【完結】「不死身(物理)なら尾形を愛せるのでは」という仮説とその検証について 作:捕まえようとした蝶
全体的にあまり気持ちのいい話ではないです。意図的に本編とは異なる内容にしていることを前提に目を通していただけると有り難いです。
52話 役目
それから、どれだけ前に進んだのだろう。
「──アシㇼパちゃん、前の車両へ! 杉元から離れちゃ駄目だ!」
ざわめきの中で聞こえたそんな呼びかけが、妙に耳へ残った。
次の車両に入ったところで足を止め。思わず、後ろを見遣る。背後の車内では既に牛山が大暴れしている。振り返った先、何もない。
こちらの車両に足を踏み入れようとしている白石が、アシㇼパを手招いているだけ。
敵の姿はない。ひとまず安全だ。
けれど、何かが引っかかった。
安全──に見える、
「白石由竹……」
そこで、ふと。
車体の上に目が行った。
本来ならば、ただ青空が広がっているだけの空間。けれど今、そこには軍服の足が、
「タマちゃ────」
そうだ。
マズい、
とっさに、
──右足に衝撃。
「うぐッ」
しかも、勢いよく連結部分に倒れ込んだせいで、鉄板にしたたか左半身を打ちつけた。
痛い。足が。全身が。
クソ……鶴見。
撃ってきやがった。
「タマ!」
俺が突き飛ばした白石が、駆け寄ってくる足音が聞こえる。その場で抱き起こされる。
「大丈夫か、」
「ッ、……ここは危険だ、」
鶴見が上から“次”を撃ってこないとも限らない。そこまで考えて。
──尾形はどうした。
まだやって来ていないのか。本当ならば、彼の妨害が入るタイミングのはずだ。
胸騒ぎがする。
「タマ」
脇からアシㇼパに呼びかけられて、はっと我に返った。気遣わしげな声音。こちらを見上げる青が不安そうに揺れている。
「……足だ。俺のことはいい、早く身を隠せ」
三十年式を拾い上げる。膝をついて、立ち上がる。
立ち上がろうと──した。
盛大にバランスを崩して、隣の白石に支えられる。
「…………」
……右足首から下の感覚が無い。
ぱっと視線を落とした先、足元には血溜まりができていた。
恐らく、アキレス腱の辺りから撃たれた。
ブーツの甲には、穴が空いていなかった。
──貫通していない。
「……面倒なことになったな」
「え?」
「行くぞ」
白石とアシㇼパを、先ほど同様、座席の下に隠れさせる。
「って、オイオイ、その怪我じゃアンタも隠れたほうが、」
白石が慌てた様子で呼びかけてくる。
……その通りだ。
両足が使えないのでは、反動の大きい小銃はもう撃てない。
三十年式の銃身を上向きに持って、銃床を板張りの床につける。これで多少は支えになる。
そして。
傍らに頽れた軍服の死体、その手から血濡れの拳銃を拾い上げて、
「────、」
パァン。
今まさに、背後からこちらに銃剣を突き立てようとしていた兵士の、皺の寄った眉間目掛けて引き金を引いた。
眼前の身体が傾いで、足元のそれと同じように床へ倒れ伏す。
銃口からは、薄く硝煙が立ち昇っている。
「……これの扱いかたを多少、土方に習っておいて良かった」
当時は、厚意を無駄にするのも、程度の心持ちで。尾形がいて、三十年式がある以上、使うことはないだろうと思っていたけれど。
人生、何があるかわからないものだ。
「タマ!」
背後から飛ぶ、縋るような声から意識を逸らす。小銃を杖代わりに、前の車両を目指す。
──……引き鉄が軽い、
反動もそれほど強くない。
でも、先の彼は死んだのだ。
俺が殺した。
「罪悪感、」
そんなもの感じない。
感じられない。
最初から無かった。
──欠けた人間。
俺のことだ。
名前も知らない誰かの、名前も知らない拳銃を、強く握りしめる。
──“彼”に聞けば、すぐに答えが返ってくるのだろうか。
ふと、その後ろ姿が脳裏に浮かぶ。
風にたなびく外套、黒い髪。
ああ。
「…………尾形……」
まだ、死ねない。
──目の前で、首筋に拳銃の一発を食らった一兵卒の身体が傾いて、視界から消える。
その一連の動きを眺めながら、頭に浮かぶことは。
屋根の上に行かなければ。
それだけだった。
──見届けなければ。
──彼の選択を。
──俺たちの、旅の終わり、
「っ、」
……背中から何か硬いものにぶつかって、はっと我に返る。
とっさに拳銃を向けようとして、すんでで振り返った軍帽の下の顔に、見覚えがあることに気づいた。
血濡れの杉元佐一が、俺を見ていた。
ぎらついた琥珀色に捉えられて一瞬、息が詰まる。
「大丈夫か」
鋭く呼びかけられる。ごく短い時間だったが、その目線は俺の足元に向けられていた。それがわかった。
「……ああ……」
向き合って悠長に会話している余裕などない。俺の緩慢な受け答えを待たず、第七師団の群れに再び向き合った杉元が、端的に二撃目を突きつけてくる。
「屋根の上に誰かいるのか」
どきりとした。
そこまでお見通しという訳か。あのほんの一瞬で。
伊達に何度も死地を潜り抜けてはいない。今までは頼もしく感じていたその勘の良さに、初めて恐怖のようなものを感じた。
──何故、そんなことをわざわざ聞いてくる?
