「『多元宇宙論』という理論を知っているかね?」
12月よりずっと前の、とある日の休み時間。その場に集まったウマ娘同士でトランプ遊びをしているさなか、アグネスタキオンは周囲に対してそう問いかけた。
「たげんうちゅーりろん?」
その言葉に首を傾げるハルウララ。他のウマ娘も差はあれど似たような反応を示す。
「宇宙は膨大な数あるからその中には似た世界があるってヤツだろ?」
面倒臭そうに参加していたエアシャカールが、ますます面倒くさそうな態度でアグネスタキオンを睨む。
その態度に、アグネスタキオンは愉快そうに笑って話を続ける。
「うむ、その通りだ。その中には我々が男であったり女であったり……はたまたウマソウルが宿った違う生き物として過ごしている世界が存在してるかもしれない」
「ロジカルじゃねぇ……」
エアシャカールがぼそりと呟く。それは他の者達も同じ気持ちだった。そもそもそんな突拍子もない仮説を聞かされても現実味がない。
「いやいや、案外そうでもないのだよ。例えばトランプ二組の山札を完璧にシャッフルして、全てがランダムな52枚のカードが同じ並びになる確率はどのくらいか?」
「68桁分の1」
エアシャカールが大雑把に即答すると、アグネスタキオンはまた愉快そうに両手をパチパチと打ち鳴らした。
「うむ、おおよそ正解だ。……さて、こうやってトランプ遊びをしているだけでも数多のIF(もしも)が発生する事になる。それを全ての物事に当てはめていれば、天文学的な数字が相手といえど確かにロジカルな数字に思えないかもしれない」
アグネスタキオンの手番となり、ハルウララの手札を一枚引こうとする。
「だがしかし。私がこのまま『ババを引かない』か『ババを引く』かの世界ならどうだろう? 私がプランAとBどちらを選ぶか。その程度であれば確率の差はぐっと縮まる」
そういってわざとらしく散々悩んだ演技を挟んだ挙げ句、ハルウララの手札からジョーカーを引いた。
「やったぁっ!!」
「おぉ、なんという事だ」
ババ抜き対決でハルウララの勝ち上がりが決まって、ハルウララ大はしゃぎ。
挙げ句、アグネスタキオン経由でババを回されるハメになったエアシャカール。あまりのくだらない茶番にこめかみに青筋を立てる。
「てめぇ! ウララの顔色窺ってただけだろ!! 100%プランBの世界線しかねぇじゃねぇか!!!」
「わかんないよ? 私がイジワルで他のウマ娘に道を譲らないプランAの世界があるかもしれない」
「んな話でけむに巻くな! 次だ! 次でテメェ負かしてやる!」
挑戦状を叩きつけられてやたらイジワルそうな笑みを浮かべるアグネスタキオン。他のウマ娘にはエアシャカールが惨敗するプランAの平行世界が見えていた。
トランプが終わった後も「たげんうちゅーろん」に興味を示したハルウララがアグネスタキオンに話をせがむと、快く解説を続けてくれた。
「勉強熱心だね。ウララくん」
「えへへー。トレーナーがね、勉強は良いことだって!」
「うむうむ、では例え話からしようか……もしも――多元宇宙の様子を尋ねられる《もしもボックス》という道具があったとしよう。これは『IF』と『もしもし』と電話ボックスを掛けたシャレだがね……」
ハルウララにアグネスタキオンのシャレはよく分からないが、行儀よくかしこまった姿勢で話を拝聴した。
――もしも、もしも、もしも。そのお話のように沢山の世界があるなら、どんな世界で自分が生きているのか。それは想像すればするほど楽しくなる。色々な並行世界で、色々なトレーナーの元で、色々なハルウララがいる!!
