【完結】「不死身(物理)なら尾形を愛せるのでは」という仮説とその検証について   作:捕まえようとした蝶

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32話 スチェンカ!!

 来たぞ樺太。大泊港。

 

「…………」

「……大丈夫? タマちゃん」

 

 船酔いしております。

 今まであんまり意識してなかったけど、俺って乗り物酔いしやすいタイプなのかな。俺っていうか、この体の話だけど。単に死に戻ったばかりでフル充電じゃないだけか。

 

「……、これからさらにどこへ向かうんだ?」

「キロちゃんは北に向かうって……尾形ちゃんみたいな顔色してるけどマジで大丈夫?」

 

 シライシの優しさが痛いぜ。

 もどすほどの量を食べていないので、吐いたりはしない。尾形が気を使って背をさすりに来てくれたほどなので、よほど酷い顔色なのだとは思う。

 グロッキーな俺(とその介助をしてくれる白石)をよそに、キロランケとアシㇼパは真面目な顔で何か話し合っている。

 

「この辺りには樺太アイヌの集落がある」

「樺太アイヌ……」

「情報を集めながら進もう」

 

 で、土地勘があるらしいキロランケの案内で辿り着いた樺太アイヌの集落。

 こっちは既に雪が降りまくっているので、進むのが普通に大変でした。

 

「犬がいっぱい」

「リュウを思い出すねえ。ね、アシㇼパちゃん?」

「…………」

 

 気遣い白石に雑談を振られたアシㇼパ、俺の服の裾を掴んだまま無言。無視されてクゥーンになってしまう白石。犬が増えた。

 それをスルーして、たくさんのアイヌ犬と、それを世話する樺太のアイヌたちをぼんやり眺める。

 えっと。確か、ここで会うのは、

 

「あなたたち……アイヌ? どこから来たの?」

 

 ──鈴を転がすような可憐な囁きに導かれ、振り返った先、立っていたのは。

 見慣れない帽子と、どこか見覚えのある衣装に身を包んだ幼い少女。艶やかな黒髪のボブカットの中で、大きな瞳が星のように煌めいている。

 

「わたし、エノノカ。会えてうれしい」

 

 

 

 

 男3人が聞き込みだか話し合いだかをしている間に、俺はアシㇼパとともに、エノノカの家で過ごさせてもらうことになった。

 塞ぎ込んだままのアシㇼパの身を案じた白石の粋な計らいである。俺は保護者枠。

 

「はい。これ、フレップの塩漬け。わたしの名前もフレップから取ってる」

 

 ことん、と目の前に置かれる、陶器の椀一杯の……何だこれ。爪の先程度の小さな赤い木の実が、何か液体に浸かっている。

 

「フレップ……」

「樺太では夏にたくさん採れる。お酒にしたりもする」

 

 いや、なんかどっかで見た覚えあるな。そもそも原作ではきちんと紹介されていたはずだけど。何だったか……コケモモだっけ?

 

「おいしいけど、たくさん食べない。ゲーするから」

「食べていいのか?」

「どうぞ」

 

 促されるまま、椀に指を伸ばす。だって箸とかないから。素手で取って、口に入れる。

 

「……うん。ヒンナ」

 

 なんかこう……うん。食レポの語彙力がなさすぎて上手く説明できない。強いて言うなら、カリカリ梅に近いかもしれない。

 北海道のきみまろ杉元は、これについて何と言っていたっけな。

 

「おいしい?」

「うん」

「よかった」

 

 ふっくらほっぺでにこにこのエノノカ。かわいいね。そのまま健やかに育ってくれ。

 普段はこうなんだけどねえ、と隣で俯いたままのアシㇼパを見やる。放っておく訳にもいかないので、

 

「アシㇼパも食べてみる?」

 

