【完結】「不死身(物理)なら尾形を愛せるのでは」という仮説とその検証について   作:捕まえようとした蝶

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30話 愛を手放さないでね

 今更だが。

 この網走監獄潜入作戦において。

 俺は、ぎりぎりまでひとつの“賭け”をしていた。

 

 

「──谷垣と夏太郎は川岸に用意した丸太船で待機、尾形は山に隠れて何かあれば狙撃で援護……」

 

 最後の作戦会議。機械的に担当を割り振っていた杉元が、そこで顔を上げた。

 

「……タマさんはどうする?」

 

 まとめてコタン行きとはせず、悩む余地があるらしい。少し、驚いた。確かに戦力になるともならないとも言い難い、微妙なポジションではある。

 それに、杉元は都丹庵士戦での俺の動きを見ている。少なくとも、単純な非戦闘員扱いではないということか。

 

「コタンで待っていてもいいんだよ?」

 

 優しく呼びかけられる。

 さて、どうしたものか。いや、もちろん考えていない訳ではなかった。

 避けたほうがいいポジションは、“舎房潜入組”と“援護狙撃組”。前者は、俺がいては脱出の足手纏いになりすぎるため。後者は……まあ、ここでは明言を避ける。

 コタン待機組に割り振られても、大した問題はないのだ。どうせインカㇻマッはそこから抜け出して、網走監獄までやってくるのだから。俺は「百之助が心配」とか理由をつけて、それについて行けばいい。

 口を開きかけた瞬間、

 

「この際、戦力は多いほうが良いだろう」

 

 部屋の隅で俯いていた尾形が、おもむろにそう口にした。髪を撫でつけながら淡々と続ける。

 

「こいつは銃も使えるし、夜目も利く。いざとなれば暗闇の中でも1人で逃げられる」

 

 正論──なのだろうか?

 今の俺は、そこに嫌な匂いを嗅ぎ取らざるを得ない。考えすぎだろうか。

 明後日の方向を見つめていた尾形が、首を捻る。こちらを見た。違う。その視線は俺を素通りして、

 

「……潜入のメンバーは、最小限に絞ったほうがいい」

 

 隣のキロランケが、そう呟いた。

 ──否、“引き継いだ”のだ。

 

「──────、」

 

 呼吸が、一瞬止まった。

 硬直する俺に、キロランケが柔らかく微笑みかけてくる。作られた笑み。

 

「援護狙撃は尾形に任せればいいとして……俺たちと宿舎で待機しておくか?」

 

 決定打だった。

 俺の首から伸びる鎖。それをしっかり握りしめる彼の姿を、幻視する。……なるほど、根回しは抜かりない訳だ。

 抗うほうが不自然か。

 固まった唇を、ゆっくり開く。できるだけ、ぎこちなく見えないよう。

 

「──ああ、」

 

 俺の“賭け”。

 

 ──この世界の尾形百之助は、ウイルク殺害に踏み切ることは無いのではないか?

 

 彼がキロランケと手を組んだ理由は、杉元たちも考察していたが。俺の考えは少し違う。尾形はおそらく、「自らは欠けた人間である」という信念に基づいて行動したに過ぎない。

 欠けた人間だから。

 仲間を裏切っても何も感じないし。人を殺したって罪悪感など覚えない。

 その証明であり、確認。

 自らの間違いを間違いだと認識しないために塗り重ねられる、さらなる誤り。

 ああ。

 

 ──本当は、どこかで期待していたのだ。

 

 尾形はウイルクを殺害するだろう、という前提の中で動いておきながら。

 俺がやってきたことは無駄ではないと。

 俺は彼を正しく“愛せていた”のだと。

 欠けた人間としての証明に己の人生を費やすのではなく、それによって手に入れた満ち足りた人生を歩んでくれるのではないかと。

 

 ──やはり、俺では駄目だった。

 

 代わりになってやれなかった。

 尾形は俺を必要としなかった。

 ……ばかみたいだ。

 

「……それで……構わない」

 

 たったひとつの賭け。

 俺は、それに負けたのだ。

 

 ──尾形がもし、ウイルクを殺す予定ならば。その過程で邪魔になり得る俺には、何かしらの手を回してくるだろうと思っていた。

 

