

 

 その解答はちょっとずれてないか?

 

「逃げれば罪を認めるようなものだ、」

「……お前の鼻を削ぐのは俺がやっても良かったんだぜ、谷垣源次郎」

「何にせよ、このまま私たちで姉畑を見つけてしまえばいい」

 

 おそらくは、知識のあるアシㇼパ杉元が原作通りに姉畑を見つけるのだろうが。

 理論上は、捜索の人手は増えるし、そこで本当に見つかれば谷垣の嫌疑も晴らせて一石二鳥な訳だ。

 

「……それにしても、」

 

 しばらくの無言の後、谷垣が口を開く。

 今度は何だと振り返ったところで。

 その先には、驚愕の光景が広がっていた。

 

「……ッ、」

「え、」

 

 ──谷垣源次郎が、泣いていたのだ。

 その瞳から大粒の涙を流し。大の男が、恥じらうこともなく堂々としゃくり上げ、鼻を啜っている。いやこの一瞬で?

 

「よがっだ……ッ、会えて、本当に……ッ」

 

 ──は?

 途切れ途切れの呟きから察するに……谷垣は、俺たちの再会を我が事のように喜んでくれているらしい。今さら。泣くほど。

 嘘じゃん? お前、初めて会った時にそもそも全く信じてなかっただろうが。

 

「ぶひ……ッ」

「…………」

 

 さすがの尾形も二の句が継げないのか、呆気に取られた表情で、男泣き谷垣を見つめている。

 いや、これどうしたらいい?

 

「…………」

 

 で。尾形と2人で「なんで泣いてんのこいつ」の顔を、無言で見合わせる。情緒大丈夫そ?

 マタギに戻って涙腺まで緩くなったか。最終的にはチカパシどころか紅子先輩との別れでさえ号泣する情緒レベルだったし、おかしくはないのか? いや、そもそも谷垣源次郎には死別してしまった妹がいたのだっけ?

 沈黙を破ったのは、いち早く驚愕から復帰したらしい尾形だった。

 

「……おい待て、」

 

 びっくり顔から、剣呑な色が宿った顰めっ面に移り変わった表情で。

 

「いつ会って──いつから、俺との関係を知っていた?」

「……!」

 

 当然の指摘に、潤んだ目を瞠る谷垣。

 ──尾形と谷垣は、ここで会うのが“久しぶり”ではない。既に、フチのコタンで交戦している。……谷垣源次郎は、俺との約束を守ったのか。改めて思う。

 

「お前……あの村で会った時、俺に何も言わなかったな?」

 

 瞬間。わかりやすく青ざめ、やべっ、みたいな顔になる子熊ちゃん。涙も引っ込む。菊田さんよりスパイ向いてなさそう。

 

「…………」

「…………」

 

 また、質の違う静寂が流れて。

 

「タァニガキゲンズロォ〜〜〜」

「ブヒィっ」

 

 再び胸毛をむしられる谷垣。空前絶後のセクシー上等兵にムチムチドジマタギがなぶられている光景、シュールかつスケベである。

 うわっ漂う毛で鼻がこそばい。

 

「くしゅっ……やめろ百之助、子熊ちゃんをいじめるな」

 

 ひとまず、仲裁しておく。

 

「私が口止めしたの……くしゅん」

「……口止め?」

 

 脅しをかけたとも言う。思い出したのか若干顔色が悪くなる谷垣。おい。

 

「ああ。だって……言ったら絶対にクソ面倒なことになるから……ずび、」

 

 ようやく鼻のむずむずが治まってきた。冷静に考えるとこれが谷垣源次郎の胸毛由来なの、シンプルに不愉快すぎるんだが。まあ、とりあえずそれは脇に置いておいて。

 

「約束を守ってくれてありがとう、谷垣源次郎」

「タマ、」

「どうせ信じていなかっただけだろうが」

「…………!」

 

 微かに安堵したような表情から一転、途端にうーふッ顔で目を逸らす谷垣。

 喜怒哀楽の遷移がわかりやすすぎて面白いな。常に地蔵みたいな尾形を見慣れてるとより愉快に感じる。

 ──その瞬間。

 聞き慣れた破裂音が、わりと近くから聞こえた。尾形がいち早く反応を見せる。

 

「銃声……」

「アシㇼパたちか?」

「いや……村田銃だ」

 

 村田銃──このシーンで誰か銃を撃っていたっけと思ったが、これは確か、姉畑がリュウと揉み合いになった末の誤射だったか。杉元は水没した三十年式をうっかり壊しただけで、発砲には至らなかったはずだ。

 

「……姉畑支遁」

「急ぐぞ」

「ああ」

 

 近い。とにかく、姉畑を確保しないまでも、追手のアイヌたちと交戦する前に“その現場”を目撃しなければいけない、

 

「いたぞッ、逃げた3人だ!」

 

 ……とか言ってたら来ちゃった!

 

「見つかった!」

 

 ところどころ草丈が高く、風が吹いているせいか。接近に気づくのが遅れた。

 

「…………!」

 

 かなり近い位置に現れた彼らに、もはや逃走は間に合わないと見たか。三八式を構えんとする尾形。いや、それはまずい!

 慌てて周囲に視線を向ける。目を凝らす。もう近い、近い……はずなのだ。

 振り返った草むらの遥か向こう、微かにちらつく茶色い塊──居たッ!

 

「待てッ──姉畑支遁がいるッ!!」

 

 ──ぎりぎりで間に合った!

