【完結】「不死身(物理)なら尾形を愛せるのでは」という仮説とその検証について   作:捕まえようとした蝶

3 / 58
3話 開演

 ──ひゅっ、と。

 どこかで風切り音を聞いた気がした。少し経ってから、どういう訳だか自分の喉が鳴った音だ、と思った。……自分の喉?

 ああ、ええと、そもそも俺は、

 

「タマ!」

 

 瞬間。鼓膜を震わす覚えのある声に、びくっと四肢が跳ねたのがわかった。微睡んでいた意識が急激に覚醒する。

 薄ぼやけていた視界が急に明るく、鮮明になる。瞼が開いたのだ、とワンテンポ遅れて気づいた。

 

「ぁ……」

 

 う。喉が掠れて上手く声が出ない。

 見慣れた木目の天井。そこにフェードインしてくる、心配そうな祖母の表情。

 何か柔らかいものに全身包まれていて、とっさに身動きが取れなかった。布団に寝かされている?

 

「……え、と……?」 

 

 ううむ、記憶が混乱している。

 俺は今まで何をしていたのだっけ。それでどうして、育ての親はこんな泣きそうな顔をして俺を覗き込んでいるのだ。

 ふと、視線を横にずらして。目に入ったものに、覚醒したばかりの意識が奪われる。

 

「……鍋」

 

 畳に転がる空いた鉄鍋、欠けた茶碗。

 それを見た瞬間。全て思い出した。

 

 ──尾形。

 

 尾形百之助が鴨鍋に殺鼠剤を入れて、俺を毒殺したのだ。死体を増やすために。母の葬式を延期させるために。

 

「…………」

 

 クソガキ。苦々しい気持ちになりつつ、努めて私なんにもわかりません、みたいな雰囲気を出して頭上の祖母に向き直る。

 

「……わたし……どうしたの?」

 

 そこから彼女が言うには、えーと、こてこての茨城弁なのでざっくり解説すると。

 帰ってきたら俺が倒れていて、部屋はゲロまみれで、尾形曰くなんかよくわかんないけどたぶん鴨鍋にあたったんじゃないかと。あいつ、どのツラ下げてそんなこと言いやがったんだ?

 同時に、思うことは。

 

 ──間違いなく、あの時死んだ。

 

 何がどうなっている?

 一命を取り留めた。……考えにくい。尾形はもともとあれでトメを殺す予定だった。同じ量を俺の鍋に仕込んだと考えていい。つまり、幼子は確実に死ぬ量だったはずだ。

 まさかこれが夢とも思えないが。ゆっくり体を起こす。嫌な怠さはない。そこで、何となく自らの両手に目が行って。

 呼吸が、止まった。

 

「────、」

 

 傷ひとつない綺麗な指──綺麗な指?

 有り得ない。確かにあの時、剥がれかけたはずの爪が5枚、きちんと指の先端に収まっている。

 出血も、痛みもない。

 

 ──どうなってる?

 

 時間が巻き戻った。いや、尾形が俺に毒を盛ったという事象は起こったままだ。ちらっと目をやった畳には血痕が残っている。

 ということは。

 ここから導き出されるものは。

 ……あまりに非科学的な事象だが、認めざるを得ない。

 俺が、生き返ったのだ。

 

「……タマ? だいじ?」

 

 祖母の気遣わしげな呼びかけで、我に返る。爪の生え揃った指先で、荒れていない唇を撫でる。何か言ったほうがいいか。

 

「……鴨の煮込みが甘かったかも」

 

 鴨だけに(激ウマギャグ)。

 目だけで室内の様子を探る。祖父と尾形の姿は見えない。そこで祖母がああ、と声を上げて、ばたばたと部屋を出て行った。

 彼らに伝えに行ったのか、俺が意識を取り戻したことを。

 

「…………」

 

 胸に手を当てる。薄い生地の下に、確かな鼓動を感じる。熱を感じる。まだ、生きている。

 それを実感してもなお、俺の胸に湧き上がってきたのは生の喜びではなかった。

 尾形への憎しみでもない。

 これは、

 

「……作戦変更だ」

 

 俺が目指す道筋における、重大な不安要素が、ひとつ消えたということだ。

 ヒグマでも、第七師団でも、不死身の杉元でもなく。

 他ならぬ尾形百之助に殺されるかもしれない、という心配。

 

「ふ……」

 

 弧を描く唇を、繰り返しなぞる。

 ぞくぞくと背筋に走るこの震えは歓喜か、悪寒か、あるいはそれ以外か?

