【完結】「不死身(物理)なら尾形を愛せるのでは」という仮説とその検証について   作:捕まえようとした蝶

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28話 鳥の眼、猫の眼

 塘路湖のコタンで盲目盗賊の親玉──都丹庵士の情報を得た俺たちは、そこからさらに屈斜路湖の近辺までやって来ていた。

 今は、情報収集と慰安をかねて、教えてもらった温泉旅館で身体を休めているところだ。

 

 

「おーい、杉元!」

「お……来たな。ありがとう、あんまさん」

「いえいえ。あたしも貴重な経験ができました」

 

 割り当てられた部屋で通いの按摩にマッサージを受けていた杉元が、白石が呼びに来たタイミングで起き上がる。男子勢はこれから揃って露天風呂に行くらしい。

 

「じゃ、行ってくる。……タマさん、アシㇼパさんのこと頼んだよ」

「うん」

 

 手拭いとともに、用心深く三十年式を担いだ杉元にそう声をかけられて、とりあえず頷いておく。頼まれても困るんだが。

 そして、襖の向こうに消えた彼と入れ違いでひょっこり顔を覗かせる、

 

「あれ……インカㇻマッ?」

「谷垣ニㇱパが、1人でいるのは危ないからと……」

 

 なるほど。それでこっちに寄越したのか。何というか、ちゃんと家族をやっているのだな、と少しほっこりした。

 なぜか申し訳なさげに佇んだままのインカㇻマッに、手を伸ばす。

 

「そうか。おいで、インカㇻマッ」

 

 それでようやくいそいそと入ってきて、俺の隣に座るインカㇻマッ。谷垣の漢気(?)を汲んでか、彼女を苦手とするはずのアシㇼパも、目立った拒否を見せなかった。

 代わりにと言っては何だが、按摩を指さし。

 

「……タマもやってもらったらどうだ?」

「私?」

「やってみますか」

 

 マッサージかあ。

 その類、前世でもあまり受けたことがないんだけど。若かったし、身体的な問題を抱えていた訳でもないし。

 まあ、按摩のほうもやる気のようだし、わざわざ断るのも……と思った、のだが。

 

「くすぐったいっ」

「おお」

 

 痛いとか気持ちいいとか以前に、耐えがたいこそばゆさにより速攻でギブアップ。

 

「しなやかで無駄のない体つき……こちらの方の身体もまた、猫を思わせますな」

「タマはメコだからなあ」

「メコ?」

 

 なぜか得意げアシㇼパ。インカㇻマッがちょっと困っている。

 

「アシㇼパが勝手に言ってるだけ、」

 

 するっと按摩の下から抜け出す。あーくすぐったかった。せかせか着物を整える俺を見て、按摩はくすりと笑みをこぼし。

 

「必要なさそうですね」

 

 杖と手拭いを持って、危なげなく立ち上がる。慣れた動きだった。

 

「じゃ……あたしはもうこれでおいとまさせていただきますよ。良い夜を、御三方」

「ひとりで大丈夫か?」

 

 部屋を出て行こうとする彼に、アシㇼパが声を掛ける。相変わらず優しい子だ。

 

「ありがとう。夜道はお嬢ちゃんより得意だよ」

「ほんとに?」

「真っ暗な中でも、転がっていった小銭だってすぐ拾えるんだから。お嬢ちゃんにはできないだろう」

「ああ」

 

 それで、こちらに背を向けたかと思えば。おもむろに足を止めて、再び振り返る。

 

「……そうだ、お嬢ちゃん方」

 

 ──夜のゲタの音に気をつけなさい。

 

「ゲタ?」

「夜になるとこの辺りに出てくる盲目の盗賊さ」

 

 盲目の盗賊。──都丹庵士の情報と合致するその情報に、アシㇼパがはっと俺を見た。

 

「ゲタの音……ってどんな音なんだ?」

 

 現代日本人の俺は一応、実際に耳にしたこともあったけれど。アイヌである彼女には馴染みのない響きだったらしい。

 

