【完結】「不死身(物理)なら尾形を愛せるのでは」という仮説とその検証について 作:捕まえようとした蝶
石川啄木の情報をもとに、俺と尾形を含む土方一派は、札幌市街での娼婦殺し、その犯人探しに乗り出していた。
「タマは何かやらないのか?」
露店に並んだ花火を見るふりをしていたところで、その当の花火売りに扮したキラウㇱがさりげなく声をかけてくる。
「うーん……」
確かに、他のメンツは皆何かしら物売りだの物乞いだののふりをしているんだよな。
夏太郎は新聞売り、土方歳三は金魚売り、牛山都丹は虚無僧、門倉は……なんだっけこれ。
現代の街中でこんなことをしたら目立つこと間違いなしだが、明治の札幌の路上にはなんだかよくわからない物売りが異様に多い。結果的に紛れることができている。
ただ、
「私みたいな女は別にありふれてるからなあ……」
ほっかむりに風呂敷で銃を隠してしまえば、もうどこにでもいる町娘と大差ない。
正直、第七師団でも俺の顔を知っているのはまだ札幌にいない鯉登、月島くらいなもので、警戒する要素もない。菊田宇佐美とは面識ゼロなのよね。
小規模なコスプレ会場と化した札幌の街中に視線を戻す。
「牛山さんの虚無僧は異様に強そうで目立ちますね」
「筋肉は隠しきれん」
都丹はともかく、普通に物乞い以外で食っていけそうな見た目なの草。
「確かにかえって目立つ格好は良くないかもな」
「門倉のは何のつもりなんだよ」
「一番目立ってませんか?」
鉦鼓をちゃんちゃん鳴らしながら、ふらふらの門倉が歩み寄ってくる。
菅笠に水を入れた桶を乗せ、浄衣に鳥足を履いたその姿はまさしく高野行人。でも本体から漂う雰囲気が生臭すぎる。
「…………」
キラウㇱが無言で小銭を地面に放る。ガニ股を震わせながら屈んでそれを拾おうとする門倉。桶の水が容赦なくこぼれている。
「確かにちょっと目立ちすぎだ」
猿芝居以下の見せ物に速攻で飽きたらしいキラウㇱ、今度は尾形を見やってそんなコメント。手製の人形で一人二役、この中でも一番手が込んでいる。こんなところで変に力入れなくていいから。
「尾形のそれは何……何なの?」
「親孝行……」
特殊メイクとも呼べない顔の落書き、俺がやってあげたんですよ。
「親孝行の息子です、御報謝願います」
「はははッ!」
「身内にはウケてるけど」
原作で読んだ時も笑ったが、こうしてリアルにさまざまな文脈が乗っかってくると余計に面白い。不謹慎というか、原作のあれこれを踏まえると普通に笑ってる場合じゃないのはわかっているのだが、どうしてもダークな笑いが込み上げてくる。
尾形式ブラックユーモア、俺は嫌いじゃないよ。
あれから、何日か経った。
札幌での捜査は未だ漫然と続いている。犯人はジャック・ザ・リッパーの信奉者ではないか。石川啄木からの有力な情報はあったものの。手がかりは、ない。
「…………」
──いつ、杉元たちと出会ってもおかしくはない。
その時、尾形は原作通りに逃げ出すのだろうか。そうして、二度とどこにも戻らない。尾形百之助はひとりぼっちになる。
少し離れた場所にいる尾形の背中を見つめる。着物の袷を強く握りしめる。
「……その時は……」
どこまででもついていく覚悟はある。でも、尾形は俺を、
「お。どうしたお嬢さん」
……深刻な顔をしすぎたか。通りがかった虚無僧牛山に、声をかけられてしまった。
「腹でも減ったか?」
「いや私ってそんなにいつでも腹減りに見えてるんですかね」
アシㇼパにも同じようなことを言われていたのを思い出した。淑女とは。
「初めて会った時に食いに行ったライスカレー覚えてるか? あの店、この辺りだぜ」
「美味しかったですねあれ」
「だろ? 今からサッポロビールでぐいっとやりに行かないか?」
「目立つだろこの格好では」
冷静な都丹のツッコミ。まあそうですよね、と思いかけて、二度目の遭遇はその水風亭で発生するのだと気づいて、またげんなり。結局は堂々巡りだ。気晴らしにもならない。
──飴こ買いな。
「…………」
「どうした、都丹庵士」
札幌に現れたもうひとりの刺青囚人──上エ地圭二の気配に気づいた2人から、そっと離れる。
人混みの中に、あの目立つ一人二役を探して。
「……あれ、……」
……いない。
まずい、見失ったか。
だからといって、この状況で大声で名前を呼ぶ訳にもいかない。百之助なんて名前の男はそうそういない。
しくじった。
焦りがじわじわと体の内側に広がっていく。早く見つけないと。
とっさに一歩、足を踏み出して。
「う、」
──腰に、衝撃。
二歩目は出せなかった。
背後から誰かがぶつかってきた。……いや、しがみついている?
