【完結】「不死身(物理)なら尾形を愛せるのでは」という仮説とその検証について   作:捕まえようとした蝶

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6話 深淵より愛を込めて

 家に帰っても、予想通りにと言うべきか、尾形はいつもと変わらぬふうを装っていた。

 やはり祖父母には、初めから言うつもりがなかったらしい。

 それならそれでいい。俺は構わない。わざわざ告げ口しようなんて気にも、もちろんならなかった。何の得もないし。

 まあ、その点はともかくとして。祖父母がいる家の中であれこれ聞くのも気が引けて、結局一日中何も話せないまま、床に就くことになってしまった。

 元トメの私室である自室で一人、布団に横たわってぼうっと思案を巡らせる。失踪した挙句に自殺した女の部屋なんて不気味だ、とは思わなかった。俺は霊魂など信じない。

 

「……大丈夫かな……」

 

 漠然とした不安に襲われて寝つけない。

 原作開始までに重要なイベントは、あと3つ。

 祖父母。勇作。幸次郎。

 最初に関しては、夕食が何事もなく済んだのでクリアしたと思いたい。一応、何か入れたりしていないかはチェックしておいたし。

 あとの2つは……もはや俺が関与する余地がない。答え合わせにも数年かかる。そして尾形が素直に本当のことを話してくれるとも思えない。それが心配だ。

 

「生き霊でも飛ばして邪魔できればな……」

 

 霊魂など信じないと言ったくせに。

 セルフツッコミである。

 まあ、信条を捻じ曲げて霊だの何だのに縋りたくなるくらい、悩ましい事象なのは確かだ。

 

「…………まあ……今さら考えてもしょうがないか……」

 

 ていうか、もう寝よう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 冷気が肌を撫でる感覚で、沈み込んでいた意識が浮上する。

 閉めたはずの襖が開いて隙間風が吹き込んできた──というよりは、もっと身近に感じるそれ。例えて言うなら、掛け布団を持ち上げたとか、そういう。

 

「ぅん……?」

 

 寝返りを打った弾みにでも、うっかり布団を捲ってしまったのだろうか。寝相はいいほうなはずなのだけれど。

 いや、寒い。

 目を閉じたまま、布団を引き上げようと手を伸ばして。その指先が、自分ではない何かにぶつかった。……え、ぶつかった?

 普通では有り得ない状況を理解して、一気に覚醒した次の瞬間、

 

「んゎ」

 

 ダメ押しのごとくべちん、と顔面に落ちてくる、柔らかくて薄っぺらい何か。

 ぐえー、息ができない。

 慌てて布団から手を出して、それを退けたところで。覆いかぶさる影の存在に気づく。

 ここでTips。死んでも生き返る、以外の俺の数少ない特技(と言っていいのか)に『夜目が利く』というのがある。まだ夜明け前なのだろう、漆黒に満ちた部屋の中でも、俺の目はその闖入者をはっきり見定めていた。

 寝巻き代わりの浴衣を身に纏って俺を組み敷く、

 

「ひゃくのすけ、」

 

 暗がりの中で、その特徴的な瞳はぼうっと光を放っているようにも見える。

 ああ、どうやら俺の顔面をビンタしたのは、彼の浴衣の袖だったらしい。

 昨日の今日で、まさかあの男が懲りずお礼参りにでも来たのかと思ったが。今度こそ、尾形百之助だった。まあ、別にそれは何ら安心材料にはならないのが悲しい辺りだ。

 

「どうしたの……」

 

 何か知らんが眠いからとっとと帰れ、とはなから突っぱねる訳にもいかず。浮かんできたあくびを奥歯で噛み殺しながら、無言のままの彼に水を向けてみる。

 

「…………」

 

 だんまりか。何か言えよ。

 まさか、北海道に行く前に“思い出作り”がしたかったとかそんな訳でもあるまいに。いや、普通の男が夜更けに布団へ忍び込んでやることなんてそれ以外ないのだけど、尾形百之助は普通じゃないから。

 嫌な予感がさっそく実を結んだ。

 わざわざ出立を告げてきたのは、布石だったのだろう。何かの。

 思考のローディングでも終わったのか、尾形が伏せていた目を上げて、俺を見る。

 

「……花沢勇作は」

 

 あーもうこの時点で『嫌』しかない。

 なんで花沢勇作の話を俺に振る。昼間、どんな人だか教えろとか言っちゃったから?

