【完結】「不死身(物理)なら尾形を愛せるのでは」という仮説とその検証について   作:捕まえようとした蝶

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38話 誰かを愛するということは、誰かを愛さないということである

「……雪、」

 

 帽子で狭まった視界に舞う、白いもの。手袋の手のひらで、それを受け止める。

 流氷原に、雪が降り出した。

 あれからどれほど歩いたのか。どこもかしこも真っ白な中では東西南北もあったものではない気もするが、先導するキロランケとソフィアは迷いなく前へ進んでいる。

 

「見ろ、アシㇼパ!」

 

 おもむろに立ち止まったキロランケが声を上げた。指差す先には流氷を渡る、

 

「オオカミだ……」

 

 褐色の毛並みをしたその群れを、どこか懐かしいものを見る目で眺めるアシㇼパ。

 

「こっちに来るか?」

「大丈夫だろう。トナカイを追っていたのはあいつらかな?」

 

 対照的に物騒な尾形とキロランケのやり取り。まあ、大型肉食獣ですからね。

 三八式を再びお包みに仕舞い込むのを何となく観察していたら。目が合った。

 尾形が、表情を薄く緩める。

 

「寒くないか、タマ」

「……私は大丈夫」

 

 ……尾形は、ヴァシリとの一件から妙に俺に優しい。

 それが何となく怪しい──と思ってしまうのは、俺が彼を未だに信用できていないだけ、なのだろうか? あんなに傷つけておきながら。

 

「…………」

 

 オオカミ。それを見つめるソフィアが、再びウイルクとの思い出話を始める。

 ──ウイルクは、オオカミが好きだった。

 純粋な、無駄のない機能美。彼はオオカミに憧れていた。

 彼の判断はいつでも合理的で、迷いがなかった。瀕死の仲間の息を絶つことが正解への最短経路だとすれば、それを躊躇なく実行できる人間だった。

 “ウイルク”の名前の由来とは。

 アイヌの子であった彼の名もまた、幼少期の行動からつけられている。

 オオカミに憧れて。オオカミになりたくて。屍から剥いだ皮を被って走り回る我が子に、ポーランド人の父が与えた名前。

 

「……“ウイルク”はポーランド語で、“オオカミ”という意味だそうだ」

 

 ソフィアのその翻訳を聞いたアシㇼパが、目を見開く。ああ。俺も今、はっきりと思い出した。

 ウイルクの名前の由来。

 母親であるリラッテの話。

 彼女が与えた、アイヌ語の名前。

 アシㇼパの中で、蓋をしていたそれらの思い出が唐突にフラッシュバックして。

 

 ──ホㇿケウオㇱコニ。

 

 今までの刺青に刻まれていた漢字たち。杉元に教わった読み仮名の響きが、その文字列に接続する。そして、

 

「…………あッ!!」

 

 繋がった。

 思わず漏れたその声は、吹き始めた寒風に攫われて、誰の耳にも届かなかった。

 ──尾形百之助を除いては。

 

「…………」

 

 尾形は、じっとアシㇼパを見つめていた。今に限った話ではない。彼はずっと、アシㇼパの挙動を監視していたのだ。狙撃手が執拗に獲物の好機を狙うように。

 喪失の悲しみを反芻して涙をこぼすアシㇼパの前に。立ちはだかる影。

 彼女が目元を拭って顔を上げたのと同時に、尾形がこちらを振り返って呟く。

 

「……急がないと、風も出てきたぞ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「雪も風も強くなってきやがった、」

 

 海での天候の移り変わりは早い。

 それから少しもしないうちに辺りは薄暗くなり、進行の継続が困難なほどに空模様が崩れてきた。大雪山を思い出す荒れた天気だ。

 今のところの、大きな変更点。

 ……白石由竹は、はぐれていない。

 彼は重苦しい表情のまま、アシㇼパの隣から離れようとしない。

 

「避難するしかない。ここでやり過ごそう」

 

 流氷同士がぶつかり合い、隆起した巨大な破片の裏に荷物を下ろすキロランケ。

 

「流木がある、燃やして暖まろう」

「氷を積んで風除けにするぞ」

 

 ぐしゅっ。……くしゃみが漏れた。

 尾形を監視しておきたいところだが、俺も正直、寒くてそれどころじゃない。アシㇼパは白石と話しながら流木を拾っているし、今のところは大丈夫だろう。

 そう、思ったところで。

 

