【完結】「不死身(物理)なら尾形を愛せるのでは」という仮説とその検証について   作:捕まえようとした蝶

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37話 恋は悪徳

「なんだ、この足跡!?」

 

 ウイルタ族と別れて、森の中。

 先を行くアシㇼパが、そんな声を上げた。

 

「どうしたの?」

「見ろ、タマ!」

 

 呼びかけたのは何となくだったが、アシㇼパはわざわざこちらまで来て、俺の手を引いてその場所まで誘導してきた。

 彼女が指差した先にはあったのは、銀世界に刻まれた肉球痕。大人の握り拳くらいはある。

 

「ネコ科の足跡だね」

「うん。メコみたいだけど、大きすぎる!」

「タマちゃんの足跡じゃない?」

「タマの足跡かあ」

「なんで?」

 

 どういう思考機序で納得したんだよ。俺はどうぶつフォーゼする特殊能力なんか持っちゃいないが。

 

「……その足跡はオオヤマネコだ」

 

 案内役として俺たちを先導していたキロランケが、振り返ってそんな解説。

 それを聞いたアシㇼパは露骨にテンションが上がった様子で、

 

「もしかしてこれがメコオヤシ!? アチャが昔話してくれた“ネコの化け物”はこのことだったのか!」

 

 ──メコオヤシ。

 原作では、尾形に対する揶揄として持ち出されていたオオヤマネコだったが。

 ウイルタ族のテントでの、キロランケの呟きを思い返す。彼は、俺を“不死身の化け猫”と呼んだ。おそらく、彼の頭にもメコオヤシが浮かんでいたのだろう。

 

 ──山猫のきょうだいか。

 

 片や芸者の息子、片や化け猫。血も所以も異なる身ながら、妙な符合が見えてきた。

 

「ウイルクと一度だけオオヤマネコを獲った。毛皮がものすごく高く売れたな」

「味は!?」

「アクがすげえ多くて困ったよ。……お前の親父は不味そうな顔してた」

 

 当然のように肉まで食ったこと前提で聞くアシㇼパ、当然のように肉まで食っているキロランケ(withウイルク)。肉食獣だから美味い訳ないんですがね。寒冷地の狩猟民族は逞しいな。

 

「そうか、ネコお化け美味しくなかったか……それも初めて聞くアチャの話だ」

 

 食という身近な分野のエピソードが聞けたのが嬉しかったのか、頬を綻ばせるアシㇼパ。キロランケはそれを無言で見つめていたが、

 

「……もっと知りたいか?」

 

 昔のウイルクをよく知っている人間がいる。餌に食いついた獲物の手ごたえを感じたらしいキロランケが、優しい微笑みをカムフラージュにそれを手繰り寄せる。

 

「会いたくないか、アシㇼパ」

「……、どこにいるんだ?」

 

 思惑通り手中に収まったアシㇼパに、笑みを深めた彼が言うには。

 ──国境を越えた先の港町、アレクサンドロフスクサハリンスキー。“彼女”は、その通称『亜港』の監獄に収監されている。

 証拠がないため処刑には至らず、しかし現在まで密かに幽閉されている、ロシア皇帝暗殺の首謀者──ソフィア・ゴールデンハンド。

 

「女囚? 親玉は女だったのか」

「彼女なら、俺も知らないウイルクを知っているはずだ」

「っ、…………」

 

 シリアスムードなところ悪いが、この辺の話はマジで俺に関係ないので、俺は尾形と一緒に森を見ていた。当事者意識ゼロですまん。

 

「…………」

「お腹空いたなー……ん、」

 

 何となく眺めていた林の奥から、警戒心なくのっそりと姿を現した四つ足の毛の塊。

 鹿でも熊でも虎でもなく。

 この赤い毛並みに斑模様は、

 

「メコオヤシだっ!!」

「エエッ」

 

 とっさの俺の発言に、少し離れた場所にいた3人が纏めて振り返り、隣の尾形は小銃を構える。これマジ? いや原作でも見かけていたのだっけ、

 

