アグネスタキオン。ジュニア期のメイクデビュー、G1ホープフルステークスの両方において圧倒的な実力を他者に見せつけて勝利したウマ娘。特にホープフルステークスの方はレコードタイムを叩き出している。
ファンはこの鮮烈なウマ娘に対しての期待を込め、彼女の名に因んで『超光速の粒子』やら『世代最強最速のウマ娘』やらと熱狂的に持て囃した。
トレーナーさえも「三冠を取れる可能性のあるウマ娘」として夢を抱き――彼女自身も何か考えがあったのか――彼らの“願い”に応えようと大いにトレーニングに励んだ。
しかし。
「デジタルくん。時にウマ娘という生き物についてどんな存在だと考えている?」
車椅子に座ったアグネスタキオンがアグネスデジタルに対して、何かを試すかのように訊ねた。
デジタルも、これが自分のメイントレーナーとのやり取りなら「素晴らしい存在ですっ!」と食い気味に即答しただろう。
だが相手が相手だけに、慎重に言葉を選ぶ。雰囲気から察するにすごく真面目な話だ。
「……とても強い存在だと、思います。体格に見合わない脚力。走る事に特化した生物と同等か、それ以上の」
タキオンはデジタルの回答に嬉しそうな顔をした後、その表情のまま語り出す。
「そうだ。ヒトとほとんど変わらぬ体型をしながら、運動能力はソレを遥かに凌駕している」
そして、彼女は自分の片足を触りながら、こう続けた。
「しかしその肉体も完璧ではない。ヒトと同じように怪我をする時もあれば、二度と走れないような事態に陥る事もある」
デジタルは、表情を変えずにただ黙って話を聞く。単にタキオンが自分を脅したいだけではないのが分かっているから。
「我々に限界があるのか、ないのか。それは私には分からない。だが、その未知の部分に皆が抱く『もしも、ならば』という希望は一種の可能性を探究する、面白い概念だと思っている。あのサイレンススズカやトウカイテイオーが復活というキセキを描いたのは、その未知の部分にそれぞれが想いを抱いたからであろう」
情緒的な言い回しで、アグネスタキオンは言葉を紡ぐ。
「……だがそこに“願い”という感情を加えると一種の劇物だ。希望という可能性に『であって“ほしい”』を足してしまえば、そこから更にトランプの山札をシャッフルする必要が生じる。それは心地好い夢を引き寄せる事もあれば、悪夢という名のジョーカーを手繰り寄せてしまう事もある」
デジタルは一度大きく息を吸って、吐いた。正直に言えば、デジタルはタキオンの事が好きだ。
――……いや、もちろん、『尊いウマ娘ちゃんの一人として』ですよ?
それだけに、走者としてリタイアせざるを得なかったタキオンに対してどう言葉を掛けるべきなのか常々気を使う。タキオン自身は毎回の如く「気を使う事はない」と言うが、それでもデジタル自身の性格とその矜持は彼女に無礼な態度を取る事を許さない。
それに、骨折という悪夢はアグネスデジタル自身にも他人事ではないし、今回一緒になって青狸を探そうとしている『動機』はそもそも……。
「タキオンさん、改めてお尋ねしたい事があります」
「なんだい? なんでも聞いてくれたまえ」
その言葉が甘美な響きに聞こえたが、今は自分の欲求を優先するべき場面ではない。デジタルは真剣な顔のままタキオンに言葉を掛けた。
「先日仰っしゃっていた『ハルウララが近い内に自分と同じようになるかもしれない』というお話、詳しくお聞かせ下さい」
高知レース場。
体操服からライブ用の衣装に着替える為に選手控え室に戻ったウマ娘達は、お互いの健闘を称え合ったり、悔し泣きをしたり、あるいは同郷の者と話し込んだりと各々のやり方で気持ちの整理をしていた。
「やったぜウララ! 高知からも掲示板入りだ!!」
「えへへ、やったねダグちゃん!!」
その中で一際喜び合っていたのはウォーターダグとハルウララだ。その声色には安堵と歓喜の色が見える。重賞で1着を取るのが凄い事はもちろんだが、掲示板入りする時点で善戦したといっていい。格上相手ならなおさらだ。重賞勝利者の2着と3着に肉薄したのだから、高知もハルウララも今回はバカにされない。
