「えっと、わたしハルウララ! 今日はよろしくね!!」
「ん、あぁ。あたいはアリスブルー。よろしく」
レース場の選手控え室。それぞれが思い思いにレースまでの時間を過ごす中、ハルウララは他のウマ娘を見かける度に顔を合わせて挨拶を交わしていく。
大半の者は最初こそライバルに対してピリピリとした空気をまとっていたが、ハルウララの態度に毒気を抜かれたかのように警戒心を解いていく。
「んー……あれぞ愛嬌ってやつだねぇ」
出走者16人の中でも体躯に恵まれた『アリスブルー』という名の鹿毛のウマ娘。彼女は自分にも物怖じせず話しかけてくるハルウララに感心するように呟いた。
すると、その横にいたウマ娘も微笑ましそうにクスクスと音を立てる。
「アリスさんったら……でも、確かにウララさんって、本当に素直で可愛らしいですよね。ウララさんの笑顔を見てると、なんだか癒やされます~……」
そう言いながら柔らかな笑みを浮かべるのは、レース前だというのに緊張感の欠片もないゆるふわな雰囲気を持つ青毛のウマ娘。
――こういう奴らばっかだといいんだがなぁ。
そう思ったが、アリスブルーは口に出さない。その代わりに、部屋のすみっコに視線をやった。
その先にいたのは、一人だけ輪に入らず壁際に佇む小柄な栗毛の少女。
「あ、あっちにも……よーし、15人目。あの人で全員に『ハジメマシテ』のご挨拶達成だ!」
「あー、あれはやめとけ」
ハルウララに対して、アリスブルーはむんずと頭を掴んで制止した。
「どうして? 挨拶はいいことだって、トレーナーが……」
ウララは不思議そうに首を傾げる。するとアリスブルーは小さく息を吐きだしてから、言った。
「彼女は失恋したばかりなんだ!!」
「えぇ!? そうなの!!?」
雑な冗談を言いのけたアリスに対して栗毛のウマ娘から露骨に殺気が飛んできた。いや殺意か。
ともかく気を取り直して。アリスブルーはハルウララに対して、内緒話をするように耳打ちをする。
「っつーのはウソだけど……あいつには近づかない方がいいぜ」
彼女は声のトーンを落として忠告をした。明らかに敵愾心バリバリな相手だからだ。
――どういうわけだか知らないが、あのウマ娘は選手控え室に集められた時からウララを鋭い目で睨んでいる。
でも理解出来なくもない。他のウマ娘だって初めはハルウララを警戒してた。なんせ格下からの推薦出走だ。
1勝クラスと同じくらいの実力があるって認められてなきゃ推薦なんてまずされない。
それに推薦出走されたヤツってのは目立つし、いかにも主人公って感じがして花がある。
闘争心バリバリってヤツにとっちゃ、そりゃー面白くないってもんだろう。
「まー、ウララっちは他の14人と仲良しするだけで満足しといた方が……」
「はじめまして! 私、ハルウララっていうの! 今日はよろしくね!」
「んんんんん!?」
いつの間にか栗毛のウマ娘の元まで行ったハルウララの明るい挨拶。
アリスや他のウマ娘が固唾を飲んで見守る。殴り合いなんて事になったら、自分達が止めなければならない。
栗毛のウマ娘は、丸くなりかけていた眼を再び細くしてウララを睨みつける。
「あぁ?」
恫喝じみた態度を取る。しかしハルウララは朗らかに笑いながら、握手を求めるように手を差し出した。
それに対して、栗毛のウマ娘は何も言わずに黙り込んだまま。それでもウララはニコニコとする。
そしてしばらく経って、栗毛のウマ娘は呆れるような仕草で人差し指を突き出して、自分の名前を口にした。
「メイオーだ。覚えておけ」
一方、観客席。
『えー、悪天候にも関わらず今日の競馬場はヒト、ヒト、ヒト、来場者であふれかえっております』
どこぞのテレビのレポーターが目の前のカメラに呼びかける。その声に呼応するように観客達は沸き立った。
