【完結】「不死身(物理)なら尾形を愛せるのでは」という仮説とその検証について 作:捕まえようとした蝶
札幌の外れにある古寺に移り住んだ。
尾形は相変わらず、裏手の沼地で毎日、狙撃の練習をしている。
──ダァン。
低空すれすれを往く鳥影に向けて、引き鉄を引く。銃声が響く。翼を広げた鴨は変わらず、その場でゆったり羽ばたいている。
「…………」
失敗。
尾形は銃を構えた姿勢のまま、睨むように遠ざかっていく鴨を見つめている。
それを、少し離れた場所から黙って眺める。吹き抜ける木枯らしが髪を揺らし、頬を撫でていく。茂みがざわつく。
昔から、俺は既に銃を使いこなしている尾形しか知らなかったから、何となく新鮮だった。本人はそれどころではないのだろうけれど。
小さい頃からこうやって銃の練習をしていたのだろうか。たった1人で。
「撃てるようになりそう?」
何となく、声をかけてみる。
尾形が一瞬、こちらを見た。
「……まだだ」
まだ。それだけ呟いて、背を向ける。拗ねたその場凌ぎではなく、強固な意志のこもった一言だった。
銃にしか縋れない男。宇佐美が抱いたような感想は浮かんでこなかった。
どこまでも真面目で、一所懸命な頑張り屋。そうだ。俺はそんな彼を17年間見てきたのだから。
「俺も頑張らないと」
左肩の傷は、塞がり始めていた。
視線の先、尾形は銃を背負って、カヤの茂みに入ろうとしている。
原作にあった通り、銃での狩りは諦めて罠で白鳥を捕まえに行くつもりなのか。その背中を、追いかけた。
尾形がふわっ〜〜ではなく、後ろから首を銃底で殴って仕留めたクソデカ白鳥を半ば引きずりつつ、帰着。
「うわッ」
速攻でドン引きの牛山。あと門倉。
「デカい白鳥だなあ、それ食えんのか?」
「何でもかんでも獲ってくるなよ」
完全に獲物という名のゴミもとい虫とかネズミの死骸咥えてきた猫扱いじゃん。
……と、思いきや、
「尾形上等兵……!?」
体育座り(何故?)から、すくっというかドスッと立ち上がる大柄な人影。
あ。有古じゃん。
存在そのものに激しい既視感を覚える。ジェネリック谷垣源次郎は伊達じゃない。
「有古、お前もか……」
ブルータス。そしていきなりお触り。再会即セクハラはまずいですよ。
「お前が鶴見たちを裏切るとは……わからんもんだな」
「私もあなたが裏切るとは思いませんでした、」
まことに〜?
俺だったらまずコワイ上司がこんな猫ちゃんムーブしてることに驚くけどね。大日本帝国の狗辞めて今度は反社会勢力の猫になったんスか!?的な。
まあ、何にせよ“尾形タマ”にとっては初対面の人間なのだよな。とりあえず初見っぽい反応しとくか。
「誰?」
尾形の影に隠れて姿が見えていなかったのか。ぴょっといきなり顔を出してきた女に、有古は少し驚いたようだった。
間に挟まれた尾形は無言で俺と彼を見比べたのち、
「……有古力松一等卒だ」
「あ、有古力松一等卒です……」
おい情報量が特に増えてねーぞ。
で、今度は有古が、逆に誰なんだこいつみたいな目で見てくる。しゃーねーな。
「尾形タマ」
「え、」
わかりやすく面食らって。
数秒押し黙り。それから完全に理解した顔で、
「…………妻帯、」
「してねえ」
いやまあ、似てないとそういう認識にならざるを得ないですよね。……数秒の沈黙は、暗にこいつ結婚とかできなそうと思われてたということで宜しいか?
──今日も今日とて、尾形は鴨を狙って三十年式の引き鉄を引いている。
まだ、当たらない。
「…………」
あれから。土方歳三に買い物へ連れ出されたり、隠れ家にやって来た石川啄木が俺を牛山が連れ込んだ娼婦と勘違いして五悶着くらいあったりしたが、全体的には特に何事も起こらなかった。
変わらない日々。でもいくつか、俺のほうでは変化があった。
ひとつは、左肩が動かせるようになってきたこと。
もうひとつは、
「……久しぶりに背負うと……妙に重く感じるな、」
背中の三十年式。
俺が毎日、尾形の練習風景を眺めているのを知った土方おじいちゃまが用意してくれたやつ。どういう経路で調達してきたのかは不明だが、新品並みにぴかぴかである。
これが以下略。そもそも着物とか化粧品とか買い与えられてる時点で今さら。
スリングを肩から下ろす。
撃ち方は、体が覚えていた。
──ドンッ。
工程をいちいち意識する暇もなく、気づけば指が引き鉄を引いて。その弾が、尾形が仕留め損ねた鴨の胴体を撃ち抜いていた。
──命中。
おお。やった。
忘れかけていた純粋な喜びを、ひとまず噛みしめてみる。
「……いてて」
でもやっぱり左肩がまだちょっと痛い。
なんだかんだと樺太ではまともに撃っておらず、最後にしっかり撃ったのは網走以前?