「撃て百之助っ」

 

 アシㇼパの口から放たれた号砲に続いて、三八式の射撃音が静かな林中に木霊した。

 

 

 

 

「せっかくだから、獲れたメコオヤシを食べよう」

 

 尾形が一発で仕留めたオオヤマネコ、貴重な資金源である毛皮をまず丁重に引っ剥がして。余った肉はどうするのかと言えば──まあ、アシㇼパの上記の発言である。

 

「ええ、食べるのぉ〜〜……? 毛皮だけでいいじゃあん……」

 

 “アクがヤバくてクソ不味い”という前情報を既に得てしまっている白石、普通に難色を示してくる。ワイトもそう思います。

 

「タマもネコお化け食べたいよな?」

「え……いや……」

 

 お目々きらきらアシㇼパ。俺らがオオヤマネコ食べたら共食……いや何でもないです。

 

「まあまあ……オオヤマネコ食べる機会なんてなかなかないぞ? 不味かったけど」

「不味いんじゃん! 不味いんじゃん!」

 

 ぶつ切りにされた肉が煮える鍋にぶち込まれる。筋が多くて既に微妙な雰囲気。

 

「アクがすごいぞッ」

「他の具入れなくて良かったな」

 

 白石と2人でせっせとアクを掬う。これだけ苦労しても多分この肉不味いんだろうな、という想定がテンションを下げてくる。

 で、煮えて。申し訳程度にギョウジャニンニクとニリンソウを加えたオオヤマネコ汁を、実食。

 

「うーん……」

「……硬いな」

「獣臭い」

「…………」

 

 当然ながらさんざんな評価。あの、ラッコ鍋よりはまだマシ……うーん……うん。

 

「うん……美味くはねえけど、懐かしい味だな。どうだ、アシㇼパ」

「美味しくない! でも……アチャと同じものを食べられて、嬉しい」

 

 ヒンナ。そう言って、笑顔を見せるアシㇼパ。キロランケも微笑み返したところで、隣の尾形がぼそっと、

 

「ヒンナ」

 

 えここで?

 当然、網走監獄でのチタタㇷ゚並みの反応を見せるアシㇼパ。尾形が言った!

 

「百之助……今ヒンナって言った? もう一回言えるか!? ほら!」

「…………」

「言ったよな? 百之助今ヒンナって言ったよな!?」

「…………」

「…………」

 

 テンション爆上げのアシㇼパとは対照的に、クソどうでもいい展開にチベスナ顔になってしまう男2人。

 

「タマ、聞いてたか!? 百之助が!」

「聞いてたよ」

 

 いやまあ……ファーストヒンナがこんなクソ不味い肉の共食いで良かったんですかね? この後シロイルカ食べるのに。

 とっぴんぱらりんのぷう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 亜港にて。

 とある事情から、ここに暮らすニヴフ民族の集落に滞在することを余儀なくされていた俺たちは、ようやく出立の時を迎えていた。

 

「待っていたものがついに来た」

 

 聳り立つ崖の上で、タタールの海を見下ろす。普段は穏やかな青が広がっているだけのそこには、今や。

 

「“流氷”が来るのを待っていた。……もうすぐこの海峡は氷に覆われ、樺太島は大陸と繋がる」

 

 ほとんどが白く覆われたその海面を見つめて、キロランケが厳かに呟いた。

 彼の立てた計画とは。

 ──まず、今回の最大の目的は、亜港監獄のソフィア・ゴールデンハンドを脱獄させ、アシㇼパと引き合わせること。

 その際、隠れ蓑とするため、監獄の囚人250人全てを脱獄させる。岬にある燈台に支給された爆弾を利用して、複数の外壁を一斉に爆発させることによって。

 その後は、海峡に張った氷の上を通ってユーラシア大陸に渡る。そういう計画だった。

 

 そして、決行当日の夜明け。

 その時が、来て。

 ──ドンッ。

 亜港に鳴り響いた爆発音は、ひとつだった。

 

「……、爆発しない、」

 