 

「父に愛された息子は……満ち足りた、高潔な人間だと思うか?」

 

 おっと、しかもなんかさっそく究極の二択を突きつけられていないか?

 Yes→お前たちのような奴らがいて良いはずがないんだ

 No→俺と同じ人間なら父上に愛されるために邪魔だな

 ……ですからね、原作の理論で言うと。つまりどっちに転んでも詰み。

 あれ、もしかして勇作殿の命運、今の俺に懸かっちゃってる? こんなクソ眠いのに。

 

「高潔な人間……」

 

 近ごろ尾形語に慣れすぎて何も感じなくなっていたが、尾形の言う『高潔な人間』というのもそこそこ謎の概念である……眠い。

 

「……高潔な人間、とは?」

 

 幸次郎、今思うと聞かされてた話だいたい尾形語しかなかったけど、本当に意味わかってたのかな。かわいそうになってきた。

 高潔な人間。尾形が譫言のように繰り返す。

 

「……清いままでいようとする人間」

「…………」

 

 高潔の敷居低すぎない?

 ていうかお前、尾形語の説明に尾形語使うのやめろ。パルスのファルシのルシがパージでコクーンかよ。

 まあ……うん、でも、尾形の周りにいた清いままでいようとする人間、マジでアシㇼパと勇作くらいしかいなかったね。他はどいつもこいつも人殺しに抵抗ないし。

 

「…………わからなぃ……」

 

 眠すぎて目が開かなくなってきた。

 ただ、俺が明らかに寝落ちかけていることに関する尾形からのコメントは特にないようだ。寝てしまっても構わないと思っているのか、指摘する余裕がないだけか。

 

「わからない?」

「最初の、問い」

 

 だめだ、あくび出る。ぎりぎり手で覆えたが、かなりデカめのが来た。

 

「ふゎ、…………俺が答えることが、今後のお前のためになるとは思えないし……」

 

 明確な回答を、放棄しよう。

 尾形の土俵に乗って、まだ見ぬ勇作を評価すること自体が間違っている。そう考えるしかない。そもそもが尾形流の問いにどんな根拠を与えてやってもしょうがない。

 

「花沢勇作は、尾形百之助のために生きている訳ではないから」

 

 今の俺が出せる答え。

 尾形は勇作の存在を『もう1人のボク』的なニュアンスで捉えていたのだと思うが。まずそれが間違いのもとだったのだろう。

 

「勇作の道はお前の問いのためにある訳でも、……証明のためにある訳でも、ない」

 

 勇作は、ひとりの弟として。尾形のことを、ひとりの兄として愛していたのに。

 

「花沢勇作はお前じゃない」

 

 だから、理解できなくてもいい。

 その魂も、心も──愛も。

 だけど、否定しないでくれ。花沢勇作はただ、息子として、弟として、将校として、精いっぱい自分を生きていただけなのだから。

 皆に求められた偶像であろうとした、ただの青年だった。

 

「彼を見て……お前が何か思うことがあるとすれば……それはお前の問題なんだよ……」

 

 すみません勇作殿、こんな状況でなければもっとまともな話ができたかもしれないが。尾形のせいとはいえ、よりによって半分寝てる時の俺なんかにその命運を託す結果になってしまい、本当に申し訳ない。

 ……というか、尾形の人生で祝福チャレンジやってる今の俺が言ってもクソブーメランだよな。やめてくれ、その技は俺に効く。

 

「いいだろ、弟……悪くないもんだ……俺にも似たようなのがいるからわかる、」

 

 兄であると受け入れることも、弟として愛することも叶わなかった。でも、決して悪いものじゃないはずだったんだ、それらは。

 ああ、勇作殿。

 会ってみたかったかもしれない。きっと、203高地を生き延びても難しいだろうけれど。

 

「…………」

 

 尾形はまた黙っている。

 もう寝ていい?

