「……今日のデジタルくんには困ったものだよ。フラワーくんとの約束があると言っているのに、何度も何度もダブルブッキングさせようと誘いを仕掛けてくる」
アグネスタキオンは、食堂でセイウンスカイやタイキシャトルと食事を取っていた。
タキオンが珍しく不機嫌そうにしているから二人が理由を訊ねてみれば、そんな風にデジタルについての愚痴を言われた。
「Why? デジタルさん……なにかあったんでショウか」
「普段の振る舞いを考えると、他人に嫌がらせするような事する子でもないしねぇ」
タイキもスカイも、首を傾げている。デジタルは確かに奇妙な部分がある。……あるが、それが悪意を伴った事はなかったはずだ。
「分からない。朝起きてに突然大声で叫び始めたかと思えば、急に抱きついてきたり、二人っきりで今日から正月くらいまで北海道へ旅行に行きたいとか言い出してきたり……」
タキオンの言葉を聞いて、二人は顔を見合わせた。
「……それ、最近流行ってる『夢占い』で何かあったんじゃない?」
「イエス、わたしもそう思いマス!!」
「『夢占い』?」
二人の言葉にタキオンはオウム返しをする。
「ほら、ここ一ヶ月か二ヶ月前くらいから急に流行り始めたアレだよぉー。『夢の中で見た光景が現実で起こる』とかなんとか……」
「ドリーム・カムトゥルー、デスネ!」
「……そういう非科学的な事はあんまり信じてなくてねぇ」
占いなどという言葉で、血液型の四種や生まれた月日の十二種で運命を決定づけられては敵わない。
タキオンにとっては『ウマソウル』という実在証明の不可能な概念の方がまだ信憑性がある。
「まぁまぁ、それがさ。結構面白いんだよ。私の場合は皐月賞を勝った夢だとか」
「キミは実際過去に勝った事があるじゃないか」
「いやいや、そうじゃなくて。夢の中で全く知らないウマ娘との組み合わせで走ってたんだよ。スペちゃんもジャパンカップの夢を見たって話だよ? その時のライバルはモンジューじゃなくて……えぇっと……」
「ブロワイエ! フランス語で“打ち砕く”という意味デス!」
「そうそう、確かそんな名前のウマ娘。そんな名前の子、ジャパンカップに出てきてないのにねー」
「…………」
その名前を聞いて、アグネスタキオンは以前にハルウララに対して多元宇宙の理論を説明した時の話を思い返した。
『――多元宇宙の自分に何か訊ねられるとして、ウララくんは何を聞きたい?』
『じゃあ、今日夢の中に出てきたウララにもしもーしってたずねたい! ジャパンカップに出るっていってた、海の向こうからやってきた子が何着になったかなぁ、って!!』
『ほうほう、どんな名前のウマ娘だい?』
『“ぶろわいえ”! 不思議な名前でしょ!!』*1
「…………案外バカに出来ないかもね……」
「どうしたんデス? 気難しい顔になってマス!」
タキオンが真剣な顔で考え込んでいるのを見て、タイキが心配そうに声をかける。タキオンはかぶりをふった。
夢占いの事象について考えてみると、マンハッタンカフェというウマ娘が部分的に共通点のある体験をしているとは聞いた。しかし、どちらもデータ不足で何も断言出来るものはない。
「あぁ、デジタルくんがもしかしたら今朝は本当に悪い夢を見たのではないかと思って……」
そんな話をしていると、廊下の方から何やら騒ぎが聞こえてくる。
「デジタルちゃーんっだいじょうぶっっ!?」
「保健室へ運びましょう!」
ハルウララとキングヘイローが、アグネスデジタルを保健室へ運んでいく。
「……ちょっと、冗談だろ……?」
その様子を目撃して、アグネスタキオンは珍しく不安そうな顔をしながら食堂にいる誰よりも真っ先に立ち上がっていた。
「あはは……空腹すぎて失神しちゃいました……」
気絶から回復したアグネスデジタルの言葉に、ハルウララとキングヘイローは安堵のため息をついた。
保険医の話からも、デジタルの容態は大事ではないらしい。
周囲を白いカーテン一枚で隔てられたベッドの上でデジタルは身体を起こしながら苦笑いを浮かべていた。
「まったくもう、デジタルさんたら……ちゃんと食事は摂るのよ?」
「ウララ達は“ひみつのレストラン”で毎日美味しいごはんが食べられるんだー!」
「…………そのおかげで太り気味になりかけてるって指摘されたけどね」
「あはは……」
その話を聞いていて、アグネスデジタルは乾いた笑いが浮かんだ。
その口振りからも察するに、やはりこの時期から既にドラえもん達は介入しているらしい。
ドラえもんやのび太が関わっている相手はハルウララが起点だろう。
未来技術を持った彼らと安易に接触すれば、それこそタイムパラドックスを引き起こしかねない。