 俺がコタンにいては、勝手に尾形のところへ向かってしまうのを防げない。同じく山で狙撃にあたった場合も、妨害を阻止できる第三者がいないので良くない。

 ただ、後者は俺も避けたいところだった。なぜなら、殺してしまえば済む話だからだ。一度死ねば、俺は数時間は再起不能になる。生き返ることを知っている尾形は、目的のためなら躊躇いなく俺を殺すだろう。

 閑話休題。

 それゆえ、コタン待機と山での狙撃の道を塞ぎつつ。……監視下に置いてきた。今回の作戦の発端である、キロランケの。

 この様子を見る限り、彼自身も尾形から何か言われているのか?

 ──何にせよ。尾形百之助は、キロランケと手を組んで網走監獄でウイルクを射殺する。

 もはや、これは決定事項だ。

 

「…………」

 

 いや。

 それなら、それでいい。

 俺は構わない。

 何もかも、今更の話だろうが。

 まだ。まだ、終わっていない。終わらせて堪るものか。こんな場所で。

 ぎゅっと、三十年式を抱きしめる。

 やらなければならないことが、ひとつに絞られただけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 そして、決行当日。

 潜入組がさっそく看守に見つかるなどの軽微な(軽微か?)トラブルはあったものの、宿舎待機組の俺たちが何とか鎮火。そのまま宿舎に戻ったのはいいが、

 

「土方歳三はどこ行った?」

 

 その隙に、土方がいなくなっていた。当然ながら彼を怪しむキロランケだったが。

 ──カンカンカンカン。

 突如、けたたましく鳴り響く鐘の音。明らかに、非常事態だった。

 

「うるさっ」

「見つかったのか!?」

 

 とにかく、杉元たちのところに向かおう。ということで部屋を出た途端。

 ドォン。

 遠くで爆発音。

 この騒ぎ、土方歳三の裏切りとインカㇻマッの裏切りによって起きてるんだよな。この後は彼らに特殊召喚された看守(and囚人)と第七師団のエイリアンvsアバターが始まる訳で、勝手に戦え!

 再び爆発音。

 

「うわっ!」

「なんかヤバいぜ、」

 

 今度は、かなり近かった。駆逐艦の砲撃がいよいよ網走監獄本体に迫ってきたのだ。

 

「逃げるぞッ」

 

 外壁への砲撃。そこに面して建つ宿舎はひとたまりもない。降り注ぐ煉瓦の雨から俺たちは何とか逃れることができた。

 ──が、

 

「インカㇻマッ!!」

 

 背後で、聞き慣れた声と名前が聞こえた。見れば、倒壊しかかった宿舎から出てきたばかりの谷垣が、その中に蜻蛉返りするところ。

 

「谷垣たち……川岸からトンネルを通って来たのか!?」

 

 何かしらの危機を察知したらしい牛山が、踵を返して宿舎へと駆けて行く。俺もとっさにそちらへ向かおうとしたところで、

 

「タマっ!」

「……!!」

 

 強く腕を掴まれて、阻まれた。──キロランケ。そのまま引っ張られる。

 

「来いッ、アシㇼパが心配だろ!?」

 

 どうしても、俺から目を離したくないらしい。

 

 

 

 

「……静かに、俺たちだ」

 

 舎房のそばで、土方から逃げ出してきたらしいアシㇼパを捕まえることができた。それに加えて、

 

「シライシ!?」

「……!? アシㇼパちゃーん!!」

「杉元は!?」

 

 脱獄王曰く、自分は抜け出せたが、杉元は未だ舎房の床下に閉じ込められたまま。

 

「わかった、杉元は俺たちが助けに行く!」

 

 キロランケの鶴の一声に、

 

「杉元を教誨堂に連れてきてくれ! 土方歳三がのっぺら坊はそこにいるって……!」

「そっちにも行っちゃダメだぜ、俺は杉元にアシㇼパちゃんと正門で待つように言われた!」

 

 なんか揉め出すアシㇼパと白石。こんなことしてる場合ではないと思うのだが。

 

「……とにかく、早く助けに行かないと」

「ああ。……杉元を助けたら、教誨堂へ向かう! なんとか正門までのっぺら坊を連れてくる、」

 

