ハルウララはあと一年もレースに走り続けられない。
そう榛原トレーナーに告げられて、宗石小春は困惑の色を見せた。
「……それは、でも、そうならない為の休養であって……」
戸惑いながらも反論しようとする小春だった。一ヶ月近くも休めば、これまで蓄積した疲労も取れる。たづなさんに指摘された爪割れだって、そうならないように自分が毎日管理してあげてる。万全に対策しているじゃないか。
「そうだね。でも、これには根深い原因があるんだ。トウカイテイオーは知ってるよね?」
榛原が《不死鳥》と呼ばれる彼女の名をあげる。彼女の名はもちろん知っているから、小春は頷いた。
「彼女の柔らかくクッションの利いた足運びは、いわゆる骨の性質によるものだ。骨は負荷が掛かると、折れないように強くなる。だが強くなりすぎると、今度は逆に折れやすくなってしまう。トウカイテイオーが何度も骨折したようにね」
そこまで聞いて、小春は話の要点がなんとなく分かった。榛原は真剣な表情で話を続ける。
「ハルウララは、脚に負荷を掛けすぎて骨が強くなりすぎている。左足は特にね。そしてそれはもう一ヶ月の休養なんかじゃ治るもんじゃない」
小春の身体に戦慄が走る。その言葉が真実だとすれば、ハルウララはこれからずっと骨折のリスクを抱えながらレースを走っていかなければならない事になる。
「ハルウララは、ハッキリ言ってしまえばそもそも走りにおいてはそこまで素質のあるウマ娘じゃない。誰とでも仲良くなれるような類まれな愛嬌が認められて、面接の結果だけで中央に入れてもらったのは知っての通り。レースにおいては凡才だ」
「……その凡才は、G1のウマ娘にも追いつきつつあります……」
小春はハルウララを擁護するように低い声でいった。榛原がハルウララを貶したいわけでないのは重々理解しているが、それだけは言い返したかった。
「そうだね。中央にいる秀才達、あるいは天才達へ追いつく為に、君達はとても努力をして頑張ってきた。“頑張りすぎてしまった”」
そしてその結果が何を生んだのかといえば。
「ハルウララの脚は、いつ折れてもおかしくないんだ」
その言葉は、小春の心に突き刺さった。
彼女の中にあった「ハルウララをG1に勝たせるという夢」が、ガラガラと音を立てて崩れていく。
それを支えるようにして、榛原の言葉は続く。
「だから、これからはハルウララの競走人生を左右する重大な決断をしてもらう必要がある」
小春は唾を飲み込む。そして、榛原はそれを口に出した。
「一つはG1を目指すのを諦めて、引退までマイペースなローテーションと練習に切り替える。彼女の実力なら、G3は取れるかもしれない。G2も引退するまでにいけるかもしれない。どうしてもG1を目指したいなら、あるいは――」
その先は言わなくてもわかるだろうと、榛原は言外にしただけだった。
「……私もね。若い頃、キミと全く同じように凡才なウマ娘に頑張らせ過ぎてしまって、『取り返しの付かない結果』になった。だから、気持ちはよく分かるよ……」
その言葉を呟く榛原は、どこか自嘲的に笑ったように見えた。
「さ、て。さっさと書類を終わらせなければな。時間を掛けすぎると高知の職員にどやされてしまう。ハハハハ……」
そのまま人当たりの良い笑顔に切り替えて、話は終わったとばかりに榛原は目の前の書類に意識を戻す。小春もそれ以上は何も言えなかった。
日中の足摺岬灯台。ハルウララと宗石小春は、高知県の名所の一つを気晴らしがてらに観光に来た。
潮風を浴びる。春の訪れを感じさせる暖かい風に、海から吹く心地よい潮風が混じっている。
「ウララさん」
「なぁに、小春トレーナー?」
小春はハルウララに何気なく質問を投げかけた。
「G1、出場したいですか?」
「うん、もちろん!」
即答だった。彼女は迷う事無く、その言葉を口に出す。
まるでその答えが分かっているかのように、小春は静かに息を吐いた。
――やっぱり、そうですよね。
当たり前だ。G1の栄光は、レースを走るウマ娘達の夢の頂だ。それに勝つ為に、みんなが死物狂いでトレーニングに励んで、一人は栄光の夢を勝ち取り、そして、その他多くの者が夢破れていく。
――夢破れた者は、今までの努力がすべて台無しになる。
小春は胸の内にぞわっとした感情の昂りを感じて、拳を強く握った。「負けてもその努力は無駄にならない」なんてのは、秀才や天才達だけが言えるキレイゴトだ。私のような落ちこぼれは、努力が報われなかったのだと心のどこかで思い知ってしまう。