 俺の渾身の叫びに、アイヌたちもさすがに足を止めて、指差す方向を見やる。

 

「姉畑支遁!?」

「ヒグマしか見えんぞ!?」

「その後ろだ!」

 

 雄叫びを上げるヒグマの尻の辺りに張りついた、小さな薄橙の塊。息を呑む音。

 

「……なんてこった、」

 

 和人×ヒグマの、アップロードされた瞬間にBANされそうな無修正ナマ映像。珍しく明らかなドン引き顔の尾形が、絞り出すようにそう呟いた。

 

「信じられん、」

「みんな見てるか?」

「おいもう手遅れだろ」

 

 最後のコメントは、今さら尾形の手で目元を覆われた俺から。遠目ながらもうばっちり見ましたけど、姉畑とヒグマ♂のウコチャヌㇷ゚コㇿ。邪魔なのですぐ退かした。

 

「姉畑支遁すげえッ」

「杉元は何をはしゃいどるんだ、」

 

 ヤチマナコに嵌っているせいか姿は見えないが、弾んだ声だけは聞こえてきた。

 

「やめろぉ!」

 

 アシㇼパの叫び、リュウの鳴き声、ヒグマの雄叫びが奏でるアンサンブルが、穏やかな大湿原に木霊する。カオスである。

 そこへ駆けつける黒い影。──ヤチマナコから這い上がってきた杉元佐一だった。

 杉元は本懐を果たした姉畑を説得しようとしていたようだったが、当の姉畑は一切の反応を見せない。それもそのはず。

 

「勃ったまま死んでる……」

「…………」

 

 原作を読んだ時も思ったが、こうして実際に目の当たりにしてなお思う。俺たちは一体何を見せられているんだ?

 フィギュアのようにぽろんとヒグマの背から取れる姉畑、ヒグマとの取っ組み合いを始める杉元。……その一瞬で、彼は拾ったアシㇼパの矢を巨体に突き立てていたらしく。

 

「ガガガガッ」

 

 トリカブトの毒に、苦悶の呻きを上げるヒグマ。文字通り一矢報いた杉元は、その隙をついてヤチマナコに飛び込む。

 ふらつくヒグマは、数歩進んで──けれど、それだけだった。倒れ込んだ弾みで、大きく草が揺れる。それを最期に、もう、動かなかった。

 

 

 

 

「ウコチャヌㇷ゚コㇿして力尽きるとは……鮭みたいな奴だったな」

「ウコチャヌㇷ゚コㇿ」

 

 ウコチャヌㇷ゚コㇿ、声に出して読みたいアイヌ語。しかし、こんなんの死に様を神の魚の生殖行為と一緒にしていいんです?

 安らかな死に顔の姉畑だが、

 

「どうしてこんな馬鹿な真似を」

 

 自らの文化と、それを取り巻く自然を愛するアシㇼパはどこまでも冷ややかな態度。

 

「決死の想いも恋は成就せず、……だった訳か」

 

 対照的に、なんか良い話風に纏めようとする杉元をきっと睨みつけ。

 

「姉畑支遁が本当に動物を愛していたなら、どうして最後に殺すんだ? あいつもきっとどこかでは、良くないことだと分かっていたんだ。終わってからその存在ごと無かったことにしようとするなんて……本当に自分勝手だ、」

 

 心底承諾(マジそれな)

 他人の嗜好を頭ごなしに否定するのもどうかと思うが、清らかな自然とひとつになりたいがために強姦殺害を繰り返すのは、擁護するポイントが本当にひとつもない。

 自分の欲求由来の行動ながら、性行為のスティグマを受け身側に押しつけるのは男あるあるかもしれないが、獣相手だとより醜悪に映る。機構自体は前世の感覚でわかってしまうぶん最悪。1人で勝手に死んどけマジで。

 

「ああ。このヒグマだって……姉畑支遁がいなければこんな場所で死なずに済んだかもしれない」

 

 タマの言う通りだ。俺に熱い同意を見せたアシㇼパは改めて杉元へ向き直り、

 

「どうしてウコチャヌㇷ゚コㇿする前によく考えなかったのか……そうすれば殺さず済んだのに。なあ杉元、そう思わないか!?」

「…………」

 

 で、胸に一物どころか百物くらいありそうな顔で押し黙ってしまう杉元。男の子だね〜。

 微妙な沈黙が流れ、のち。

 

「……男ってのは出すもん出すとそうなんのよ」

「オイやめろッ!」

 

 手篭めにするとか言っておきながら乳すら揉めなかった過去を持つ尾形が大人の男ぶってそう吐き捨て、杉元は当然ブチギレる。

 賢者タイムってやつね。姉畑の場合は悟り以前にバーサクと化していたけど。

 最終的にアシㇼパは、

 

「……そうなのか? タマ」

「いやそれをこっちに聞くのはおかしいだろうが」

 

 何だと思われてんの?

 やっぱり女と思われてない? 前世で出すもん出したことも、今世で出されたこともありませんけれども。

 いやまあ……男に賢者タイムがなかったら世の中はもうちょっとだけ平和になっていた、のかもしれない。何となく。

 うーん。そうだなあ。

 

「……男がウコチャヌㇷ゚コㇿする時に、もうちょっと理性が働く生き物だったら、私は捨て子にならずに済んでいたのかもしれないねえ」

「…………」

「もうこの話やめない?」

 

 男2人がいよいよ気まずげな顔をしている。

 兎にも角にも、姉畑支遁の刺青人皮、ゲットだぜ。

 

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