 殺された。けれど蘇った。

 俺にはそういう力がある。

 そう仮定しよう。しておこう。

 それならば話は早い。尾形の気が済むまで、俺を殺させておけばいいのだ。人間の命はひとつしかない。尾形百之助は去った過ちを取り返す術を持たない。──けれど、殺した相手が何度でも生き返るならば?

 その場合、俺はただ、尾形をどこまでも追いかけて愛し続ければいいだけだ。

 だいぶわかりやすくなった。

 これでいい。

 

 ──命拾いした。良かった。

 ──もうこれ以上、尾形百之助には関わりたくない。逃げよう。

 

 そう、思うこともひとつの手だったのかもしれない。こんな危険で、くだらない検証からは手を引くという道。

 けれど、できなかった。

 見てみたい。彼の選択を。行く先を。

 多くの人に渇望されたであろうifを。

 漠然とした計画が急に現実味を帯びて、脳を侵食してくる。

 今の俺にはその術がある!

 理屈のない衝動に突き動かされている。そうせざるを得ないと全身の細胞が叫んでいる。母に焦がれ、俺の鍋に殺鼠剤を入れた尾形の気持ちが、今この瞬間だけ、ほんの少し、わかるような気もした。

 

 

 がらっ、と襖の開く音。

 そちらに顔を向けると、見慣れた顔が隙間から覗いているのが見えた。──尾形。さすがに一瞬どきりとしたが、あちらの驚愕は俺の比ではないようだった。

 

「…………タマ……」

 

 変わらない無表情ながら、呼ぶ声が微かに震えている。

 ああ。確かに殺したはずだろう。そのつもりだったはずだ。でも、俺は生きている。

 

「百之助」

 

 何を考えているのか。

 無言で立ち尽くす彼に、手を伸ばす。

 すると尾形はふらふらと、糸で手繰り寄せられるようにこちらへ近づいてきて。小刻みに震える彼のそれが、ゆっくりと重なった。

 握りしめて──強く引き寄せる。

 

「っ、」

 

 バランスを崩した尾形が布団に膝をつき、俺めがけて倒れ込んでくる。抱きとめて、背中に手を回す。

 どくどくと激しく脈打ち、熱を持つ体。生きている。それを感じながら、形の良い耳にそっと吹き込んだ。

 

「……葬式の準備を続けないと」

 

 俺ではなく、尾形トメの。

 そうして確かめよう。

 花沢幸次郎の“愛”を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 二週間経った。

 尾形トメの葬式は、予定通り滞りなく執り行われた。

 なんだかまだ、目を閉じると坊主の下手な読経が聞こえてくるような気がする。

 

「…………」

 

 弔問客が続々と帰っていくのを、物陰にしゃがみ込んで見るともなく見送る。何となく鼻をうずめた着物の袖には、既に線香の匂いが染みついてしまっていた。

 ──辛気臭い。

 湿っぽいのは嫌いだ……と、思ったところで、俺が今まで見てきた中で最も一番湿っぽい人間であろう彼が脳裏に浮かんだ。だからあまり好きじゃないのか。葬式も、線香の匂いも──あの男も。

 

「…………まだ?」

 

 俺今何待ち? 尾形待ち。

 つまり俺は弔問客というか、尾形が出てこないかを見ているのである。

 ここで言ってもどうしようもないし、かと言って中にいる本人に催促しても無意味なのだった。

 尾形が何をしているのか。

 ……言うまでもない。弔問客の中から花沢幸次郎を探しているのである。まだ。

 

 愛を確かめよう、とは言ったが。

 その実、俺は花沢幸次郎が尾形トメの葬式に来ないことは“知っていた”。

 トメがそうであったように、尾形百之助の願いが報われる日は永遠に来ない。幸次郎は2人を愛してなどいない。

 

「……おかえり、」

 

 ……そんなことを考えていたら、当の本人がやっと戻ってきた。

 式自体はとうに終わっているのに。夕飯は済んでいるので腹は満たされているが、退屈なのと時間とで眠たくなってきたあたりだった。

 浮かんだあくびを噛み殺して、着物の裾を払って立ち上がる。月明かりに照らされた百之助の顔ははっきりと眉が下がり、珍しく落胆しているように見えた。

 