『今日ばかりはいつも以上の熱気です!! 多くの人が手元に持ってるのは、あのハルウララちゃんのグッズ! 冬にも関わらずハルウララ祭り!!!』
「1万人以上ファンいるウマ娘の大事な試合ともなればこうなるものなんだねぇ」
目を白黒とさせながらそう言葉を漏らすドラえもん。同じように目を白黒とさせているのび太。
「今の今まで実感なかったけど、やっぱりアイドルなんだねぇ。ウララちゃん。……今度サインもらおうかなぁ」
「だねぇ~。一枚もらっちゃおっか」
のび太とドラえもんは体をくねくねとさせながら笑みを浮かべる。女の子相手と意識し始めるとこうなるらしい。
その横で突然駆け寄ってくる足音が聞こえてきたかと思うと、よく見覚えのある顔。
「のび太。こんなところでなにをしているんだい?」
骨川スネ夫。野比のび太のクラスメイト。観客席でのび太を見つけた彼は呆れたような顔をして、のび太に詰め寄ってきた。
「どーせ、ウマ娘の追っかけなんかしてるんだろ。静香ちゃんに言っちゃてもいいのかな~?」
少しだけのび太は慌てつつも、やましい事はしていないつもりだから気丈に言い返した。
「ぼ、ボクは友達が走るから応援しにきただけさ! そういうスネ夫だって、何しにきたんだい?」
スネ夫はやれやれといった風に首を振りながら、両手を広げる。
まるで自分がバカにされているようで、のび太はムッとする。
すると後ろの方にいたスネ吉という従兄弟がひょっこりと姿を現した。
彼は気取った風に胸を張って、腰に手を当てている。
「ふっふーん。実はスネ吉兄さんがトレーナーをやっててね。ボクはスネ吉兄さんが担当するウマ娘の応援にかけつけてきたって事だよ」
えっへん! っと自慢げにするスネ夫とスネ吉。
――…………え、元の世界で馬主だったからそういう事になってるの!?
のび太はポカーンと口を開ける。予想してなかった事態にツッコミすら追いつかない。
「どうしたのび太くん?」
「な、ななな、なんでもないよ」
とはいえ勝手に『もしもボックス』で世界線を作り変えただなんてドラえもんにバレたら長い説教を食らうに違いない。
なので適当にはぐらかしながら誤魔化した。都合のいい事にスネ夫の興味はのび太の慌て具合なんかに目もくれない。
スネ夫が手に持っていた最新型のタブレット。それをバッとのび太の目の前に見せつける。
そこに書かれているのは今回のレース情報だ。嫌な予感しかしない。
『一番人気 ホネカワメイオー ◎○●』
それを見た瞬間、のび太は思わず息を呑んだ。
――なんともコメントしづらい名前……じゃなくて、16人の中で一番人気だって!? 印もなんだか強そうなマークだ!
「つまり皆はこのレースでスネ吉兄さんがトレーナー担当してる子が勝つって思ってるんだ。凄いだろ?」
得意げに鼻を鳴らすスネ吉。
しかしのび太は、それが信じられずに、スネ吉をじっと見つめてしまう。
スネ夫はそんな態度ののび太を見てため息混じりに言った。
「のび太の応援してる子が誰であれ、スネ吉兄さんが担当してる子に勝てると思ってるのかい? ふっふっふ」
自分だけならまだしも、ハルウララをバカにされたような気分になって、のび太はカッとなった。
そして勢いに任せるように大声で叫ぼうとした。それはもう思いっきり。
「アァァァァァー!!?」
しかしドラえもんが大声で叫んだ。のび太もスネ夫も突然の事にぎょっとする。
「ど、どうしたのドラえもん。ネズミでもいたの?」
「ついにこわれたんじゃないの?」
「そ、そうじゃなくてこれ。コレ!!」
ドラえもんはタブレットを指し示す。
『二番人気 ハルウララ ☆☆-』
――ハルウララが、2番人気?
