トレセン学園。そのトレーニング施設でウマ娘達が訓練に励む中、二人の理事長は秘書を引き連れてそれらを見学していた。
「見事! 皆は今日もよく励んでいる。私も安心して仕事が出来るというものだ」
「えぇ、彼女たちの走りを見てるだけでも元気になりますね」
秘書と秋川理事長の二人は和やかな表情を浮かべて、トレーニングに励む教え子達を見つめる。だが、野比理事長――のび太だけは一人浮かない顔だ。
のび太は隠し持ったスペアポケットに手を入れながら、どう解決しようかという考えがぐるぐると駆け巡っている。
――案その1。ドラえもんやキングヘイローを連れてきて説得してもらう。
……ダメだ。その間に職業テスト腕章に設定しておいた効果時間が切れちゃうし、自分が退席している間に物事が決まってしまう可能性がある。
案その2。心変わりを起こさせる『変心うちわ』というひみつ道具を使ってたづなさんとやよいちゃんの気を変えさせる。
これもたぶんダメだ。二人を「ハルウララとトレーナーの契約を解除させない」って根拠無しに思わせても、もし他に契約解除に賛成している職員さんとかいたら……。
案その3。身体能力や知性を著しく低下させる『クルパーでんぱ』で二人を……これはゼッタイだめ!!!
のび太は顔を真っ青にしながらブルブルと震えた。自分だけじゃ良い案が何も思いつかない。
そもそものび太はよその並行世界の人間である事もあって、ウマ娘についてほとんど知識がないのだ。
職業テスト腕章の副次効果で『トレセン学園の理事長』に必要な知識が一時的に備わっているといえど、それをどう使えば契約解除を引き止められるかなんて小学生にわかりっこない。
「野比理事長。顔色が悪いようですが……」
たづなが心配そうに尋ねると、のび太は慌てて「大丈夫です!」と作り笑いを浮かべる。
「……あ、あの。本当に契約解除させるんですか……?」
のび太は覚悟を決めて、ハルウララとトレーナーの契約解除の件に切り込んでみる事にした。
秋川理事長は和やかな表情を変えず、されど真剣な声色で野比理事長の問いに答える。
「迷っている部分もあるが、私はその方がよいと考えている」
「でも! ウララちゃんは一万人以上のファンがいるし、たった一回勝てばG1レースに出場出来る資格だってあるんですよね!? そこまでやり遂げた二人の契約を打ち切るなんて、唐突すぎるんじゃ……」
のび太はたづなと秋川理事長に必死に訴えかける。すると、秋川理事長は弁論を仕掛けるような態度で語り出した。
「同意ッ! 確かにそこは野比理事長の言う通りだ。だが、そこを目指すあまり彼女達は疲労困憊の極みに至った。この状態を見過ごすというのは、あまりにも危険過ぎる」
「そ、それは最近改善されているって聞きました!」
そういって秋川理事長の言葉に切り返す。それに対して彼女は返す刀で斬り伏せる。
「然らば、ハルウララが未勝利である事をどう捉える? 彼女が万全な状態であったとしても、トレーナーは彼女を勝たせるという責務を全うしていないという事に変わりはない」
ぐうの音も出ずに押し黙るのび太に、秋川理事長は畳み掛けるように話を続ける。
「この学園には様々なトレーナーが存在する。自分の経歴に傷がつくからと全戦全敗であるハルウララの担当を拒む者もいれば、宗石トレーナーのように彼女を栄光へ導きたい者もいる。そんな渦中にあっていくらかの者は考えるのだ。『ハルウララが勝てないのは宗石トレーナーに原因があるのではないか』と、『他のトレーナーに任せた方がよいのではないか』と……」
たづなは「イジワルな事を言いますね」と言いたげにやよいの顔をジト目で見つめた。
だが意地の悪い言い方だとしても、秋川やよい自身がこの問題に対しての結論を導き出したかった。だから思いがけず突然現れた『自分と対等な立場にある者』に、包み隠さず問題点を突きつける。
「さて、この問題についてどう考える野比理事長?」
そして、この問答から問題点を覆す答えが出てこなければやはりハルウララとトレーナーには契約解除を迫るべきなのだろう。
そんな彼女の気持ちを知ってか知らずか、のび太は拳を握りしめた。
――案その4。ボクが思ったままに言う。
「……えっと、その。つまり、トレーナーさんの指導力に問題があるって言いたいんですか?」
