あれからいくばくかの日数が経った。G3黒船賞の出場者はハルウララ達も含めてほぼ確定し、ノボジャックの体調も改善しつつあった。
彼女は榛原トレーナーとの絆を再び取り戻したようだし、ハルウララとのギクシャクした仲も今となっては見る影もない。
度々ドラえもん達やキングヘイロー達が友達を引き連れてウマ娘二人の様子を見に来てくれ、ノボジャックが彼らを素直に歓迎するなど顔見知りな部分が治っていた事にも榛原トレーナーは驚いていた。
休養期間の中頃に差し掛かった今現在まで、何から何まで良好だったといっていい。
ノボジャックの体力が回復した。
ノボジャックの調子が上がった。
ノボジャックは【シンパシー】を取得した。
ノボジャックの【バ群嫌い】が治った。
ハルウララの体力が回復した。
ハルウララの調子が上がった。
ハルウララは【シンパシー】を取得した。
トレーニング施設の改善がなされたせいなのか、現地のウマ娘達の士気は明らかに高まっている。
以前と打って変わって、朝食直後もハルウララ達以外の何人かが訓練している場面が見られたほどだ。トレーニング器具を新調したての今、もしかしたら中央よりウマ娘達にも負けないくらい熱意をあげている。
特に、高知トレセンから黒船賞に出る予定の数人は顕著だ。
『ダートG1出場者のハルウララとノボジャックを倒す機会だ!』
『高知だって中央に負けない事を教えてやるわ!』
……というような事をいって、トレーニングに前向きに励んでいる。
もしかしたらハルウララやノボジャック達からの影響、そしてドラえもんやのび太の行動も想定済みで秋川理事長はハルウララ達を高知へ送り込む計画を立案したのかもしれない。
(だとしたら、やよいさんはあぁ見えてとってもしたたかよね。もちろん、理事長としては頼もしいけど……)
小春はそう苦笑しながら、休憩中のハルウララの足爪を一本一本丁寧に磨いてあげていた。爪割れしない為のケアだ。
「今日はね、高知の子と一緒にウェイトトレーニングしたんだよ。ウォーターダグちゃんっていってね、あの子も黒船賞に出場するんだって」
「へぇじゃあその子もライバルですね」
楽しげに話してくれるのを聞きながら、小春は念入りにハルウララの足をマッサージする。
こうやって彼女の話を聞くのは、小春にとってここ最近の日課となっている。
大半の話題は心地よいものだ。しかし、そうでない話題もある。
「あとは、ジャックちゃん! 今日はね、一緒にクッキー作ったんだよっ」
「…………」
宗石小春の胸の内がじくり、と痛む。本人にその原因は分かっている。
小春は、正直なところジャックの事があまり好きになれない。『おくれカメラ』で撮影した写真でハルウララに敵愾心を向けている場面を目撃してしまったからだ。
無論、二人の様子から見るにそれはもはや過去の事だろう。その事については和解しているのだろうし、今の二人の間に軋轢はない。
だが、だからといってすぐに受け入れられるかと言えばそうではない。宗石小春も一人の人間である。しかもまだ若年の域だ。
それらの全てを小春当人が理解しているからこそ、自分の感情の醜さに吐き気がこみ上げてくる。
「……はい、おわった。もう立っていいですよ。ウララさん」
そんな内面を悟られないように微笑みを浮かべてそう促すと、ハルウララは元気よく立ち上がった。
ハルウララは嬉々としてトレーニング施設へ向かい、小春は彼女の訓練を見守った。
「榛原さん」
「なんだい、小春さん」
高知トレセンの簡単な業務手伝いを二人で請け負っている最中、ふと小春が口を開いた。
榛原トレーナーは仕事の手を止めずに応じる。
今この場には二人しかいない。いつもの喧騒が嘘のように静かで、そのせいか榛原トレーナーの声がよく聞こえた。
「……自分の生徒、えっと、担当ウマ娘に、暴力を振るった子がいるとします」
唐突に切り出された質問に、榛原トレーナーは手を止める。