「そりゃご本命とは別にウララが勝つ事も期待されてるんだから二番人気にもなるさ」
のび太達はどこか頼もしい声の方に振り返ると、やはり西崎トレーナーの姿。その横に宗石小春やキングヘイローがちょこんと座っている。
西崎はのび太達の元へ近寄ってくるなりわざとらしくニヤニヤと笑顔を作り、スネ吉と無理矢理肩を組んだ。
「スネ吉さ~ん、小学生相手にトレーナー職の自慢とはいただけませんなぁ~」
「う、う、う」
「え、えーっと」
西崎の声色から本気で責めてるわけではなさそうだが、スネ吉やスネ夫としてはこれは痛いところを突かれた。
「じ、自慢だなんてそんな事。ワハハ……の、のび太くんも一緒に席に座ってウマ娘達を応援しないかい?」
スネ吉は同僚に格好悪いところを見せたくないのか、苦し紛れに誤魔化して人の良い態度を装う。
「……のび太さん。この人に私が似てるんでしたよね?」
「え、えぇっと……」
(スネ吉さんものび太さんも大変だなぁ……)
子供達を中心に喧騒が広がりかけている様子をみて、小春はなんだか苦笑いした。ともかく、彼らを「まぁまぁ」と宥めながら席につかせる大人達。
じゃあじゃあ。観客達の耳に雨音が届く。みぞれまじりの雨がずっと前から降り始めていたが、それが更に激しくなったようだ。そのせいでレース場全体が不良バ場となりつつある。
「走る子は大丈夫ですかね……」
「まぁ、トレーナーが各自で降る事くらい教えてるから大丈夫だろ。雨の中トレーニングなんて日常茶飯事だし」
トレーナー同士でそういう話題になると、のび太に対して自慢げに振る舞うスネ夫。
「ホネカワメイオーはいつも高級トレーニングジムで訓練しているんだ。そこは学園のトレーニングルームより充実しているらしいし、実力は折り紙付きだよ」
スネ夫はまるで自分の手柄のように語る。のび太は、そう言われて内心で「そりゃずるい」と思いながらも「へ、へぇ」となんでもない風に苦笑いする。
「なんだ。練習場でも見かけないと思ったら、毎日そっちに行ってたのか?」
西崎トレーナーは少し目を丸くして、スネ吉トレーナーに問いかける。スネ吉も少し自慢げに頷く。
スネ吉は財力が有り余ってるとは聞いたが、そんな風に使っているとは恐れ入った。
レースがいよいよ始まろうかと各ウマ娘がパドックでアピールする中、実況も彼女達の様子をマイクに乗せる。
『寒空に熱き心のウマ娘が集う。クラシック1勝クラスレース。砂の戦場もかなり荒れた感じになっています』
『ダートを勝ち上がってきたウマ娘ばかりですが、これは影響が大きいかもしれませんね』
実況の彼女達が言う通り、バ場はズブズブの状態でダートに水たまりが出来ているような状態だ。少し大げさに表現すれば田んぼと形容してもいいかもしれない。
このコンディションの中でどれだけ力を発揮できるか。
しかしそれを考えてるのは、実況の2人だけではない。出走するウマ娘達もまた同じだ。
アリスブルーは、そんな不良バ場の感触を確かめるように足踏みをして、コースを見つめる。
(……正直、逃げで走りたいねぇ。下手にバ群の後ろつくとグズグズに耕されたとこ走らにゃならん)
「すっごいねー! トレーナー達から聞いた天気予報の通りだ!」
パドックで足元の感触を確かめて、目をキラキラさせるハルウララ。
「うん、ウチのトレーナーも大雨が降るって言ってたなぁ。こんなに降るの梅雨以来だ」
ハルウララが喜んでいるのをみて、頭を掻くアリスブルー。正直バ場不良をここまで喜ぶ対戦相手は珍しい。
「えへへ、ウララはトレーナー達に教わって『ひみつの作戦』を考えてきたんだっ!」