もしも、地方競馬場にしょっちゅう遠征してそのレースを盛り上げる明るくて人気者のハルウララだとしたら。
もしも、ワガママな飽き性でブルマを穿くのがちょっと恥ずかしいと思うハルウララだとしたら。
もしも、グラスちゃんみたいに有馬記念を勝てるようなすっごく強いハルウララだとしたら。
もしも、一回も勝てないおちこぼれな仔だとしたら。もしも、負けた方がみんな喜んでくれるハルウララだとしたら。
「………………」
ハルウララは昼食後の眠気でいつの間にか、少しだけ眠っていたらしい。
ふと、目を開けるとそこは資料室の前。確か東条トレーナーが、西崎と宗石のいる場所まで案内してくれたのだったか。
『ウララさんはそうじゃないかもしれません』
『そんなウララは自分が勝って誰かを泣かせると想像すると、恐怖を抱いて足が重たくなる。と』
二人は何やら小難しい話をしているようだ。
宗石トレーナーにキングちゃんが呼んでたよ、って伝えなきゃいけない。
そう思いながらも、何故か部屋に入る勇気がない。
身体が勝手に震え出す。それは寒くてしょうがないわけでも、怒られるのが怖くて泣き出しそうになっているのでもない。
「……あはは、なんでだろ。風邪ひいたのかな」
不思議と頭の中がしびれた。きっと、二人とも何か大切な話をしているのだろう。
だから邪魔しないようにしなきゃいけないと自分に言い聞かせて、資料室の前から去ろうとするウララ。
すると不意に部屋のドアが開いて、ウララは驚いて後ずさった。
「ウララさん?」
宗石トレーナーがハルウララ以上に驚いた顔を見せる。そしてすぐに問いただされた。
「もしかして今の話、聞いてました?」
「ううん、聞いてないよ?」
表情をパッと変えてそう述べる。嘘はついていない。ハルウララはその話の内容など知らない。
ただ自分の事で話をしていた、という事だけが分かっている。
「あ。あのね! キングちゃんが探してたよー、って伝えにきたんだけれど……」
ハルウララはそう言って話題を変えようとしたが、小春は困り果てたような表情を浮かべてしまった。
「ウララさん。私はウララさんの気持ちを知りたいんです」
「私の気持ち?」
「……こう、他のウマ娘が悲しむのがイヤだなー、とか……」
少し遠慮がちに宗石は質問する。それに対してハルウララは首を傾げた。
「うーん、確かに他の子が悲しんでたらイヤだけど……でもウララだけじゃなくて他のみんなもそうだと思うよ?」
ハルウララはそこまで言うと屈託のない笑顔のまま口を閉ざした。宗石は迷った末に、再びウララに問いかけようとした。
『みてられないわ。昔から思っていたけど、あなたはウララさんに優しくするあまり押しが弱いのよ』
何処からか小春に対する叱咤が聞こえてきた。そちらの方をみると、腹話術人形を抱えたキングヘイローがいた。
腹話術を介して指摘しているようだが、その言葉に小春はぐうの音も出ない。
「た、確かに私はウララに対して過保護すぎかもしれませんが、だからこそ今回はこころを鬼にして……」
すると、キングヘイローは抱えていた腹話術人形を小春に無理矢理押し付けてくる。
『ウララさんが未勝利戦で勝てないのは、自分が一着を取って誰かを悲しませるのを忌避しているのが原因ではないかと指摘したいんです』
「……っっ!!」
突如として、歯に衣着せぬ言葉が腹話術人形から発された。小春の頭の中には焦燥感が渦巻く。
――なにこれ録音カセット入り!? それとも未来のひみつ道具ってヤツ!? そんな事はどうでもいい、早く止めなければ……。
『もし次のレースで勝たなければ、私はウララさんと担当をやめなければならないんです』
「え……」
小春が困惑して戸惑っている内に発される言葉。それを聞いた途端、ハルウララの笑顔がぐしゃっと崩れる。
「まさか、それすらも伝えてなかったの?!」
『ウララさんだって、中央からお引っ越してみんなとお別れしなければいけなくなるんです』
そう聞いたハルウララは、キングヘイローの方へすがるような視線を投げかける。