 キロランケの背を追って走り出したところで。

 

「っ、タマ、待って!」

 

 アシㇼパに呼び止められる。振り返った先、突きつけられる木製の鞘に入った小刀。

 

「……これを……杉元に!」

「……マキリ?」

「見せればわかるはずだ……頼んだぞ、」

 

 息を呑む。父親との繋がりを示す、大切なモノ。キロランケではなく、俺に。

 

「ああ」

 

 頷く。絶対に、渡さなければ。

 そして、伝えなければならないことがある。

 

 

 

 

 

 ──白石は、杉元は床下に閉じ込められていると言ったが。その居場所は、すぐにわかった。

 

「あ!? 杉元!?」

 

 通風口からクソコラのように生えた軍帽の頭。うねうね動いてちょっと気持ち悪い。

 

「キロランケ!? タマさんッ」

「どういう状況?」

「馬鹿かよオマエ、出られる訳ねえだろ!!」

 

 白石は出られたし尾形ならワンチャン出られた。

 目の前に膝をついたキロランケは、素手で躊躇なく土を掘り始める。

 

「どうすんだ、」

「壁と土の隙間に手投げ弾を詰め込む、……タマ、俺の荷物から5個、あとマッチ!」

「うん」

 

 慣れた手つきで即席の穴に手投げ弾を収め、火をつける。後退りつつ俺も下がらせて、

 

「……よし、どこかに身を隠せっ」

「えぇ? ちょっと待────」

 

 ドンッ。

 ドリフのコント並みのテンポで、舎房の壁の一部が爆ぜ飛び。

 

「…………」

 

 ややあって、穴から黒焦げの杉元がのっそり這い出してきた。普通に逃げ遅れたらしい。そりゃそうじゃ。

 

「ごほッ」

「のっぺら坊は教誨堂にいる」

「アシㇼパが、これを見せろと……」

 

 懐に入れていたマキリを、杉元に差し出す。アシㇼパと長く共にいた彼は、それが何なのかすぐにわかったようだった。

 

「アシㇼパさんのマキリ……父親が作ったマキリか……」

 

 それを一度ぎゅっと握りしめた後、

 

「……2人は正門で待っててくれ。白石だけじゃ不安だ」

 

 またしても戦力外通告。脳内白石がクゥーンと鳴いている。俺よりは役に立つって。

 

「俺がのっぺら坊を連れてくる。必ず会わせる、とアシㇼパさんに伝えてくれ」

 

 自信に満ちた、その琥珀色。

 揺らぎのないそれに、何となく悲しい気持ちになった。きっと、これでしばらくお別れだ。杉元。強く、優しい男だった。

 

「ん、」

 

 手を伸ばして、その耳たぶをつまむ。軽く外側に引っ張って、離した。

 

「……頼んだぞ、不死身の杉元……!」

 

 

 

 

 そして。

 とうとう、インカㇻマッの先導で正門の上までやってきてしまった。今のところ、何も有効な手は打てていない。

 時間がない。

 しかし、

 

「タマ」

 

 ふと、我に返る。

 屋根の上、中途半端な位置で立ち尽くす俺に。背後から、穏やかな声がかかっていた。

 

「……弟のことが心配か? あいつなら、きっと大丈夫だ」

 

 優しく肩に置かれる手。振り返る。奥底へ微かに青の滲んだ、綺麗な瞳、

 

「キロランケ……」

 

 その手に、指を重ねて。

 輪飾りの揺れる耳に、そっと顔を寄せる。

 ああ。タタールの美しき虎よ。愛に狂った望郷の獣よ。──これが、最後だ。

 

「尾形にウイルクを殺させるつもりだな?」

 

 その囁きに。

 

「──────、」

 

 一瞬、間があった。

 その直後、飛び退さるキロランケ。いっぱいに目を見開いて、肩で息をしながら、呆然とこちらを見上げている。

 

「な、……にを根拠に……」

 

 この、虚を衝かれた反応。

 なるほど。

 ──尾形は、俺がウイルク殺害を悟っていることまでは読んでいなかったか。

 単に、俺が心配から意図せず邪魔をすることを恐れていただけだったようだ。

 くだらない。

 

「……はあ、」

 