小春は視線を下げたまま、静かに続ける。
「今は、その事を謝罪して、当人同士は和解したって理解しているんです。でも……」
「小春さん個人としてはまだ許せない、って?」
榛原トレーナーの言葉に、小春は顔を伏せたままこくりと首肯した。
彼女なりの、葛藤だった。
「そりゃあ、トレーナーらしくないね。教員職にあるまじき考え方かもしれない」
「ですよね……」
自分が未熟だからいけないんだ。そう納得して、俯く小春。そんな彼女に榛原は続ける。
彼の顔は至極真面目な表情だ。彼は、諭すような口調で告げる。
「でも“個人”としては理解出来る。私だって、可愛い生徒が酷い目に遭ってたら内心では立腹するよ」
その言葉に、小春は少しだけ胸の内に溜まっていた汚泥がすすがれた気分になった。そして、同時に思う。
(……この人は、やっぱりベテランのトレーナーなんだ……東条さんや西崎さんとは、また違った方向性で……)
東条や西崎も、新米の小春からしてみれば素晴らしいトレーナーだ。
だが、彼らはどちらかといえば若々しい気迫や熱意に満ちている。しかし、目の前にいるベテランは違う。
年齢による経験の差なのか、あるいはトレーナーとしての心構えなのかは分からないが、彼は小春がトレーナー職に抱いていたイメージを覆されるくらい落ち着いた言動を見せていた。
「もちろん、だからといって当人同士で問題を片付けた後に、私達が後になって感情に任せて叱りつけるのは御門違いだとは思うけどね。……小春さんの言う通り和解しているなら、なおさらだ」
そしてやっていい事とやってはいけない事も、ちゃんと教えてくれる。
――なんだか、学生時代に戻ったみたいだ。
榛原トレーナーの優しさに触れて、小春は涙が出た。ジャックのトレーナーである事もあって、彼女に対する敵意もだんだん涙と一緒に流れ出ていく。
「……小春さん。この短い期間でわかったが、貴方は自分の感情を押し殺す傾向がある」
小春の涙をわざと気にしない素振りで、榛原はそう言った。
小春は、彼が言っている意味がよく分からなかった。困惑する小春に、榛原は優しく微笑む。
そしてこう続けた。
「もっと、感情を露わにしてもいいと思うんだ。もちろん、時と場合によるけれど、それが全て悪いって事はない。時には自分勝手になるべきだ。それが、自分の為にもハルウララの為にもなるからね」
その言葉は、小春の胸にスッと入る。彼女は自身の感情を殺していた自覚はいくらか思い当たった。フェブラリーステークスへの出場させたいという感情は東条と西崎に頼らなければ決断出来なかっただろうし、ジャックの事についても榛原に諭されなければ発露しようもない悪感情が溜まって、きっと良くない結果になっただろう。
それに気づいた時、小春は心の内で西崎と東条に再び感謝すると共に、目の前の榛原に対して頭を下げた。
――ごめんなさい。ありがとうございます。
その声なき謝辞を、榛原は笑顔で受け止めた。小春の態度が真摯に見えたのか、榛原は「一人のトレーナー」として信頼を寄せたように見定める。
――彼女なら、この事実を受け止めきれるだろう。
榛原は真剣な顔つきになり、そんな彼女に自分の見立てをハッキリとぶつける事にした。
「小春さん。ハルウララの事について、言っておかないといけない事がある。ここ少しの間、彼女のトレーニングを見守ってて確信したんだが」
「……はい?」
唐突に、しかも重苦しい口調で言われて、思わず聞き返す小春。その様子に榛原は言葉を慎重に選んでから、告げる。
「――あの子は、たぶんあと一年もレースを走り続けられない」
小春の中では順風満帆だった世界が、天地がひっくり返るほど揺らいだように感じた。
史実馬モデルウマ娘の描写についての評価
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