それほど身長は高くない。子ども……母親を間違えた迷子だろうか、と特に気負わず振り返って。
「──────、」
どこかで見た艶やかな黒髪のつむじに、呼吸が止まりそうになった。
ホㇿケウカムイの毛皮、特徴的な刺繍の施された衣装。キラウㇱのそれと似たこの格好の少女は、
「──アシ、」「タマっ!」
俺がその名を呼ぶより早く、弾かれたように顔を上げた彼女が、俺の名を叫ぶ。
どこか悲壮さの漂う笑み。
それに胸が痛むより早く、
──きゃあああッ。
少し離れた場所から聞こえてきた、複数人のどよめきにも似た悲鳴で、我に返る。
そうだ。
彼女がここにいるということは、
「……!」
「あッ!」
アシㇼパの腕を半ば振り解く形で、ざわめきの方角へ駆け出す。申し訳ないと思っている余裕はなかった。アシㇼパがいるということは──“彼”も、必ずここに来ている。
人混みを強引に掻き分けた先。
少しひらけたその空間で、地面へ仰向けに倒れた体へ馬乗りになって、その顔面を繰り返し殴打する見慣れた軍帽の男。──さあっと、血の気が引く感覚がした。
「やめろ杉元ッ!!」
もつれる足で何とか駆け寄って。倒れた体を庇うように覆いかぶさる。
「殺すなら俺から殺せ!!」
殴られる覚悟だったが、その瞬間、振り上げられた腕がぴたりと止まった。
数秒の沈黙。
やがて、血濡れた拳が重力に従って力なく垂れ下がり。不死身の狂戦士が、落ち着いた動作で跨っていた体から退く。
「…………」
ひとまず脅威が去ったところで、ようやく尾形の顔を見た。顔がひしゃげるのではという勢いで殴られていたその顔面は当然、ありとあらゆる流血にまみれていたが。当の尾形は、無表情で空を見上げているだけだった。
息はしている。
とりあえず、それだけが全てだった。尾形のことだから、別に顔面をボコボコにされたくらいではそこまでの心配はない。実際、何度かあったことではあるし。
「杉元、」
そこで、はぐれてしまっていたアシㇼパがこちらに駆け寄ってきた。聡い彼女は、この現場だけで何が起こったのかわかってしまったようで。俯き加減、張り詰めた顔つきで唾液を飲み込み、
「……タマがいいなら……私はそれでいいんだ……」
そう、絞り出すように呟いた。
尾形がゆっくり体を起こす。杉元はまだ尾形を鋭く見据えている。彼も軍帽の下で煌めくその瞳から視線を外すことはないまま、口内の出血を地面に吐き捨てた。
それを無言で観察していた杉元が、今度は俺に横目をくれてくる。赤く染まった指が軍帽を引き下げる。
「左腕……治ったんだね」
いやに淡々とした呟きだった。何となく空恐ろしいものを覚えつつ、とりあえず頷いておく。
「あ、ああ……」
そうだ。本当なら、そこが主題になるはずだったのに。いろいろ要素が重なった結果、それどころではなくなってしまった。
俺も、今はその気遣いを素直に喜べない。そもそも、こんな形で出会うはずではなかったのに。
顔の落書きごと流血を雑に拭った尾形が立ち上がったので、俺も腰を上げる。
そこへ、
「杉元ォ! アシㇼパちゃあん! 黙っていきなり走り出すなよなあ!?」