我ながら恐ろしい話だが、昔取った杵柄の有効期限が切れていなくて良かった。尾形が振り返る。少し驚いた顔。……そういえば、三十年式を手に入れたことはまだ話していなかったような気もする。
しかし、鴨かあ。
何となく撃ってみたが、あれをそのまま放置するのはもったいない。
と、なれば。
「……鴨鍋、」
排莢。無表情で立ち尽くしたままの尾形に、ゆっくり歩み寄る。微笑みかける。
「久しぶりに作ってあげようか」
鴨を片手に帰宅した尾形を見た牛山は、今までとは違った驚きを浮かべた顔で、
「尾形が鴨獲ってきた」
原作では、尾形が左撃ちを習得するのは本格的に娼婦殺人事件の捜査を始めてから。
この段階ではあまりに早すぎる。
そういう認識だったのだろう。しかし、実際それは合っていて、
「……いや」「私が撃った」
尾形の後ろから顔を覗かせた俺と、俺の背中の三十年式を見て。なんだなんだと集まってきた男どもが口々に、
「なあんだ」
「嫁さんの手柄取るなよな」
「嫁じゃねえ」
解散になってしまった。なんか……期待させて申し訳ない。いや俺の快方も喜べや。
で、いざ鍋作り。
夏太郎と有古が手伝ってくれる。手伝ってくれるというか、もともとこの2人(あと門倉キラウㇱ)がよく料理なんかをしてくれているイメージ。
俺はあまりしていない。明治だし、女ということで家事その他を一手に任されていてもおかしくはない立場なのだが、如何せん重傷者だったもので。
「タマさんって銃撃てたんですね」
鴨の羽根をむしりながら、夏太郎が雑談を振ってくる。まあ、意外で当然なんだけど、何ら戦闘スキルがない痩せっぽちの女役立たずすぎるだろ。邪魔なだけ。
「フフ……真っ暗闇でも当てられるよ」
「またまたァ〜」
「…………」
普通に信じてない夏太郎をよそに、有古はやけに神妙な表情。
そういえば俺が廃旅館でボコボコにした都丹庵士、こないだ顔を合わせるというか音を聞かれた瞬間「うわッ」と叫ばれて最悪の再会だった。網走で会ってるんだけどね。
「鴨鍋って美味いんですか?」
「……ちょっと人生と共にありすぎて美味い美味くないの枠で語れないかな」
「え?」
「な、有古」
「……え?」
急に振られた有古がびっくりしている。なんか挙動がちいかわみたいなんだよな。
「あ、そうだ。肉で思い出したけど俺、埋蔵金見つかったら羊の牧場経営するつもりなんですよ。どうですかね?」
出た、ゴールデンカムイ名物、先見の明んちゅ。真っ先に北海道名物ジンギスカンが思い浮かぶが、それ以前に明治の北海道では緬羊の飼育計画が持ち上がっていたらしい。ジンギスカンはむしろその副産物という訳だ。
「絶対流行る」
「え、ホントですか?」
「鍋料理にしたらきっと肉も売れるよ」
「やった」
夏太郎、土方シンパってことくらいしか印象なかったけどだいぶ弟属性だな。
俺は羊肉そんなに好きじゃないけどね。なんか……BBQの残骸みたいな味するじゃん。
まあタンチョウヅルとかラッコとかメコオヤシとかに比べたら全然美味い、
「タマさんの夢はなんですか?」
……そこで、思考が止まる。
金塊が見つかったら。
俺の夢。夢、
「…………何だろうな……ウッ」
「あっすみませんッ」
考え込んでしまったところで。身を乗り出した有古の胸筋アタックが思考回路に玉突き事故を起こしてきた。
いや夏ちゃんはいいんだけどちょっと有古……有古がいると台所が普通に狭いんだよな。身長と体格のせいで一挙一動がドスッ♡ドスッ♡みたいな感じだから。とんでもないモラルハザードだよ。
「有古を見てると谷垣源次郎を思い出すなあ」
「えっ」
「誰っすか?」
さっそく夏ちゃんの記憶から失われているの草萌ゆる。だから網走で会ったでしょ。
「……寝ないのか」
その晩。
布団の中で尾形の指を弄んでいた俺に、背後の彼が声を掛けてきた。
「んー……」
何となく茶を濁しつつ。さっきのは単に、俺が寝られないからさっさとその手遊びをやめろというアピールだったのかもしれない。やめないけど。
「…………」
……何年かぶりに作った鴨鍋だったが、尾形は相変わらず無言で完食していたな。
夏太郎なんかは気を遣って美味いと言ってくれていたけど。俺はマジで本当にもう数十年は食わなくていいかなという感じ。
かつてのアシㇼパは、俺の鴨鍋なら尾形もヒンナできるとかなんとか言っていたが、結局はノーヒンナだったし。
