【完結】「不死身(物理)なら尾形を愛せるのでは」という仮説とその検証について   作:捕まえようとした蝶

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51話 函館五稜郭籠城戦線

 人生に、自分の欲求より大切なものがどうしても見出せなかった。

 誰かが自分を愛してくれた時、同じ熱を返してあげられないことが嫌だった。

 確かに自分を飾り立てて、守ってくれているはずの宝飾品なのに、その価値や意味さえわからず最後には壊すことしかできない。

 せっかく与えてくれたものなのに。自分には生み出せないものなのに。

 やはり欠けた人間なのだ。

 

 

 

 

「──イカの串焼き、」

 

 俯いた視界へ飛び込んできた湯気と醤油の香りに、ふっと意識が引き戻される。

 

「食べる?」

 

 串に刺さったイカの姿焼きを差し出す白石由竹が、こちらに微笑みかけていた。

 列車は既に降りて、ここは函館停車場。そういえばそんなイベントもあった、と思ったところで。ぐきゅるるる。コロコロコロッ。

 

「…………」

「ヤダ〜、お腹で返事しないでぇ〜?」

 

 ……ここまで聞かれては、要らないと断っても何の説得力もない。それにまあ、空腹なのは間違いないか。イカ焼きを受け取る。

 

「……腹減った」

「一昨日の夜からほとんど何も食べてなかったしな……ヒンナだぜ」

 

 尾形を含めた他のメンツは既に食べ始めているようだった。

 とりあえず、焼きたての身にかじりつく。そんなに海産物が好きなタイプでもなかったので、前世でもそんなに食べた覚えがない。マヨネーズが欲しくなる。

 

「……食べるの……イカとタコだったら、タコのほうが好きだな……」

「アトゥイナウか」

 

 何気ない呟きに、アシㇼパからの反応が返ってきた。イカにアイヌ語の呼び名があったように、イカ同様食べられるタコにも当然、名前があるらしい。

 

「ここからそう遠くない噴火湾には、船をも沈めるような巨大なタコ……アッコㇿカムイが棲んでいるという言い伝えがある」

「エッこわぁい……」

 

 イカのウエペケㇾは特に無くても、タコはカムイになり得るのか。アイヌ文化の分水嶺はよくわからない。

 巨大マムシもといサㇰソモアイェㇷ゚が実在する世界観だから、このアッコㇿカムイが実際に潜んでいても別におかしくはないんだよな。行くようなことがなくて本当に良かった。

 

「たこ焼きが食べたい」

「え、タコ?」

「タコの焼いたのってあんまり見たことないけどなあ」

 

 そうか、今で言う“たこ焼き”が成立したのは昭和に入ってからか。しかも大阪。今生で俺が口にすることはないかも。そこで、アシㇼパが例のシパシパ顔でこちらを見ていることに気づく。

 

「しかし……タマがそんなに好きならアッコㇿカムイを捕まえに行くか?」

「え……いや……」

 

 藪蛇。レシピもなくたこ焼きなんか作れる気がしないし、姿焼きには興味がない。大体、俺もアシㇼパもろくに泳げないだろ。その気持ち自体は有り難いけどね。

 とか言っている間に、食べ終わってしまった。串を手持ち無沙汰に弄んでいたところに、

 

「ん」

 

 横から伸びてきた手に、口の端を拭われた。思わず目を向けた先、尾形が無表情でこちらを見下ろしていた。察するに、イカ焼きのタレか何かが頬についていたらしい。

 しかも、俺が周囲の誰よりも速攻で食べ終わってしまったせいか、まだ手付かずの自らの分までこちらに差し出してくる。

 え、食えと?