「お父っつぁまはおっ母の葬式に来なかった」

 

 死ぬまで彼の胸に巨大な棘を残し続けたその結果を、それでも淡々と伝えてくる。

 

「お父っつぁまはおっ母を愛してなかったってこと?」

 

 うん、もうこの時点からちょっとわからないけど。

 まあその理屈関係なく愛してはいなかっただろ、と思うが、そんなことを馬鹿正直に尾形に言ってもしょうがない。

 いや、この時点だともう逆に幸次郎の悪徳さを肯定してほしいのだろうか。でもそうすると普通に幸次郎殺害に繋がっちゃうんだよな。巡り巡って尾形も死にかねないし。どういう連鎖だよ。

 少し考えて、

 

「今は愛していない」

 

 でも。

 

「愛した瞬間があった、ということでは?」

 

 未来の彼が今際の際に弾き出した結論を、慎重に現在の彼へと突きつける。

 人間の感情とは複雑で、移りゆくものだ。そこに生まれる愛も憎もメンコの裏表のような単純なものではない。

 

「百之助。──百を助く。良い名前だ。軍を率いる将校さんにはぴったりだ」

 

 思っていたことを、それ以上の意味を含むであろう文脈で伝えてみる。

 花沢幸次郎は、妾の子に最初から何も期待していなかった訳ではないのだろう、というのが俺の考えだった。

 ……これは飽くまで勝手な想像の域を出ないが、初め本妻であるヒロは不妊を疑われていたのではないか。幸次郎は焦り、この際、男児ならば非嫡出子でもいいと考えたのかもしれない。トメの懐妊は彼の不始末の結果などではなく、意図的なものだった?

 いやまあ……だからなんだ、みたいな話なのだが。彼には重要なことなのだろう。

 

「…………」

 

 尾形はやっぱり黙ったままだ。

 というかまず、こいつの俺への接し方が大して変わらなかったことが一番の驚きだがな。今さらだが。

 何事もなかったかのように隣に座り、同じ飯を食おうとしてくる。俺が物理法則その他を無視して蘇ったことには、その時点ではさすがに驚いていたようだが、それだけだった。

 あの時のことは尾形の中でどういう処理がなされ、どこに落ち着いたのか。まあ、こっちもそのほうが接しやすいけども。

 

「変わらないものなどありはしない」

 

 気を取り直して、話を続ける。

 鶴見劇場ならぬ尾形タマ劇場だ。本家に比べたら格落ちなんてもんじゃないが、こういうのはまず自分に酔うのが大事。そうだろ?

 

「愛した瞬間があった。憎んだ瞬間があった。でも、どんなに強い気持ちでもそれが永遠になる訳じゃない。……だから生きるのはつらいんだ」

 

 愛し続けていられれば。

 憎み続けていられれば。

 それならそれで良かったのに。

 だからトメは現実から目を逸らさざるを得なかった……いや、やっぱりこれ花沢幸次郎がただカスってことで話が落ち着かないか?

 尾形の感性に共感できない俺では思考が堂々巡りのままなので、強制的に〆に入る。棒立ちのままの尾形をそっと抱きしめて、

 

「でも……そうだな。もし、百之助が葬式をやるようなことがあれば……俺はいつどこにいても駆けつけてあげる」

 

 愛だの恋だの、今の尾形にぶつけても理解できないだろう。だから、わかりやすく噛み砕いて伝えてあげる。

 ……尾形の“愛情”の原風景、葬式の弔問客というのがよく考えると恐ろしいよな。

 別に愛してなくても葬式には行くだろ。まあ、生が終わった後の、最終的かつ絶対的な感情の精算所という認識なのだろうけど。悲喜こもごもという概念を彼は理解できず、そこで出てきたレシートに書いてある文言だけが全てを決定づけるのだ。

 腕の中、俺を見上げる尾形の瞳が微かに輝いて、揺れているように見える。

 

「……何があっても?」

 

 現状伝えられる渾身のアイラブユーを受け止めた彼は、ほんの少し嬉しそうに見えた。

 

「ああ。何があっても」

 

 言いながら、夜空を仰ぐ。……失踪した母のためだけに自分を殺したクソガキの葬式に行く約束をするなんて、どんなシュールギャグだろう。

 そんな現実からは目を逸らして、電灯の普及してない時代の星空はとっても綺麗だなあ、と俺は感嘆したのでした。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。