「木の幹を斧で叩いた時の音に近いかもしれない。もっと軽いけれど」

「いや、本当は違うはずさ。ある晩にあたしも聞いたことがある……あれは舌の音だ」

 

 ──来た。都丹庵士。

 湧き上がる気持ちを押し隠して、努めて冷静に唇を動かす。

 

「……盲目と何か関係が?」

「舌を鳴らして、その音の反響でものを“見る”んだ。そういうやり方があるんだよ」

 

 エコーロケーション……生きるということは今の環境に適応していくということ。先天的にも、後天的にも。それは動物だけの専売特許ではないという訳だ。

 俺が改めて感心している間にも、アシㇼパが微かに震えた声で続ける。

 

「舌を鳴らすって……どんなふうに」

 

 按摩は、小さく顎を上げて。

 ──カンッ。

 鋭く鳴り響いたその音に、こぼれ落ちそうなほど碧眼を瞠るアシㇼパ。彼女は、既にその不審な音を耳にしていたのだ。

 

「……屈斜路湖のコタンで聞いた音だ」

 

 低い呟き。……のち、弾かれたように部屋の中へと取って返し、荷物を漁り出す。

 

「杉元たちが危ない!」

 

 俺もその後を追って、外套を羽織り、立てかけていた三十年式を担いだ。

 唐突に身支度を始めた俺たちに、インカㇻマッが怪訝な目を向けてくる。

 

「どうしたんですか、尾形カッケマッ……アシㇼパちゃんも、」

「……塘路湖のコタンで聞いた盲目の盗賊たち。屈斜路湖についた時から、私たちは彼らに監視されていた……」

「えッ、」

 

 話自体はコタンで聞いていたインカㇻマッ、それでようやく現在の危機的状況を我が事として受け入れたらしい。

 

「杉元たちは今、風呂だ。襲うなら一番無防備な瞬間を狙うだろう」

「……谷垣ニㇱパとチカパシが……」

 

 仲間以上に、“家族”2人の危機に青ざめるインカㇻマッ。……この様子では、危ないからついてくるなと言っても無駄だろう。

 

「おそらく森のほうへ追い込まれたはずだ。俺たちは旅館の外から森に向かってみる。インカㇻマッはひとまず脱衣所に向かって、谷垣たちの銃を探してくれ」

「は、はい……!」

 

 ばたばたと部屋を出て行くその後ろ姿を見送って、俺たちも向かうか、と廊下に出たところで。未だ状況が飲み込めないらしい按摩が、不安げにこちらを窺っているのに気づいた。

 

「どうかしたんです、」

「詳細は言えないが、その盗賊は我々を狙っているようだ。……盲目のあなたを襲うことは無いだろうけれど、明るくなるまでここにいたほうがいいかもしれない」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……銃声だ、」

 

 アシㇼパとともに旅館を出たタイミングで、森に響き渡る破裂音。

 

「小銃にしては軽い。拳銃だろう」

「やつら、銃を持っているのか?」

 

 アシㇼパがつぶやく。拳銃を使うメンツはあの中にはいない。つまり、そういうことだ。

 増えた不安要素に、俺の服をぎゅっと掴んでくる。……安心させてやらなければ。俺が。俺しかいないのだから。

 

「……杉元やドジスケベマタギはともかく……百之助は銃を持ち込んでいるはずだ」

 

 きっと、大丈夫。

 言い聞かせて、アシㇼパの肩を抱きながら森へと足を踏み入れる。ぎりぎり旅館の灯りが届いていた森の外とは違って、木立が鬱蒼と茂るその空間は漆黒に飲まれている。

 

「灯りをつけるな」

 

 自然に慣れたはずの彼女がやや怖気付いた様子で荷物に手を伸ばすのを、落ち着いて制止する。

 

「でも……暗くて何も見えないぞ、」

「問題ない。俺は夜目が利く」

 

 ほとんど唯一と言っていい俺の特技。

 ようやく役に立てる時が来た。

 