 つまんで口元に持っていくと──食べた。なんか動物に餌やりしてる気分。これが尾形だったら無理矢理口に押し込んでた。

 アシㇼパはしばらくそれを真顔で咀嚼していたが。やがて、自らフレップに手を伸ばして、口に運び始めた。

 無言でもぐもぐ。椀の1/3を空ける勢いで食べ続けた後、ようやく顔を上げた。

 

「……ヒンナ、」

 

 ちょっと笑って紡がれたその言葉に、エノノカもほっとしたような笑顔を見せる。

 それはいいのだが、

 

「アシㇼパ、ほっぺたについて……本当にめちゃくちゃついてる」

「ん」

 

 フレップが赤いから人食ったみたいになってるぞ。今に始まったことじゃないが、どういう食い方したらこうなるんだ?

 手拭いで清めてやると、俺のほうを見上げて表情を緩め、

 

「ありがとう……タマ」

 

 ……その眼差しに、なんとも言えない気分になった。

 本当は、これは彼女一人で立ち直るべきことなんじゃないか? 俺は杉元佐一のように、ずっと彼女とともにいる努力をしている訳でもないのに。肝心な場面では寄り添ってやれないかもしれないのに。

 俺が悶々としている間にも、少し元気を取り戻したらしいアシㇼパは、

 

「父から樺太にいるアイヌの話は少し聞いていたけど……こうやって実際に会うのは初めてだ。色々違いがあって面白いな」

 

 フレップを頬張りながら言う。

 

「これも初めて見た」

「北海道には無いんだ?」

「少なくとも私は知らなかった」

 

 ふむ。アシㇼパは高山に棲むナキウサギのことも知らなかったしな。もしかすると、コケモモも彼女が見たことがないだけで、北海道にも自生しているのかも。

 

「マキリの形も違う」

「マキリ?」

 

 エノノカは怪訝な顔をしていたが、アシㇼパの指が腰に下がった小刀を指しているのを見て、合点がいった顔をした。

 

「これ……エピㇼケㇸ」

 

 わざわざ腰紐から外して、俺に渡してくれる。わりとデカい。湾曲した鞘に刻まれた、精巧な模様。先端の一部がくり抜かれて空洞になっている。

 そもそもアシㇼパのマキリさえまじまじと見たことなどないので、俺には明確な違いがわからないのだが。皆さん器用ですね。

 

「死んだオナハがわたしに作ってくれた」

「っ、」

 

 とっさに息を呑む。確かに、この家には彼女が“ヘンケ”と呼ぶ老爺(祖父?)しかおらず、両親の話が出てきたこともなかった。

 まさか、既に故人だったとは。明治に生きて四半世紀は過ぎたものの、俺はまだまだ平和ボケしている。

 

「わたしのオナハとウヌフ、海で死んだ……ヘンケ優しい、セタいっぱい、わたし幸せ。でも時々、すごく悲しい」

 

 悲しい時もある、と言いつつ、エノノカはどこまでも落ち着いていた。既に自身の力で痛みを乗り越えた者の目をしていた。

 オナハとウヌフ──話の流れからして、彼女の父と母のことだろうか。アシㇼパは“アチャ、ハポ”と呼んでいたが、やはり樺太アイヌは言語も北海道とは違うらしい。

 そこでエノノカはアシㇼパを見て、

 

「あなたのオナハとウヌフは?」

 

 無邪気な問いに、目を瞠ったアシㇼパが小さく肩を震わせた。“あんなこと”があったばかりで、さすがに冷静ではいられなかったらしい。

 しかし、そんな事情は知らないエノノカは興味津々な様子で、

 

「あの男の人?」

「いや……キロランケニㇱパは違うんだ、」

「ふうん。じゃあ、ユㇷポ?」

 

 悪意ない追撃に、アシㇼパの顔色が悪くなっていく。最終的に、俯いてぎゅっと瞼を瞑ってしまった。膝の上で固く結ばれた拳が震えている。

 

「私、……私は……」

 