──まんまる頭のアッカムイが息急き切って駆け寄ってきた。
「って……タマ!?」
当然、彼は杉元とアシㇼパの傍らにいる俺の存在にすぐさま気づいて、ぎょっと目を瞠る。
「白石由竹〜〜! うおっ」
先ほどよりスピードを速めて走り寄ってきた白石に、いきなり腰から縦に抱き上げられた。花沢勇作方式である。力強いな。
勢いに任せてぐるっと一回転して、
「んも〜〜こっちも不死身じゃねーかぁ!」
「あははっ!」
涙に鼻水まで垂らして、泣き笑いで無事を喜んでくれるのを、純粋に尊ぶ。尾形との因縁などさほど無い彼には、この件で俺の安否以上に気にかかる項目は無いらしかった。
「元気にしてたか?」
「こっちのセリフだっつーのぉ!」
とりあえず、頭でも撫でておくか。よしよし。
キューンと鼻を鳴らす白石。久しぶりの空気に胸を撫で下ろしかかったのも束の間、
「タマさん」
頭上に打ちかかる影。──杉元佐一が、至近距離で俺を見下ろしていた。
「……っ、」
口ぶりは穏やかながら、纏う雰囲気はきつく張り詰めた武人のそれだ。和やかな空気は途端に霧散して、仲間であるはずの白石もやや身構えた様子で次の言葉を待っている。
「どうして尾形と札幌にいるんだ?」
核心をつく、その発言に。
俺が息を飲み込むより早く。
……こちらを見据える白髪の人影を、いち早く察知したのはやはり杉元だった。彼の視線を追う形で、その存在に気づく。
「……杉元佐一」
和泉守兼定と、ウィンチェスターM1873とを構えたその老爺が、彼の名を呟く。
──土方歳三、
「……!」
無言で速やかに戦闘へ移行しようとする杉元、──その前に、凛と立ちはだかるアシㇼパ。即開戦は彼女の機転で回避できたが、一触即発の状況は変わらない。
「ここで戦っても官憲や第七師団に目をつけられるだけだ……」
虚空に放られた俺の呼びかけに、杉元はちらっとこちらに視線を寄越して。構えた銃剣付の三十年式が、慎重に下ろされる。
「……網走じゃハメてくれたな、土方歳三……俺をアシㇼパさんから引き剥がしやがって。おかげで大変な目に遭ったぜ」
土方を睨みつけたままの杉元が、確かな怒りを滲ませた声音でそう吐き捨てた。
「あそこで殺しても良かった」
「やってみろよクソジジイ」
「お前は邪魔になるとわかっていた、」
「そりゃ邪魔するさ」
売り言葉に買い言葉。
──のっぺら坊と土方歳三は、アシㇼパをアイヌの偶像たる闘士にして、独立戦争を煽り立てるつもりだったのではと言う杉元。
──女子供の兵は必要ないが、そうでなくても民族の未来を憂いて行動することはできると言う土方。
「じゃあふたりとも殺し合う必要はない!」
そこへ臆せず切り込んでいくアシㇼパ。樺太での旅は、彼女を確かに成長させていたのだ。
最終的に。
──我々は手を組むしかない。
彼女のその一声で、第七師団に対抗する新たな勢力が誕生した。
結局あの後、上エ地を見つけて追いかけた牛山は、原作通り水風亭に突っ込んでしまったようで(そして取り逃した)。贔屓の店だから後片付けしたい、という彼を待っているうちに、他のメンバーも集まってきた。