「何もかも、見えている」

 

 木立の合間に人影がひとつ、ふたつ。

 全裸で逃げ出した杉元たちではない。きちんと服を着て、目元を隠したその姿──都丹一味だ。

 

「……メコ!」

「猫ちゃんじゃない。大きな声を出すな」

 

 既に撃てる状態の三十年式を、ゆっくり構え直す。表尺越しに照準を合わせる。

 できればもう人は撃ちたくなかった。否、撃つところを見られたくはなかった。

 しかし、この際やむを得ない。この状況で銃を使えるのは俺しかいない。あちらは長物を持っている。接近戦で勝てる見込みはない。

 それに、もはやそんな操立て自体が無意味な気がしているのも事実だ。夕張の山で見た尾形の目を思い返す。

 殺さない。殺されない。

 あとは、それだけだ。

 

「俺から離れるなよ」

 

 俺たちに気づいて、ちいかわに出てきそうな刺股を持った1人が近づいてくる。

 その踏み出した足、草むらから飛び出した脛の辺りを──撃ち抜いた。

 

「ぐあッ」

 

 響き渡る銃声、苦痛の呻き声。

 排莢。即座に再装填する。

 

「……当てた……?」

 

 寄り添うアシㇼパが小さく呟いた。

 その合間を縫って。

 ──カンッ。カンッ、カンッ、

 

「……来た、」

 

 10時の方角。草を踏み締め、向き直る。

 音はどんどん近づいてくる。まだその姿は見えない。それはあちらも同じだろう。

 俺の目と、お前の目。どちらが先に相手を捉えられる?

 

「お前が俺に気づいて構えるのが早いか、俺がお前に気づいて構えるのが早いか──早撃ち対決だぜ」

 

 草むらが、揺れて。

 ──見えた。

 

「────ッ、」

 

 足を狙ったはずが、少し“足りなかった”。すぐ手前の地面を抉ったのであろうその一撃に、絶え間なく響いていた舌の音が止まる。

 それ以上近づいてくる気配はない。

 闇はお前だけのものではない。

 さあ、どう動く、

 

「……アシㇼパ?」

 

 ……そこで、今まですぐそばにあったはずの温もりが消えているのに気づく。

 慌てて辺りを見回したが、それらしき姿は見えない。

 

「クソ、」

 

 普通にはぐれてしまった。この一瞬で。

 どうする? 都丹との戦闘を優先したほうがいい? 問題はない。原作では単独で乗り込んだ彼女を杉元が保護していたはずだ。

 ……ひとまずどこかに身を隠そう、隙を見せすぎた、

 

「ぶえ」「っ、」

 

 木の影に飛び込んだ瞬間。

 何か、弾力のある温かいものに顔面から激突した。ふらついた身体を抱き止められる。

 

「む」

 

 そのまま無遠慮にぺたぺたあちこちを触られて。

 

「ゔんん」

 

 最終的に頬肉をつままれてから、

 

「……タマ?」

 

 控えめに呼びかけられる。いやほっぺたの感触で判別してんの、

 

「百之助」

 

 原作通りとはいえ、無事で良かったけど。

 全裸の義弟の胸筋にダイレクトアタック、これゴールデンカムイ流ラッキースケベ?

 まあ……温泉回で、(俺を含めた)女性陣がみんな服着てんのに、野郎どもは揃いも揃って全裸なあたりで“ごく一般”からはかけ離れた世界観の漫画だからな……

 

「最初はドジマタギが釧路での反省をようやく活かしたのかと思ったが……」 

 

 全裸に銃という特殊性癖もびっくりなファッションの尾形が、やや呆れた様子でそう吐き捨てて。それから、真面目な顔で俺の肩を掴み、

 

「とにかく……威嚇でもむやみに撃つな、他の奴らに当たったらどうする」

 

 おお。……尾形に怒られている?