 元の様子に逆戻りしてしまったアシㇼパに、さすがにエノノカも自身が踏み込み過ぎたことに気づいたらしい。はっとして、しょげたように身を引く。

 

「……ごめんなさい、嫌なこと聞いた」

「いや……大丈夫だ」

 

 まだ癒えない生傷の痛みを感じつつも、似た境遇ながらも冷静なエノノカを見ていた彼女には、何か思うところがあったのか。

 ゆるく頭を振った後、顔を上げる。その表情には、若干ぎこちないながら、既に笑みが宿っていた。

 

「……エノノカはしっかりしているな。私も、乗り越えなければ」

 

 空っぽの腰元に手を当てる。本来あるはずの小刀は、今はそこにはない。

 

「私のマキリは……今は、とても大切な人に預けているんだ。会ったら、返してもらう」

「そう……」

 

 アシㇼパの柔らかい呟きに、エノノカもようやく表情を緩めた。微笑んで、

 

「アシㇼパ、絶対会える。わたしも応援してる」

「……ありがとう。エノノカ」

 

 笑顔を向け合う幼女2人。

 イイハナシダナー、と思いながらフレップをつまもうとした先。あれ。もうない。

 

「あ! タマ、フレップ食べすぎ! ゲーするよ!」

「船酔いが治ったばかりなんだから、無茶するな!」

「…………」

 

 ……うん、俺なんかよりもよっぽどちゃんとしてるよな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……え、刺青囚人?」

 

 次の目的地は、ロシア人の農村。

 キロランケから普通に避けられている(あたりまえ体操)俺にはその理由までは降りてこず、仕方なく白石由竹に聞いたところ。上記の答えが返ってきた。

 

「うん。どうも、北海道から逃げてきた囚人が、その村の辺りに潜伏してるんじゃないかって」

 

 あの平和そうなコタヌで、一体どういう聞き込みをしたらそういう危険な情報が手に入るんだか。

 

「心当たりがあるのか?」

「うーん……情報が少なすぎてなあ」

「…………」

 

 俺には覚えがあった。

 樺太先遣隊とスチェンカ(あとバーニャ)を繰り広げた瞳の綺麗な異常者、岩息舞治。俺がそんな情報をとうの昔に得ていることなど知る由もない白石は、まだ考えている。

 

「外国人は1人いた気がするけど、別にロシア人って感じの風貌じゃ……」

「とにかく、あなたが顔を見ればわかるはず」

 

 どちらにせよ、ここで俺たちが岩息の刺青を手に入れることはない。その必要もないのだ。あとは先遣隊に任せておけばいい。

 

「……ま、それもそうだな」

 

 俺の一言に軽く唇を尖らせた白石が、樺太の空を仰ぐ。

 ……損な役回りばかりやらせてしまっている気がするな。俺のことも薄っすら怪しみつつ、それでも仲間として心からその身を案じてくれている。優しい男だ。

 で、件の農村についたところで。

 

「情報集めはあの2人に任せて、お茶しようぜ〜?」

 

 傷心のアシㇼパはともかく俺、樺太に来てからマジで何もしてなくてワロタ。

 白石は「お茶」と言ったものの、入ったこの店はどちらかといえば酒場としての役割のほうが強いらしく、中は昼間なのにアルコールの匂いで満ちていた。ただ、それ以外を出していないという訳でもないようで、身振り手振りで頼んだら普通に紅茶が出てきたが。

 

「あれ何?」

「самовар」

「お湯沸かしてるのかね」

 

 サモワ……なんとか。金属製のウォーターサーバーみたいな見た目の器具だ。

 頭頂部が若干寂しい男店主が出してくれた紅茶を、3人で飲む。ガラスのコップが細工の施されたホルダーに入っていておしゃれ。

 無言のティータイム、口火を切ったのは発案者である白石だった。

 

「……今はまだ第七師団がいるだろうからさ。ほとぼりが冷めたら、遺体がどうなったか探そうよ」

 

