【完結】「不死身(物理)なら尾形を愛せるのでは」という仮説とその検証について   作:捕まえようとした蝶

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4話 共犯者/同伴者

 あっという間に春が過ぎ、初夏が訪れた。

 トメの葬式を境に尾形の徘徊も落ち着き、またも仮初めの平和が俺の周囲を満たしていた。

 

 

 体が大きくなってきたので農作業も手伝うようにはなってきたが、それでも明治の田舎暮らしは暇。暇なもんは暇。

 ということで、最近は尾形を連れて山で釣りなどしてみている。釣竿一式は祖父が貸してくれた。養女に甘い。

 雨上がりで濡れた山道を慎重に進みながら、少し後ろを歩く尾形に呼びかける。

 

「食える魚が釣れるといいな」

「…………」

 

 ……しかし、釣りって言ってんのになぜこいつは銃持ってるの? 話聞いてた?

 鹿でも撃つつもりなのかな。俺はアシㇼパではないので、大型哺乳類なんか解体できませんけれども。いや真面目に、

 

「……鳥がいても撃つなよ?」

 

 魚の塩焼きだか煮付けだかの予定が、また鳥肉になってしまう。美味しいけどね。

 しかし、こっちのほうまで来たのは初めてかもしれない。もともと山で駆けずり回る趣味などなかった訳だが。

 

「よいしょ、」

 

 昼下がり、田舎の裏山に人の気配はない。

 ていうかここ、もしかしたらうちの私有地なのかもしれない。釣りをしたい、と言ったら祖父母からこの山を勧められた訳で、その可能性はじゅうぶん有り得る。

 

「……ここが私有地なら、他の人間がいたら不法侵入だから撃っても……冗談だ」

 

 当然のように銃を構えるな尾形。

 というか、さっきから何の反応もないから話聞いてないのかと思ったが。そもそも明治に不法侵入とかいう罪が実際にあるのかは知らない。良くないという意識はあるはず。

 

「あー……一面のクソミドリ……」

 

 ちょっと疲れてきた。まだ流れる水の音すら聞こえてこないのに。こちとら運動不足の女児だから許せ。

 何せ初夏なので、どこもかしこもとにかく青々しく葉が茂っている。植物に関する知識がないので、どれも『草木の葉』としてしか認識できない。うーん、知的貧困。

 植物の名前を覚えて山菜採りに精を出すほうが簡単かな、と思いつつ。

 ふと、顔を上げた先。

 

「────、」

 

 ──新緑の中に揺れる、鮮やかな紅葉。

 ……紅葉?

 有り得ない。そう思ったところで、それが着物生地の柄であることに気づく。そして、非常に見覚えがあることも。……どこで見た?

 微風が吹き抜ける。木枯らしでもないのに、体温が奪われていくような錯覚。

 “それ”が風に吹かれて、揺れている。

 布がたなびいている、とは少し違う。

 “中身のある”揺れ方だった。

 まさか。

 

「……おが、」「おっ母」

 

 とっさに彼の名前を呼びかけた瞬間。他でもない、いつの間にか隣まで来ていた彼の呟きに遮られる。

 さすがにぎょっとしたが、尾形は落ち着いていた。少なくともそう見えた。“それ”を瞬きもせずじっと見つめている。

 いや、まだトメと決まった訳じゃあ。そんな慰めを口にする気にはなれなかった。

 立ち尽くす尾形。

 かと思えば、

 

「っ、ちょっと、危ないって……!」

 

 ずんずん先に行ってしまう。視線が正面に固定されたままなので、傍から見ると危険極まりない歩みだ。慌てて追いかけた。

 登って、降ってを何度か繰り返し、ようやくその“足元”まで辿り着く。クソ、だから運動不足にはきついんだって。

 

「はあッ……百之助?」

 

 三足先くらいに到着していた尾形は、無言でそれを見上げていた。

 立派な枝ぶりの広葉樹、一際太い枝にぶら下がる着物姿の、明らかに死体。

 ──首吊りか。

 口には出さず、ただ思う。わかりやすく自殺の手法で、逆に良かったのかもしれない。これで他殺を疑われる死に方だったら、また新たなトラブルを生んでいただろう。

 帯か何かを解いて、それを紐代わりにしたようだ。だから見慣れた紅葉柄の打掛が風にそよいでいた。前が大きくはだけたその姿は扇情的と呼べなくもないが、中身が腐乱死体では興奮も何もあったものではない。