「タマ!」

 

 声が、後ろから飛んできた。

 びくっと跳ねかかった体を押さえ込み。ゆっくり振り返る。

 

「もっと流木がないか、探してこよう」

 

 尾形が、俺に向かって手を伸ばしていた。

 

「…………」

 

 少し、悩んで。

 そちらに足を向ける。

 

 ──アシㇼパではなく、俺。

 

 その違いについて思考を巡らせてしまうのは、考えすぎ、なのだろうか。

 俺は、どうしたらいいんだろう。

 どうするべきなのだろう。

 

 ──尾形は、アシㇼパに声をかけなかった。

 ──金塊を見つけて成り上がるなんて馬鹿な夢は、諦めてくれたんじゃないのか?

 

「…………」

 

 淡い期待とも呼べない、微かな希望。

 

「……馬鹿げてるよな、」

 

 その通りだ。

 でも、本当にそうなってくれたら。

 そうであってくれたら。俺は。

 考えながら、尾形に連れられた先で、とりあえず流木を探す。……寒い。寒かった。

 

「……あった、」

 

 鼻を啜りつつ、比較的小さな流木の破片に手を伸ばしたところで。

 

「タマ」

 

 振り返る。

 尾形が、俺を見下ろしていた。

 ──嫌な予感がした。

 なに、と聞くより早く。

 

「アシㇼパは暗号の鍵を思い出した、」

 

 どくん。心臓が大きく脈打つ。

 尾形は、やはり気づいていた。

 それは原作の通りで、俺も把握していた。けれど。しかし。混乱が収まらない。

 また。まただ、

 ──なぜ……それをアシㇼパではなく、俺に言うんだ?

 

「百之助、」

「お前なら聞き出せる」

 

 聞き出せる。

 ──今、何と、

 

「は……」

 

 息が、止まった。

 尾形は、金塊を諦めてなどいなかった。

 この男は、自らの手でアシㇼパから答えを引き出すより、彼女が“信頼する”俺を利用して、その鍵を手に入れる道を選んだ。

 より、効率良く。賢く。

 ああ、尾形百之助。

 

「……なん……で、いきなり……」

 

 とっさに口からこぼれた狼狽。しかし、尾形はそれには構わず、続ける。

 

「俺たちだけで逃げよう」

 

 ──逃げよう?

 そう、か。

 嘘でもなんでも、今はそう言っておかなければ信用は得られないものな。もし、鍵を手に入れた彼が俺を見捨てるつもりだったとしても。

 おかしいな、妙に冷静じゃないか。

 

「キロランケは危険だ。暗号の鍵を聞き出したら、アシㇼパのことも殺すかもしれない。あのアイヌの娘がそうなってもいいのか?」

 

 尾形の熱弁を、俺はいやに冷めた気持ちで聞いていた。今も心臓が弾け飛びそうなくらい鼓動は騒がしくて、息は整わないのに、心の奥底だけが凍りついている。

 キロランケは危険で、アシㇼパが殺されるかも……やはり、その角度から攻めてくるのか。俺にとっても、アシㇼパは“大切”だから。

 黙っている俺に、何を思ったか。

 

「っ、」

 

 いきなり。

 強く、抱きしめられた。

 吹き荒ぶ横殴りの雪から遮られて、彼の温もりを感じる。耳元で、囁かれる。

 

「……お前をこれ以上危険な目に遭わせたくないんだ。ようやく気づいた。お前以上に大切なものなんてない。アシㇼパを逃して、俺たちが生きていけるだけのカネを手に入れて……この争奪戦から上がろう、タマ」

 

 ああ、尾形──

 ……本当に、そう思っているのか?

 

 ──ドオォン。

 遠くで、銃声が聞こえた。

 速やかに俺の体を離した尾形が、懐から取り出した双眼鏡越しにそちらを見る。

 しばらく、そうしていたかと思えば。

 

「…………」

 

 無言で双眼鏡を下ろし。

 ……代わりに、三八式を取り出した。ボルトを操作し、ホワイトアウトした地平線目掛けて構える。

 

「……どうしたの……」

 

 問いかけつつ、俺の内心には、新たな光が灯っていた。尾形のこの反応。

 生きていたんだ、

 ──不死身の杉元……!