 軽く腕を振って。首を回す。

 何だか、どっと疲れた。

 俺をじっと見つめたままのキロランケが、震える唇を動かす。いくら予想できなかったとはいえそんな態度、疑ってくださいと言っているようなものだ。

 

「……家族なんだろ? 弟で……それがアシㇼパたちを裏切って……ウイルクを殺すと?」

 

 くだらない──くだらない問いだ。

 

「ああ」

 

 頷く。彼を横目で見やる。汗が滲んで、引き攣った微笑みと目が合った。

 

「あいつは裏切り者の人殺しだよ」

 

 そんなこと、俺が一番よく知っている。

 そんな当然の話をされたって。今さらすぎて、何の意味もない。息を吐き出す。

 

「……お前にはお前の意地があるんだろう。でも、俺にも譲れないものがある」

 

 無駄にはしない。させない。

 何もかも。俺を作ってきた全てを。キロランケを強く睨みつける。

 

「ウイルクがそんなにも愛しく、憎いのなら自分の手で殺してみせろ……!」

「っ、!」

 

 短く息を詰めたキロランケが、腰元から何かを取り出した。闇夜に煌めく──マキリ。

 勢いよく突きつけられたその切っ先を、落ち着いた気持ちで眺める。

 

「……手が震えてるぞ」

 

 俺を傷つけるのが怖いのか。その向こう、青ざめたキロランケの揺れる瞳を、ゆっくり見つめ返す。

 

「あいつにも最初からそれくらいの躊躇いがあれば……まあ、もうどうでもいいか」

 

 余計なことを考えるのはやめよう。終わったことを考えるのは。さあ、今度こそ。

 運命は、俺自身の手で変えてみせる。

 振り返る。屋根の端に足をかける。

 息を、精一杯吸い込んで。

 

「────杉元ッ!!!」

 

 空気が、揺れる。

 声を、魂の底から張り上げる。

 この騒音で、この距離で、女の声で届く訳がない。否、否、そんなことは考えるな、この一瞬に、俺の、全てを賭けろ!

 

「狙撃されるぞッ!!!」

 

 俺に手を伸ばしかかったキロランケ、その驚愕の顔が、視界の端に映る。

 

「っ、」

 

 その手を、彼はとっさに引っ込めて。

 ぴんと、挙げる。上へと。

 

「──杉元ニㇱパが撃たれたッ!!」

 

 初撃。インカㇻマッが叫ぶ。おそらく杉元は動いた。照準がずれた。

 

「杉元ォ!!」

 

 アシㇼパの悲痛な叫び。

 

「チ、当たってしまったか……」

 

 それきり、もう誰も叫ばなかった。次を撃たなかった? 外したのか?

 とにかく、俺ができる仕事はもうない。

 脱出の準備に移らなければ、

 ──あ、?

 

「──っ、ゔ……」

 

 振り返った鎖骨のくぼみに、深々と打ち込まれた短刀。

 

 ──キロランケの、マキリ。

 

 ワンテンポ置いて溢れ出した血が刀身を濡らす、その光景が悲しかった。

 顔を上げる。──持ち主の、凍りついた無表情と目が合った。

 違う。そんなつもりはなかった。

 今にもそんな声が聞こえてきそうな驚愕の顔に、思わず笑みがこぼれた。口を開く。逆流した血が唇の端を伝う。構わず舌を動かした。

 

「そんな顔するくらいなら最初からするなよな」

 

 後悔するな。

 一方的な理由でウイルクを殺そうとしたくせに、その過程で邪魔になった俺やインカㇻマッを手に掛けたことには心が痛むのか?

 馬鹿みたいだ。

 青褪めたキロランケが、俺に何かを言いかけて────パァン。

 すぐ足元の瓦が爆ぜちった。キロランケが俺を離し、即座にある一点を見遣る。

 ああ。そこに、尾形がいるのか。

 

「あッ」

 

 アットゥシに包まれた分厚い体を押し返し、勢いに任せて屋根から転がり落ちる。突き刺さったマキリが抜けて、鮮血が夜闇に散る。

 

「ぅぐッ」

 

 なんとか、門の外側には出られたようだが。そこそこの高さから地面に激突して、衝撃に一瞬息が止まった。意識はある。

 どこか骨が折れたかも。

 でも、もうどうでもいいのだ。

 

「……これは……死ぬよな、」

 

 喀血混じりの自嘲が浮かぶ。あとどれくらい保つだろう。半ば這うようにして、キロランケが見上げた方角を目指す。

 痛い。痛くて苦しい。

 

「………………」

 

 キロランケは追ってはこない。

 俺は死んだと見て、今度こそ自分でウイルクの始末をつけに行ったのか。インカㇻマッたちが何も言わなかったから、まだ生きているはずだ。

 これも希望的観測?