 

「……もうひとつ、聞きたいことがあった」

「…………」

「…………」

 

 えまだあるのぉ、みたいな顔をしてしまった自覚はある。もうダメ、眠くて。ぶん殴ってないだけ我慢しているほうなんだ。

 ただ、それでめげる尾形ではないらしく。何でもないように続けてくる。

 

「今朝、なぜ俺を止めた?」

 

 え? 今さらその話?

 

「ずっと考えていた。……口ではどう言っても、お前も俺と同じように、人を殺しても罪悪感などない存在なのではないか? お前が言った通り、両親の愛がないお前は全てが欠落した人間なのではないか、」

 

 同じようにって、お前が殺してるのは他ならぬこの俺なんだけど。いい加減にしろ。

 さっきの会話が一切活かされてない質問来ちゃったな。

 

「どちらにせよ、お前が人を殺せばわかることだと……でも、そんなことそうそうある訳もない。だから、諦めていた。だが──機会は訪れた」

 

 今朝のことを言っているのか。

 ……いや、なんかデジャヴ。これ樺太でアシㇼパが言われてたやつじゃないか?

 

「……あの時……お前が俺を見過ごすことに期待していた……」

 

 そこで、掛け布団の奥の暗がりで何かが煌めいた気がした。薄い生地越しに、それが腰の辺りに触れる。何か妙に冷た──いやこいつ抜き身の包丁持ってるんデスケドー。見えたくなかったよ。勘弁してくれマジで。

 寝所に持ち込むな、出刃包丁を!

 なに、何……なの? どういう心境?

 まさかここで、アシㇼパや勇作にした殺ハラ(※殺害ハラスメントの略。戦場などにおいて尾形から殺人を強要されること。断ると逆に殺される)かます気か?

 もしかして部屋の隅とかに『そこで、今朝の男を縛ったものがこちらになります』とかが既にご用意してあったりする?

 慌てて視線をやったが、とりあえずそれらしきものはなかった。この時代の尾形はそこまでキマっていなかったようだ。いや、別にやってたとしても全く驚きはないけどね。

 閑話休題。

 

「──でも、お前は俺を止めた」

 

 あ、まずい、しかもなんかまたよくわからんうちに地雷を踏んでいた気配を感じる。

 危険が危ない雰囲気の前で二の句が継げない俺を置き去りに、尾形はいっそ暢気な仕草で坊主頭を掻いてみせる。

 

「……まいったな……俺が男だからわからないのか? 女というのは、自分を陵辱しようとした男を殺したいくらい憎むものじゃないのか? それは道理足り得ないのか?」

 

 物騒な独り言。そんなこと言ったら俺も別に女じゃないからねえ。

 

「やはり俺がおかしいのか?」

 

 それは否定しないぜ。

 ……ヤバい、何か答えないとだろう。こういう時の尾形って、放っとくと最悪の自己完結しがちだからな。

 

「…………殺すなんて取り返しのつかないこと、そう簡単に決められるものじゃない」

 

 一般論で茶を濁すしかないか。

 別に……殺してもよかったけど後処理がめんどいし、尾形の教育にも悪いし……なんて本音は間違いなく口に出してはいけない。

 

「よく知りもしない人間だ。それだけで殺そうとまでは思えない、……思う意味がない」

 

 嫌なことをされたら何でもかんでも殺人に繋げる人間、いないとは言わないが、間違いなく異常者だからな。

 それに、俺は別にあれに対する怒りがある訳じゃないし。犯罪行為なのは前提として、行動原理は理解できるし、結局は何もされなかったのだから、恨みようもない。

 要するにどうでもいい人間、

 

「つまり──どうでもいい人間だったからだ、と?」

 

 見抜かれてんでぇ。

 うーん、バッドコミュニケーション!