キングヘイローも宗石の事を言えなかった。二人ともウララへ下手にプレッシャーを掛けたくなかったのだ。
『だから、なにがなんでもウララさんに勝たせなきゃいけないんです』
腹話術人形から放たれる言葉には、強い決意が込められていた。
――宗石小春。お前は何を格好つけて当たり前の事を言っているんだ。それは私達トレーナーとして当たり前の事。彼女達を勝たせるのは、ウマ娘の運命を導くトレーナーとしての使命であり我々の責務だ。
だからウララさんにはクラシックの9月がタイムリミットである事も、負け続ければ中央から離れなければいけない事も、貴女が勝つ事でたくさんの人が笑顔になれるって事も、ぜんぶぜんぶ教えてあげなければいけなかった事なのに。
『……ほんっと。トレーナー失格だなぁ私……』
腹話術人形からそういう言葉が漏れ、小春の両目からぼろぼろと涙が溢れた。
「トレーナー。ないちゃだめだよ……?」
ハルウララは宗石トレーナーの顔を見上げておろおろとする。キングヘイローも下唇を噛んで泣きそうな顔になっているから、いよいよハルウララ自身も泣きそうになって収拾がつかない。
「……おいおい、騒がしいと思ったらなんだこりゃ?」
そういう騒ぎの最中、西崎トレーナーが資料室から様子を見に来てくれた。
「へー、これが未来のロボットがよこした21世紀のひみつ道具……」
『こりゃおハナさんに渡したら面白くなりそうな道具だなぁ』
西崎トレーナーはえんえんと泣いている宗石トレーナーから腹話術人形を取り上げて、自分の本音を喋らせて遊んでいる。
(ホント、普段の振る舞いと本音に差が無いわねこの人……)
改めて西崎トレーナーの人柄を再認識するキング。ともかく気を取り直して。
「ウララ」
西崎トレーナーは全員が落ち着きを取り戻したのを確認してから、多くは語らずハルウララに腹話術人形を押し付ける。
そして、ハルウララはぎゅっと腹話術人形を抱き締めると意を決したように小春の前に立った。
『トレーナー、泣かないで。トレーナーが泣いたら私、悲しくなるよ……』
それを聞いた小春の目から、またぽろりと大粒の涙がこぼれ落ちた。
「うぅう、ごべんねぇぇぇ……」
「ウララが泣いてないのにお前が泣いてどうする! ちゃんと最後まで聞いてやるんだ!」
西崎トレーナーから小春へ叱咤が飛ぶ。それを横で聞きながら、ウララは腹話術人形を使ってぽつりぽつりと話を続ける。
『……私ね、トレーナーとも中央のみんなや、商店街の人達とも別れたくない。走って走って、走り続けて、みんなを笑顔にさせたい。ウララ、走るの好きだもん』
小春も涙を拭いてウララの言葉を聞き入れる。キングヘイローや西崎もその言葉に頷いた。
『勝っちゃう事で他の子が泣いちゃうかもしれないけれど……それでも負けて喜ばせるより、勝ってみんなを喜ばせる。だから、ウララ、頑張るよ。トレーナー』
その瞳には真剣勝負への覚悟と、勝ちたいという闘志の炎が宿っていた。
やる気が上がった。
「ワクワククライマックス」のLvが上がった。
「あきらめ癖」が治った。
「…………いいの? 透明マント脱がなくて。せっかくだから輪に加わってもいいんじゃない?」
彼女たちを遠巻きに見守るドラえもんとのび太。
どうやら『透明マント』という姿かたちを隠せるひみつ道具を使って、様子を見に来たらしい。
ドラえもんがそう呼びかける方向からズビズビ鼻水をすする音がする。
「よがっだねぇぇぇウララぢゃん……よがっだあぁぁ……!」
なんだか黙り込んでいると思ったら小春トレーナー以上に大号泣していたらしい。
やれやれと呆れるドラえもん。
「まったく、ウララちゃんのレースはまだ始まってもないんだよ。それにウララちゃんに負けないようにのび太くんも勉強を頑張ったり――」
「あぁぁあよがっだぁぁぁ」
――……自分が勉強しなきゃいけないという話になったら今度は大げさに泣き声をあげたなコイツ。
ほとほと、感心していいのか呆れていいのか分からなくなってきたドラえもんであった。