そして何より。
「重賞勝利おめでとう! ジャックちゃん!」
キラキラと輝く瞳をハルウララはノボジャックに向けた。
ジャックもまた嬉しそうに微笑んでその賛辞を受け入れ、衆目も気にせずハルウララの体をぎゅっと抱く。
「わわ、ちょっと恥ずかしいかも……」
突然抱きつかれて慌てるハルウララだったが、満更でもない笑顔。他のウマ娘も仲睦まじい二人を暖かく見守っていた。
「ウララ、私はまた貴方と一緒に走りたい」
ジャックがそう言って抱きしめる力を緩めると、ハルウララの顔を見つめながらそう提案した。
「G1《JBCスプリント》。私はそこに出走するつもりです」
短距離ダートウマ娘にとって唯一の極地。ハルウララがG1を取るとしたらもっとも可能性の高い場所。
そこでまた再戦するという約束にハルウララの尻尾と耳が大きく動く。
彼女はジャックの提案に対して二つ返事をする。そしてノボジャックへ優しいハグを返した。
「うん! 私も、あのレースに出るよ!!」
レース直後だからか、ノボジャックの体から伝わる熱いくらいのぬくもり。それがハルウララには嬉しくて、楽しくて。ジャックもまた、ハルウララが健闘する事を胸の中で、願った。
ひとしきりの抱擁を終えると、ジャックはハルウララを離す。そうして、ノボジャックはこの場の長として相応しき威厳をもってして振る舞い、皆に激励するように呼びかけた。
「さぁ、いこう。ウイニングライブだ。各々の“夢や願い”、皆に伝えに行こう!」
「願いという感情は個人を強くする。その願いの強さこそがヒトの心を奮い立たせ、その力こそがキセキを引き起こす」
アグネスタキオンが、車椅子に座ったまま静かにそう語る。
「……と、いう理論は誰かさんの受け売りだがね。あながちこれも間違いではないと私も思う」
そう言うと、アグネスタキオンは後ろのデジタルの方へと振り返り、悪戯っぽく笑う。
「パラレルワールドという言葉は知っているよね?」
「はい、漫画の題材でよく出てくる……ちょっとずつ違う世界のお話ですよね」
「そうだ。だが何か事象が起こる毎に山札をシャッフルしていると、いくら天文学的な数字といえど“ちょっとずつ違う世界”があるという話も現実的ではない」
デジタルは黙ってタキオンの話を聞く。タキオンの言っている事はおおよそ理解出来た。
確かにデジタルは科学的な話はタキオンほど詳しくない。しかし、パラレルワールドの話はよく分かる。たとえば、ウマ娘ちゃんの二次創作についてだ。ダイワスカーレットとウオッカが日本ダービーで争う世界線を例にあげて考えればいい。両者とも大願を成就させたのとは違う趣として、それはそれで熱く滾るものがある。そして、その日本ダービーが終わった後のその二人のやり取りも……。
「すぅー、ふぅー…………ン゛ッ……ン゛ン゛……ッ!!!」
デジたんはその想像だけで発作を起こしかけた。尊みがラストスパートしかけた。タキオンはそれをスルーしているのか、分かった上で話を続けているのかどっちともつかない素振りで話を続ける。
「サイレンススズカ、彼女が“チームスピカ所属でなかったら”。もちろん、他の世界線のトレーナーも各々が最善を尽くすだろう。しかし、私達が知るスズカの天皇賞に限っては、スペシャルウィークと西崎リョウが観客席で見守っていなかったら……?」
……デジタルもそれについては深く考えたくない。少なくとも、二次創作としては慎重に慎重を重ねて扱わなければならない事態だったのは間違いなかっただろう。
「そして、先程の話題に繋がる。“願い”とは数学でいえば一種の乱数だ。山札をシャッフルする回数が多ければ多いほど、引き当てる手札の内容もランダム性が強くなる。学術的にいえばカオス理論にも似た思考だね」
「うぅ、そんな難しい話をされても私では理解が追いつきませんよぉ……」
デジタルにはタキオンの言いたい事がいまいち分からず、頭を悩ませていた。
タキオンはデジタルの反応を見て小さく笑みを浮かべると、再び説明を始めた。