 腐乱というか──その段階は通り過ぎているようにも見えるけど。肉が削げ、骨が覗いている箇所もわりとある。

 いつ頃死んだのだろう。冬に死んで、春になって死体が腐った? 見た目は散々なものだが、ひどい腐臭がする感じはしない。まだ暑くなる前だからだろうか。

 今さらだが、死んでいたこと自体には特に驚きはなかった。まあそうだろうな、という薄味の納得だけがあった。死んで惜しむほどの交流があった訳でもない。なぜなら俺は最後まで以下略。

 しかし、尾形は何度もこの辺りを捜索していたはずなのに。冬場はここまで辿り着けるような環境ではなかったのだろうか。私有地だからこそ誰にも見つからなかった?

 

 ──……意外と平気なもんだな。

 

 それは、初めて腐乱死体を見ても気分が悪くなったりしなかった自分に対してでもあったし。実母のそれを見ても、泣きも叫びもしなかった尾形に対しての感想でもあった。

 尾形が泣くような状況、原作では当然ないにしても、俺が生み出せるとも思えないが。泣くまで殴っても泣かなそうだもんな。

 

「……ないと、」

「あ?」

 

 そんなことを考えていたら、尾形の微かな呟きに対する反応が遅れた。

 今こいつは何と、

 

「埋めないと」

 

 なるほど、埋め──

 

「……え?」

「ここに死体があるのはおかしいから」

 

 おかしい。……そうなのか?

 葬式はやったので対外的には死亡扱いだが、少なくとも我々が死体を見つける分には問題がある訳でもない。面倒事は増えるかもしれないけれど。

 クエスチョンマークを撒き散らす俺をよそに、尾形は何もかもわかったふうな顔で、

 

「おっ母の葬式はもうやったから」

「…………」

 

 こいつもしかして、人生はただ一度の葬式でしか閉じられないと思っているのか。

 それが済んでしまったこの死体は尾形に言わせれば既に行き場がない状態で、だから墓に入れずここで処理する必要がある、と言いたい?

 葬式にやたら執着しているなとは思っていたが、そこまで深い意味を込めていたとは。だからこそ、トメの葬式をやるとなった時にあんな抵抗したとも言えるか。

 埋める。埋める、か。

 ……こんな高いところにぶら下がっている成人女性の死体を、子ども2人で?

 

「……埋め……まあ、いいけど……」

 

 殺されるだけでは飽き足らず、新たな罪の共犯者にまでなるつもりか。

 自分自身に呆れる気持ちがない訳ではなかったが、今更だという感情のほうが強かった。どう考えても死体をこのまま放置しておくより面倒な事態を招きかねないが、尾形がそうすべきだというならやぶさかでない。

 尾形は一瞬、俺に目をやって。

 

「シャベルを取ってくる」

「……バレるなよ?」

 

 こいつ、最初から俺のこと巻き込むつもりだったのかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……つ、かれた……」

 

 で。死ぬほど時間と体力を使ったが、何とかトメを木から下ろして、地面に穴を掘って、元通りに均して、が終わった。本当に、死ぬほど時間と体力を使ったが。

 尾形が平気な顔をしているのが恐ろしい。こいつ作業中も銃担いでたし。成長して接近戦よわよわ(比較対象がおかしいことは否定しない)になるとは思えないゴリラっぷり。

 手頃な岩に腰掛けて、汗を拭う。

 野外に放置されていた死体なんぞ触りたくもないのでその辺りは尾形に任せたため、手の汚れは泥くらいなものだ。よくわからん体液よりずっとマシ。

 

「……百之助……?」

 

 尾形は、少し離れたところで掘り返して埋めたばかりの地面を眺めている。

 飽くまで機械的に作業を済ませた彼は、今に至っても手を合わせたりするような素振りは見せていない。……葬式は終わったから、か。尾形の中では明確な線引きがあるのだ。

 

「暑い……」

 

 着物は通気性が悪すぎる。今は咎める人間もいないので、前を寛げて空気を通す。

 佇む尾形の横顔にも玉の汗が浮かんでいるのが見える。泣いているみたいだな、とくだらないことを考えた。

 何か声をかけたほうがいいか。逡巡しているうちに、尾形がぽつりと呟いた。

 

「……やっぱり、おっ母の鍋に殺鼠剤を入れるべきだった」

 

 いや、やっぱりって何だよ。

 

「…………」

 

 瞬時に背筋が冷たくなる。

 案の定、殺鼠剤でトメを殺す構想自体はこちらの尾形にもあったらしい。結局は機会を逃し、その殺害方法がそのままスライドする形で俺に降り掛かってきたようだ。

 

「あんな偽の葬式、やらなければ良かった。少なくとも急ぐべきじゃなかった」

 

 それまだ言うか、と思ったのも束の間。

 

「“本物”の葬式なら……お父っつぁまも来てくれたかもしれないのに、」

「ちょ、ちょっと待て」

 

 とっさに口を挟んでいた。

 どういう理屈だよ。葬式にホンモノもニセモノもないだろ。また謎理論か?