 

「……そうでないなら恨んだのか? お前にとって手を汚す価値のある男ならば」

 

 俺に尋ねるというよりは、自らに確かめているような雰囲気の呟きだった。虚空を見つめる尾形が首を傾げる。

 

「今──俺がお前を手篭めにしたら、」

 

 おもむろに、するりと袷目から入り込んでくる指先。長襦袢を着ていないので、素肌に直接その温度を感じる。冷たい手だ、と思った。

 あいつの手は熱いくらいだったのに。案の定、男として昂っている訳ではないらしい。

 尾形がぐっと顔を寄せてくる。

 

「お前は俺を憎んで、殺すのか?」

 

 ……結局、主体はそこか。

 拍子抜けはしなかった。最初からわかっていたことだった。

 

「……出来もしないことを言うのはよせ」

 

 鎖骨を覆うだけの中途半端な位置で止まった手に、自らのそれをゆっくり重ねる。なぜか小さく跳ねる体。手篭めにするというなら乳くらい揉んでみせろ。何だこの手は。

 ……尾形に俺を犯す度胸があるとは、とてもじゃないが思えなかった。遊廓だって行き慣れてるふりだったろ。

 それに。

 昼間のことを思い返す。男に向けられた、尾形の刺すような眼差し。

 

「俺のことが大切なくせに」

 

 ──実際、俺が未婚の娘として致命的なスティグマを刻みつけられ、その結果として人間を殺すところを見たかったのならば。

 あの時あのまま、事が済むまで放っておけば良かったのだ。

 尾形のそれはブラフでも、あの男は本気だったのだから。終わった後にさもたった今やって来ました、という顔をして現れ、慰めついでに銃でも渡しておけば、それでお膳立ては揃う。それだけで良かったのに。

 殺す価値もない、というのは結局のところ未遂で済んだ俺の所感であり、実際にレイプされていたらまた違う感想を抱いていたかもしれない。俺は別に前世でも性被害なんか受けたことはないし、それが実際、心身にどんな影響を及ぼすのかなんて想像もつかない。

 もしかしたら、去勢を肯定するだけでは飽き足らず。

 あの男を自分の手で殺してやりたい、と思った──のかもしれない。

 でも、尾形は怒ってしまった。

 

「…………、」

 

 自らの検証を自分自身の手で台無しにした。

 その自覚があるのかないのか、尾形は虚を衝かれた表情で黙り込んでいる。

 

「大切……? 俺が……?」

 

 呆然。その一言が似合う漂白された雰囲気に、自然と体に力が入る。昔から、こいつの意表を突いたことを言うと大抵ロクな目に遭わないからな。

 視線が泳ぐ。何かを探し求めるように、落ち着きなく。振り子のごとく左右に揺れていたそれが、ぴたりと。前触れなく止まった。

 

「…………ァあ、そうか」

 

 妙に据わった声音に、鳥肌。

 いや、何か危ない予感──

 

「大切なものを壊して何も感じなければそれこそが俺に罪悪感など存在しないことの証明になる」

 

 は? おい、

 

「う、────っ」

 

 尾形がひと息にそれだけを言って。

 それを聞いた俺が嫌な話の転び方に身構えるより早く。

 彼の手によって、俺の下腹部に埋め込まれる出刃包丁の切っ先。そのまま、力任せに押し込まれる。

 許容範囲外の、“死”に直結するストロングな苦痛に、一瞬意識が飛びかけた。

 おいおい入れるものが違うだろ──って馬鹿。

 下ネタ言ってる場合じゃない。

 マジで、なんなの、こいつ?

 

「ぁ……ガッ」

 

 脇腹に近い位置に刺さったそれが。尾形の手によってご丁寧にも真一文字の軌道を描いてから、引き抜かれる。殺意しかない。絶対にこの場で殺すという強い意志を感じる。

 内臓が無事ぐちゃぐちゃになったおかげで、死期は確実に早まった。視界がみるみるぼやけていくのがわかる。

 おい、道理はどうした、道理は。普通にこれ逆上して刺しただけだよね?