胸を張って自慢するように語るハルウララ。彼女の場合、雨だからといって気分が沈まないようだ。
「へぇ、じゃあその作戦が成功するようにお互い頑張ろっか」
「うんっ! ありがと! アリスさんも一緒にがんばろーね!」
アリスブルーは彼女の気性を微笑ましく思いながら、1枠に入っていくメイオーの方を見やった。
『1枠。1番人気ホネカワメイオー。この人気は実力評価ですかね?』
『そうですね。初勝利では1200で圧倒的な大差をつけて勝利を飾ったからでしょう。他のレースでも非常にキレの良い逃げ脚を披露してくれました』
『勝利レースのタイムは素晴らしい記録だったそうです。このレースもそのレコードに迫る走りが見られると期待されてるようですよ』
メイオーは周囲のウマ娘を見回す。逃げ策に出そうなヤツは自分以外にもう一人。逃げ・先行の戦い方が得意なヤツだ。
『2枠。3番人気ノーエクスキューズ』
『メイオーにとって彼女が最大の対抗バでしょう。逃げを取るか先行策を取るか。彼女もレースを左右する子ですから、目を離せません』
『コンセントレーションの異名を持つほど集中力に優れた彼女です。主導権を握るのはどちらでしょうか?』
――絶対『逃げ』で来る。先行得意な奴がやたら多いこの中で泥団子になるなんて御免って顔だ。
メイオーは隣のゲートに入っていくノーエクスキューズというウマ娘が、自分に対抗意識を抱いているのを見抜く。
『10枠。15番人気アリスブルー』
『短距離ではちょっと厳しいかもしれません。頑張ってほしいですね』
メイオーは、横目でチラッとアリスブルーの方を見た。
アリスブルーは16人の中で唯一追い込み戦術の使い手。しかし短距離においての成績はあまり芳しくない。どこでラストスパートをかけるか判断力の難しい戦術ゆえに、アリスブルー本人もその脚を持て余しているのだろう。
――なんにしても、アタシに追いつけねぇほど突き放してやる。
メイオーはそういう挑戦的な視線をアリスブルーに送った。
『16枠。2番人気ハルウララ!』
実況の紹介と共に、観客達の歓声が上がる。その声には、やはり応援の声が多く混じっている。
『大歓声ですね。やはりハルウララの人気は凄まじいものです』
「あはは、耳がキンキンする……」
「むむむ……め、メイオーの方が凄いんだぞ!!!」
のび太は笑い泣きしたり、スネ夫は自分が応援するウマ娘の方が凄いと意地になったり。再び子供達を宥めるトレーナー達。
――ウララちゃんはすごい人気。あの子もきっと、レースで結果を残したらもっと多くの人に注目されるようになるんだろうな……。
のび太はハルウララが何処か遠くの存在に感じて彼女を見つめる。するとのび太に気づいた彼女は、ニコニコしながらのび太やドラえもんの方へ向かって手を振った。
それをみて、ホッと安心した。彼女の人気を知れば知るほどとても遠い存在になったような気がしたが、彼女は至ってのび太の知るハルウララだった。
そんな彼女だからこそ、勝ってほしい。
のび太やドラえもん、そして小春トレーナーも含めて、この競技場まで足を運んでまで彼女を応援する人達の想いは一つだった。
『さぁ、全ウマ娘。ゲートに入りました』
実況が言うように、選手全員がゲートに入った。
これから始まるのは、ウマ娘によるウマ娘のための戦い。誰が一番速いのか競う戦い。
その始まりを告げるように、彼女達を鼓舞するファンファーレが鳴る。
そして、ゲートが開く合図を経て……ついにゲートが開いた。
――ガコンッ!!