そこでふと、思ったこと。
「少し……話をしよう」
「話?」
思い出の食べ物ときて、頭に浮かんだ話。アシㇼパと、杉元のこと。
「……アシㇼパが前に話してくれたんだが。杉元は食べ物だと干し柿が好きで、でも、戦争に行ってからは食べていなかったらしい」
「脳味噌じゃねえのか」
「それアシㇼパの影響だろ」
よくわからない混ぜっ返しを瞬時に挟まれて、若干脱力。
たまに空気読まないというか、話の流れより自分の興味関心に意識が行っちゃってる時あるよね。俺もそうか。
「聞け。だから……干し柿をまた食べれば、戦争に行く前の杉元に戻れるんじゃないか、っていう話を、鹿の腹に入って吹雪を凌いだあの日に2人でしたそうだ」
実際、俺にはしていないけど。
この話をしたのはおそらく事実だろうが、俺はそれをアシㇼパや杉元の口から聞いたわけではない。記憶をもとに、そういうていで彼に話しているだけだ。
尾形は一瞬、無言になって。
「……、それで俺に鴨鍋か?」
「いや。この話を思い出したのはついさっきだよ。好きだって言っていたから、久しぶりに食べさせてあげようかと思っただけ」
「…………」
これは本当。鴨を撃って、それで鍋を作るまでに他意があった訳ではない。けれど、
「……それで、……何か変わった気がするか?」
意を決して、そう問いかけてみる。
尾形は、すぐには答えなかった。
代わりに、
「変わってほしいのか?」
──その鸚鵡返しを、予想していなかった訳ではないつもりだったが。
口内に溜まった空気を、飲み下す。
俺は、尾形に、?
「……、わからない……でも、最後には百之助が決めることだ」
尾形百之助をコントロールすることはできない。
それ自体は、昔から思っていたことだった。けれど、今は少し違う。
お前は真面目で優しい、いい子だから。俺がそう言えば、きっとその期待に応えようとしてしまうから。自分の気持ちを押し殺してでも。
黙って、次の言葉を待つ。
心持ちはまるで、死刑宣告を待つ囚人みたいだった。
そして、尾形は。
「……懐かしく思った」
穏やかな呟きだった。
懐かしく思った、
「ええ、」
面食らった。素直に。
懐かしい、と思ったということは、裏を返せば遠く感じたということだ。
もはやこの手に戻らぬものとして、離れた場所からただ眺めている。……それは、アシㇼパが杉元に願った結果とは真逆のものなのでは。いや、別に尾形がそうである必要はないのだっけ? よくわからな、
「…………ようやく……少しだけでも、“思い出”にできた気がする」
続いた言葉に。
「っ、」
一瞬、息ができなかった。
二の句が継げない俺を前に、尾形は静かに語り続ける。
「ずっと、忘れてやるものかと思っていた。肌身離さず握りしめ続けてきた。いつだって昨日のことのように思い出せた。それでいいのだと思ってきた」
あいつはおっ母の葬式に来なかった。
あの列車で彼はそう叫んだ。
彼の時間は止まったままだった。ずっと昔から。母親が死んだあの時から。
だから。
「……しかし、」
されるがままだった指に意志がこもって、俺の指に絡んでくる。握り返される。
「今日──初めて、“昨日”が遠く感じた」
淡々と、気負わない口ぶりながら。
重く沈み込むような一言だった。
息を呑む。
「そうやって、感じて、覚えて、忘れて……時折こうして思い出しながら、生きていくもんなんだな」
人間は忘れる生き物だ。
それは悲哀であり、救いでもあった。
どんなに強い気持ちでも、それが永遠になる訳じゃない。燃え盛る愛も、焦げついた憎しみも、いつかは忘れ得る感情だ。それゆえに生きるのはつらい。
……でも、だからこそ、これからを生きていけるんだ。それで、時々思い出せればいい。懐かしい気持ちになれればいい。
過去から向き直った先、目の前に広がる道は、まだまだ長く続いているんだから。
「……百之助、」
とっさに振り返った先。
肩越しに目が合った尾形は、穏やかにこちらを見つめている。俺を包み込む優しい闇。それを見たら何も言えなくなって、思わず彼の身体に強くしがみついていた。
背中に腕が回って、抱きしめられる。今日に限って、寝室は妙に静かだった。彼の心臓の音しか聞こえない。でも、それで良かった。それだけで良かった。
これまでになく落ち着いた気持ちで、ゆっくり瞼を閉じた。
夢は、見なかった。