 

「そ、そんなには食べない……」

 

 やんわり拒否。

 白米もないのに、こんな味の濃いおかずばかりばくばく食べられない。色んな意味でもう若くないんだこっちは。

 イカ焼きを引っ込めた尾形が、俺から視線を外す。何もない空間を見つめながら、

 

「……門倉たちは」

 

 絞り出すように、呟く。

 

「五稜郭には向かわず、荷馬車の手配に行くらしい」

 

 それが何なのだ、とは思わなかった。

 ──尾形は、ここで五稜郭における金塊捜索のメンバーからは離脱するつもりなのだ。

 何故。……問うまでもない、

 

「あいつはどこまでも追いかけてくるだろう。どこかで始末をつけなきゃならん」

 

 ヴァシリ・パヴリチェンコ。

 どきりとはしなかった。淡々と、凪いだ湖面に映る彼の横顔が微かにさざめいている。

 彼は、ヴァシリとの決着をつけに行く。

 原作通りに。

 

「…………」

 

 風が吹き抜けて、尾形のきっちり整えた黒髪を乱していく。

 

「……俺個人のことで、アシㇼパや金塊の捜索に何か影響が出るのは……こちらとしても目覚めが良くない」

 

 運命は俺に味方した。

 世界が俺は正しいと言っている。

 かつての彼はそう言った。今の彼は、そうすることを決めた自分をどう思っているのだろう。

 ここまで来た以上、止める権利は俺には存在しない。無駄にはできない。何もかも。

 けれど。

 

「…………もし……」

 

 思わず。そう呟きながら、彼の空いた左手、その小指を握りしめていた。

 

「もし、」

 

 尾形百之助にとって。

 金塊を巡る争いはある意味、対岸の火事でしかなかった。彼はただ、鶴見中尉を手に入れたかっただけだったのだから。彼は一人だった。最初から最期まで。

 だから。

 俺がもし、列車から降りることがあっても。今のお前には、この金塊争奪戦の結末を見届けてほしい。アシㇼパの、彼らの仲間として。

 そこまで考えて、

 

「……いや……」

 

 ──駄目だ。

 単なる“お願い”だったとしても、彼はそれを何としてでも叶えようとしてしまう。俺の望むようにしようと動いてしまう。自分の願いに蓋をしてまでも。“普通”の彼には、その行為が難なくできてしまうのだ。

 俺とは違う。

 尾形タマはもはや、尾形百之助が選ぶ道に干渉するべきではない。もはや彼の選択肢には明確な正解も不正解も存在しない。これ以上は無駄な行為だ。

 最初からいなかった。

 それでいい。

 

「……何でもない、」

 

 手を、離す。

 背を向ける。

 その背中にしばらく視線を感じたが、

 

「…………」

 

 やがて、遠ざかっていく足音。

 そうだ。それでいい。

 ──旅の終着点。

 ただ。どうか、価値ある終わりを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──戦うしかない。ここに籠城して……奴らを迎え撃とう」

 

 金塊の在処とされる函館五稜郭にて。

 鶴見中尉もまた、アシㇼパから引き出した鍵を基に暗号を解いていた。それが判明した。

 早くて半日後には第七師団がここに辿り着いてしまう。

 その事実を受け止めた杉元佐一が、皆に向けて出した結論は──徹底抗戦。

 一瞬、重苦しい沈黙が流れた。

 

「……第七師団相手に、俺たちで?」

 

 何度も彼に戦力外通告を受けてきた白石由竹が、宙ぶらりんな声音で呟いてみせる。

 

「それに、土方歳三は既に手を打っている。……そうだよな?」

「え?」

 

 どこまでも冷静な杉元にそう振られた土方が、同じく淡々と答えてみせる。

 

「ここまで余裕がないのは全くの予想外だったがな。──午後の汽車で向かっているはずだ。夏太郎に駅で待機させている」

 

 土方歳三が、第七師団との交戦を見越して函館に呼び寄せていた人物。

 ──ソフィア・ゴールデンハンド率いる120人のパルチザン。

 戦い慣れした彼らの存在に加えて、自らにはもうひとつ強みがある、と土方は語る。

 

「この土方歳三が函館で戦うのは2回目だ。ここでの戦い方はよく知っている」

 

 星の形をした五稜郭、その角の部分──稜堡──に立って、その解説を聞く。

 どうしてこんな形をしているのか。答えは戦うためである。

 構造上、稜堡のひとつを陣取れば、その左右の稜堡が攻め込まれる場所である橋と石垣を見渡すことができる。全ての稜堡に兵を配置することで、理論上は死角が存在しなくなる。