重たい金属音が鳴った瞬間、16人のウマ娘達が一斉にダートに飛び出した。
『いけぇぇえ!!』
誰に向けられたものかも判別つかぬ声援がウマ娘達の耳をつんざく。その声援は自身の体を前へ前へと押し進める着火剤。
真っ先に前に出たのはノーエクスキューズだ。逃げを選んだ彼女の動き出しは非常に早く、グングンと加速していく。
【ノーエクスキューズ:コンセントレーション】*1
続いてホネカワメイオーが対抗に躍り出た。こちらもエクスキューズに負けじと必死に食らいつく。
――コンセントレーションの異名は伊達じゃねぇってかッッ!!
メイオーはエクスキューズの真横にベタづきで併走する。お互いにハナを譲る気など毛頭無い。
エクスキューズもメイオーも歯を食いしばりながら走り続ける。
先行勢が彼女達の後ろについた。後続のウマ娘達は10人近く団子状態になりながらも、離されすぎないように必死で追いかける。
【ノーエクスキューズ:トリック(前)】*2
【ホネカワメイオー:先行焦り】*3
――……ペースが速すぎる!!?
差しと追い込みの戦術を選んだ少数のウマ娘がメイオーとエクスキューズの思惑に勘づいた。
1200mの短距離戦とはいえ両者とも最初からラストスパートを仕掛けてるような状態。先行策を取ったウマ娘が一人、また一人と速度を落としかけている。
その上、それに気付かないウマ娘は先頭の二人を追いかけることに夢中になっている。
先行策を取った一人のウマ娘が異常事態を察知して、それを打開しようと『掛かった』。
それを見越していた逃げ競り合いをしていた二人は更にペースを上げる。
その急激なペースアップによって掛かり状態で勇み足になったウマ娘を筆頭に、後続も巻き込んで集団でズルズルと速度が落ちる。
『おっと! メイクイットよれた! 他の選手も速度を落とす!』
メイオーとエクスキューズは、彼女達のペースを乱す為に意図的にペースを異常なほど速く仕上げていたのだ。
巻き込まれた他のウマ娘達は手痛いペースダウンを余儀なくされる。
だが逃げ競り合いをしていた二人のスピードは緩まない。寧ろ加速している。
『速い! 速いぞホネカワメイオー! ノーエクスキューズ!! この二人の独壇場だ! コーナーに入って残り600m!!』
――おいおいおいアタシにハナを譲れよこの野郎!!!
先行策集団をすり潰してコーナーに入ってもなお、二人はトップ争いを繰り広げる。
メイオーとエクスキューズが実力者とはいえ、最初から最後までラストスパートをかけていては単なる自滅だ。
だから速度を緩めるべきなのだが、どちらも先頭を譲らない。譲れない。
譲ったら最後、隣に居るコイツには絶対に勝てない。だからペースを緩められない。
強者に展開が引っ掻き回されたこのレースは、もはやメイオーとエクスキューズによる1対1の対決となっていた。
――すごいなぁ。二人とも速いなぁ。
ハルウララは先頭を行く彼女達を後方から眺めて、心がウズウズするような気持ちを抱く。
自分とは大違いなくらいに速い。たぶん、キングヘイローが言う通り逃げの作戦をとっても二人には敵わなかっただろう。
ウララはこのまま負けるのか? これだけ大差を離されたらもう追いつけないのではないか?
ハルウララの内に一瞬だけそういう気持ちが芽生えかけて、ハルウララは自分の近くを走るアリスブルーの方を見やる。
アリスの瞳からは闘志が全く失せていない。彼女はまだ敗北を認めていない。勝ちを諦めていない。
ハルウララはその勇ましくも美しいアリスの姿をみて、また心が踊った。
――楽しいな。私も、もっともっと走りたい。もっとアリスさんみたいな人達と一緒に走りたい!
ハルウララもまた、まだまだ満足してはいなかった。勝ちを諦めていなかった。
この先に、自分の知らない世界がある。勝てば、自分が知りたい世界がきっとある。
ハルウララはそれが何なのか、知りたくてワクワクが堪らなかった。泥まみれの脚が軽くなる。まるで羽根が生えたように、軽い。
【ハルウララ:ワクワククライマックス Lv2】*4
『最終コーナーを曲がり切る! 二人ともデッドヒートのまま最終直線へ!!』
――クソッタレが!! コイツもマジになってんじゃねぇか!!