 尾形が俺を叱るなんてまず無いと思っていたから、謎にテンションが上がってしまった。でも、これは誤解なのだ。

 

「大丈夫。見えているから当たらない」

「……見えている?」

 

 少し驚いた様子だったが、即座にはったりだと切り捨ててはこなかった。彼なりに納得が行く部分でもあったのか。

 

「この暗さでか」

 

 言いながらさりげなく小銃で股間を隠す尾形。かわいいと思ってやるべきなのか。さっきから全然見えてたけどね。

 

「いや」

 

 暗い、か。

 もたれかかった裸の胸。温もりと、心臓の音。やや早く感じるそれを聴きながら、仄かに明るくなりつつある空を仰ぐ。

 今が本格的に秋が深まる前で良かった、

 

「もうじき……夜が明ける」

 

 

 

 

 辺りが明るくなり。

 ようやく狙撃手としての勘を取り戻した尾形についていく形で、廃旅館の前までたどり着く。都丹たちが逃げ込んだその建物の様子を窺っている間に、

 

「尾形……とタマさん、」

 

 ちいかわ刺股を携えた杉元が、アシㇼパを連れてやってきた。

 当然全裸なので、歩くたびに杉元の杉元がぶるんぶるん揺れている。ご立派ァ!

 

「…………」

「やああっあんまり見ないでタマさんっ」

「杉元! タマはメコだから揺れるものが気になるのはしょうがないことなんだ!」

「それ飛びつかれるやつじゃんッ」

「おい今どうでもいいだろこいつのチンポは」

 

 じゃあ尾形のチンポを見ろということか? 視線をずらす。……普通に手で目元を覆われた。

 というか、

 

「アシㇼパ。……離れるなと言ったのに」

「すまなかった、」

「いや……俺のせいだ、悪い、タマさん」

 

 だーれだ状態のまま説教しても面白いだけだと思うのだが、2人からは案外素直な反省が返ってきた。あれ、俺がおかしいのか?

 

「……都丹庵士と手下2名があそこに入っていった。あの廃旅館が奴らのアジトだ」

「百之助見えない」

「銃を取りに戻っていたら逃げられる。このまま突入して一気に片をつける」

 

 言いながら、杉元が俺にちらっと視線を寄越す。

 

「……アシㇼパさんは外で待機していてくれ」

 

 ……俺は一応、戦闘要員として数えられているのか。まあ、状況が状況だしな。

 

 

 

 

 それで、3人揃って突入したのはいいが。──ここは彼らの根城。罠そのものである。

 俺はわかっていたし、そもそも見えているからいいのだが。問題は、闇に閉じ込められて狼狽する杉元と尾形のほうである。

 

「…………」

 

 まあ、最初から俺だけで良かったんだけど。杉元たちがそれを知ってなお、俺の単独突入を良しとするとは思えないしなあ。

 どこか、安全な場所に避難させなくては。

 

「うわっ」「……!」

 

 男2人の手を取って、廊下の突き当たりまで誘導する。壁を背にしたここなら、少なくとも隙をつかれることはない。

 

「ここにいろ」

 

 あとは、俺が早々に片をつけてしまうしかない、か。杉元に顔を寄せて、囁く。

 

「タマさ、」

「俺が行く」

 

 立ち上がって。

 すぐ背後まで迫っていた盗賊の足に、一撃。

 

「ぎゃっ」

 

 その場に転がった身体を跨いで、ブーツの爪先で杉元たちの方角に押し退けておく。あとは彼らが何とかしてくれるだろう。

 

「あと3体」

 

 こちらが見えているなどとは考えもしないであろう彼らは、無防備にあちらから向かって来てくれる。俺はただ、当てればいいだけだ。鴨を撃つより簡単な作業。

 

「……やはり、見えているのか!?」

  

 都丹の驚愕に染まった叫び。

 まさか、その辺の人間に動物並みに夜目が利く輩が混じっているとは思わないだろう。不運だったな。──そもそも、お前たちは杉元たちに負ける運命なのだけれど。

 

「そいつに近づくな、っ」

 