 

「……でも、このまんまじゃ駄目だろ? さらに塹壕が必要だぜ」

「その通り……新しい時代の戦争を経験した人間はわかっているな」

 

 したり顔で語り合うツートップ……と、

 

「?」

 

 その背後で、アホ面で頭上にクエスチョンマークを浮かべる戦力外(白石)。安心しろ、俺もわからん。

 

「ソフィアたちが来るまであと6時間程度。戦闘の準備と、金塊の捜索を並行しておこなう」

 

 

 

 

 それから、ゴールデントリオ+俺土方で土方が指定した兵糧庫の内外を掘ること1時間。

 

「何かあった! ……石ころか……」

 

 進捗ダメです。想定内だけど。

 白石の声に俺の膝から頭を上げかけたアシㇼパが、即座に再び体を横たえる。俺もそろそろ穴掘りに戻りたいんだけど。

 

「やっぱり建物の中じゃなくて、堀に隠したと思うんだがなぁ」

 

 さすがに疲れた様子の白石を見て、泥混じりの汗を拭った杉元が呟く。

 

「でもジジイが“ここ掘れワンワン”って」

 

 当てつけじみたぼやきに、こちらに背を向けてひとり黙々と掘り進めていた土方が、手を止めた。振り返る。

 

「……何か確信が? そうなんだろ?」

「…………」

「この期に及んでまだ俺たちに隠してることがあるのかよ! 俺はあんたの兵隊になったつもりはねえぞ! 情報は全て共有しろ!」

 

 打って変わって強い口調で詰られた土方は、一度ふうと息を吐き。シャベルを置いて、こちらに向き直った。

 ベストを脱ぎ。ワイシャツのボタンが外されていく。そうして露わになる刺青を、4人で囲む。

 

「私に彫られた“神”の文字の刺青……」

 

 ──左胸部。心臓の真上に、一際濃く、深く掘り刻まれた“神”の一文字。

 函館五稜郭を示す暗号の中で、この兵糧庫のあたりに重なっていたという。

 

「ここに必ず何かが埋まっている」

 

 そう厳かに言い放った土方は、再びワイシャツとベストを羽織り、小屋を出て行った。

 その雰囲気に気圧されて、仕方なく再び掘り始めたは良いものの。

 

「また石か……」

 

 拳大の岩石を放り投げた白石が、土方が消えた戸口を見遣ってぼやく。

 

「“神”の刺青って本当に何か意味があんのかな?」

「……わかんねえけど、“シン”とか“ジン”とか……同じ読みの漢字が他の刺青人皮に無いのは気になる」

 

 杉元の力ない返答。“ホㇿケウオㇱコニ”をまだ意識しているのか。答えはもっと単純なもののような気がする、

 

「……カムイ」

 

 思わずこぼれた俺の呟きに、3人がこちらを振り返った。

 

「カムイ……和人の言葉に訳すとしたら、“神”だろう」

 

 俺が示したその解釈に、何か思うところでもあったのか。アシㇼパが、ゆっくり口を開いた。

 

「ゴールデンカムイ」

 

 ──ゴールデンカムイ。

 俺にとっては聞き慣れた固有名詞に一瞬、どきりとしたが。理由は単純で、彼女は教会で鶴見中尉が口にした比喩を覚えていたのだ。

 全てのものにカムイは宿る。

 ならば、この黄金も。

 その時のことを思い出したのか、アシㇼパが小さく肩を震わせたのが見えた。

 

「……鶴見中尉が……アイヌにとって災厄をもたらすカムイだって……」

 

 呪われた黄金。

 ……くだらない。

 自らの凶暴性を人喰いヒグマというウェンカムイの妄想に押しつけていた松田平太と何も変わらない。家族が死ねばいいと思ったのは自分で、殺したのも自分だ。自己憐憫で生み出される仮想敵ほど悍ましいものはない。

 

「そう思っていたいだけだ」

 

 金塊を掘り出した彼らには、それを利用しようとした責任だけがある。黄金の悪神に惑わされた被害者でも、あるいはそれゆえの加害者でもない。

 

