ドラえもん~ハルウララ育成記~   作:稗田之蛙

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ひとときの休息

 湯煙が立ち込める露天風呂、ハルウララとノボジャックは肩まで浸かっている。

「ええ湯きにぃ~……」

 ハルウララはすっかり土佐の訛りが定着している。

 息抜きも兼ねてトレーナーと四人で、高知の温泉に日帰りでやってきた。

 榛原はもちろん男性だから男湯に入っているものの、あの人はそれを寂しがる事もない。女湯に入るなんて事は御法度なのだから、当然といえば当然だが。

「…………」

「どうしたんです。ウララ」

 ハルウララはノボジャックの体に目を向ける。

 

「初日よりふとましくなったね」

「……言い方酷くないですか?」

 

 ジャックは低い声でハルウララを恫喝するように唸った。

 けれど彼女は「ごめんごめん」と謝りながらも、嬉しそうに笑っている。

 まぁ、ジャックにも言いたい事は分かる。

 初日のノボジャックは、肋が浮きかけてまるで出来損ないのミイラみたいに痩せ細っていたのだから。

 高知に来てからというもの、ノボジャックの体は日に日に健康的になってきている。

 これも榛原トレーナーの体調管理のおかげなのだろう。

 今日、こうして温泉旅行に来れたのも、けそっとした体つきを恥じる事もなくなったからである。

 ――ノボトゥルーもこっちにくればよかったのに。

 そんな事を思い返しながら、ジャックは仕返しとばかりに傍らにいる少女の体を見つめる。

 ハルウララは気持ちよさそうに、縁側で日向ぼっこをする猫のように、湯船の中でのんびりと手足を伸ばしている。

 ハルウララは幼い印象のある子で、下手すれば小学生と見間違えかねないほど背丈も小さい。私服のセンスも幼稚だ。

 しかし、彼女の裸をいざ観察してみると健康的な体つきをしている。これ自体はトレーニングに励んでいたからであろう。その上で……こう、意外に女性的な体つきをしている……その証左として……。

「…………」

 そこまで考えて、ノボジャックは首を曲げて真下を見た。湯船の中がよく見える。そこに阻むものは何もない。先頭の景色は譲らない。貴顕の使命を果たすべく。

「……なんですかね。スズカさんといい、マックイーンさんといい、逃げのウマ娘ってこういう宿命なんですかね……」

「へ?」

 ノボジャックの独り言に、ハルウララは首を傾げる。ジャックは「なんでもない」とまた低い声で言い切った。

 肌艶のメリハリが戻ってきても、その部分は相も変わらず膨らんでいない。

 別に、男性の気を惹きたいわけではないから大きくなりたいと思った事もないが、人並みくらいにあってもバチは当たらない気がする。

 なんとなく、鏡の前で体を洗っている宗石小春の方を見た。

 彼女も彼女で小柄だけど、ハルウララのように伏兵という事はないか少し不安になった。

「ん、どうしたの? ジャックさん。そんなに見つめて」

 

 …………。

 

【ノボジャック:札幌レース場◯】

 

起伏が無いって言いたいんですか! あ゛ぁ゛!!?*1

 ノボジャックの視線で何か察したのか、小春は珍しく声を荒げた。しれっと「何も言ってないです」と返すジャック。

 体を洗い終えた小春は「……やっぱ好きになれないかも……」などとぶつくさ言いながら、彼女も湯船へ入ってくる。片手には浴室用の携帯テレビ。ラジオもついている便利なグッズだ。