 

「……憎いか? 俺が」

 

 声が、微かに震えている。

 ──尾形は、俺にどうなってほしいのだろう。“大切”であるはずの俺を殺して、自分も苦しんで。一体、何が欲しいのだろう?

 茫洋とした悲しさだけがそこにあった。

 急速に体温が失われていく。布団に広がる血溜まりから、儚い生命の温もりを感じる。もはや今の俺には取り戻せないもの。溢れ出て、あとは冷えて固まるだけ。

 死。今までで一番、明瞭にその足音を聞いている。ああ、もう時間がない。

 

「尾形──」

 

 さっそく虫の息な俺の呟きに、尾形が真剣な表情で耳を寄せてくる。──呪われろ、とでも言うと思ったか?

 残念、はずれだ。

 

「──こんな真似はもうやめろ、」

 

 彼が、暗がりの中で微かに目を瞠った。それが見えた。

 最後の力を振り絞り、手を伸ばして、彼の頬を包み込む。血濡れた指が青ざめた肌に赤い3本線を描く。

 

「お前のことが……心配なんだ……」

 

 黒目がちの瞳が静かに細められる。同じ血にまみれた手が、恐る恐るといったふうで上から重なった。

 温かい。熱いくらいだ。つい先ほどまで冷たく感じていた指だった。もう死ぬのだな、と他人事のように思った。

 尾形が俺を見ている。自らの興味を満たすように、瞬きさえせず、真っ直ぐに。

 

「……何故?」

 

 薄れゆく意識の中、絞り出すような尾形の問い。ああ、これが「さよなら」の代わりなんて、本当に俺たちの関係はさんざんだ。

 ……否、「またね」の代わりなら、及第点くらいはもらえるかもしれない。

 震える唇を、薄く開く。

 

「愛しているから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──7年近く前のことを、今も昨日のことのように思い出せる。

 

 目が覚めたら。

 血まみれだったはずの布団も服も出刃包丁も跡形もなくて、代わりに尾形が使っていた布団一式が敷かれていて、俺はその中に横たわっていた。

 けれど尾形百之助はもういなくて、置き手紙だけが残されていて、祖父母はてんやわんやで。何か知らないかと何度も聞かれたが、知らない、で突き通した。

 それからずっと、待っていた。

 時が満ちるのを。

 

「…………」

 

 畑の脇に立って見上げる、薄紫色の雲がたなびく空は、あの時と何も変わらない。そこを渡っていく鴨たちも。

 スリングで肩に掛けた小銃、その撃鉄を半分起こして、引き鉄の前にあるレバーを下げる。もう一度上げて、銃弾を装填する。最後に撃鉄を完全に上げきって、おしまい。

 あとは、引き鉄を引くだけだ。

 弾数は七発。帯の上から腰に吊るした弾薬入れが耳障りな音を立てる。

 

「よしよし」

 

 年季の入った銃身を、軽く撫でる。冷たく滑らかな感触は、何となく彼の肌を思い出す。

 

 ──尾形百之助の、忘れ形見。

 

 祖父のものだった小銃。まともに撃てるようになるまで、色々と大変だった。

 何せ祖父は女に銃など教えてくれないし、かつての尾形もそうであったから、現代日本人の俺は全くの独学で銃の撃ち方を覚えなければならなかったのだ。

 この銃とにかく不発が多く、扱いを誤って手指を吹き飛ばしたこともある。ひどい火傷を負ったことも、一度や二度ではない。その度に俺は俺を“リセット”せざるを得なかった訳だが、そんな辺りも尾形に似ている。

 まあ、そんな思い出話はいいのだ。

 いざ狙撃、と構えたところで、

 

「タマ、」

 

 背後からの声に、意識が引き戻される。あれからさらに歳を取った祖母の声だった。

 

「…………」

 