だからこそ、その取り返しがつく今ここで言わなければならない。
どういう選択肢を取るとしても、故障の危険性が彼女の脚に纏わりついている事は、正直に明かさねばならぬ。隠してしまえば『考え得る中で最悪の結果』になるのが目に見えている。
小春は一度、深く呼吸をする。ハルウララはそんな彼女に対して、不思議そうに顔を覗き込んだ。
「……どうしたの?」
小春の事を心配するような表情を浮かべる。また自分が何か不甲斐ない事をしたのではないかと怯えているようだった。
小春はまっすぐにハルウララの顔を見据えた。
――この子を、G1で勝たせてあげたい。
小春の中に湧き上がってくる自分勝手でワガママな闘争心を抑えながら、ハルウララに告げる。
「ハルウララさん。貴方は、左足に爆弾を抱えていて故障の可能性があるのです」
「うん、知ってる」
ハルウララは何でもないように答えた。
「自分の体の事は、自分が一番よく知ってるよ。トレーナー」
あまりにあっさりとした返事に、小春は面食らって少し固まってしまう。
そしてハルウララの次の言葉で、小春はより一層驚いた。
「けど、キングちゃんやスペちゃんにライスちゃん。それにトゥルーちゃんやアローちゃん、ジャックちゃんにも、他の色々なウマ娘にも……それを覚悟で挑まないと、“私”は追いつけないから」
ハルウララは、崖の上から海の底を眺めるような遠い目をしながら、けれど決意を感じさせる口調で言った。
きっと、きこりの泉から現れた『有馬記念を勝ったハルウララ』の事を思い返しているのであろう。
「……ウララさん。私達には他の選択肢も」
「大丈夫だよ。ウララ、小春トレーナーの事を信じてるから」
小春の言葉の続きを遮るように、ハルウララは言い放った。その言葉は小春の心に突き刺さる。
――私は、貴方の故障の可能性にすら気づいてあげられなかった、落ちこぼれのトレーナーですよ?
そう言いたげな視線でハルウララを見るが、彼女はニコニコと屈託のない笑顔を小春に向ける。まるでその笑顔には、不信のかけら一つ感じられない。
「私は、“ここ”にいる“私”は、たぶん落ちこぼれだから。あのウララみたいに『有馬突破のキセキ』は描けないのかもしれない」
一旦、言葉を区切る。そしてハルウララは、海の底を眺めるのをやめて小春に向き直って、己のワガママ、声高らかに宣言する。
「それでも私は“ここ”に居たい。あのハルウララに負けないように、“自分の夢”を叶えたい。その
彼女の瞳に映るのは、確かな決意の色だった。
――あぁ、この子は、あのハルウララと同じような目をしている……。
その桜が花開くような瞳の色に魅入られて、小春の内にある抑え込まれた闘争心が、再び燃え上がった。
彼女は今一度、強く拳を握りしめる。
「骨が折れたら、きっとすごく痛いですよ」
「大丈夫! 練習でよく転んでて、痛いのは慣れっこだからっ」
「……レースの途中で骨折したら、そのまま死んじゃうかもしれないんですよ」
そう警告しても、ハルウララの瞳は全く揺らぐ様子もない。動揺もしない。
「それでも、ウララは『G1で一着になる』って夢は諦めきれない!」
彼女が発したその一言で、小春の中で何かが切れた音がした。
宗石小春は無言のまま、ハルウララの体を抱き寄せる。
ハルウララは少しびっくりしたような顔をするが、体を預けるように力を抜いて、小春の心音を聞く事に集中する。
「……ごめんね。トレーナー。ワガママなウララで」
ハルウララは申し訳なさそうに言うが、小春は黙って首を横に振る。
――貴方の夢は、「ワガママ」なんかじゃない。
それを伝える為に、ハルウララの体を強く抱きしめる。
それだけで、宗石小春の内にあった「ハルウララをG1に勝たせたい」という夢が、このハルウララに伝わるには十二分だった。
「ワクワククライマックス」のLvが上がった。
史実馬モデルウマ娘の描写についての評価
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良
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可
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悪