「つまりは、多くの願いや夢、想い……そういった感情を引き寄せる者は、その分だけ『世界線を左右する選択肢が与えられる』。それだけに留まらず『他者にもその選択肢を分け与えられる』。そういった仮説だ」
デジタルもここまで聞けば、スズカやスペシャルウィークの話も併せて、なんとなくタキオンが言いたい事が分かってくる。
「要するに、ウララさんはそれだけの感情を一身に背負っているから、本来あるべき状態よりも頑張り過ぎてどうなるか分からない、と……」
「まぁ、ありていに言えばそういう事だね。私達が知るハルウララはいわゆる可能性の“特異点”だ」
デジタルの言葉にタキオンは満足そうに首を縦に振る。
……ハルウララと一緒に走った1勝クラスの『アリスブルー』というウマ娘も、今現在では2勝目に辿り着いたという予想外のデータが採れた事も実に興味深い。そのウマ娘は1勝クラスで終わっても何ら不思議ではないウマ娘だったのだから。
しかし、タキオンが求めているのはその先。ウララの可能性がどこまで広がり、どこまで影響していくかだ。
その為にも、彼女に潰れてほしくはない。その点においてはアグネスデジタルと目的は合致している。
だから、しばらく青狸の捜索やらハルウララの支援やらでアグネス二人は協力していくだろう。
……ただ、心強い協力者を得たとしてもタキオンとして拭いきれない懸念が一つ。
「…………“特異点”同士が干渉しあうと、一体どういう結果を生み出すんだろうねぇ……」
「ウララちゃーん!! 最後の直線、ものすごく格好よかったよー!!」
のび太はライブが始まる前、観客席から舞台へ向かって他の歓声に負けじと大声を張り上げる。
すると、それに気付いたハルウララは満面の笑顔でVサインを作った。のび太もデレデレとした顔つきになる。
「おいおいのび太。お前だけズルいぞ!」
「そうだぞ! ズルいぞ! ね、静香ちゃん?」
のび太はジャイアンとスネオ達から責められ、おまけにその隣に静香ちゃんの同席。
のび太はデレデレとした顔からハッとした顔つきになって静香ちゃんの方を見た。
「あ、あはは。まさか。ちょっと浮かれてただけだって~」
そうやって誤魔化すように笑う。
……静香ちゃんとしてはハルウララの事を何ヶ月も見守っているのび太の頑張りも十分理解しているつもりだが、これはちょっと面白くない。
「のび太さんなんて知らないっ」
「そ、そんなぁ~~!! ドラえも~んっっ!!」
「やれやれ……」
ドラえもんからしてみれば静香ちゃんが本気で怒ってないのは声色から理解出来たから、泣きつかれても手助けをする気も起きない。
「まったく、キミってヤツはいつもいつも。甲斐性があるのかないんだか――」
ドラえもんの小言が続く。のび太は涙目になりながら言い返した。
「だって、仕方がないじゃないか! せっかくウララちゃんが頑張ったから、応援したいんだよ! 立派になったのを褒めて何が悪い!!」
「その気持ちはよく分かる。だけどね、ボクだってキミが立派になる姿を“願って”いるんだ。パパやママだってそうさ。静香ちゃんやウララちゃんもきっとそう想っている。だからそういうだらしない顔をやめて、ジャイアンやスネ夫にバカにされないようにだねぇ……」
のび太とドラえもんの口論が始まった。それを見ていた友人達は呆れたり、クスリと笑ったりしていた。
その様子を見てそれぞれは、彼はいつまでも変わらないと安心したような、それでいて変わってほしいと相反する気分を抱く。
ただ、まぁ、今くらいは良いだろう。のび太を除いたドラえもん一同はそう思った。
なにせ、ハルウララと関わり始めて、野比のび太も前向きな変化を始めているように感じたのだから。
⇒『シニア重賞《東京スプリント》編』へ続く
小春「私の胸無し弄りで出した【札幌レース場○】がジャックさんのレコードの伏線だったなんて、そんなバカな話がありますか……!!! あってたまるもんですか……!!」
シニア重賞《黒船》編の内容の評価について
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