 あんまりくよくよしてたら、体に良くないぜ。

 なぜかオシャンに小指を立てながらカップの茶を啜る白石。ちょっと鬱陶しい。アシㇼパ、原作通りここで弱音を吐くかと思いきや、

 

「……ああ。あのコタンで、エノノカと話して……私も前を向かなければと思った」

 

 お。何だかさっそく立ち直りかけている。

 願わくば、彼女の中では“俺のおかげ”などではなく、全てが“エノノカのおかげ”であってほしい。

 

「そうだぜ。アシㇼパちゃんの父ちゃんだって、きっと何か事情があったんだろ。もしかしたら真相を知ってる人間がどこかにいるかもしれないし……アシㇼパちゃんだけでも味方になってあげなよ」

「あっつ」

「……そうか。……そう、だな」

 

 猫舌加減を見誤ったゆえのノイズが入ってしまいましたが、無視してください。

 

「それと……杉元のことだけどさあ」

 

 自らの坊主頭を撫でさすりながら、白石が空元気と期待の入り混じった声で呟く。

 

「あいつ、まだ生きてんじゃねえかなぁ? 根拠はまったくないけどさ……俺は、あんな野郎が簡単に死ぬとは思えないんだよな」

 

 そうであってほしい、と願う声音だった。

 アシㇼパのためと──自分のために。杉元に向けられた愛を、改めて噛み締める。

 そして、言われた彼女は。

 

「……何言ってるんだ、シライシ! 杉元が死んでる訳ないだろ、あいつは“不死身の杉元”だ!」

 

 ぱっと顔を上げ、明るい笑みとともにそう言い放つ。いつもの調子を取り戻し始めているアシㇼパに、白石も安堵の笑顔を見せた。

 

「……うん。私もそう思う」

 

 杉元佐一。あれから色々考えたが。

 ……彼が本当に死んでしまっている、という可能性も、ゼロではないのだ。杉元は俺の声を聞いて、初撃を避けようとした。その結果、弾に当たってしまった。

 それがどういう位置で、どう当たったのかを俺は知らない。原作通り脳みそが削れるくらいで済めばいいが、実際はもっと深刻かもしれない。

 何が起こってもおかしくはない。

 俺たちの旅は既に手遅れかもしれない。

 だから。でも。

 

「…………」

 

 杉元佐一は生きている。

 根拠は無い。しかし、生きているはずだ。彼は不死身の杉元だから。

 ただ、それだけだ。

 

「ああ……杉元もきっと、タマに会いたくて寂しがってるはずだ」

 

 俺の同意にアシㇼパが目を細めて、そう呟いた。──寂しがっている。

 

「……、そうかな……」

 

 賢い杉元は、俺が尾形の裏切りを見抜いていたことに、既に気づいているだろう。

 杉元が生きていたとして。

 彼は俺を許さないかもしれない。

 

「──ここにいたか、」

 

 呼びかけられて、我に返る。

 聞き込みから戻ってきたらしいキロランケと尾形が、俺たちを見下ろしていた。

 

「……あー。おかえりぃ、キロちゃん」

 

 白々しい、暢気を取り繕った笑み。本当に、嫌な役回りだよな、白石由竹。

 ああ、と応えたキロランケは、こちらに顔を寄せ、囁く声量で。

 

「例の囚人の話だが。……ここでやってる“スチェンカ”には来るかもしれないと」

 

 出たスチェンカ。ラッコ鍋とバーニャの次くらいに有名なやつ。この漫画ちょっと男キャラの露出が激しすぎるだろ。

 

「スチェ……なんて?」

「スチェンカ」

 

 当然ながら耳慣れない白石に、尾形が淡々と繰り返す。

 

「正式名称は“スチェンカ ナ スチェンク”。日本語で“壁 対 壁”という意味の、ロシアの伝統的な競技……」

「え?」

「要するに、男同士の殴り合いだ」

 

 んまー、野蛮。

 俺が前世通りの性別だったらこういうの(スチェンカ)とかああいうの(ラッコ鍋)に巻き込まれていたかと思うと……まあ、一概に女になったのが悪いとも言えないよな。

 軟弱と言われようが、俺は男同士の肉体言語(意味深)は別に好きじゃないもんでね。

 

「殴り合い……」

「…………」

 

 そして何だか雲行きが怪しい。

 ……え? やるのスチェンカ?