 目の前で、音もなく消えた灯火。

 仕掛けたのは、海峡に面した壁の4箇所。俺とアシㇼパが割り当てられた箇所の爆薬は──つまり、不発に終わった。

 これは確か、原作と同じ展開だけれど。目の前で起こるとそこそこ焦るものだ。

 アシㇼパが俺の袖を引く。

 

「爆発したのはキロランケニㇱパのところだけだ、」

 

 とにかく、合流しないと。

 

「……そうだな」

 

 彼女の手を引いて、唯一爆煙が立ち昇るキロランケのポイントまで走る。

 俺たちが着く頃には、既に全員がその場に集合していた。不測の事態に、皆一様に焦った顔をしている。

 

「くそ……爆薬の保存状態が良くなかったか!?」

 

 しかし、起こってしまったトラブルはもうしょうがない。

 脱出箇所がひとつに絞られてしまったが、近い位置にいる囚人はそこから出てくるはずだ。……と、思いきや。

 静まり返ったままの外壁の穴を見つめて、尾形が呟く。

 

「妙だな」

 

 コナンくん?

 

「誰も出てこないぞ……何か起きたのか?」

「…………」

 

 何か。──この時、亜港監獄内には空いた穴からアムールトラが侵入しており、看守も囚人も巻き込んだパニックが発生しているはずだ。

 

「……もう一度爆薬を仕掛け直す!」

 

 言い放ったキロランケが走り出す。

 その背中を、追いかける。

 ここまで、どれだけの時間をかけて、どれだけのものを犠牲にしてきたのか。こんなところで終われない。立ち止まっていられない。……その気持ちは、痛いほどわかった。

 三十年式のスリングを、強く握りしめる。その肩にやんわり置かれる手。振り返る。

 

「……百之助」

 

 尾形が、帽子の下から柔らかい無表情で俺を見下ろしていた。

 

「大丈夫だ」

 

 落ち着いた声。

 冷たいそれが首筋を通って、親指の腹が頬を撫でてくる。優しく、慈しむように。

 

「全て、上手くいく」

 

 囁くような声音に、なぜか一瞬、背筋に悪寒のようなものが走った。それから目を逸らす。

 

「……うん、」

 

 何もかも、上手くいってほしい。

 お前と一緒に。

 頬の手に、手を重なる。ここを終着点にはしたくない。お前だってそうだろう?

 そうであって欲しかった。

 

 ──ドドン。

 

「……!!」

 

 近い場所で再び地鳴りと、轟音。

 キロランケが仕掛けた二度目の爆薬は、無事起爆したらしい。もうひとつ穴が空いて、そこから人間が溢れ出してくる。それが見える。

 

「よし、」

 

 立ち尽くす俺たちの脇をすり抜け、走り去っていく囚人たち。ほとんどが男だ。

 俺たちはまだ移動できない。肝心の女囚と、まだ巡り会えていない。

 ……しかし、お目当ては、向こうからやって来てくれた。

 

「誰かこっちに来る」

「え?」

 

 癖の強い黒髪を三つ編みに纏め、花柄のキャミソールワンピースを身につけた──とだけ描写すると可憐な田舎娘のような雰囲気だが。彼女の印象は……ひとことで例えると、ロシアのドーラ。

 そんな彼女──ソフィア・ゴールデンハンドが、こちらに近づいてきていた。

 歩くたびに小規模な地鳴りが起こっていそうなその屈強頑健な体格は、キロランケから事前に聞いていた義賊の長という肩書きにこれ以上ない説得力を与えている。姫ではなく長。まさしく。

 

「その服……樺太アイヌ、」

 

 ソフィアが開口一番呟いたそのセリフに、北海道のアイヌであるアシㇼパは怪訝な顔。

 

「……? 違うぞ?」

 

 そんなアシㇼパには構わず、ソフィアはゆっくり続ける。懐かしいものを見る目だった。

 

「ウイルク見せてクレた……子どものトキ着た……“テタラペ”」

 

 そこで、息を呑み。

 ああ、と声を上げる。

 

