「タキオンさんの骨折を、治していただけませんでしょうか!」
お人好しののび太はそのお願いを二つ返事で受け入れようとした。
しかしドラえもんが横にいる事を思い出して、そんな安易な返事は飲み込んだ。
アグネスデジタルものび太も、ドラえもんの顔色をちらりとうかがう。
その二人の視線を受けて、ドラえもんは深く考えるまでもないといった様子で回答を述べる。
「ボクも治していいと思うよ」
カタブツロボットから返ってきたのは、予想外の言葉だった。
「え、え、いつもみたいに『卑怯だからダメー!!』って言わないの!? 絶対言うと思ってたのに!!」
「そ、そうですよ。あたしの時と様子がえらい違い……あ、ドラえもんさんまさかタキオンさん贔屓ですね!? あの人の推しになるのはわかりますが、タキオンさんを直視すると脳が焼け……」
なんかえらい言われようだ。ドラえもんは彼らの言い分に目を回しかけながらも、その回答に至った理由を一つずつ噛み砕いた。
「タキオンさんがサポート科へ移った事くらい、新聞に載ってたからボクでも知ってるよ。だから規定上はもうレースに出走が出来ないはずだ」
だから今回は競技において卑怯だのどうだのと言わない。
「もうひとつ。ボクが未来から過去にやってきた理由、覚えてる?」
「えぇっと、ジャイ子との結婚をやめさせて静香ちゃんと結婚してもらう為……?」
「そう。あの未来だとジャイ子もキミも不幸せな結果にしかならない。ボクが来たおかげでキミは一人の人間として立派に成長して静香ちゃんと結婚する夢へ、ジャイ子は漫画家を目指しステキな伴侶と出会う夢へ、それぞれ一歩ずつ向かいつつある。それをやっていいのは歴史の修正力……まぁ、セワシくんが例に出してた『大阪理論』だね。歴史破壊が起こらない範疇でなら、不幸な人を救ってもいいって『航時法』で定められているからだ。タイムパトロールもこの法律に則って、過去の世界で不幸な死や怪我から人々を救い出したりしているんだよ」
そういう歴史の修正力だとか法律だとか、小学生ののび太にとってはちんぷんかんぷんだった。しかしアグネスデジタルはドラえもんの話がパラレルワールド題材の漫画的な話だったからか、すぐ理解して飲み込めた。
「で、ではタキオンしゃんの骨折を治してもらえるんですね!!!?」
嬉しさのあまり興奮したデジタルはまた噛んでしまう。もはやそんな事をいちいち気にしていられるものか。
「うん、足の筋肉や神経にまで損傷が及んでいるのなら22世紀にタイムマシンで連れて行って治療する必要があるかもしれないけど、どちらにせよ22世紀の技術なら治療可能だよ。なんたってボクの住んでいる時代には治せない病気や怪我は存在しないんだ」
ドラえもんの答えを聞いて、デジタルは胸を撫で下ろした。
「堅物のドラえもんならもっと融通が利かないと思ったんだけどなぁ」
「キミがトラックに轢かれて全身包帯まみれのとんでもない大怪我をするっていう未来を変えたり、静香ちゃんの飼っている犬が病死するっていう出来事を改変したりしてきたからね、今更だよ」
のび太の問いかけに、ドラえもんは呆れた表情を見せた。
確かにその通りだった。のび太はこれまでドラえもんの助けを借りてそういう取り返しのつかない事態を回避してきた。
歴史を一部分だけでも書き換えてはダメなのなら、そもそもドラえもんは此処に居ない。
「じゃ、じゃあ早速タキオンさんの元に向かいましょう!!」
アグネスデジタルは大声をあげ、すぐにでも行動に移した。
アグネスタキオンは芝レース体験場の前に居た。
彼女の眺める先にはセイウンスカイ、テイエムオペラオーが子供達とマイペースな速度で走っている。
「…………」
「どうしたんですか、タキオンさん?」
彼が物思いな顔をしているのに気づいて、心配そうに声を掛けるニシノフラワー。
「彼女達は皐月賞に勝ったウマ娘だ」
「そうですね、とってもスゴイ事だと思います」
「私が勝ったホープフルステークスは、一部の観客はOP以下だとか言っている。その事を思い返せば、少し妬ましくてね」
ホープフルステークスはG1とはいえ、多くのウマ娘が成長途上であろう時期に開催されるという特殊な環境だ。
だから、どれだけ華々しく成果をあげようとも一部の者はその活躍を絶対に認めない。
タキオンはその事実がまるで“今の自分”の存在そのものを否定されているように感じたのか、物悲しげな顔をしている。
その表情には悔しさよりも別の感情が強く滲んでいた。
ニシノはそのタキオンの感情を理解してから、自分なりの真っ直ぐな質問を述べた。
「……もし怪我がなければ、やっぱり皐月賞出走しました?」
タキオンは隣にいるニシノフラワーの顔を意味有りげに見つめてから、汗を気持ちよく流し青春を謳歌しているセイウンスカイの方をチラリと見た。