 ていうか、やってたっけ?

 

「今晩、また開催されるらしい」

 

 さいですか。

 ……行くつもりじゃないよね?

 

 

 

 その時はそれで済んだが。

 村で宿を取って、それぞれ就寝となってから、しばらく経った頃。同室だった尾形が、こっそり部屋を出て行く気配がした。

 

「…………」

 

 案の定か。

 今このタイミングで声をかけても誤魔化されるだけだろう。現場を押さえるしかない。

 仕方なく、その気配が完全に消えたタイミングで、三十年式を担いで隣の部屋に入る。キロランケとアシㇼパの部屋。しかし、片方のベッドは空っぽだった。やはり。

 

「……起きろ、アシㇼパ」

「ん……タマ……? どうしたんだ……?」

 

 寝ぼけ眼で起き上がるアシㇼパ。瞼を擦りつつ、俺を見て、隣のベッドを見て。はた、と動きが止まる。

 

「あれ、キロランケニㇱパ、」

「多分スチェンカに行ったんだ」

「スチェンカ……って、昼間言っていた?」

 

 俺たちを置いて行ったのは巻き込まないためか、止められるのを防ぐためか。

 ようやく目が覚めてきたらしいアシㇼパの手を取って、立ち上がらせる。その辺の刺青囚人とかならともかく、無駄なこととわかっておきながら身内がボコボコにされるのをただ見過ごすのは寝覚めが悪すぎる。

 

「30秒で支度しろ」

「行くのか?」

「あいつらで勝てる訳ないだろ、止めに行かなきゃ」

 

 

 

 一応、外套のフードを被って、弓を携えたアシㇼパとともに会場に向かう。

 きっともう日付が変わるくらいの時間帯、周囲の民家は真っ暗だったが、その建物だけは煌々と明かりが灯されていた。

 観音開きの扉をぐっと押し開けた瞬間、

 

「──う、」

 

 ムッワアァ。顔を舐めていく異様な熱波、白人特有の濃ゆい体臭。シンプルに不快。

 

「すごい熱気だっ」

「クサイ」

 

 入口から見えるのは、こちらに背を向けて何かを囃し立てる男たちばかり。こいつらは観客だろう。もっと奥に行かなければ。

 アシㇼパの手を握って、興奮した男たちの群れを掻き分けて進む。

 

「……あッ!」

「…………」

 

 観客がひしめき合う空間の中央、木の柵で囲われたその内側で殴り合う半裸の男たち。

 で、その中で悪い意味で目立つ、

 

「──げッ!? タマちゃん!?」

 

 フードを被っていても……いや、被っているからこそか。三十年式と隣のアイヌの少女で、半裸の白石由竹は近づいてきた女が俺だということに気づいたらしい。その刺青、目立ちすぎるだろ。

 

「なんでここに……」

「ん?」

「…………」

 

 近くには同じく半裸のキロランケ……そして尾形がいる。タタールの血が入ったキロランケの肉体美は周囲のロシア人と比べても見劣りしないが、宇佐美にタイマンで負ける尾形は白石同様、悪目立ちしている。

 まあ、彼らはともかく。

 

「バカ白石……お前も相手に顔を知られてる、堂々とスチェンカに参加したら囚人を誘き出せないッ」

「あ、そ、そうか……」

「はあ……警戒されて、もうここにはいないかも」

 