それは、杉元側の“連れ”も例外ではなかったようで。
「…………」
──おもむろに、背後から頭頂部を包み込んでくる大きな手のひら。
とっさに振り返った先……シャツの腹部しか視界に入らない。顔を思い切り上げる。それでようやく目が合った。
「耳無いじゃん」
微笑を浮かべてこちらを見下ろす、長身長髪の色男。“彼”も、白石同様に杉元とアシㇼパに置き去りにされていたらしい、
「あんたがタマ?」
海賊房太郎もとい、大沢房太郎。
ていうか、耳って。
アシㇼパがまた余計なことを言ったな。完全な味方ならともかく、敵なんだか味方なんだかよくわからない男にはやめてほしい。あと、普通に手が重くて首が痛い。
「…………」
「おっと」
尾形が無言で払い除けてくれる。サンキューオガタ。さすがの房太郎も彼のことはよく知らない、と思いきや、
「ああ……“弟”か」
知っていたらしい。微かな恍惚混じりの驚愕に、尾形が不愉快そうに眉を顰める。原作では顔を合わせなかった2人だが、なんかさっそく雰囲気が悪い。
「誰?」
「あー……えっと……ボウタロウっていって、刺青囚人の1人なんだけど……」
昔馴染み白石が解説してくれる。刺青囚人連れ歩いてんのかよ、と言っても土方陣営も1/3くらいそれですからね。そもそも白石もそれだし。治安がお悪い。
崩れた前髪を撫でつけた尾形が、短い嘲笑を飛ばす。
「……結局そっちも裏切りそうな人殺しとわざわざ組んでるんじゃねえか、不死身の杉元」
「ぁあ!?」
いやなぜここで煽った?
そして瞬間湯沸かし器杉元、当然ブチギレて尾形の胸ぐらに掴みかかる。
おいおい俺が助けた命を速攻ドブに捨てるな馬鹿と思った、その瞬間。
──シュパァアッ。
風切り音。否、銃声。
空気を裂いて放たれたその弾丸は、確かについ先ほどまで尾形百之助が立っていた、その場所を貫いて行った。
「…………」
取っ組み合いの寸前の、中途半端な位置で固まる男2人。それから真顔を見合わせて、
「……お前が好きで助けた訳じゃねえよ」
「…………たまたまだろ……」
いやそんなこと言ってる場所じゃない、
「狙撃された、」
「身を隠せ!」
「頭巾ちゃんか!?」
「尾形を見つけて狙ってきたのか……」
「俺ちょっと探してくるッ」
頭巾ちゃん──ヴァシリ。
そうだ、房太郎に気を取られていたけれど、杉元陣営にはこいつが同行していたのだった! 改めて血の気が引く。
「シライシで大丈夫かな〜?」
「え? ていうか行かせて大丈夫なの?」
「誰だズキンチャンって」
慌てて全員で物陰に身を隠しつつ、白石の戦果を待つ。いや……ヴァシリ、とりあえず不死身の杉元の脅威が去った今では、一番警戒すべき存在だ。確実に。
「……!」
「苦しい」
とりあえず、尾形の頭をぎゅっと抱き込んでおく。作品を代表する名狙撃手とはいえ、肉体は普通の人間なのだ。頭を撃たれれば死ぬ。それを、改めて意識した。
もう、これからは何が起こってもおかしくないのだ。
「あっ捕まえてきたッ」
杉元の声で、我に返る。
……え、捕まえてきたの? マジで?