「あぁ、彼女と比較されても劣らないように私は出走しただろうね」
ニシノフラワーは静かにうなずいた。
彼女もまた、タキオンの事はよく知っている。だから彼女の気持ちにも、そしてセイウンスカイの気持ちにも、なんとなく気づいている。
だが、気づいたところでそれが今此処において何の意味があるだろう。そもそもの話、タキオンが骨折した原因についてはニシノにも“目を逸してはならぬ責任の一端”があった。
だからニシノはこう呟く事しか出来なかった。
「……私は、タキオンさんの事“が”好きですよ」
その言葉が、今のタキオンに届いたのかどうか分からない。届いたとて、タキオンにとっては不純物という要素が混じった告白に意味などなかった。
「フラワ~。子供達からご指名だよぉー」
体験レースを終えてきたセイウンスカイの声が聞こえた。
ニシノは我に返り、彼女が指差す方向を見た。
そこには子供達が集まっていて、ニシノフラワーと一緒に走るのを心待ちにしているようだ。
ニシノはそちらに軽く手を振ってから、また心配そうにタキオンの顔を見つめた。
「……いってくるといい」
タキオンはそう言って、彼女の背中を押した。ニシノは複雑そうな表情をしたのち、セイウンスカイと子供達の方へ駆けていった。
アグネスデジタル達はニシノフラワーと入れ替わるようにしてタキオンの元へやってきた。
「タキオンしゃん! お二人に骨折治していただけるそうですよ!!」
アグネスデジタルは嬉々としていた。それもそのはず、完治不可能なはずのアグネスタキオンの足が未来の技術で治療出来るのだから。
のび太やドラえもん達の表情からも、それが嘘や冗談の類ではないとすぐ分かる。
しかし、その言葉を受けた当の本人は喜ぶ様子を全く見せていない。むしろ、デジタルやドラえもんに心の底から失望したような表情をする。
「……あぁ、そう」
視線を交わされる事もなく、そんな短くも冷たい一言を投げつけられる。
「……嬉しくないんですか!? 日常生活で足の不自由する事がなくなるんですよタキオンさん!!」
「そうそう、22世紀の技術だから治療に失敗する事もないよ! 治せない病気や怪我はない時代なんだ!」
そんな表情をされたデジタルとドラえもんは困惑するしかない。二人はタキオンがこんな態度を取る理由が分からなかった。のび太も同じくだ。
「……ねぇ、ドラえもん。そういえばこうじほーってヤツを破ってないかどうかって、どうやって判断するの? 歴史が壊れちゃうのかどうか」
ふと思い出して、疑問を口に出すのび太。実際にタキオンの骨折を治すとしても、その辺りが気になった。
「それについて調べるのはこの道具を使うんだよ」
『チェックカード』:対象物にかざすと、歴史に影響を与える存在であれば光って知らせる。光の強さは対象の歴史に対する重要度で変化する。タイムパトロール隊員が本来の救助対象以外の人物を救助する時、相手が歴史上の影響がない存在かを確認しなければならない。カードに反応した相手には極力干渉してはならないとされている。
「このカードをタキオンさんに向けて、反応がなかったら助けていいの」
「そっか。じゃあカードから光が無くなったら助けちゃダメな人?」
「いや、カードが光らなかったら助けて良くて……えぇっッ!?!?」
ドラえもんがチェックカードの方に目を向けてみると、ライトの部分からビカビカと眩いくらいの光が放たれていた。
その輝きは最高潮に達している。タキオンの拒絶を表現するが如く。
「そんなバカな!! こんなに強く光るなんて!!」
「……まぁ、当然といえば当然といえるだろうね」
タキオンはそのやり取りを見て、納得したような顔をして呟いた。
「ど、どういう事なんでしゅかタキオンさん!!」
「そうだよ! なんで納得してるようなそぶりするんだよ! ボク達にも教えてよ!」
デジタルとのび太は慌てるようにしてタキオンに詰め寄った。
タキオンは二人に詰め寄られても、動揺する素振りを見せずに落ち着いた口調のまま答えた。
「私は、たぶんこのままいけば科学者か何かになる。ウマ娘の手助けになる発明の一つでも生み出すのだろうね。……科学とは別分野からの応用もよくある。プラスチックやペニシリンというたった一つの発明も、それがシンギュラリティ――“特異点”となって人類全体の技術を一気に押し上げてきた」
タキオンは、ドラえもんに目を向ける。
「我々人類が抱く『あんな事が出来たらいいな、こんな事が出来たらいいな』という幼心は……やがて、蝶が羽ばたいて台風を巻き起こすように『治せない病気や怪我のない時代』や、はてはドラえもんという未来のロボットに繋がるのかもしれない」
タキオンは、まるで自分の運命を悟った者のような口振りをする。