 遅すぎる忠告虚しく。

 銃声。悲鳴、空薬莢が畳に転がる軽い音。硝煙越しに、足を抱えてのたうち回る男を見下ろす。落ちた武器を拾って、遠くに投げる。

 

「……あと1体」

 

 そこで、近づいてくる足音に気づく。盗賊たちのそれより軽いこれは。視線を向ける。

 ふらふらと、亡霊のように彷徨うその腕を掴んで引き寄せた。彼女は一瞬体を跳ねさせたが、

 

「っ、タマ……!」

 

 アシㇼパ。奥にいる杉元たちより先に会えたのは、幸運か不運か。特徴的な耳に唇を寄せて、吹き込む。

 

「しゃがめ。左に三歩。後ろに二歩。その壁伝いに右へ。突き当たりに杉元たちがいる」

 

 チカパシを逃がそうとしていた男だ。アシㇼパをわざわざ狙うような真似はしないだろうが、一応だ。頷いたアシㇼパが廊下の向こうに消えたのを見送って、向き直る。

 

「……舌の音でものを“見る”……」

 

 都丹が動く気配はない。いる部屋はなんとなく見当がついていた。口を動かしながら、ゆっくり足を進める。

 

「素晴らしい技術だ。きっと身につけるまでに相当な苦労をしたんだろう。俺の眼はただの生まれつきだから」

 

 背をつけた壁越しに、呼びかける。

 

「……でも、それでやることが強盗殺人なら世話ないな」

 

 呟いた、次の瞬間。

 

「うおおおッ」

 

 もはや正攻法は無意味と見たか。

 雄叫びと無茶苦茶な銃声、その凶弾によって部屋が壊れる騒音の洪水の中で。

 カシッ。乾いた音──弾切れ。

 リロードする気配はない。

 静かになった部屋の中、都丹の荒い吐息だけが響いている。……潮時か。

 襖の残骸を踏みしだきながら、半壊した部屋に銃を携えて入る。

 

「投降しろ」

 

 部屋の中心。膝をつき、項垂れた都丹に向けてそう告げると。彼はゆっくり頭を振って、

 

「全て見えていたなら……何故……殺さなかった、」

「俺の勝手だ」

 

 どんな相手だろうと関係ない。俺が殺すか殺さないかは俺自身で決めること。誰かに指図されるようなものではない。

 

「……お前ら鉱山会社の連中と、網走監獄の犬童は報いを受けるべきだ……囚人の命と光を奪って得たもの全てを、奪って……やろうと……」

 

 ──そんなことをわざわざ俺に告げて、この男はどうしたいのだ?

 

「そうか」

 

 冷えていく。内側が。何もかもが。

 それを感じる。

 

「同情はしない」

 

 俺の呟きに、都丹が微かに喉を鳴らした。笑ったみたいだな、と思った。

 

「……いまさら按摩なんてできねえ、飢えて目も見えない俺たちはそう生きるしかなかった、」

 

 だが、アイヌも和人も無関係の人間は殺しちゃいねえ。

 申し訳程度に付け足されたその言葉。くだらない。乾いた笑いさえ出てこなかった。

 ──ああ、

 

「……他者を傷つけておきながら、それでなお自身の痛みを理解させようとするのか。馬鹿げていると思わないのか」

 

 もはや誰もお前の痛みに寄り添えない。

 お前は傷つけすぎた。

 

「……痛かった。辛かった。苦しかったはずだ。ずっと。俺なんかには想像もつかないくらい。でも、お前はそれを他人に押しつけて生きる道を選んだ……」

 

 己の痛みをそれ以外の人間に当てはめて考えられないというのなら、その苦痛はもはやお前だけのものだ。誰にも触れられない。理解することはできない。

 ──それが救いではなく呪いだと感じるならば、最初からそんな真似はしなければ良かったのだ。

 都丹は黙っている。

 

「お前を理解し、肯定したら、今までお前に奪われてきた人間はどうなる? 弱かったことが悪だとでも? 人間を傷つけて……殺してなお、それをなかったことにできる“道理”などこの世には存在しない、」

