嘉永6年。
この年、マシュー・ペリーが率いるアメリカ合衆国海軍の艦隊の蒸気船2隻を含む艦船4隻が日本に来航した。
黒塗りの蒸気機船は帆船を曳航し、その煙突からはモウモウと煙を上げていた。
浦賀の沿岸に現れた見たこともない艦船に、人々は大いに驚愕し、畏怖を込めてこう呼んだ。
『黒船』
――……心が怯えちょるぜよ。
ハルウララはノボジャックがスタンディングゲートで構える姿を視界に入れながら、どこぞの脱藩浪人になったような気分でそう思った。
肌寒い空気に対して、ノボジャックの熱を帯びた吐息は空中へ白くのぼり、まるで蒸気船から噴き出す煙のようだ。
彼女の威圧感たるや、遠い遠い場所から小国を降伏させる為にやってきた強大な軍艦。高知組も、地方組も、それどころかハルウララを含めた中央からやってきた者達すらも等しく、その黒船が持つであろう
この場に居並ぶ走者達は、そして彼女達を応援する観客も、そのほとんどがノボジャックに対して一つの想像を抱いた。
――然らば、今日この場で御覧入れる。
ゲートが開くその直前。ノボジャックは低く唸り、獲物に飛びかかろうとする獣のように、やや前屈みになりながら深く腰を落とした。
ガコンッ、という重たい金属音が鳴り響く。檻の中から現れたのは、スタンディングの姿勢を崩してしまったノボジャックの姿。
『ノボジャック、出遅ッ――』
【ノボジャック:逃げのコツ○】*1
【ノボジャック:自制心】*2
【ノボジャック:交流重賞◎】*3
【ノボジャック:地固め】*4
スタートは明らかにノボジャックが出遅れたように見えた。
だが次の瞬間、彼女は加速した。周囲が順風満帆の中を進む帆船であるならば、彼女だけが蒸気の力を使って押し進む軍艦が如く。
まるで大地を踏み砕かんばかりに力強く蹴って、大砲から放たれた弾丸のように飛び出す。
――速っ……。
『――っ。拡がりました! 12人の先頭争いですッ!! まずはメイショウタイカン! 中央のナショナルスパイがあがってきた! しかし内からノボジャック先頭に立つッ!!』
大きく出遅れたはずが、その数秒後には彼女はバ群の先頭に躍り出た。
ノボジャックの姿を目にして、走者も観客も実況も、皆がその速度に目を見開く。
短距離走の選手特有の無駄のないフォームで走る彼女には、一抹の不安もない。
まるで自分の肉体が、どんな距離が適正で、どこまで速く走れるか、それを余すことなく知っているかのような走り。
それは正真正銘、己の真の実力を心の奥底で確信している者のみが見せる姿。
――すごいな。
――うん、速い。
ハルウララと高知から選出された三人の走者は、前線を征くノボジャックを視界に入れて心の内で呟く。
四人はこの一ヶ月間、ノボジャックのトレーニング風景を間近で見ていて、その片鱗をなんとなく理解していた。
例えば、ランニングマシーンを使っていた時の平均速度だ。榛原が見張っていたからそれは短い時間しか行われなかったが、それでも彼女の走行速度はハルウララや高知組よりも速かった。日にちが経つ毎に体力を取り戻していき、それに伴い日増しに速くなっていく。
その速さはある意味で交流重賞を目指す者の一つ指標になった。
そして、彼女の訓練風景には他のウマ娘もひとめ見ようと群がった。
そして、対抗意識を燃やし黒船賞に出走する高知組はよりいっそうトレーニングに励んだ。
そして、それぞれがある一つの想いを抱いた。
――ノボジャックに、勝ちたい。
――ハルウララ。貴方たちには絶対に勝つ。
【ハルウララ:シンパシー】*5
【ウォーターダグ:シンパシー】
【オオギリセイコー:シンパシー】
【メイショウタイカン:シンパシー】
【ノボジャック:シンパシー】
『中段バ群はハルウララとオオギリセイコーが競い合うように並んで走る! あとはズラッと後位集団! 全員かなり外を回り、ノボジャックがハナを切り中央同士が争い、そして笠松の俊才レジェンドハンターが先頭を狙う!!』
バ群の左右列は綺麗に横へ開き、それぞれが全力を出しやすい形で並んでいる。こうなると純粋な実力勝負だ。
先頭を走るノボジャックの後ろにピッタリとくっついているのは、ナショナルスパイ。
彼女は先日のフェブラリーステークスでは12着ゆえ、13着のノボジャックには負けられぬとハナを容易く譲る気配はなかった。
――ここでジャックと決着をつける!!