 他のお客さんが居ないのを良いことに、彼女は音量を大きめに引き上げた。

「行儀悪いですよ」

「まぁまぁ、他のお客さん来たらちゃんと音量下げるから」

 ジャックは呆れたように言うが、小春は意に介さない。

 そのまま湯に浸かりつつ、チャンネルをウマ娘の専門番組に切り替える。どうやら紹介されているのはオープンレースの結果のようだ。

『勝ちました。ホネカワメイオー! これで三勝目!』

 画面にゴール場面のリプレイが映る。勝ったのはあのホネカワメイオー。今度は芝マイル戦で同格の者達に勝利し、着実に勝ち星を重ねているようだ。

 汗だくに息切れしながらウイニングランを敢行するメイオー。その泥臭くも、気高い姿は、まさしく勝者のソレだ。

「メイオーちゃん、勝ったんだ!」

 ハルウララと共に1勝クラスレースを競い合ったホネカワメイオー。彼女も前を向いて、自分の道を切り開き始めている。

 ハルウララにとってそれだけでも、嬉しいニュースだった。

『えー。では一着を取ったホネカワメイオーにインタビューを、わわっ!?』

 メイオーは取材者のマイクを乱暴に奪い取って、人相の悪い顔でカメラを睨みつける。

『メ、メイオー。だめだよそんな態度……』

『ハッ、ウララ! 見てっか!? お前が一勝でまごまごしている内にアタシは三勝目だ! これでアタシも重賞の出走権獲得出来たってワケだ!』

 スネ吉トレーナーが慌てて取り押さえようとするものの、メイオーは片手で彼を押さえつけてカメラにそう言い放つ。

 この映像もきっと全国放送される事だろう。

 けれど、今の彼女の表情を見て誰が嘲笑おうものか。ライバルに一歩近づいた者の、歓喜に満ちたその嬉しそうな顔。

 メイオーは鼻息を荒くしてこう宣言した。

『8月にあるG3《エルムステークス》! アタシはそこに出場する予定だ! 1勝クラスレースで負けた借りはそこで返す!! テメェも逃げんなよッ! ハルウララ!!』

 そういう形でスタジオに映像が戻った。ニュースキャスターが苦笑いする声が聞こえてくる。

 それを聞いて、ジャックと小春も苦笑した。

「…………!」

 メイオーからの挑戦状を受け取ったハルウララは、耳や尻尾がピンッと真っ直ぐ立ち、瞳は嬉しそうに揺れている。

 ――8月。大丈夫、その時まで、私は走り続ける。

 メイオーの「ハルウララにリベンジしてやる」という夢もまた、ハルウララをこの世界に繋ぎ止める一つの絆。

 奮い立つ心が爆発しそうになるのを鎮めるかのように、ハルウララはバシャッと露天風呂の中に頭まで沈み込んだ。

 水の中で目を開けて、しばらく水の中にたゆたう光景を眺め、そうして、ハルウララは心の平静に安堵した。

 ――うん、やっぱり、真っ暗な水の底にいるより、皆と一緒にいた方が楽しいや。

 耳の部分だけ水面の上にあるから、ジャックと小春が「泳いだら行儀が悪いですよ」とオコゴトを言っているのが聞こえる。

 ハルウララは、ニコニコとしながら、水面(みなも)の上にある世界に戻る事にした。

 

 

「そっか。負けちゃったか……」

 榛原トレーナーは、電話でノボトゥルーの敗戦報告を受けた。電話から聞こえる彼女の声は、涙ぐんで聞こえる。

 フェブラリーステークスを勝利し、そして気丈な彼女が悔しさに耐えきれず泣く程に、海外重賞というのは厳しい世界なのだと痛感させられる。

 ――もしノボジャックじゃなくてノボトゥルーの方についててあげたら……。

 そんな事を思えど、榛原は神さまではないのだからどちらか一方しか選べない。

 それに、そんな事を深く考えるのは彼女達に対しての不敬だ。ノボトゥルーの方を優先していれば彼女自身が「衰弱しているジャックを優先してください」と怒るのも目に浮かぶ。「もしも」なんてのは考えるまでもない。

「おつかれさま。よく頑張ったね」

 泣きながら嗚咽混じりの報告をする彼女に、優しく語りかける。

 彼女はきっとこれから先も強く生きていくのだろう。

 そうやって前を向いて歩き始めた者に、敗北や挫折の経験は必要なもの。それはいつか、彼女達の足下を支える力になるのだから。

 ……だから、弱くても、強くても、悔しい時は思いっきり泣いて良いのだ。その涙が枯れるまで。

*1
ハルウララの豆知識:「札幌レース場は勾配0.7mっていう非常に起伏が緩やかなレース場なんだって。すごく平坦で走りやすいんだね!」

史実馬モデルウマ娘の描写についての評価

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