 胸を撫で下ろすと同時に、気が引き締まる。

 何としてでも、尾形と出会う前にアシㇼパと会わせなければ。白石は上手くやっただろうか?

 しかし、俺の思考など知る由もない尾形は銃を下ろし。

 

「……行くぞ、タマ。お前がアシㇼパを連れ出すんだ」

 

 手を、強く握られる。引っ張られる。痛い。手首から抜けてしまいそうだ。

 

「っ、待って、百之助……!」

 

 このままではマズい。アシㇼパのところに行く訳には行かない。

 何か言わないと。

 時間を、稼がないと、

 

「キロランケが、」

「あいつはお前を殺したッ!」

 

 ──怒号。

 理解するのに、ワンテンポ要した。

 肩越しにこちらを振り返った尾形が、そう声を荒げていた。見たことのない表情。聞いたことのない声だった。

 尾形は、本気で怒っていた。

 

「っ、」

 

 肩を掴まれる。指が、食い込む。

 黒い瞳が至近距離で揺れている。

 

「お前は、杉元からアシㇼパのことを頼まれていたんじゃないのか!?」

 

 尖った歯並びを剥き出しにした彼が、激しく吼えた。血の気の薄い頬が紅潮している。

 これは、演技などではない。

 はっきり思った。

 いつも平常心を装っていた彼が。醜い激情を露わにすることも厭わず、俺に。

 彼の本心はどこにある?

 焦りが、波紋のように広がっていく。

 

 ──どうしよう。

 ──どうしたらいい、

 

「……ッ、……」

 

 尾形。苦しい。息ができない。

 ぐるぐる、ぐるぐると白が廻る。

 助けてほしかった。俺は何をすべきなんだろう。

 尾形も苦しそうだった。

 助けてあげたかった。俺は何をしてあげられるんだろう、

 

「尾形、おれ、……俺は……」

 

 その、瞬間。

 

「──────、」

 

 尾形が、大きく目を見開いた。

 開かれた唇が、戦慄く。

 震える手が、肩から離される。かと思えば、ふらつきながら後ずさる。いきなり。

 ──明らかに、異常な反応だった。

 揺れる瞳が、逸らされる。

 何かを探すように、雪原を彷徨う。

 

「……え、」

 

 尾形はもう俺から目を合わせようとはしない。“何か”を、必死に探している。

 

「……っ、タマ……どこだ、」

 

 探しているのは──俺?

 そんな。……どういうことだ?

 

「尾形、」

「ッ、ついてくるな!」

 

 恐る恐る伸ばした手は、ヒステリックに振り払われた。──怯えている?

 俺が、二の句に迷っている間にも。

 そのまま、見当違いの方角に駆けていこうとする背中。見失ってしまう、

 

「行くな尾形ッ!」

 

 瞬間。その背が、大きく跳ねた。

 ワンテンポ置いて、

 

「…………っ、」

 

 ゆらりと、振り返る。忌々しげな、悍ましいものを見る目が、俺に向けられる。

 

「邪魔ばかりしやがって、この悪霊が……」

 

 悪霊。俺を睨みつける尾形は、はっきりとそう言った。

 

「悪霊……?」

 

 何のことだ?

 まず初めに浮かんだのは、花沢勇作の存在だった。けれど、花沢少尉殿は撃たれて死んだ、とあっけらかんと語った尾形からは、原作のような執着心は読み取れなかった。

 わからない。

 ……待て、尾形は俺の姿を見て“悪霊”と口にしたのか?

 どくどくと、心臓がうるさい。

 そんな。まさか。でも。

 冷や汗が、頬を伝う。

 いや……これは、もしもの話だ。

 もし。もしも、今世の尾形百之助が見ていた幻覚が、自ら手に掛けた花沢勇作ではないとしたら────

 

「タマ、百之助ッ! どこだ? どこにいる!?」

 

 背後から、声がした。

 ああ。幻覚であってほしかった。

 今、一番会いたくない人物、

 

「……アシㇼパ」

 

 思わず、振り返った先。

 流氷原に立つ彼女は、案の定ひとりだった。──白石由竹は、どこに行った?

 どくん。また、心臓が跳ねる。

 対照的に、俺と目が合ったアシㇼパは、ほっと表情を緩めて。

 ……その直後に、激しく強張らせた。

 

「タマ、後ろッ!」

 

 後ろ?