 

「…………」

 

 土饅頭を挟んで、俺の「意味わからん」の不可解な視線と、尾形の「なんで今止められたんだ」の不満げな視線が絡み合う。

 ややあって、俺が理解できていないことに気づいたらしい尾形が、淡々とそう思うに至った根拠のようなものを口にする。

 

「葬式を二度やる人間はいない」

「あの墓の下におっ母が入ることはない」

「永遠に宙ぶらりんだ。何もかもが」

 

 うーん、わからん!

 が、つまり……棺桶に死体があれば幸次郎は葬式にやってきたのかもしれないのに、と? その違いは、単なる弔問客には知りようもないことだったのに。

 尾形節の最骨頂だな。つまり、常人には理解不能ということである。

 訳わからんのマリアージュで内心白目を剥きかける俺の前で、尾形百之助はポケットに入れた有線イヤホン並みにこんがらがった理屈の総括を弾き出す。

 

「……おっ母、かわいそう」

「っ、」

 

 かわいそう──だからあの時、自分に“ちゃんと殺されておくべきだった”、とでも言いたいのか?

 巡り巡って俺に当てつけるような言い草に、こちらも剣呑な雰囲気にならざるを得ない。いや、被害妄想か。舌打ちを飲み込み、視線を逸らす。

 

「………………」

 

 なんだろうな……生死に倫理観が介在していないこの感じ。あくまで手段のひとつとしてしか捉えていないというか、不可逆的な罪であるという認識が欠如している。

 存在を消す、葬式をする、を何の疑問もなく目的に据えて、その過程で必要不可欠となる『殺人』を必要だから、と何も考えず実行できる人種。“殺したかったが死んでほしかった訳ではない”を地で行くタイプ?

 でも罪悪感はあるんだよな。

 よくわからないよー。

 ……立ち上がる。微動だにしない尾形に歩み寄り、汗にまみれた顔を覗き込む。

 

「百之助」

 

 子どもらしくふっくらとした頬に手を添える。しっとり湿って、温かい。

 尾形が俺を見る。

 

「百之助がお母さんを殺さなくて良かった」

 

 これは、本心。

 いくら尾形が今の母を哀れもうが、実の息子に毒を盛られて挙句「無意味だった」と切り捨てられるよりはマシ。そう思いたい。

 

「……何故?」

「人間には罪悪感があるから」

 

 結局、それが元で尾形百之助は“罪悪感”に囚われ続ける一生を送るのだから。

 

「真面目で優しいお前はその罪悪感に耐えられないから」

 

 間違えて、それでも生きようとして、さらに間違いだけを重ね続けた。最期にその矛盾が噴き出して、苦しみながら死んだ。

 こちらを見つめる尾形少年の瞳に、かつて見た彼の最期を想う。

 

「……罪悪感?」

 

 尾形が大きな目を瞬く。何かとても予想外のことを言われた。そんな雰囲気だった。

 

「殺した相手に対する罪悪感、」

 

 柔らかみのない動作で首を傾げる。

 

「……そんなもの、あるのかなあ?」

 

 一応言ってはみているが、俺も今のお前にはないんじゃないかと思えてきたぜ。勇作殿の立派さには本当に頭が下がる。

 

「……いや……そうか、」

 

 場違いに明るい声。嫌な予感がした。

 

「俺は愛のない妾の子だから、罪悪感なんて感じないんじゃないか?」

「────、」

 

 “完成された理論”に、息を呑む。

 尾形百之助の成長が止まった瞬間を、目の当たりにしているような気がした。

 

「……愛のない子?」

 

 全てを知っている俺でさえ戸惑っているのだから、いきなり現れた妾の子にこの理論を振り翳された幸次郎の困惑やいかに。

 しかも殺されてるし。かわいそうになってきた。俺たちもはや殺トモだもんな。

 

「愛」

 

 細い指先を重ね合わせて、尾形が夢見るような調子で呟く。

 

