泉の中に放り出されたハルウララは、ひとまず水面へと浮かび上がろうとする。
しかし、衣服にダンベルが絡まって、女神に溺れさせられるまでもなく水の底に、真っ暗闇に引きずり込まれていく。
――あぁ、溺れちゃう。まいったなぁ。
絡まったダンベルを解こうとしながら、他人事のように呑気な事を思った。それはきっと女神が自分の目の前で『ハルウララ』を水面へ連れて行ったゆえだろう。
『もっと良い物に取り替えてくれる』
ドラえもんがそう言った事が、ふと頭に思い浮かんだ。
だったら、今の自分よりももっと優秀なハルウララがあっちに残るという事だろうか。
彼女なら重賞だって、G1だって、有マ記念だって勝ってくれるかもしれない。
それなら小春トレーナーも、のび太くんもドラちゃんも、キングちゃんもメイオーちゃんも、他のみんな、みんなたくさんよろこんでくれるはず。
――じゃあ、それでもう、いいかな。
ハルウララは絡まったダンベルを解く手を止めて、眠りに落ちるようにゆっくりと目を閉じた。
「ジャック!! 何があった!?」
皆が泉の前に辿り着き、榛原トレーナーが彼女に呼びかける。
ノボジャックは泉の目の前でがっくりと膝をつき、口をパクパクとさせていた。
彼女の視線を辿れば、きこりの泉。その傍らにはトレーニング器具がぶちまけられたように散乱している。
「ハルウララが溺れたんだな?!」
榛原トレーナーがそう大声を出すと、ジャックはコクコクと何度も頷いた。
「…………!!!!」
ノボジャックや榛原以外の全員が、泉の中を覗き込もうとする。
すると中から、泉の女神がハルウララを伴って浮かび上がってきた。
キングヘイローとメイオーは、ホッと安堵する。
「ウララさん……まったく、心配させて……」
「なんだ、心配させんじゃねーっての……」
「うん、心配させてごめんね……」
ハルウララは些か反省したようにして、皆に謝罪を向ける。
――違う。
容姿、声色、そして態度、何から何までほぼ全部一緒だが、違う。このハルウララは『自分達の知ってるハルウララ』じゃない。
何が巻き起こっているのか一同は理解して、背中にビリビリと灼けるような寒気が走った。
『あなたがたが落としたのは、このとても優秀なハルウララですか』
「ち、違……」
「小春! 安易に答えるなッッ!!」
小春が否定しようとすると、榛原トレーナーが大声で怒鳴ってそれを制止した。
答えれば、このハルウララを置いて泉の女神が底へ帰ってしまう。
『どうしたのですか? 正直に答えてください』
女神は優しく諭すように語りかける。小春はそれを受けて、まるで余命宣告を食らったガン患者のように、顔が真っ青になっていく。
ウソを言えば、戻ってくる? いや、ハルウララ二人とも泉の底。そういうおとぎ話だったはず。
誰も女神に対して何も言えず、絶句している。
「ドラえもん!!! あん時ジャイアン助けたみたいに早く道具出してよ!! ウララちゃんがおぼれちゃう!!!」
「えぇっと、ちょっとまって。これじゃない、これじゃない。えぇっと、これでもない!!!」
「てめぇ! ウララちゃんが死んだらオレも本気でボコるからな!!」
「そんな喧嘩してる場合じゃないよじゃいあーん!!」
のび太は泣きながら必死に懇願するが、ドラえもんは焦りのあまり、ろくに使えそうなアイテムを取り出せない。
メイオーは震える唇を開き、言葉を紡ぐ。
「おい、テメェはどれだけ強いハルウララだ……?」
そのハルウララはメイオーにそう言われ、きょとんとする。
「どんなレースで勝てるようなウララかっツってんだよ!!?」
巻き舌で恫喝するように、メイオーは再度問いかける。
それに対してハルウララは花丸満点の笑顔で答える。
「――有馬記念に勝ったよ!!」
ハルウララは得意げに胸を張ってみせた。それが自分の誇りであり、大切な思い出だと言わんばかりに。
そしてその言葉を聞いた途端、泉のそばに立っていたトレーナーやウマ娘達の足腰から力が抜け、その場に崩れ落ちる。
泉に浮き出たハルウララは、皆が動揺している様子なのに気づいて、心配そうに声をかけようとする。
とりよせバッグ:とりよせたい物を言いながら、このバッグに手を入れると、言った物に手が届く。
そんなところでドラえもんはようやく、状況を打開出来そうなひみつ道具を取り出せた。
「でかしたぞドラえもん!」
「それでウララちゃんを助けられるんだね?」
「うんっ! これをー、『ハルウララちゃんをお取り寄せしてください』って念じながら取り寄せればー」
とりよせバッグにドラえもんが手を突っ込むと泉の上に突然次元の裂け目が現れ、「ポン」とまんまるお手々が出てきたかと思えば、泉に佇むハルウララの頭を撫でた。
……………。
「こっちもハルウララだぁぁぁ!!!」
「だめじゃないかぁぁ!!!」
「おいオレの時はこれでどうやって助けたんだよッ!!?」
「ジャイアンも思い出してよォッ!!!」
事態は変わらず大慌て。いつも頼れるキングヘイローも、ベテランである榛原トレーナーだってこの事態にどうしていいか分からず困惑している。
――潜って助けに行く? いや、ミイラ取りがミイラになるだけ。
「返して、ください…………」
『……』
「ウララさんを、返してください……お願い、します……」
小春は三つ指をついて、涙を零しながら女神にそう嘆願すると、女神は優しい笑みを浮かべて言う。
『どちらの、ですか?』
そう問われ、小春は何も言葉を発せなくなった。
「トレーナー!!」
そういう状況で、ハルウララがたまらず声をあげる。
「どうして泣いてるの!? 何があったのっ!!?」
ウララは自分も彼女達の力になろう必死で訴えかけるが、小春は一向に泣き止む気配はない。むしろ酷くなる一方だ。
――この子だって、害意があって成り代わろうとしているわけじゃない。偽物でなく、『もう一人のハルウララ』であるだけ。
ウララは事態をあやふやに把握してきたのか、トレーナーに対して再び声をかけようとする。
「トレーナー、私……」
「……ッ」
どちらの方が早かったのか。それとほぼ同時にノボジャックが、奥歯をギリリと噛みしめて泉の中に飛び込んでいく。
「あぁー!!」
「バカッ、お前も二人に増えるぞ!!」
周囲の者達はそれを止めようとするが、間に合わず。彼女も泉の底へ沈んでいく。
それを見届けた榛原トレーナーは、すぐに立ち上がってドラえもんのそばまで近寄った。
――お、怒られる?