 用件は1から10までわかっている。飽きるほど繰り返されてきたやり取りだ。もはや振り返って確かめるまでもない。

 

「……また縁談ですか?」

 

 ははっ、と吐く息とともに笑う。同じ笑い方の誰かさんを脳裏に浮かべながら。

 祖母が小さく唸る。

 

「齢26にもなる嫁き遅れでも、意外と有り難いお話は来るものですなあ」

 

 ──縁談。

 尾形がいなくなり、当初は祖父母も慌てていたものの。1ヶ月も経つ頃には、これ幸いとばかりに見合いの場を設けてくるようになっていた。思ったより早かった。

 ……というか、尾形の存在が疎ましかったのだろう。年頃の娘とべったりな、血の繋がらない個性的な美形。しかも銃持ってる。相手の男が尻込みしてもおかしくはない。

 だから遠慮していたけれど、その必要がなくなった。……それにしても、24くらいになれば落ち着くと思っていたんだけどなあ?

 

「……ふう」

 

 一旦銃を下ろして。わざとらしく、背後の彼女にちらつかせる。

 

「……それで? お相手の殿方は、冬場は毎日銃を持ち出して鳥を撃つ女を御所望で?」

 

 世は明治。女は家に入り、子を産み育てることだけを求められた封建の時代。

 銃の扱いに長けた青年は軍人としての将来を期待されるが、生娘ならばただの異常者だ。

 言うまでもなく見合い市場では明らかな減点要素なので、大体の男はエイリアンを見るような目をしてくるのが面白い。加えて尾形の話をしておけばパーフェクトだ。

 俺は明治の女ではないので、当時の価値観で周囲に気狂い扱いされようが痛くも痒くもないのであった。どっとはらい。

 

「タマ……おめんこど、あずってんだぁ」

 

 心配なのだ。……尾形にそう囁いたことを、朦朧と思い出す。

 

「たのむど、おれらんこど、あんきさしてくれっけ?」

 

 祖父母が俺に抱く感情と、俺が尾形に抱く感情はよく似ている。だからこそ、思うところがない訳ではない。

 けれど、

 

「ばさま、そうだごど言ってもしゃあんめ」

「っ、」

 

 覚えたけれど、ついぞ使うことはなかった茨城弁。ぽつりと呟くと、祖母が息を呑んだのがわかった。

 

「……そうですね。おばあ様の不安ご尤も。捨て子の分際で育ての親さえ不幸にするこの身の非情さ、我が事ながらお詫びの言葉も御座いません」

 

 尾形が毒を盛らなくても、娘は行方不明、その子は黙って家を出ていき、ただ1人残された養女も嫁ぎにも行かず猟の真似事に精を出しているようでは、彼らの不幸具合は原作と大差ないのではないか。

 そんなことを考えながら、遥か頭上を行く鴨の群れを見上げる。

 

 ──でも、俺はこの養父母を祝福するためここまでやってきた訳ではないのだ。

 

 木枯らしにはためく前髪を、そっと後頭部に撫でつける。ゆっくり振り返り、作った微笑みを彼女へ向ける。

 

「でも私、やるべきことがありますので」

 

 

 

 

 

 

 

 タァン──いつもどこか遠くに感じていた銃声を、すぐそばで聞く。

 空を渡る鳥影は、ひとつ減ってみっつ。また今日も鴨鍋だ。尾形がいなくなっても結局、冬はそれ以外を食べていない。

 まあとにかく、本日も命中。

 

「……うん。今日も絶好調」

 

 レバーを握って、排莢する。──あぶね、この空薬莢がまた熱いんだよな。

 

「1907年2月」

 

 全ての始まり。

 そこで、俺は俺の19年間が無駄ではなかったことを証明しなければならない。

 長い長い下準備も、これでようやく終わり。さあ、実証の時間だ。

 

「待ってろ、尾形百之助」

 

 北の方角を見つめる。

 自然と笑みが浮かんだ。

 

「俺がお前を祝福してやる」

 

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