「お父っつぁまに愛があれば、おっ母を見捨てることはなかったはず」

 

 ぐるぐると。思考の螺旋階段は内に、下に、続いている。張りぼての問答たちをしっかり踏み締めて、自分の殻に閉じこもっていく。

 

「愛がない両親の間に出来た子どもは、何かが欠けているのでは?」

 

 出た謎理論。尾形の精神世界には、尾形以外に通用しない概念が多すぎる。

 

「欠けた人間……」

 

 隙のない、完全な方程式だ。──尾形の中で温められている間だけは。

 彼の唇から飛び出した瞬間、ありとあらゆる人間と、それにまつわる事象がそのxとyとに当てはめられることとなる。尾形自身はそんなことには興味がないのだろう。そもそもが自己を慰撫するためだけのガラスの要塞だ。

 でも、俺は興味がある。

 

「……その理屈だと、両親の愛など証明しようがない俺は、両方から見捨てられた俺は、全てが欠落した人間ということになる」

 

 前世の俺には愛してくれる両親がいた。家族がいた。……それでも、俺が欠落した人間であるという評価自体には、異論がない。

 まあ、そんなことはどうでもいい。

 

「お前は俺をそう思っているの?」

 

 尾形を見る。──ほんの一瞬、そんなこと考えたこともなかった、みたいな顔をした。穴がわかりやすすぎる。

 

「…………」

 

 で、答えない。思案しているようでもあった。

 罪悪感のある相手。

 罪悪感のない自分。

 その違いを、また彼なりに模索しているのかもしれない。……結局は、根底から間違った結論を肯定するための歪んだ理論武装だ。

 ここで理由を出されても、また理解できるようで理解できない内容なのだろうな、と思った。

 

「両親の愛の有る無しで人間の出来が変わるなんて、後付けの理由に過ぎない」

 

 都合の良いエクスキューズを探しているだけだ。自分を赦し、生きながらえるための。

 

「全員に当てはまる訳もない。でも、それで目の前に見過ごせない外れ値が出てきたら、きっとお前はまた新しい後出しで、自分を納得させてしまうんだろう」

 

 ぴくっと、小さく肩が跳ねる。尾形が顔を上げて俺を見た。黒々とした瞳に、責めるような色が浮かんでいる。

 歳が歳なら、不貞腐れた目線の代わりに銃口が即座にこちらへ向いていたのだろうな。まあ、銃自体は既に手元にあるけど。小柄な体に不釣り合いなライフルの姿を視界の端に捉えながら、さらに続ける。

 

「……馬鹿げてると思わないか?」

 

 前提も、ゴールポストさえ自由自在の“仮説”なんて、そんな。それで一体何が明らかにされるというのだろう。

 

「お前は何を“証明”したいの?」

 

 言うまでもない。自分は正しいということを。

 でも、本当は何もかも間違っていたのだということ、最初からお前が一番よくわかっていたじゃないか。

 一歩、距離を詰める。腕を伸ばす。尾形はそんな俺をただ観察している。

 

「百之助はそんな人間じゃない」

 

 華奢な体を強く抱きすくめて、囁いた。

 呪いを、祈りを。

 

「何もかも、お母さんを想ってのことだ。お前はあの人を愛していた。何も欠けてなんかいない」

 

 尾形は黙っていた。203高地での時のように、相手を、こちらを、抱きしめ返すこともなく。

 

「いつかわかる日が来る」

 

 ……花沢勇作は、あの203高地で尾形を抱擁して、何を思ったのだろう。

 あの時、彼は泣いていた。今の俺は嘘でも涙など流せそうにもなかった。

 なぜなら、俺は決して高潔な人間などではないからである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──結局。あの後、マネキンのように微動だにしなくなってしまった百之助をやむを得ず置き去りにして1人、下山した。

 だって、マジで直立不動で動かないんだもの。俺よりは力があるので無理矢理引きずって帰るのも不可能。何を言っても無視してくるし。鴨を撃ってくる前の関係性に戻ったのかと思った。

 ……いや、戻ってしまったのか?