 何気なく振り返って。

 

 ──尾形百之助が、構えた三八式の銃口を、こちらに向けていた。

 

 ……こちらに向けていた?

 あ。

 ──パンッ。

 思ったより、軽い音が鳴って。

 肩に、隕石が落ちてきた。

 それくらいの衝撃だった。

 脱力していた身体は、簡単にひっくり返って。流氷に、背中から倒れ込む。

 

「い゛……っ、ぅ……」

 

 ──熱い。

 とっさに左肩へ目をやる。鎖骨の下、腋の近く。穴が空いて、縁が焦げてしまった外套。その下から広がる、赤い、

 

「タマッ!!」

 

 アシㇼパの声が聞こえる。

 引き裂かれるような、悲痛な叫びだった。聞いているこちらの胸が痛くなるような。

 

「タマ、……タマっ……」

 

 声が近くなって、視線がやや高くなる。彼女に抱き起こされたのだ、と少し経って気づいた。鼻を啜りながら、彼女が吼える。尾形のように。

 

「どうして撃ったッ!」

 

 潤んだ青の瞳から。

 尾形に、視線を移す。

 唖然。──なぜか彼は、まさにそんな形容詞が相応しい、間の抜けた顔で俺を見つめていた。

 まるで全く予想外のことが起きたみたいな、いっそ無防備な表情。冷や汗が、その頬を伝ったのが見えた。

 長い長い、沈黙が流れて。

 三八式を握る脱力した両腕に、力がこもる。

 はあ。深く、息を吐き出す。開き切った瞳孔が、改めてこちらを見据えてくる。

 

「…………、どけ、そいつは化け物だ」

 

 丁寧な手つきで、排莢。

 再装填。がちん、とボルトが鳴る。

 

「お前みたいなモノがこの世にいて良いはずがないんだ……これが“道理”だ、」

 

 名前のない激情が弾倉に込められ、後付けの理由がその雷管を叩く。あとは引き鉄を引くだけだ。

 そこにもはや理屈はいらない。準備は全て整ってしまったのだから。

 それが、尾形百之助という男だった。

 

「っ、……!」

 

 もはや、対話は不可能。

 アシㇼパはそう判断してしまったのだろう。細い指が背後に伸びたかと思えば、もう次の瞬間にはその矢尻が尾形を捉えていた。迷いのない動きだった。

 キリキリと、耳障りな音を立てて和弓が引き絞られる。トリカブトの猛毒が仕込まれた矢。当たれば死ぬ。

 アシㇼパは尾形を殺す気なのか?

 他でもない俺なんかを守るためだけに。

 尾形は黙っている。彼女相手に原作のような問答を仕掛ける気分ではないようだ。勇作とアシㇼパを重ねていない? そもそも前提条件が違う。

 駄目だ、考えが纏まらない!

 

「……アシㇼパ、だめだ、やめろ……」

「っ、タマ……動かないで、」

 

 気遣う声音を出しながらも、アシㇼパは尾形から目を離さない。番えた弓が降ろされることもない。

 クソ、撃たれた箇所が酷く痛む。

 なぜ急所を外した?

 あの距離ならば頭でも胸でも好きな場所を撃ち抜けたはずだ。偶然か、計算のうちか。死ねば俺の特異体質が露見する。それを恐れたのか? あるいは別の思惑がある?

 この男は何を考えている。

 今この瞬間になってさえちっともわからない。わからなかった。

 

「尾形……」

 

 力を振り絞って呼びかける。

 びく、と微かに肩が震えて。でもそれだけだった。

 尾形は、青褪めて汗に濡れた顔に確かな憤怒を滲ませながら、改めて三十八年式歩兵銃を構え直す。

 

「俺は罪悪感など覚えない……! 後悔などしていないッ!」

 

 証明終了。

 ああ──結局、何をやってもお前はそこに行き着いてしまうのか、尾形百之助?