「都合良く責任を転嫁している。何よりも醜悪で凶暴なのは黄金ではない」

 

 そう。世界が残酷なのではない。

 お前が残酷なだけだ。

 

「…………」

 

 アシㇼパは、しばらく黙って俺の横顔を見つめていたようだったが。沈黙を破ったのは、杉元だった。しかも、予想外の方角から。

 

「……そういえば、尾形は?」

「アッ、えっ、そういえば!」

「…………」

 

 今さら。どんだけどうでもいい存在だと思われてるんだ。

 

「ヴァシリ・パヴリチェンコと決着をつけに行った」

 

 ひとまず、信じる信じないは別として、事実を差し出しておく。その瞬間、全員が息を呑んだ気配がした。

 手練れの狙撃手。その賞賛は、どちらにも当てはまり得るものだ。そして、この3人は誰よりもそれをよく知っている。

 

「巻き込めない、と」

 

 あのまま放置していてもキリがなく、第七師団と同時に相手するのは不可能。彼はそう判断したのだろう。ここで仕留めるしかない、と。

 

「……大丈夫なのか」

 

 アシㇼパが、気遣わしげに呼びかけてくる。大丈夫。そう言い切れる保証は、今の俺には、

 

「大丈夫だ」

 

 一瞬。幻聴かと思った。

 振り返る。杉元佐一が、シャベルを動かしていた。

 手は止めず、視線もその足元に向けたまま。淡白に、そう言い放っていた。

 

「必ず戻ってくるさ」

 

 いっそ淡々と呟いてみせる。

 元気になって戻ってこい。原作でも抱かれていた期待だった。けれど。息を吐き出す。

 

「……そう言ってくれる友達ができてよかった。あの子にも」

 

 穏やかな空気が、流れかけて──

 

「いや友達じゃないけどねえ!?」

「さ……掘るかアシㇼパ」

「ああ」

「聞いてる!?」

 

 

 

 そこからさらに掘り続け。

 地平線の向こうがいよいよ白み出した頃、

 ──ガコッ。

 アシㇼパの握るシャベルの切っ先。岩石にぶつかるのとはまた違う鈍い音が、兵糧庫に鳴り響いた。

 

「……石じゃない!」

 

 もはやシャベルは使えない。血気に逸る白石と杉元が、犬のように手で土を穿り返し。

 中から出てきたのは──ひと抱えもありそうな、巨大な木箱だった。

 慌てて全員が集められ、いよいよ蓋が開けられたは良いものの、

 

「え? 何これツチ? 砂?」

「チエトイ……これは珪藻土を砕いたものだ」

「そんなバカな……何だこれ! 紙みたいなものが出てきたぞ! 和紙か!?」

「……動物の胃袋だ、私たちが油とかを保存している」

 

 粘土と胃袋。徹底的に防水処理が施された異様な木箱、その中身とは。

 

「……冊子?」

 

 ただの冊子ではない──金塊で購入した、北海道の土地の権利書。ウイルクが、アイヌとして生きる娘に託したこれ以上ない宝。

 それを知ったアシㇼパが、泥に塗れた指先を冊子に伸ばす。震えるそれが、そっと表紙を撫でる。愛おしげに。

 

「……私も……これしか無いと思っていた……」

 

 樹木を切り倒され、更地と化した森を見て、彼女は痛感していたのだろう。

 土地が無くては森を守れない。

 森が無くてはカムイを守れない。

 カムイが無くてはアイヌ文化を守れない。

 土地を、森を手に入れることが、血を流さずアイヌを守るためには必要不可欠だった。

 

「ようやく見えてきていた、アイヌのために私がやるべきこと……それは、既に昔のアイヌたちによって成し遂げられていた、」

 

 災厄をもたらすといわれた黄金のカムイ。そのままでは血が流れ続ける。しかし。

 

「私たちが本当に必要とするカムイに置き換わっていたんだ!!」

 

 あ、はい。

 ──ズドォン。

 俺アシㇼパ土方を除いた8人が勢いよくずっこけることで、綺麗なオチがついた。平均よりも恵まれた体格の男女が一斉に崩折れたものだから、地鳴りが起きて小屋がちょっと揺れた。