『位置取り争い』
メイオーは隣を走るエクスキューズを見て、彼女もまた自分と同じ考えなのだと察する。
メイオーが前へ出ようと速度を上げれば、即座にその隙を突こうとエクスキューズは食らいつく。
その度にお互いのプライドが刺激されて、更にペースが上がる。
そして、そして――エクスキューズがハナを譲った。
メイオーがリードを広げた瞬間、彼女の走りに精細さが欠ける。
その一瞬のスキをメイオーは決して見逃さない。
『エクスキューズ、ついにハナを譲る! 再び追い抜くのは厳しいか!』
――このレースはアタシの勝ちだッッ!!!!!
逃げ競り合いで食い潰してやったが、お前が下手踏んだ事にゃ
そしてレースの展開はまさにアタシの思惑通りに進んでいる!!
先行策を取っていたウマ娘達は、完全にペースを乱されているッッ!!
勝った!! 対抗のヤツにすら圧倒的な勝ち方で強さを見せつけてやった!!!!!
後はこのまま先頭でゴールするのみ!!
勝利を確信したメイオーの耳に、とんでもない事が聞こえてきた。
『お、大外からハルウララ! ハルウララが差してきた!!』
――…………は?
メイオーは思わず耳を疑う。走りながら、思わすバッと斜め後ろに振り返った。
確かにいる。確かにハルウララが最終コーナーを大外から回って追い上げてきている。
――ズブの差しが大外から田んぼ抜けてきやがった!!?
「ウララ」
小春トレーナーの前で勝つと宣言したその日、ハルウララは西崎トレーナーから助言をもらった。
「お前が走るレースはほぼ確実にとんでもない道悪になる」
そういって携帯の画面を見せつける。そこに映ってるのは天気予報アプリ。レース当日は大雨だと予報されていた。
「ウララ、雨の中でも走るの得意だよ! 小春トレーナーが居ない時も毎日頑張って走ってたもん!」
「あぁ」
西崎トレーナーはそれを聞いて頷く。ハルウララは確かに体調管理が不得手だった。雨の日でも屋外トレーニングを欠かさなかった。その影響で道悪を物ともしないトモが作られたのも事実だ。
「お前には丈夫なトモがある。最終直線で本気で走ればお前は負けない」
西崎トレーナーはそう断言して、小春トレーナーの背を叩いた。
自分が言うより小春に言わせた方が効果があると言わんばかりに。
「ウララ。今回の作戦を言うわ」
「うん、小春トレーナー! ひみつの作戦ってヤツだね」
小春トレーナーは対戦相手の戦法を頭に思い浮かべる。強い逃げの戦術を使う者が二人。先行が団子になりそう。
色々と言いたい事は多いが、ハルウララが分かるように説明するにはどう言えばいいか。
小春は考え抜いた挙げ句、深呼吸をしてからハルウララに優しく諭すように語りかけた。
「貴女の走りたいコースで、誰にも惑わされず好きに走りなさい」
――畜生がッ!!!! この短距離で!!! このハイペースを見せられて!! あの全戦全敗のおちこぼれが『自分が一番好タイム出す為の走り方』を保ちやがったってのか!!?
メイオーは歯を食いしばり、前を見る。残り400メートル。最終直線。
彼女は自分のペースを崩さず、いつも通りのフォームを貫いている。
――1200m!! レース前日までランニングマシーンで何度も走った!! アタシは最初から最後まで全速力で走ったってバテたりしねぇんだよッッ!! 負けるわけがねぇ!!! アタシは絶対に最強なんだ!! アタシが! アタシこそが最強のウマ娘なんだ!!