 

 

「────尾形ァ!!」

 

 瞼を閉じた、その瞬間。

 般若の怒号が大気を震わせた。

 俺の前に立ちはだかるアシㇼパが、華奢な体を跳ねさせる。

 風切り音が、微かに聞こえたような気がした。しただけだった。

 ぐらっと、尾形の身体が傾いで。

 ──毒矢が右眼に突き刺さったその頭が、氷に落ちる前に。手が、きっちり撫でつけられた黒髪を、乱暴に鷲掴んだ。

 パチン。折り畳みナイフを開く音。

 杉元佐一が、尾形の身体に伸し掛かっていた。

 

「ッ、…………」

 

 取り返しのつかないその結果に崩折れ、手を震わせるアシㇼパの前で。躊躇なく眼球を抉り出し、口をつける。猛毒を吸い出し、吐き捨てる。それを、繰り返す。

 尾形百之助が。

 狙撃手の、利き眼が。

 ゴミのように。汚いもののように。二度と還らない。戻りはしない。

 見覚えのある光景だった。

 ああ──ぁ、あ、

 

「この流れでは死なせねぇぞ、」

 

 トレードマークだった外套を、裂く。

 

「あの子を人殺しにはさせねぇ……お前なんかの“死”に、これっぽっちも関わらせるもんかよ!」

 

 即席の包帯が、その目元全体に巻かれる。そこまでして、杉元佐一が、ようやくこちらを振り返った。

 目が、合う。

 

「……尾形が撃ったのか」

 

 近づいてきて、すぐ近くに膝をついた彼が、震えの収まらないアシㇼパに問いかけた。しゃくり上げる彼女は呼吸も整わない中、途切れ途切れに、

 

「わたし、じゃない……タマを、殺そうとして、」

 

 そこで、言葉に詰まったアシㇼパが。

 タマ。いやだ。濡れた声で縋りついてくる。今にも泣いてしまいそうだった。

 ──左肩の付け根。

 鯉登少尉が杉元に刺し貫かれた位置に近い。ただ、あちらは刺突なのに対して、こちらはかなりの近距離から撃たれている。

 ……助からないかもしれない。

 客観的に見て、そうだった。

 杉元の喉が、上下する。

 

「早く、止血して……医者に診せねえと、」

 

 俺を抱き起こし、再び歯で外套を裂いた杉元が、慣れた手つきで患部にそれを巻きつけてくる。

 痛い。熱くてたまらない。左肩から先が吹き飛んでしまったんじゃないか。動かない。感覚が、ない。

 考えなければいけないことはたくさんあるはずなのに、あたまが、回らない、

 

「……嘘だろ、」

 

 いつの間にか。

 青ざめた表情の白石由竹が近くにいて、俺を見下ろしていた。

 

「タマちゃん」

 

 呟いて、崩折れるように膝をついて。震える手が、俺の肩に触れる。悲しそうな顔。

 

「ごめん。……ごめんな、」

 

 ……何を謝っているのだろう。

 よく、わからなかった。

 ああ。いつの間にか雪は止んでいた。雲間から射し込む光を、ぼうっと見上げる。

 綺麗だ。綺麗な景色だ。

 お前と見たかった、

 

「……おがた……」

「あいつは絶対に死なせない、」

 

 俺の呟きに、杉元が力強く答えた。

 それを聞いて、確かに思った。良かった。戻ってきたんだな。不死身の杉元。

 

「杉元佐一、」

 

 震える手を伸ばして、その顔に触れる。赤い筋が、強張った頬に引かれる。

 笑みとは程遠い、眉を顰め、唇をきつく引き結んだその表情。彼らしくもない。

 

「お前が生きていて……よかった、」

「……タマさん、」

 

 まだ、そう呼んでくれるのか。

 優しい男。

 

「そんな顔するなよ」

 

 せっかく、アシㇼパと会えたのに。

 白石も無事だったのに。

 お前の旅はこれからなのに。

 

「笑って」

 

 尾形の目を抉っても、お前はアシㇼパとの再会でちゃんと笑えたじゃないか。これは何よりも望んでいた出来事じゃなかったのか?

 どうして?

 俺だって尾形と同じ存在だろう。

 悲しむようなことは何もないはずだ。

 だから。あの太陽みたいな明るい笑顔を、またみんなに見せてくれよ、

 杉元。

 

「…………」

 

 唇を、震わせて。軍帽の鍔を引き下げた杉元はもう、何も言わなかった。

 白石が無言で顔を逸らす。

 アシㇼパの啜り泣きだけが、静かになった流氷原に木霊している。

 誰も笑っていなかった。──今は、それだけがただ、悲しくてたまらなかった。

 

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