だから、彼女達には頼らずに当初の予定通りアグネスデジタル単身で物事を解決すべきだ。
そう判断し、二人に頼りたい気持ちを押し殺そうとした。
そうしていると、ウララがじっとアグネスデジタルを見つめている事に気づいた。
「何か悩み事あったら誰かに相談した方がすっきりするよ!」
ウララはアグネスデジタルに訊ねる。
彼女の瞳に映るのは、ただ純粋にデジタルを心配してくれているという心だ。
(……勝てない原因の悩みを解決した直後に言われると、やけに説得力ありますねぇ……)
過去に一人でタイムリープしてきた今このタイミングで、自分を心配してくれる知り合いがいる事はとても心強かった。
(……一人っきりで悩んでいても仕方がないのかもしれませんね……でも直接的に話すと引っ掻き回す事になりかねないし……)
そう考えてから数秒、怖い夢を見ていたであろうウララの事を思い起こされた。
「……怖い夢を見たんです。タキオンさんが今年中に、トレーニング中に足を骨折して、二度と走れなくなっちゃう夢」
二人ともそれを聞いてびっくりしたような顔をした。
キングヘイローは「縁起でもない」と、怒り半分心配半分。無垢なウララの方は「じゃあトレーニングやめさせなきゃ!」と正夢が起きると信じ込んでいる。
「あ、いえ。あの。そういう夢を見ただけで、あくまで夢なので。それが実際に起こるというわけでは……でも、それで、不安で食事も喉を通らなくて……」
倒れた事についてもそういう理由付けをした。実際、タキオンを救うという気持ちが先行してか朝食もあまり食べていない。
幽霊の悲鳴を聞いただのというのは、場を混乱させるだけだから今は置いておく。
「……単なる夢なんかに踊らされて、デジタルさんが倒れて事態になっていてはだめでしょう?」
御指摘ごもっとも。とはいえ、キングヘイローも「気持ちは分かる」と言いたげな顔をしている。
「ちゃんとご飯食べて、怖い夢の事はそれから一緒に考えようっ!!」
「はい。食事取って、しばらく休みます……ご心配おかけしました……」
ハルウララはデジタルが寝ているベッドに背を向けて、カーテンを隔てた向こう側に声をかけた。
「タキオンちゃんも一緒に考えよう!!」
「……………」
返ってくる言葉はないが、気配からしてデジタルにはそこに某が佇んでいるのかわかった。
(本人居たァッーー!!!?)
ベッドから起き上がり、保健室にあるテーブルの上で黙々と弁当を口に運ぶアグネスデジタル。
「まったく……急に泣いたり抱きついたり、何度も旅行に誘ったり……そういうわけか。合点がいった」
タキオンはそんな彼女を見つめながら、苦笑するように言った。そこに先のような冷たい目は浮かんでいない。むしろ暖かいものがある。
「とはいえ、フラワーくんとの約束を反故にする理由には至らないよ。キミのはただの夢だ」
アグネスデジタルは、タキオンの言葉に何も言わずに目を伏せていた。
(まぁ、そりゃそうなりますよね……不吉な夢を見たから他人との約束を反故にしてたら、キリがありませんし……)
「でもね、でもねっ! 私も心配だよっ! トレーニング中に大怪我なんてしたらっ……」
そうタキオンに説得するハルウララ。ウマ娘のトレーニングに怪我はある意味で付き物だから、彼女の心配にも一理ある。
しかし、それでもアグネスタキオンは首を縦に振らなかった。
「怪我を心配していてトレーニングを休んでいては、得られるものも得られない。虎穴に入らずんば虎子を得ずとも云う。ウマ娘たるもの、日夜トレーニングに励まなければ!」
タキオンがそう言って断ると、デジタルとウララは肩をがっくりと落とした。一方で、キングヘイローは微笑ましそうな顔をする。
「えらく強情ね」
「それはそうだ。他人との約束をしたてまえ、それを破る事には抵抗があるからね」
「いえ、そうではなくて。トレーニングに励む姿勢が。あなた、前はそこまで生真面目というか、熱血気質じゃなかったはずよ?」
キングヘイローはそう切り出した。
タキオンは少し驚いた様子を見せたが、すぐにまた表情を戻した。
「うむ、それはそうだ。世間から『未来の三冠ウマ娘は彼女だ』と持て囃されれば、私でも多少は気が乗る」
デジタルはそれを聞いてピタリと箸を止めた。
「世間からそのように“想い”、“願われれば”、私も俄然やる気が出るというものだ!!」
そう語って自信満々な笑みを浮かべるアグネスタキオンを見て、アグネスデジタルは震え上がった。
(あ、あぁぁあぁ、そうか、ニシノさんとの約束とか以前に……この人がトレーニングに励んでいる理由がそもそも……!!)