 

「ガッカリしすぎて腰抜けた」

 

 さもありなん。

 

「鶴見中尉たちが来る予想時刻まであと2時間程度……今すぐ撤退だ!」

 

 まあ、何はともあれ一件落着か、と思いきや。……未だ権利書を眺めていた土方の一言が、現場に新たな混乱を産むことになる。

 

「……半分しか使われていない」

 

 権利書によれば、榎本武揚に引き渡された金塊は九千九百貫。しかし、土方歳三がのっぺら坊ことウイルクから伝えられていた量は、その2倍近く──二万貫だった。

 その情報を聞いて、一番目を輝かせたのは言わずもがな。

 

「……まだ一万貫ちょっとの金塊が残ってるってこと?」

 

 当初から誰よりも“金”そのものに強い執着を示していた男、白石由竹。

 

「金塊は!! まだ半分!! どこかにあるんだぁ!!」

「落ち着けシライシ!」

 

 先ほどの落ち込みようはどこへやら、意気揚々と駆け出したところに、

 ──ドォン。

 

「ギャーッ!」

「シライシーッ」

 

 撃ち込まれる砲弾。

 鶴見中尉にしては早すぎる、と狼狽えるこちらの遥か彼方で、軍用気球が嘲笑うように宙で揺れている。腐っても軍隊出の杉元、それで全ての事態が飲み込めたらしい。

 

「……ってことは、今のは艦砲射撃ってことか!? あいつら駆逐艦で来たんだ!!」

 

 もす。そのための音之進。

 永倉老人は時間稼ぎに敵地へ乗り込み、門倉キラウㇱがマンスールとともに回転丸の主砲へ向かい、夏太郎が勇敢にもパルチザンに混じって籠城戦線の維持に挑む中。

 主要人物が皆逃げ込んだままの兵糧庫では、微妙な混乱状態が保たれ続けていた。穴に腰掛けた牛山が口を開く。

 

「駆逐艦に乗り切れなかった鶴見中尉の部下たちは、汽車で移動してるんだよな?」

 

 いつここにやって来てもおかしくはない。幸いにも、今は艦砲射撃も止んでいる。

 

「今のうちに、お嬢2人だけでも逃したらどうだ? 何なら権利書を持たせて」

 

 紳士牛山の言葉に、アシㇼパは唇を噛み、白石が代わりに応える。

 

「いいんじゃないの? 土地の権利書なんて俺には何の役にも立たないし。みんなもそうだろ?」

 

 最初から、刺青囚人である彼の目的は金塊にあった。ここまで来て諦められない。

 ……というか、さらっと流してしまったが俺も含まれていたような気がするな。仕方ない。シャベルを手に取る。

 

「……金塊の半分は土地の権利書だった。もう半分の金塊は……在るらしいけれど、俺は見ていない。そんなのじゃ、頑張ってるあの子への土産話として手落ちだな」

 

 そこまで言って。背後で、土掘り係がもう1人増えたのを、肌で感じる。

 

「私も残る。……みんなの役に立ちたいし、私は見届けなきゃ」

 

 お嬢。彼女の覚悟をやや憂いた様子の牛山の肩に、優しくも力強く置かれる手。杉元だった。

 

「いざという時は、俺がアシㇼパさんを五稜郭から安全なところまで脱出させてくる」

「土方さぁん!」

 

 そこへ駆け込んでくる、

 

「永倉さんが、わざと捕まりました!」

 

 息を切らした門倉。砲撃が今止んでいるのはもしかしたら永倉のおかげかも。そう付け加えて、

 

「……とにかく! 手筈通りに行きますよ?」

 

 土方に呼びかけたその背後から吹き込む、一陣の風。それは片隅に避けられていた、ある刺青人皮の写しを激しく巻き上げて。──不自然な軌道を描いて、完成“したと思われていた”暗号の中央に、軟着陸した。

 

「──────、」

 

 瞬間。土方の鋼の瞳が、微かに見開かれて。

 その直後、

 