「で、でもタキオンしゃん! ドラえもんさんを見つけた時には心躍っていたじゃないですか!!」
「そうだね。彼の操るひみつ道具からインスピレーションを受けて、自分自身の糧に出来るとも思っていた。仕組みが理解出来れば量産化だって出来るかも、なんてね。でも、デジタルくんを『おいしゃさんかばん』とやらで治療している様子を眺めて、理解してしまったんだ」
――自分の世代では、どうあがいてもこの技術には届かない。
タキオンは、そんな気持ちを告白した。
「……ドラえもんは軽い症状を治療してくれているだけ。それだけならまだいい。天から降ってきた思いもよらぬ僥倖として喜んで受け入れる事は出来るだろう。ただ、天から降りてきた宇宙人がお節介なヤツで、私達人類が抱える問題を全部解決してしまったとしたら? 私達の“幼心”という名の想いや夢はことごとく砕かれ、奪われる。『全部そいつらがいれば解決じゃないか。自分達の手でキセキを起こす為に努力する必要もない』……とね」
タキオンは、ドラえもんという存在に対する今の考えをそのまま垂れ流した。それは、怒りでも失望でもなく、未来を憂うような表情で語られた。
「まぁ、そういうわけだ。他の人に協力するのはいっこうに構わない。私だって他の子が苦しむのを見るのは嫌だからね。だけど、“私の骨折に関して、ドラえもんが直接的に手を出すのは勘弁して欲しい”。それだけが私の願いだ」
タキオンはそういって、またレース場で走るニシノフラワーの方を向いた。
「キミ達の気持ちは嬉しいよ。その気持ちは決して人道や倫理に反している事ではないし、ありがたくも思う」
けれど、と付け加えてタキオンはどこか寂しげな表情でのび太達に告げる。
「……頼むから、私の事はどうか放っておいてくれ」
明確な拒絶を向けられて、のび太とドラえもん、そしてデジタルは宛てもなくトボトボと高知トレセンを彷徨くしかなかった。
「せっかくドラえもんも乗り気だったのになぁ」
「仕方ないよ。タキオンさんの言う事も理解出来るし、未来技術を全部こちらに持ち込んだらこの時代の科学者さん達がやる気なくしちゃうっていう話もその通りだ」
そうなれば未曾有のタイムパラドックスが引き起こる。『ギガゾンビ』という23世紀の時間犯罪者が古代の時代で未来技術を使って好き勝手やらかしていたが、たった一人の暗躍によって危うく人類の支配種がクロマニョン人からネアンデルタール人に入れ替わりかけていたのだ。
大規模なタイムパラドックスを引き起こす事には当事者の善意や悪意など関係ない。その辺りにおいてはドラえもんとて同じだ。
「あぁぁぁぁぁ……せめて過去に戻れれば……」
タキオンの骨折が治せないと分かり、アグネスデジタルは悶えた。
「過去? そうだ! タイムマシンで過去に戻ってボク達がタキオンさんを説得するなんてのはどうだろう。それなら発明をするやる気が削がれる事もないしさ!!」
「いやぁ、どうだろう。トレーニング中に骨折したって話だったはずで、その時期では知り合いでもないボク達の話を聞き入れてトレーニングをやめて休養期間に入るとは思えない」
「……しかもその時のトレーニング相手、記憶が正しければニシノさんですよ……タキオンさんと大の仲良しの相手ですし、遠回しな言い方だとその人との逢瀬を蹴ってまで私達の話を聞くとは思えないし……」
三人は、頭を抱えた。聡いアグネスタキオンの事だ。骨折を負う直前の過去に戻ってきてドラえもんが懇切丁寧に事情を説明すれば、どういう事が起きたのか察するだろう。そして結局は未来人の手のひらの上なのだと気づいて、先に語られたのと同じようにやる気をなくす。
「ああっぁぁぁあ……鳳凰院凶真がいれば……Dメール、いや、タイムリープマシンがあって、過去に自分の意思を送りつける人生やり直しが出来れば……!!!」
更に変な声を出して悶えるアグネスデジタル。鳳凰院凶真とやらが誰だかは分からないが、察するにゲームかアニメか、その辺りの架空人物だろう。
アグネスデジタルの願いは叶わない。傍らにいるのはドラえもんとのび太という存在であって、鳳凰院凶真という人物は居ない。だから過去に自分の意識を送ることなど……。
「……ねぇ、ドラえもん。過去に意識を送りつける事って、あのひみつ道具で確か出来たよね?」
……そう、可能なのであった。
あなたの場合はアグネスタキオンの骨折を……(作中の結果不変)
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喜んで治す
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謹んでお断りする
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条件付きで考える