ちらっと顔を出す。うわ、本当に捕まえてきてる。笑顔で頭巾引きずられてる。距離さえあれば私は負けない(本人談)。
無理矢理連れてこられた頭巾ちゃんもといヴァシリは活きの良い魚の如くびちびちしていたが、尾形の姿を認めた瞬間。
「フン! フンフン!」
騒ぎ出した。なんか嬉しそう。
その姿を見て、尾形もようやく彼がどこの誰なのかに思い当たったらしい。
「あの時の国境警備隊か」
原作同様、そこまでの驚きはなかった。
銃は背中で、本体は白石にアームロックを掛けられている状態なので、とりあえず害はないと判断したらしい。一応三十年式を構えつつ、尾形がヴァシリに呼びかける。
「……Я говорю по-русски」
「フン」
「え? お前ロシア語話せたの?」
「頭巾ちゃん口を怪我してて喋れないんだって」
「怪我……?」
「いやロシア語」
怪我。その一言で、体調が悪かった当時の自分がどうやって撃ち損じたかを悟ったらしい尾形が、自嘲めいた笑みを浮かべる。そして堂々と無視られる杉元。
「頭を狙ったつもりだったんだがな」
髪を撫でつける尾形の前に、ヴァシリから差し出される紙切れ。絵ではなく、何か文字のようなものが書き殴られている。慎重に受け取って、目を落として。
「……Василий」
「え、網走?」
「ヴァシリ」
そこで、紙切れから顔を上げ。
「ヴァシリ・パヴリチェンコ」
本来ならば知る由もなかったはずのその名を、きっぱりと口にする。対面のヴァシリが、小さく顎を引いた。
「それが……こいつの名前なのか?」
そこで、ヴァシリがなぜか俺を指差してくる。
「え、私?」
うーむ、せっかくロシア語が話せる人間がいるのに、当の本人が喋れないんじゃあまり意味がないよな。少し考えて。
名前だろうか、
「……オガタ。尾形タマ」
「フン」
「ヒャクノスケ」
「おい」
「フン……」
どうやら合っていたようなので、ついでに尾形のファーストネームも教えておく。ヴァシリは彼を“オガタ”で認識していたようだが、そんなこと言ったら俺もオガタですからね。
「頭巾ちゃん、タマちゃんの絵もわりと描いてたもんねえ」
「そうなんだ……」
尾形はともかく、俺に執着するような要素ありましたっけ。よくわからんな。
ヴァシリはなぜか尾形と俺を見比べていたようだったが、やがて右手と左手で俺たちを指差しつつ、
「フン?」
「してねえ」
「尾形には何が聞こえてんの?」
手練れの狙撃手同士何か通じるものでもあるんでしょうか。知らんけど。
「しかし……頭巾ちゃんじゃなくてヴァシリちゃんだったかぁ」
「ヴァシリちゃん……」
「めんどくせえ、頭巾ちゃんでいいだろもう」
「…………」
微妙な空気。
あれ、原作では絶対に起こり得なかったイベントのはずなのに。もしかしてあんまり重要じゃなかった感じですか?
「あッ」
結局、白石の拘束が緩んだ、その一瞬の隙をついて。
ヴァシリは、まさしく脱兎の如くだばだばと逃げ出してしまった。その背中に尾形が三十年式の銃口を向けて──すぐに下ろす。
さらなる騒ぎを恐れたのか。
「あーあ」
「まあ、話せて良かったじゃん」
「話す……?」
暢気な会話を交わす杉元たちを背に、小銃のスリングを握りしめる。強く。
「…………」
一瞬でも。
あそこでヴァシリ・パヴリチェンコの頭を撃ち抜いてほしかったと思った俺は、きっと間違っているのだろうな。
土方陣営と杉元陣営が手を組んだところで、今すぐやるべきことは変わっていない。
おそらく刺青囚人の犯行と思われる、娼婦連続殺人事件。その犯人の捜査。
とはいえ、今日はもう往来で騒ぎすぎたということで。
俺たちだけで使っていた古寺に、男3人と少女を足して、休むことになった。
──ビール工場での戦いまで、あと2日。
ただ、そこにおける尾形の脅威がヴァシリという点は変わっていない。
この件で彼と利害が一致する人間は他にはいない。彼は一人でヴァシリと戦うほかない。
いや、むしろ下手に土方陣営に属したままである以上、尾形は刺青囚人の捜索にも協力しなければならないのだ。今回、彼はヴァシリにだけ意識を割くことができない。
尾形の存在はとりあえず両陣営から容認されている。ただ、それは決して良いことばかりではないということだ。
大丈夫なのか?