「よしッ、急いで行ってくれ!」

「……どうかご無事で!!」

 

 力強く送り出された門倉が、蜻蛉返りでキラウㇱのもとへ戻っていく。それを見送った土方は、悠然とアシㇼパを振り返り。

 

「お前は残ったことで、父の想いを知ることが出来るだろう」

 

 

 ──強運の男が運んでくれた幸運の風が、我々を勝利へ導こうとしている。

 

 そう告げた土方が次に掘れと命じたのは、小屋も何もない、ありふれた平らな地面だった。

 

「あまりに昔のことで、私もすっかり忘れていたが……門倉の刺青には、この場所を示す重要な文字があったのだ」

 

 やがて掘り起こされたのは、巨大な石造りの丸い蓋。何かを塞いでいるように見える。

 その、漢字とは。

 

「馬用の井戸だ」

 

 ──馬。

 

「当時の五稜郭で馬の世話をしていて、この井戸の存在を知っている人間は──もう、私くらいしか生き残っていない」

 

 開放された空井戸の底に詰まっていたのは、ぱんぱんに膨らんだ皮袋が大量。沸き立つ刺青囚人たち。先んじて降りたアシㇼパと杉元が、中身を確認しようと命綱に括りつけて地上に引き上げようとしたところで、

 

「きんかいッ」

 

 文字通り目が眩んだ金の亡者が、縄もなしにその袋に飛びついて──墜落した。

 あまりに危険な行為を叱られる白石。残念でもなく当然。しかし、その過程で爪が引っかかったかして、糸が緩んだようで。

 最初は、ぱらぱらと。

 やがて、滝のように彼らの頭上に降り注ぐ、

 

「……本物の砂金……初めて見た……」

「ああ……眩しいぜ」

 

 光の届かない井戸の底においてなお、眩く輝き続ける黄金の雨。美しかった。

 ……だが、喜びも束の間。

 

「艦砲射撃がまた始まった、」

 

 慌てて3人を引き上げ、せっかく見つけた黄金の井戸を元通りに埋め立て直す。……主に、白石が必死にやっていた。

 金塊は見つかった。

 しかし、本番はこれからだ。

 

「さあ、これでいよいよ籠城戦しか無くなったぜ」

 

 負ければ二度とこの金塊は拝めない。

 函館五稜郭籠城戦──その火蓋が、ここに切って落とされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「この権利書は何が何でも守らないと」

 

 馬用の井戸だけあって、手近に建っていたのは馬小屋。ひとまずそこへ白石アシㇼパとともに避難する。一応は飛び道具持ちということで、俺の立ち位置は2人の護衛に近い。

 権利書を丸め、いつも背負っている矢筒に収めるアシㇼパ。戸口に立つ白石はそんな彼女の横顔を睨むように見つめていたが、

 

「……戊辰戦争の生き残りと、日露戦争の生き残り……さあ、どっちが勝つかね」

 

 “経験”か、“勢い”か。

 妙なところで冷静な彼は、ここに来て勝ち馬を見極めようとしているようにも見えた。

 

「いや」

 

 安全子を引き出して、倒す。ボルトを起こして引くと、弾倉が露出する。実包を押し込み、挿弾子は取り除く。この状態でボルトを戻し、薬室が空の状態で一度空撃ちする。

 尾形が教え、土方が与えてくれた三十年式。たくさんのものが俺を今、この場所に立たせている。

 

「俺たちが勝つ」

 

 俺の豪語に、白石は何とも言えない呆れたような、感嘆したような笑みをその頬に浮かべて。

 

「……タマちゃんが言うと、ほんとにそうなるって気がするから不思議だぜ」

 

 褒めているんだかいないんだか。とりあえず微笑み返しておいた。

 ──しかし、この場面においては、そう上手くはいかないのだ。

 それから数十分経って、

 

「……どうだ?」

「……いや……」

 

 何度目かの確認を終え、屋根から身軽に滑り降りてきた白石は、未だかつてなく渋い顔をしていた。一瞬口籠った後、

 

「東口も南口も陥落……侵入した兵士たちは北口を襲ってる、あそこがやられたら全勢力が俺たちに襲いかかる……!」

 