ドラえもんと小学生組一同がそのように怯えていると、榛原はドラえもんの持っているとりよせバッグに手を突っ込む。
「ジャック、よくやった。お前はやっぱ頭が良い」
榛原トレーナーはそう言って、泉の中から二人目のノボジャックが現れる前にバッグの中からノボジャック――――そして彼女が腕を掴む形で、溺れかけていたハルウララを引きずり出した。
「!!!!」
「――げほっ、げほ……!!」
ドラえもん達は驚愕に目を見開く。ノボジャックはいきなり激しく飛び込んだからか、飲み込んだ水を胃液を吐き出すように口から排出する。
……ハルウララが、助かった?
「…………」
皆が呆然としている中、ハルウララは自分同士と目を見合わせて「きょとん」とした表情をとしている。
「ウララが二人いるっ!? 夢じゃないよ!!」
「すごいすごーい!! 私が目の前にいるよ!」
……なんか、ハルウララ同士で邂逅を手をとって喜び合ってるという妙な光景が生まれた。
「出てきたのが『きれいなジャイアン』だったから『ばっちぃほうのジャイアン』って念じながら取り出したんだっけ」
「ボクも思い出した。あの時は大変だったねぇ」
「ンだと!? テメェらそんな風にオレを見てたっつーのか!!?」
「まぁまぁ、ジャイアン……おさえておさえて……」
ドラえもん組一同が一緒に落ちていったトレーニング器具を儀礼通りアップグレードし終えると、小春は不安げに女神へ問いかける。
「えぇっと、この場合はどうすれば……」
罰則で、両方のハルウララを取り上げられたりしないだろうか。
『もう落とし物がないなら、返すモノもありません』
叱りつけるではなく、優しい声色のままそういって、女神は首を横に振る。
両方のハルウララを取り上げられるでもなく、ホッと一息。
「ごめんね、女神ロボット……修理を手伝ってもらうはずが、こんなオオゴトになって……」
ドラえもんは申し訳なさそうにそう言った。彼女も彼女でひみつ道具のルールに従っているだけだから、自分の監督不行き届きの方を責めなければならない。
しかし女神は相変わらず穏やかな顔のまま言う。
『あなた方が気に病む必要はありません。さぁ、かえりましょう?』
女神は傍らのハルウララに柔らかく声をかける。
「うんっ! あ、でもちょっとだけ待ってねっ」
女神に対して『有馬記念を勝ったハルウララ』はそう言ってから、『落ちこぼれのハルウララ』へと顔を向け、にっかりと明るい笑顔を作る。
「大丈夫!! あなたも、きっと、私に負けないくらいみんなを笑顔に出来るよ!!」
「え……」
そう言われて、小春トレーナーの傍らにいるハルウララは、びっくりしたような顔をする。
「がんばれ、がんばれ、ウララ! がんばれ、ハルウララがんばれ!」
彼女はそう言いながらビシッとファイティングポーズで拳を突き出して、ハルウララをそのように激励した。
ハルウララは目を丸くして驚いていたが、その動きが面白おかしかったのか、くしゃりと笑ってから彼女の真似をして同じポーズを取る。
「うんっ! ウララ、せいいっぱいがんばりまーす!!」
女神の傍らにいるハルウララも、それを受けて安心したように笑った。
『よかったのですか?』
泉の底に潜っていく最中、女神は傍らのハルウララに語りかける。
元々ひみつ道具による存在なせいか、女神はもちろんこのハルウララは泉に潜っても全く苦しくない。
女神の問いに、彼女は自信満々に答える。
「大丈夫! 今にも壊れちゃいそうにみえても……あのウララは、勝つ事をあきらめてなかったよ!」
ハルウララがそう言って満面の笑みを浮かべると、女神は優しく微笑んでそれ以上何も言わなかった。
――私もあの子と同じように「もう限界だ」って思っても、いつも傍でトレーナーが、そしてお友達の誰かが、助けてくれて、観客の人と一緒にみんなが応援してくれた。
ハルウララは目を閉じながら、自分の魂に熱く焼き付いた記憶を想起する。
何度も何度も挑戦して、皆と一緒に『キセキ』を描いたあの日々。
――きっと、みんなをないてるかおじゃなくって。えがおにできる。
ハルウララは『自分』にそう言い聞かせて、深く深く水底へ沈んでいく。
やがて彼女の視界が真っ白に染まって、一人の