血の味がする唾液を飲み込む。喉が張りついて、上手く動かない。
……完全には信用されていない?
当たり前か。
淡々と引き鉄を引きながら、ぼんやり思う。カチッ。弾が切れた。投げ捨てる。間髪入れずに後方の杉元が放り投げてきた新しい拳銃を機械的に受け取って、構え直す。
──被害妄想だろう。
でも、杉元には尾形と──俺を殺す“道理”がある。優しい彼が、一旦はそれを飲み込んでくれただけ。
薄汚い裏切り者。惨めな蝙蝠。
俺も同じだ。
──ひとたび裏切った奴は、何度だって裏切る。
その通りだ。
故に。
「…………」
浅く息を吸う。吐き出す。
繰り返す。
──尾形百之助が、もし。
もしも。万が一。
可能性の話だ。
この屋根の上で。鶴見中尉との対話で、少しでも心揺らぐようなことがあったとすれば。
──完全に否定はできない。
彼は俺より数段上手だし。
実際、原作の尾形は彼と会って、半ば丸め込まれていた。
そうならないとは、自信を持って言い切れない。
否、
──……こんな土壇場で今さら何を考えているのだ。
ここまで忘れていられたのに。
馬鹿げている。
何のための時間、何のための旅だったのだろう。
こんなところでわざわざ振り出しに戻して。
信じると決めたじゃないか。
撃たれた足の痛みのせいか? ここに来て、悪いことばかりが頭に浮かぶ。結局は醜い自己憐憫でしかないとわかっているはずなのに。
──意気地なし。最低だ。
……結局は、信じきれていないだけなのだ。何より、自分自身を。
欠けた人間に本当の愛などわかりはしない。
鶴見中尉がオリガやフィーナに抱いていたような感情を、俺は誰かに抱くことはできない。全ては偽りだ。
だから、何かあるたび心のどこかで疑わざるを得ない。俺がやってきたことは無駄だったのではないか。
最後の最後で、俺は鶴見中尉に出し抜かれるのではないか──と。
もし、そうなったら?
──その時、杉元は必ず尾形を殺すだろう。
躊躇なく。淡々と。
“原作通り”に。
──そんな終わりは耐えられない。
だから。
もしも、の話だ。人生に“絶対”は存在しないという、単なる事実の話。
どうしようもなくなった、その時は。
俺がこの手で、尾形を、
「……っ、……」
──痛い。
足元がぬるついている。
息を吐く。顔を、上げた。
「……鶴見中尉が、この車両の真上にいる」
「……!」
杉元が微かに息を呑んだのが、気配で分かった。
「本当か」
「撃ってきた時に姿を見た……」
一度交戦して、それきり姿を見失っていた鶴見中尉。杉元は彼の行方が多少なりとも気になっていたはずだ。
「…………」
尾形の話は、しなかった。
だって、まだ確定事項ではないから。それは紛れもない事実だ。
鶴見中尉の狙撃は滞りなく行われてしまった。少なくとも、尾形はそのタイミングには間に合わなかった。
そういうことになる。
──今、彼がこの列車にいるという保証はない。
それを察する唯一の手掛かりが無に帰された今、車内からその是非を察する術はない。
──……ヴァシリとの戦闘で読み負けて、既に死んでいたら?
やめろ、考えるな。
原作通り、彼は勝つ。
──都合の良いことだけそうなると本当に思っているのか?
筋書き通り。
ヴァシリに勝って。鶴見中尉に出会って──それで?
「……中尉が死ねば、この戦いも終わる……!」
そうだ。
殺してしまえばいいのだ。
鶴見中尉が退場すれば、全て終わる。全ての確執は無かったことになる、
──ドオンッ。
轟音。
後方の車両が、大きく揺れた。
「う……っ」
杉元よりやや車両に近い位置にいた俺は、ぎりぎりその爆風の煽りを受けた。もともと片足立ちの不安定な姿勢だったのが、それで完全に体勢を崩して、床に倒れ込む。
……寸前で、伸びてきた腕に受け止められた。持ち主の、らしくもなく焦った顔が視界にフェードインしてくる。
月島軍曹の手榴弾か。
……牛山辰馬、
「今、ッ」
「……アシㇼパと白石由竹は無事だ」
「え、」
というか、俺に構っている場合じゃない!
眉を下げる彼の背後で、これ幸いと銃剣を振り上げた兵士の腕を、なんとか撃ち抜いた。
そこで杉元もようやくこちらから意識が逸れたらしく、身体が離れる。好機だった。
「お前はここに居ろ、」
兵士の死体と三十年式を足掛かりに、屋根の覆いへぶら下がる。腕力だけで、何とか這い上がる。自分でも驚くほどの力が出た。
風が強い。
煤混じりの暴風が吹き荒ぶ中、ゆっくりと瞼を開ける。
「──────、」
目の前に広がっていたのは、
「タマさん!」
……眼下から杉元の声が聞こえた気がしたが、もう、頭には入ってこなかった。
地獄行き暴走列車、車上にて。
三十年式を携えた、尾形百之助が──至近距離で向かい合った鶴見篤四郎に、ピストルの銃口を突きつけられていた。