 

「…………」

 

 眉間に指を押し当てる。

 ──大人気なく嫌味なことばかり言い過ぎている、という自覚はある。

 いくら理屈が破綻しているからといって、10歳そこらの子どもをそんなにド詰めするものじゃないのかもしれない。あの歳であれだけものを考えられるのだから、同年代から見ればじゅうぶん賢い子だ。

 俺が同じくらいの歳だった頃なんか、その辺の虫を殺すことしか考えてなかったぞ。

 

「……はあ、」

 

 いやでも、どう見ても尾形はこの時点の理論が更新されないまま大人になっている。

 ここで多少強めに否定しておかないと、結局は元の木阿弥なのかも。まあ……既に一度訳わからん理由で殺されてるし、俺にはその権利が多少あるだろう。

 そう考えでもしないとやっていられない。

 そこまで自分を納得させて、

 

「あ、ていうか釣り……まあいいか」

 

 問答で消耗して、とてもじゃないがそんな気分ではなくなってしまった。

 ボウズでしたー、で誤魔化すか。素人のガキだし、別に不思議ではないだろう。

 

「ん……」

 

 遮蔽物のない平地に降りると、急に日差しが眩しい。とっさに手を翳して防ぐ。

 日差しというか、もはや夕陽だ。死体隠蔽と問答で時間を使いすぎたな。どちらにせよ釣りをする時間なんか残っていなかったかも。

 傾きかかった、を通り越して、今まさに沈もうとしている太陽をぼんやり眺める。よく橙色と言われるが、今のこれはどちらかというと、

 

「……血みたいだな」

 

 深い赤。手のひらが、泥で汚れた着物が、血にまみれたみたいに赤い。不気味な色だと思った。

 

「尾形……」

 

 大丈夫かな。日が暮れたら、帰ってくるのが難しくなると思うけれど。

 

「──あ?」

 

 そこで。漠然とした心配の巡る思考回路に、急に割り込んでくる明瞭な不安感──尾形がトメの後を追ったら、どうしよう?

 銃も、シャベルも、手の届く範囲にある。彼は既に銃の使い方を知っている。

 絶対にやらない、とは言えないのだ。何せ相手はあの尾形百之助なのだから。

 どうして今まで考えなかったのだろう。やはり俺はまだまだ考えが甘い。

 唇に手を当てる。

 

「……ヤバいかも?」

 

 呟いて、改めて思う。

 1人にするべきではなかった。少なくともあの場にだけは。ぶん殴ってでも連れて帰るべきだった。

 噴出した懸念が前頭葉を覆い、心拍数を跳ね上がらせる。

 

 ──お前の葬式には絶対出てあげる。

 

 そう囁いたことを今になって思い出す。尾形ならば、それだけを糧に一歩を踏み出しかねない。そういう精神性の持ち主なのだ。

 まさか、過去の自分に足を掬われるとはね。いや、俺に限らず大抵のことはそうか。

 他ならぬ尾形がそうだったのだから。

 

「尾形、」

 

 頼むから、こんなところで死んでくれるな。

 とにかく、彼を探しに戻らないと。

 全身の疲労も今は気にならなかった。急がなければ。日が沈んでしまう。

 慌てて踵を返して──尾形百之助と、目が合った。

 

「…………え、?」

 

 数メートル離れた位置で、小銃を構えた尾形が、こちらを無感動に見据えていた。

 山を下りていた。無事だった。

 欲していたはずの情報より先に、その銃口がこちらを捉えていることに目が行った。

 

「ぁ──」

 

 ──タァン。

 目の前が、夕陽のそれではない赤に染まった──ような、気がした。

 そして、暗転。

 

 

 

 

 

 

 

 

 すぐそばで、虫の鳴き声がしている。

 

「…………」

 

 緩やかに意識が浮上する。

 目覚めてすぐに、辺りが既に暗いことに気づいた。虫がうるさい訳だ……妙な納得をしつつ、今までのことを思い返す。

 あれ、というかここ野外?

 

「タマ」

 

 囁くように名前を呼ばれて、肩が跳ねた。尾形の声。頭上からだった。

 とっさに声のしたほうを見て──正面の視界が彼の無表情に占領されていることに気づいて、また肩が跳ねる。見下ろされている。

 ……膝に寝かされている?

 頭の下にあるのはざらついた土の感触ではなく、弾力と温度のある何かだ。尾形の膝を枕に、畦道に横たわっている。

 尾形のぬるい手のひらが、俺の額を撫でた。優しく、その丸みを確かめるように。何でそんなことするんだろう──と思ったのもつかの間。今日の全てを思い出す。

 トメのこと。

 その後のやり取り。

 背後から彼に撃たれたこと。

 ……いや撃たれた、

 

「…………、は?」

 

 

 あんこう鍋の冬を通り越して、初夏。

 尾形百之助に、また殺された。

 

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