 上裸が半強制みたいなもののようだし、顔を隠しても無駄だったろうが。そもそも、白石はこの村に来た時点で岩息に目をつけられていたのだから、何をしても無駄である。

 しかし、スチェンカの真っ最中にいきなり話し込み始めた辺りで、俺たちも衆目の対象となってしまったらしい。しかも、参加資格のない女子供ときて、血の気の多い輩の逆鱗に触れてしまったか。

 

「Отвали! 」

 

 屈強そうなロシア人の男が、何事かを叫びながら俺の肩を掴んできて。

 ──パァン。

 抱いた三十年式からノータイムで放たれた空砲に、跳ね上がって飛び退さる。

 

「俺とこの子に触るな」

 

 スチェンカは肉と肉のぶつかり合い。飛び道具なんて野暮なものは持っていない者が大半だ。

 俺の首など片手でへし折れそうな男たちでも、獣と同じで銃は恐ろしいのか。途端に距離を取られて、少し涼しくなった。

 嫌ですわねー、男同士の拳の語らいは聖域だから女子供は立ち入るなみたいな価値観。俺はそもそも女じゃないけどね。

 観客も参加者も頭のおかしい日本人の女を遠巻きに見守る中、反対にこちらへ近づいてくる男が1人。大事な手にきっちりテーピングまでして準備は万端の、

 

「……百之助」

「タマ」

 

 柵越しに見つめ合う。既に頬へ擦り傷を作ったその無表情。お前が一番心配なんだけどね。白石は……まあともかく。

 手を伸ばして、なぞる。

 

「馬鹿な真似を……お前は近接戦闘に向いてな、……正直周りに比べたら力が弱、…………銃の才能があるんだから、自分に合った戦場で戦えばいいのに」

「…………」

「タマちゃん何も隠せてないって」

 

 この一大事に本当のこと言って何が悪いんですか〜?

 しかし、尾形はやんわりと俺の手を引き剥がして。

 

「……心配するな。俺はやる」

「…………」

 

 男の子だね〜、いい加減にしろ。

 くっ……どいつもこいつも戦闘能力に比例せず血の気が多い!

 

「無駄な真似はやめろ!」

「ねえさっきからめちゃくちゃ辛辣じゃない!?」

「Бeй!」

「ぐえっ」

「シライシーッ」

 

 俺たちの乱入で半ば中断されていたスチェンカが、その一言で再開したらしい。隣の男に殴られてあっという間に地面に沈む白石。無茶しやがって……!

 後はもうめちゃくちゃで、殴って殴られての泥試合。血と汗とが飛び交っている。

 

「……あれ? アシㇼパ?」

 

 しかもアシㇼパがいない!

 ここの参加者と観客は八百長に犬泥棒とこの世の悪を煮詰めたような奴らだが、さすがに年端も行かない子どもに何かするほど腐ってはいない……と思いたい。慌てて周囲を見渡した先、喜色満面でこちらに駆け寄ってくる小さな影。安心したのも束の間、

 

「タマ! このスチェンカ、観客は金を賭けられるらしいぞ!」

「いやそれは知って……ア!?」

 

 きらきらお目々で紙幣を握りしめるアシㇼパに嫌な予感……も、時既に遅し。

 

「キロランケニㇱパに賭けてきた! 行けーッ! そこだッキロランケニㇱパーッ!」

 

 即席のリングを囲う木製の柵から身を乗り出し、声を張り上げるアシㇼパ。かつて競馬に勤しむ白石を蔑んでいた彼女だが、明らかにギャンブラーの素質がある。

 ええい、こうなったらやむを得ない!

 

「っ、が、頑張れ、キロランケー! アシㇼパが路銀をお前に賭けてしまった! 元は取れるくらいには頑張ってくれー!」

「……え? ぐぶッ」

 

 キロランケーッ!

 横っ面に良いのを一発食らってひっくり返るキロランケに、脳内ゴングが鳴り響く。

 いやこれ俺が余計なこと言ったせいだな、本当に申し訳ないと思っている。マジで。

 あ、ちなみに尾形はとうにノックアウトされてます。

 

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