大丈夫だ、とは言い切れなかった。
……“大丈夫でなかった”場合、今度こそ本当にこの旅が終わってしまう。
尾形百之助の死を以て。
「──あんたの夢は何だ? お嬢さん」
声と、熱。はっと我に返る。
俺の肩に手を回した海賊房太郎が、長い前髪の向こうからこちらを覗き込んでいた。酔っているのか、微かに顔が赤い。
「え、」
「夢だよ、夢。……何だか妙に暗い顔してるけどさ」
どこかで聞いたような問いだ、と思った。あれ。あの時、俺は何と答えたのだっけ。
何と答えるべきなのだろう。
視線を感じる。皆が俺を見ている。
朦朧と思考を巡らせる、
「……夢」
夢。俺の、夢。
“尾形タマ”の──否、
「──────、」
俺は、
「…………」
……気づけば、一人で真っ暗な廊下に立ち尽くしていた。
襖越しにどんちゃん騒ぎが聞こえる。
俺はあの時、海賊房太郎に何と答えたのだろう。思い出せなかった。
一歩、足を踏み出して。
「タマさん」
──背後から声が掛かった。
足が、止まる。
俺をこうして呼ぶ人間を、俺は2人しか知らない。1人は夏太郎。そして、
「……外に行くのかい?」
杉元佐一が、暗がりからじっと俺を見つめていた。追いかけてきたのか。わざわざ。
……何故?
「1人じゃ危険だよ」
やんわりと、足元から絡め取られるような呼びかけ。声音自体は落ち着いていても、聞いているこちらは冷静ではいられなかった。
滲んだ汗がこめかみを伝う。
「……杉元佐一、」
……最終的にこういう形で落ち着いたとはいえ、土方陣営に属するということ自体が、広義ではアシㇼパに対する裏切りだ。
少なくとも、俺はそう解釈していた。お前の味方だ。そう囁いておきながら、俺は私欲のためにアシㇼパの顔に泥を塗ったのだ。
杉元は俺を許さないだろう。
「俺を疑っているのか?」
とっさに漏れたその呟き。
杉元はそれには答えず、代わりに。
「今の尾形の目的は何なんだ?」
予想もしていなかった、その問い。
──背後から刺されたような気分になった。
……尾形の目的?
ここ最近は、考えていなかったことだった。いや。考えないようにしていた。
俺の幻覚との折り合いをつけた彼は、これからどこに向かおうとしているのだろう。確かに、土方歳三のもとへ誘導したのは俺だ。でも、おとなしく従ったのは尾形だ。
それは、何か目的があるからなんじゃないのか?
彼の抱く目的と合致する部分があるということじゃないのか?
それは、金塊?
この期に及んで金が欲しいのか。……何のために?
鶴見中尉に見てほしいから?
花沢勇作は誰が殺したのだ?
あるいは、花沢幸次郎は。
「……わからない……」
わからない。俺には。
──理解することを放棄してきた、ともいう。俺が知っているのは、ゴールデンカムイの登場人物である尾形百之助のことだけ。俺は弟のことを何も知らないのだ。
杉元は黙って俺を見ている。
焦りが、広がっていく、
「……っ、でも、」
今さら、彼らに尾形を殺させたくはない。何があっても。それだけは確かだった。
少なくとも杉元は、尾形がアシㇼパに害を成すと判断すれば躊躇なく殺しに踏み切るだろう。そんな結末だけは避けたかった。
「もう、お前たちに迷惑はかけないから」
板張りの床を、睨むように見つめる。これ以上、俺の都合で傷つけられない。
本当は、こんな形で元鞘に収まりたくはなかった。だって、そんなの冒涜じゃないか。
俺は今さら、彼らに何もしてあげられないのに。
「大丈夫だ……次は、……次こそは、」
大丈夫。
これまでなんだかんだと上手くやれてきたじゃないか。大丈夫。きっと。
俺なら、彼らを傷つけず、尾形を助けることができるはずなんだ。大丈夫。
必ず、上手くやってみせるから。
「タマさん……」
杉元が呟く。
俺は今、どんな顔をしているのだろう。
彼は。どんな顔をしているのだろう。
その目を、今は見られなかった。