 わからない。

 

「っ、…………」

 

 手足の感覚がない。

 吐き気と頭痛がひどい。寒い。震えが止まらない。

 

「…………ぁ、……」

 

 最後の灯が、消えた。

 もう、前に進めない。

 

「げ、ぇ……」

 

 喉の奥から熱した鉄が迫り上がってくる。逆らわず地面にぶち撒ける。

 

 ──ああ、死ぬ。

 

 それを単なる悲観ではなく、絶対的な事実として受け止める。

 結局、尾形のところまで辿り着けなかった。彼は原作通りウイルクを撃ってしまったのだろうか。

 

「………………」

 

 ふと、気づく。

 地面が、微かに揺れている。

 砲撃による地鳴りではない。誰かが、地面を蹴ってこちらに近づいてきている?

 はっ、はっ。短く、断続的な吐息。

 走っている。……それが、俺の目の前で止まった、

 

「タマ、」

 

 整わない息で名前を呼ばれる。慣れ親しんだ、あの響きで。

 

「……おが、た……」

 

 腕が伸びてきて、慎重な手つきで抱き起こされる。冷えた体が覆いかぶさってくる。強く、強く抱きしめられた。鼻先を埋めた尾形の外套は、血と硝煙の匂いがした。

 五感の中で、聴覚だけは最後まで残る。

 彼の匂いもやがて感じ取れなくなり、もう何も見えなかったが、乱れた呼吸音だけは聞こえる。櫓から走ってここまでやって来たのだろうか……俺のために。

 

「……キロランケ……」

 

 尾形の呻くような低い呟きを最後に、意識は闇に溶けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……舟を出せ。逃げるぞ」

 

 アシㇼパと白石が発見した、笹藪に隠れるようにして浮かぶ予備の舟。

 キロランケがやってきた直後に現れた人影、その姿に、白石がぎょっと目を剥いた。

 

「──おいおい、どうしたんだよタマちゃん……!」

 

 現れた尾形の腕に力なく抱かれる、細身の体。白い手足が、モノのようにただ揺れている。

 次に青ざめたのはアシㇼパだった。

 

「狙撃に……っ、気づいたから、まさか、」

「……気を失っているだけだ。命に別状はない」

 

 片腕にタマを抱えたまま、器用に舟底へ滑り込んでくる。腕の中、安らかに目を瞑るその頬へ、尾形が無表情を擦り寄せる。

 

「すぐに目を覚ます」

 

 その着物の袷目が、普段より僅かばかりはだけていた。

 細い喉から、鎖骨の辺りまで、発光して見えるほどに白い──傷ひとつないなめらかな肌が、夜の空気に晒されている。

 

「…………!」

 

 アシㇼパも白石もそれどころではなかったが、『下手人』はそうではなかった。

 すぐに“気づいた”キロランケに、尾形が無言で流し目をくれた。冷たい眼差しだった。肩を抱いていた手が、さりげなくその袷目を正す。

 それから、

 

「……谷垣源次郎は、鶴見中尉たちに捕まった」

「っ、!?」

 

 淡々と、機械的な報告に、タマの頬を撫でていたアシㇼパが飛び上がる。

 

「アチャと杉元は!?」

「近づいて確認したが……杉元は射殺。ウイルクは……刺し殺されていた」

 

 響き渡る、少女の慟哭。

 泣き崩れるアシㇼパの体を、白石が慌てて支える。

 必死にアシㇼパを励ます白石。しかし、キロランケと尾形の目下の関心は、残念ながらそこにはなかった。無言で見つめ合う。

 ──否、睨み合う。

 

「…………」

 

 2人の男の想いを乗せて。舟はゆっくりと、網走の川を流れていく。

 

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