――アンタにも、ここでリベンジしてやる……。
二人は共にお互いの表情を見る。そしてノボジャックは後ろにいる者達の顔も視界に入れ、不敵に笑った。
――掛かった。
【ナショナルスパイ:二の矢】*6
【ノボジャック:トリック(前)】*7
観客席からハルウララを見守っているキングヘイローとホネカワメイオーは思わず戦慄した。
『最初の400メートルは、23秒フラット! 速い、かなり速めのペースだ!!』
「アイツ、アタシとノーエクスキューズが競り合った時と同じような戦術仕掛けようとしてやがるッ!!」
一緒にどこでもドアで高知に観戦へ来ていたドラえもんとのび太は、その怒声に怯えながらもメイオーに聞き返す。
「で、でもウララちゃんはその戦術にも打ち勝ったよね? だったら、今回も」
「そうそう」
「いえ……」
キングヘイローは真剣にノボジャックの
『相も変わらず先頭はノボジャック! コーナー曲がってそのまま直線勝負! おぉっと三番人気のスズラン、これは掛かってしまったか!? 先頭を狙おうとするが追いつけない!』
ノボジャックは追いすがろうとするウマ娘を一顧だにせず、直線勝負でさらにスピードを上げた。
後ろのウマ娘は、それについて行かざるを得ない。先頭組の三人に振り回されつつある。
……いや、振り回されているのはG1出走者のナショナルスパイや笠松の俊才と謳われるレジェンドハンターの二人もだ。
ホネカワメイオーは観客席から成り行きを観察し、己自身と比べて胸がムカつく。
その衝動をブチまけるかのように、そしてキングヘイローの不安を代弁するかのように、大声をあげる。
「なんであんだけハイペースで走って、脚色が褪せないんだよアイツは!!」
『中段は3バ身ほど離れてメイショウタイカン! また、彼女に付き従うようにペースを合わせるハルウララ!! そこから更に3バ身ハナされて、後位集団!』
バ群は段々と縦に引き延ばされつつある。ナショナルスパイとレジェンドハンターはさすが重賞を勝利した事のある二人。ノボジャックの独壇場にさせないが、かといって彼女を追い抜ける状態にあるわけでもない。
『ハイペース、かなりハイペースだ!! つわもの三人が争っている内に、その後方は4バ身、5バ身と離されていく! コーナー入りきる前についにその差は7バ身だ!!』
最終コーナーに入ろうとしているところで、後方軍団のウマ娘達はここでようやく事態に気づいて愕然とした。
あの三人に完全にしてやられた。最終直線で勝負をつけるとしても差が付きすぎた。焦らされた何人かは、脚に力が残っていない。高知組のメイショウタイカンはズルズルと後ろに引き下がっていき、オオギリセイコーの最終直線で力を出せるかどうかは絶望的だ。
だが、それでもウマ娘達の中で全く諦めてない者が二人。
メイショウタイカンとオオギリセイコーは、自身もまだ食いしばりながら、その二人に想いを託す。
――行くぞウララッ!!
――うんッ!!
中央から来たハルウララと高知出走のウォーターダグは、最終コーナーを曲がり切る直前に一瞬だけ視線を見合わせる。
【ハルウララ:ワクワククライマックス】Lv3*8
【ハルウララ:電撃の煌めき】*9
【ウォーターダグ:詰め寄り】*10
今回のレースにおいての最終直線勝負、上り最速、その最後の300mを競い合うように二人は速度を上げる。
――一人では怯えちゃってても、他の人と一緒なら……立ち向かうのも怖くない!!
彼の坂本龍馬が黒船へ対抗すべく、仲間を募った時のように、ハルウララもまた誰かと一緒に立ち向かい、この強大な恐怖を乗り越えようとした。
【ノボジャック:前列狙い】*11
コーナーを曲がりきる直前、内側にいたノボジャックは急激なグリップで最終直線へと体を向けた。
『前は三人拡がってくる! 外から伸びてくるのはレジェンドハンターだ! だが内を走るのはノボジャック! 素早く直線に向いた!!』
いち早くゴールにスパートを掛ける体勢に入り、今の今まで互角に競り合っていたナショナルスパイとレジェンドハンターはそれが致命になる。
それぞれ時間にしておよそ0.2秒の遅れ。内側にいるか外側にいるか、それがこの勝負の明暗を分けた。
――コイツ、内ラチの利をッ……!
二人はノボジャックがフェブラリーステークスで惨敗した姿を思い返す。
――いや、直線勝負ならノボジャックに勝てる!!
そしてナショナルスパイとレジェンドハンターは最終直線でノボジャックを討ち取ろうと一気にスパートを掛ける。
『二人は踏ん張るがその差は開く! 先頭2番のノボジャック!! 三人競り合うがその差は2バ身! ナショナルスパイもレジェンドハンターも突っ込んでくる!』
――遅い。何もかも。
最初から最後までハナを切っていたはずのノボジャックが、減速する気配を見せない。既に勝負は決していたのだ。
ノボジャックはリードを保ったまま、まるで最後は張り詰めた筋の力をフッと抜くようにしてゴールに入り込む。
『100を切って先頭は、ノボジャック! リードは1バ身! 余力を残した!!』
リベンジを食らわされたというショック。期待されて笠松から見送られた末の敗北。
そんな気持ちが去来する前に、二人は後ろから迫ってきた刃が自分達を討ち取る光景を幻視する。
【ハルウララ:末脚】*12
【ウォーターダグ:末脚】
流刑地と嘲笑われた高知トレセンのウマ娘と、全戦全敗の落ちこぼれとあだ名されたウマ娘。
最終コーナー手前で何バ身も置き去りにしたはずのその二人が、あの短い直線の内にゴール直前には真後ろまで距離を詰めてきていた。
黒船の長を討ち取ろうとするその不屈の刀が、異骨相の振るう無骨の刃が。
以前には負けた相手であるはずのナショナルスパイに迫り、俊才と謳われたレジェンドハンターの首を、撫で切る寸前だった。
ぴったりと、1バ身もなく、重賞を勝利したウマ娘を相手に二人の脚が届きかけていた。
『ゴールイン!! 二番手ナショナルスパイ、三番手レジェンドハンター、その真後ろまで追い込み勢のウォーターダグ、ハルウララが掲示板入りーっ!!!』
1着ノボジャック
2着ナショナルスパイ
3着レジェンドハンター
4着ウォーターダグ
5着ハルウララ