デジタルは「ニシノさんとの約束を反故にさせれば救える」と半ば信じ切っていた。
違うのだ。¬
以前、骨折を負ったタキオンが『ハルウララが近い内に自分と同じようになるかもしれない』と危惧していた事がある。⇒
その原因はすなわち、ハルウララが皆の“願い”をその一身に受けて、破滅的になってまでG1を目指している事にある。⊢
なぜならば。∵
この骨折を負う以前のタキオンも、皆のそんな感情に応えようとして破滅的な道を辿ってしまった。⇒
ニシノフラワーはその破滅に居合わせてしまっただけだ。⊥
ゆえに。∴
数多あるアグネスタキオンへの願いという感情を否定して、タキオンがトレーニングに励むのをやめさせなければならない。∃!
Q.E.D.
(……小市民のあたしなんかに、そんなこと無理では?)
デジタルは心が折れかけた。自分はただのしがないウマ娘で、物語の主人公でもなければ神様でもないのだ。
今の状況を拒絶してやり直しのループから抜け出そうと思いかけたが、その寸前でハルウララが口を開いた。
「でもデジタルちゃんがタキオンちゃんを心配してる気持ちは本当だよ!!」
ウララはそう断言した。
キングヘイローもアグネスタキオンも、ハルウララの言葉に少しばかり目を見開いた。二人ともトレーニングに励む事は肯定的に捉えていたからだ。
アグネスデジタルとて、その言葉に驚かされた。
ウララの発言は安直だが、しかしそこに偽善はない。打算もない。本当に安直で、感じた事をそのまま口にした言葉だ。
(……そうだ。そもそも、どうしてあたしはこんなところにいるんですか……?)
ふと思ったのは、自分の目的。タキオンを救いたい。その願いがあってドラえもんに接触した。そして過去にやってきた。
それを再認識したデジタルは、思わず立ち上がって声をあげた。
「あ、あたしは。タキオンさんに休んでほしいと思ってます!! これが私の想いです!! 感情です!」
突然の宣言にアグネスタキオンは豆鉄砲を食らった。
アグネスデジタルは、自分が何を言いたいのかを理解出来なかった。ただ何か言わねばと咄嵯に出た。
「そりゃ、トレーニング全部サボっていいってわけじゃないのはわかってます……でも、他人の期待に乗せられて、常に全力で励むのも違うと思うんです!」
デジタルがそう力説し続けると、アグネスタキオンはその話を最後まで聞いてやるとばかりに腕を組んだ。
「――あたしは、アグネスタキオンという一人のウマ娘がトレーニングに全力で励まず……たっぷり休んで!! 怪我をせず!! 弥生賞や皐月賞に勝ってくれる事を“願って”います!!!」
そこまで言って、デジタルは口を閉じた。言い切った。これ以上は何も思い浮かばない。
だから、これでダメなら諦めるしかない。
「……それが“願い”か。ふぅん。つまり皆の願いとキミの願いの引き算というわけだ」
アグネスタキオンはそう呟いた。彼女はじっくりと考えるように仕草を取る。
「……よし、いいだろう」
「ふぅぇぇ!!? いいんですか!!? わたしの願い聞き届けて!!?」
「ただし、条件がある」
アグネスタキオンはそう言うと、指を一本立てた。
「次の模擬レース。そこでキミが勝ったら、今後のトレーニング管理は全てキミと私のトレーナーくんに委ねよう。自主トレーニングなんて一切しないって約束する」
アグネスタキオンの提案を聞いて、デジタルはパァッと明るい顔でこくこくと頷いた。
「それでは、私はトレーニングに行ってくるよ。フラワーくんとも約束があるしね」
アグネスタキオンはそう言ってトレーニングに向かった。
デジタルは、しばらく呆然とした後でようやく落ち着いた。
すると途端に疲れが襲ってきた。椅子に座って脱力して、机に突っ伏す。
「ふぅぅぅ……こ、これで……なんとか、道筋が見えてきました……」
「よかったねー、デジタルちゃん。勝っちゃえばその悪い夢の通りにならなくて済むよ!!」
ウララも明るい顔で喜んでいた。しかしこの中で唯一、キングヘイローの表情は芳しくない。
「あ、えぇっと……やっぱり、トレーニングに励まないようにするって、不真面目な話、でしたかね……」
「いえ、休憩も大事だから別に変な話じゃないわ。そうじゃなくて、私が不安に思っているのは模擬レースの事」
キングヘイローがそう語ると、デジタルは首を傾げた。
タキオンはジュニア級。その中で最強最速と呼ばれているから不安視されているのも分かるが、デジタルだってこの時点でクラシックG1の勝利者だ。良い勝負が出来るとは思うのだが……。
デジタルがそんな風な事を思っているのを見抜いて、キングヘイローは心配そうな顔で指摘した。
「指定された模擬レースって。芝2000mよ。デジタルさん、公式戦だと2000mなんて走った事一度もないでしょう? つまりタキオンさん、あなたに勝たせる気は微塵もないわよ」
アグネスデジタルは青ざめた。公式の場で一度も走った事のない芝2000mにおいて、そこで芝2000mレコードを出した相手を打ち倒さねばならないのだ……。