 

 ──だから俺は尾形百之助を肯定しない。

 尾形トメも、花沢幸次郎も、花沢勇作も、死んで当然、彼に殺されて当然だったなどとは欠片も思わない。

 尾形は選択を間違えた。

 それが全てだ。

 罪悪感のある普通の人間が振り翳す“道理”ほど醜悪なものはない。全てを飲み込んで生きる覚悟さえなかったくせに。

 ──後悔するな。

 馬鹿げている。

 

「…………」

 

 悲しくはなかった。

 それがまた、虚しかった。

 きつく目を瞑る。ようやく視界が黒に包まれる。瞼の裏に広がる、俺だけの闇。

 

「……久しぶりだな、都丹庵士」

 

 ──唐突に響いた声に、はっと顔を上げる。

 いつの間にか、微かながら光が差し込んでいて。俯いたままだった都丹が低く呻く。

 

「その声……なんであなたがこんなところに、」

 

 照らされる、凛としたその立ち姿。

 

「犬童典獄と喧嘩だ」

 

 会うのは旭川ぶりだった、

 

「……土方歳三」

 

 俺の呟きに、都丹を見下ろしていたその瞳がこちらを向く。そのまま、鋭く微笑んでみせる。

 

「どうも。猫のお嬢さん」

 

 うーん、銃だったり猫だったり。俺は猫ちゃんじゃありませんよ。

 

 

 

 

 

 

 

「杉元……都丹の処遇は我々に任せてはくれないか。お前たちを襲う心配はもうないだろう」

 

 やや遅れてやって来た永倉新八が、土方と二言三言会話を交わしてから、杉元にそう告げた。この世界線では取っ組み合いに至らなかった杉元の解答は、

 

「俺の分も刺青を写させてくれるなら……」

 

 まあ、原作通り。

 そこからただ、と付け加えて。

 

「ここらのアイヌの村には、アシㇼパさんたちの親戚もいる。殺して皮をひん剥いてくれると、こちらとしては安心だがね」

 

 その不穏な提案も、まあ……原作通りだった。

 アシㇼパは通常運転の杉元をしばらく黙って見ていたようだったが。おもむろに、都丹庵士へと向き直り、

 

「こんな暗いところで隠れて暮らして、悪さをするため外に出るのは夜になってから……これでは、いつまで経ってもお前の人生は闇から抜け出せない」

 

 その、温かい呼びかけに。

 

「……、参ったな、こりゃ……」

 

 柔らかい苦笑を浮かべる都丹。

 ……眩しい。

 光だ、と思った。

 俺では逆立ちしても出てこないような言葉と、表情だった。眩しすぎて直視できない。夜を見通す瞳は強い光に耐えられない。

 

「…………」

 

 目を逸らす。瞼を閉じる。

 そういえば。前世でも、暗闇を恐ろしいと思ったことはなかった。俺を包み込む柔らかい闇。誰の目も届かない。それは確かに安寧だったのだ。

 

「ん」

 

 しばらく、そのままじっとしていたが。

 アシㇼパが声を上げたので、とっさにそちらを見てしまった。彼女がつまんでいるのは、

 

「塘路湖のペカンペ……ニンジャのマキビシにしようかと思ったけど、タマがメコだったおかげで使わずに済んでしまったな」

 

 指先で弄ばれるヒシの実。そういえば、原作はそれで切り抜けたんでしたっけね。

 

「塩茹でにして、ご飯に混ぜて食べてしまうか。タマ、いっぱい食べていいぞ」

「やった〜」

 

 寝もせず一晩中歩き回っていたので、確かにだいぶ腹が減っていたところだった。旅館のご飯も美味しかったけど。楽しみです。

 

「お腹空いたなあ」

「……タマさんは本当に、肝が据わってるなあ」

 

 軍帽の鍔を下げながら杉元が苦笑する。なんだよお。

 ……ていうかクソ今さらだけど、こいつ帽子被ったまま風呂入ってたの?

 

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