しかしハルウララが後ろから迫ってくる。その顔に、控室で見せたような平和ボケした姿は無い。
あるのは真剣勝負を楽しむ者の瞳。勝利を求める競争者の顔。皇者を彷彿とさせる電光石火の差し脚。
キングヘイローはその光景をみて、このレースの行末を半ば確信する。
「諦めない限り、ウララさんは負けないわ」
【ハルウララ:あきらめ癖】*5
【ハルウララ:電撃の煌めき】*6
ハルウララは全力で駆け抜ける。あきらめたりなんかしない。
――頭を下げない! キングちゃんのように前を向いて走るんだ!!
同じ舞台に立つライバルとして、二人はついに並び立つ。
『ハルウララ、先頭に立った! 先頭に立った!!!!! メイオー抜いた!!」
――うそ、だろ……。
メイオーの心が折れた。もう追い抜けないという確信。心臓がバクバクと鳴り響く。
自分のペースで走り続けたのに。レース展開も完璧だったはずなのに。何故、最後の最後で差されるんだ?
そう考えるメイオーの隣をハルウララは通り過ぎていく。ウララの豪脚はライバルを完全に置きざりにした。
――勝った! やった!!
泥まみれになりながらも、ハルウララはあの先頭を走っていたメイオーやエクスキューズを追い抜いて勝利を確信する。
小春トレーナーは言った。貴方の好きな様に走りなさいと。
無意識にハルウララは大外を回ってきた。グズグズに耕された悪路よりも、比較的綺麗に整った大外を走れば追いつけると本能で悟ったのだ。
そして雨の中でも走れるようにと、スタミナ作りに精を出した。その努力が実を結んだ。
レースに勝ったんだ!
ハルウララはそう思って、観客席にいる小春トレーナー達の方を見る。
「――――ッッ!!!!!!!」
小春やのび太、キングヘイローやドラえもん、皆がハルウララに向かって何か叫んでいる。だけど何を言っているのか分からない。
――どうして、そんな驚いた顔をしているのだろ。ゴールは目の前だし、ウララが勝ったんだよね?
……途端、ハルウララの背筋にゾッと怖ぞ気が走る。
らしくない。恐ろしくて振り向けない。トレーナー達がその正体を教える声が聞こえない。観客達が大歓声を上げている。
一瞬の思考を経て、ようやくその正体がなんなのか理解できた。
すぐ後ろに誰かいる。
『あ、アリスブルー最終直線で猛追!!! 先頭に立ったハルウララに負けじと喰らいつく!!!』
実況の声も震えていた。ハルウララの後ろから迫るアリスブルーの気迫を感じ取っている。
もしその場でハルウララが脚を止めれば、体躯に恵まれたアリスブルーに轢き殺されかねない圧迫感。
もうゴールまでもう200メートルもない。
アリスは「ガッ」と脚を斜めに構え、更にスパートをかける体勢を取る。
ハルウララはその気配を感じ取り、自身も必死に速度をあげる。
真横に見えたアリスブルーの顔は、ハルウララには今まで見た事も無い形相だった。
相手に勝ちたいという闘争心。絶対に負けたくないという意思。そういう精神が表情に現れた決死の表情。
ハルウララも、きっとアリスブルーと同じ表情をしているのだろう。
ゴール手前200m、100m、二人の優駿が並び立つ。
『追い比べ』
先手を行かれそうになってハルウララが吼えた。獣が咆哮するように息を吸う。息を吐く。
激しい競り合いの中で巻き上げた細かい泥が、大きく広げた口や見開いた目の中に入る。
だがハルウララは怯まない。頭の中がしびれて真っ白になるような感覚はもはや無い。
『ハルウララ! アリスブルー! どちらも譲らない! どっちだ! どっちだッ!!? どっちだッッ!!』
自分が勝つ事で誰かを失望させたり、誰かが傷つく事を恐れていたのかもしれない。
歓声が聞こえる。歓声が聞こえる。皆の声が聞こえる。