「ソノ目……ウイルクの目……」

 

 父譲りの青い目。ソフィアの表情が、勇猛な義賊の顔から、古い仲間を慈しむ年長者の顔に変わる。

 その呟きに、アシㇼパの表情も緩み。

 

「……ソフィアか?」

「アシㇼパ、」

 

 愛した同胞。愛した父親。同じ男の存在を以て通じ合った女2人が見つめ合う中。

 

「え? なんか想像と違うッ」

 

 余計なこと言うな白石。過去編で若かりし頃のソフィアを見た読者はみんな思ってたよ。

 

「──ソフィア?」

 

 やってきたキロランケの呟きに、ソフィアが顔を上げた。視線が、ぶつかる。

 運命の悪戯か、あるいは必然か。数十年前、同じ場所で別れた彼らが、再びこの地で巡り合った。ただ、ピースが足りない。欠けたそのひとつは、もはや二度と戻ることはない。

 

「…………」

 

 しばし、無言で見つめ合い。

 そして。

 

「めちゃくちゃいい女になったな、」

「…………」

「…………」

 

 デブ専キロランケ、迫真の私情吐露。隣の男2人が瞬時にチベスナ顔で彼を見上げる。ワタシ、デブ女スキデース。

 

「Юлбарс……」

 

 しかし、女をとうに捨てたソフィアはそんな既婚子持ちデブ専からのストライク判定などクソどうでもいいらしく、彼の名をしみじみと呟いて。

 バチン。

 次の瞬間には、キロランケの頬にその分厚い手のひらを打ちつけていた。情け容赦ない一撃だった。

 

「?」

 

 突然の暴挙にアシㇼパたちは呆気に取られていたが、俺にはその理由がわかってしまった。……あれは愛した男を自らのエゴで殺めた彼に対する、抑えきれない怒りが噴出した結果だった。

 それでも彼女は、キロランケを許していたのだろう。少なくとも、その努力はしようとしていた。あのビンタは、けじめとしての一撃だった。

 

「どうして叩くんだ?」

「ロシア式あいさつかもしれない」

「絶対違うでしょ」

 

 ぶたれたキロランケは、無言で彼女を見つめている。その痛みを甘受しているようにも見えた。それは彼の覚悟の現れだったのだろう。

 キロランケは、俺や白石と同じ。

 覚悟をしている人間だ。

 

 

 

 

「…………」

 

 大混乱の亜港監獄を離れ。完全に氷の張った海峡の上を、6人で進む。

 背後をこまめに確認していた白石が、ようやくこちらにしっかり向き直って笑った。

 

「上手くいった! 誰も追ってこねえ、脱獄決行を漁師の多い明け方にして正解だった!」

 

 そう。早朝の流氷原には、俺たち以外にもたくさんの人影がいる。

 彼らは漁に出てきたニヴフ民族たち。キロランケは亜港監獄だけではなく、ここにもひとつ目眩しを用意していたのだ。

 振り返っても、もう港町は薄ぼんやりとしか見えない距離まで来た。ある程度安全は確保されたとみたか、アシㇼパが口を開く。

 

「ソフィア……私の父のことを教えてほしい」

 

 あなたしか知らないアチャのことを。

 キロランケが翻訳して伝え、ソフィアが優しい笑みを見せる。そうして、彼女は語り出した。

 

「…………」

 

 しかし、今の俺はそれどころではなかった。

 はあ。深く、息を吐き出す。

 とうとう流氷の上まで来てしまった。

 時間がない。何とか、尾形をアシㇼパに接触させないまま、杉元と合流しなければ。

 いや。最悪、合流しなくていい。

 彼に無事、アシㇼパを引き渡せればそれでいい。俺はもう彼らに会えなくてもいい。

 それだけが、とにかく目標だ。

 顔を上げる。尾形の横顔が見える。

 まだ、欠けていない右目。

 

 ──俺が、守らなくては。

 

 お前は。お前だけは。

 そのためなら、俺はこれから何を失っても構わないんだ──尾形百之助。

 

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