 絶望的な現状を、機関銃のように吐き出してみせる。そうでもしないと耐えられない、という緊迫感が滲んでいた。

 前門の虎、後門の狼。

 四面楚歌、になっては取り返しがつかないのだ。そうして、明治の脱獄王が捻り出した次の策は。

 

「逃げようぜ──権利書を守るために!」

 

 

 

 

 白石由竹の脱出作戦。

 仕組みは単純明快で、俺が撃った兵士から軍服と馬を奪った白石が第七師団兵に成りすまし、橋を突破する。そこから対岸のこちらに縄を投げ、泳げないアシㇼパと俺を引っ張り上げる。

 俺たちは堀で、彼が縄を投げてくれるのを待っていればいい。

 しかし、

 

「……白石が来ない……?」

 

 この作戦は失敗する。

 わかっていたことだ。

 

「…………」

 

 アシㇼパには、絶対に顔を出すなと言いつけてある。鶴見中尉が彼女を見つける可能性は原作より低くなる。

 ……けれど、俺がいることで彼女の存在を悟られてもおかしくはない。それくらい頭の回る男ではある。

 死神から逃げ切るのは容易ではない。

 かつての尾形の言葉が頭をよぎる。

 白石由竹は成し遂げられなかった。時間がない。

 アシㇼパに向き直って──その小柄な身体を、力一杯抱きしめた。

 

「…………!」

 

 すぐに離す。

 大きな瞳を、真っ直ぐ見据える。

 

「行くぞ、アシㇼパ」

 

 その青が、一瞬揺らいで。

 

「……うん!」

 

 良い返事だ。小さな手を握って、勢いよく塹壕代わりの穴から飛び出す。これで鶴見中尉は確実にこちらへ気づいたはずだ。しかし、原作でも間に合わなかったのに、このロスタイムがあってこちらに辿り着ける訳はない。

 

 ──……都丹庵士、

 

 振り払う、

 

「このまま南口に向かって白石と合流するッ」

「タマ! 鶴見中尉が追いかけてきてる!」

「逃げ切れる、」

 

 走って、走って──見えた、

 

「杉元佐一!」

 

 馬小屋を燃やす。脱出の合図は、当然ながら他の人間──杉元にも伝わっていた。馬に跨り、こちらに駆けてくる軍帽の人影。

 

「タマさんッアシㇼパさん!」

 

 とりあえず、アシㇼパを先んじて彼の馬上に引き上げさせる。

 

「タマは!?」

 

 当然というべきかアシㇼパが気にかけてくれるが、問題ない。

 

「タマちゃん!」

「……アッカムイが助けに来た、」

 

 やって来た白石の馬に乗せてもらいつつ、彼の推理をもとに手薄な北口を目指す。

 

「大事なのは脱出した後だ……逃げ切るぜ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 共に逃げようというアシㇼパの呼びかけを断り、ただ1人残ったパルチザンとして、果敢に立ち向かった彼女。金の手を持つ女義賊。

 ソフィア・ゴールデンハンドは死んだ。

 誇り高き革命軍の親玉として──ただのソフィアとして、長谷川幸一と、オリガと、フィーナに詫びて、波乱に満ちたその命を終えた。

 そして、俺たちはフチとの約束を果たすため現れた谷垣源次郎、無事逃げ出せた土方歳三、牛山辰馬と五稜郭の外で合流できたは良いものの。

 今後どうすべきかについては、意見が割れていた。

 迎え撃つべきだという土方。

 逃げ切れというアシㇼパ。

 そこで、牛山が示した第三の選択肢、

 

「おい……あれはどうだ?」

 

 彼が指差す先。森から現れた、黒煙燻る巨大な鉄の塊。何、というまでもない。

 汽車……列車だった。

 ──函館駅行きの列車。

 心臓が、跳ねる。

 

「…………」

 

 ああ。

 とうとう、ここまで来た。

 この先、何が待ち受けているのだろう。否、何が待ち受けていたとして。

 俺はその時──これまでの何もかもを、後悔しないでいられるのだろうか。

 

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