「ハルウララ! いけー!」「ウララちゃん頑張れ!」「いけ! 初勝利だ!」
彼女の勝利を拒む声は一つも聞こえない。他のウマ娘を応援していた者達からもハルウララを応援する声が聞こえてくる。
そしてその声援の中に、小春トレーナーやのび太達の声がハルウララの耳に届いた。
「勝ちなさいウララさん!」「勝って! ウララちゃん!!」
――ウララが勝って、みんなを喜ばせるんだ。
『ハルウララ! アリスブルー! 2人がほぼ同時に突っ込んできた!! 並び立つ! 一バ身もない!! 二人並んで今ゴールイン!!』
数秒間の静寂。観客達は皆揃って着順結果が看板に映し出されるのを待つ。
走者のアリスブルーは心臓が弾け飛びそうになっている。彼女自身でさえ勝ったのか負けたのか分からない。
その点においてはハルウララも同じだ。自分が勝ったのかアリスが勝ったのか分からない。だけれども、ハルウララは負けたとしても俯く気はなかった。着順結果を確認しないまま、観客達に向けて大きく手を振る。
それと同時に看板に着順が表示されたらしい。
1着
ハルウララ
2着
アリスブルー:ハナ
【ハルウララ:末脚】*8
『――ハルウララやりました! ハルウララ勝ちました! 冬のダートに春が来たっ!! ハルウララが見事格上達相手に初勝利!! 春満開!! 負け続けのウマ娘が、全戦全敗まで追い込まれたあのハルウララが一気にG1までの道を繋いだァ!!!』
実況の興奮したアナウンスと共に、スタンドからは大歓声があがる。皆が彼女の勝利を祝福し、歓喜した。
観客席で観戦していた小春とのび太も彼女の勝利を目の前に、感極まるあまり涙を流していた。
「ウララぢゃ~~ん」
「ウララさんがんばっだわね~~」
「……ほらほら二人とも涙ふきなよ」
「まったく、世話が焼けるわ……」
二人の顔をぐしぐしとハンカチで拭うドラえもんとキングヘイロー。彼らの目も涙ぐんでいるのは気のせいか。
観客席の様子を見て、ハルウララは自分が勝ったのだと自覚する。そして初めての感覚に身が震える。
「私が、勝った……? はわわ~、やったぁぁぁー!!!」
ハルウララは両腕を振り上げ、喜びを爆発させる。スタンドから大きな拍手が巻き起こった。
「……あはは、あたい、負けたんだ」
ハルウララへの歓声を横聞きして、ようやく負けを自覚するアリスブルー。
自分が出せる最高最強の走りを出したはずなのに、負けてしまった。
そうして、目の前に『限界』という名の壁が立ちはだかったように思えた。
――潮時。
アリスブルーは、一勝クラスが自分の限界だとこの瞬間に理解してしまい、自然と涙がこぼれ出そうになる。
泣いてはダメなのだ。自分を応援してくれた者達に、涙を見せるわけにはいかないのだ。
そう歯を食いしばっていると、ぎゅっと優しく手を握られる感覚。
「アリスさん! すっごく強かったよ! もう少し距離があったら、きっと私が負けちゃうところだった!」
そういう風に目を輝かせて、アリスの健闘を称えるハルウララ。
彼女の言葉には謙遜や嫌味は微塵もなく、アリスの目から涙が引いていく。
――あと200mあれば。一番人気のメイオー相手にも、二番人気のウララっちにも、エクスキューズにも……。
アリスブルーは観客の方を見る。
「アリス! お前さんも頑張ってたぞ!」「こんだけの道悪であそこまでもっていけたお前も立派なウマ娘だ!」
観客達からそんな歓声が飛ぶ。アリスブルーを応援しに来た観客、ハルウララを応援しにきた観客の両方がアリスブルーを称える。
「――あんがと! あたいもライブに出るから皆見に来いよなー!!!」
その歓声に応えるべく、彼女はいつも通りの声量で叫ぶ。
それを見たハルウララは、皆が喜んでいる光景をみてにっこりと笑みを浮かべていた。