「レース方面に限ってはその通りだ。彼女は新人ゆえに、他のトレーナーに比べて勝たせる為の知識と経験が圧倒的に少ない」
「それは……でも、そういうのはこれから学んでいく事じゃ……」
「それでは遅いのだ。トレーナーの立場は教育者であって学生ではない。……極端な話、トレーナー側は50、60になってもまだ現役を務めていられるだろう。ではウマ娘は? 肉体を酷使している彼女達が活躍出来る年数はそこまで長くない。中にはトレーナーに言われるままひどい練習を重ねるあまり、初めてのメイクデビューレースで足を骨折し、選手生命を断たれたウマ娘も存在するのだ」
トレーニングに邁進しているウマ娘達に視線をやって、のび太は息を呑んだ。可憐で優美なアイドルとして君臨する彼女たちを傍から見てきた彼にとって、想像できないような事例だったからだ。
しかし秋川理事長の言っているのは事実。彼女の真剣な眼差しがそれを語る。
「……だからこそ、私は決断しなければならない。もしこのままハルウララとトレーナーを契約解除させなければ、二人の将来を潰す事になるかもしれないのだ」
秋川理事長の言葉は自問自答じみていた。非情な事を言う彼女自身、もう一つの可能性を捨て切れずにいるのだろう。
のび太はそんな彼女の心中をなんとなく感じ取り、少し考え込んだ後に言った。
「……それでも、やっぱり専属契約を続けさせた方がいいと思います」
「ではその理由を問う!」
のび太の発言に食い気味で秋川理事長が尋ねてくる。彼女の迫力にのび太は気圧されながらも、逃げる事なく自分なりの考えを答えた。
「その、もし突然トレーナーと契約を解除したら、きっとウララちゃんは走る気をなくしちゃうと思うんです」
ハルウララと宗石トレーナーの関係は今年で二年目と聞き及んでいる。
その間、二人は共に切実な思いでトレーニングに打ち込んできたはず。目標に届かない内に二人の関係が幕引きとなれば、きっとお互い悔いの残る結果となるだろう。
――ボクだって、自分が勉強出来なかったり運動がヘタクソだからドラえもんが帰るってなったら、きっと自分が情けなくて悔しくて、学校も放り出してずっと泣き続けちゃうかもしれない。
「別れるにしてもせめて、ちゃんと自分が立派なところを。『ドラえもんがいなくてもちゃんと出来るんだぞ!』って見せてからじゃないと……」
「ドラえもん?」
「あ、いえ。なんでもありません」
思わず心の声が漏れてしまい、のび太は慌てて誤魔化す。
「つまり契約解除させるにしても、本人達……特にウララちゃんの方に心構えさせてからでないと、きっとすごく引きずっちゃうと思うんです」
のび太の言い分に、やよいは扇を閉じて静かに考え込んだ。
実際、のび太の言う事は的を得ていた。「自分が今まで勝てなかったせいで、トレーナーが担当を降りなければならなくなった」という事になれば、ハルウララはレースに負けても楽しく笑っていられるような性根は維持出来まい。
現に宗石トレーナーが就いてから、彼女の愛嬌はいっそう輝きは増して多くのファンから支持を得た。あれは信頼出来るパートナーの支援あってのものだ。
……ならば彼女を一生涯『無冠の象徴(アイドル)』で過ごさせて許されるのだろうか? 理事長として「ハルウララに一勝させたい」という皆の想いも蔑ろにするわけにはいかない。
「……成る程。野比理事長の意見はもっともだ」
「じゃ、じゃあ!」
「質問ッ! 野比理事長は『モズナガレボシ』というウマ娘を知っているか?!」
「え? い、いいえ」
突然の話題にのび太は首を振る。元居た世界でもウマ娘の世界でも聞いた事がない。秋川理事長はそんなのび太に説明する形で話を続ける。
「彼女もハルウララのように、一度も勝った事がなかった。そして秋が始まって……『クラシック期の9月より先は未勝利戦が無い』という絶望的な現実が目の前に立ちはだかった」
「!!!!」
のび太は愕然とした。理事長の言葉通りなら、ハルウララは「既に出られるレースが無い」という事にならないか……そうだとしたらハルウララは、既に詰んでるのではないか……?
のび太のそんな反応をみてから、秋川理事長は彼の恐れを叱咤するように言い放つ。
「しかしッ! 彼女は決して諦めなかった。未勝利のままでいる事に苦悩しつつも、中央から去る事を選ばなかった。それは何故か? 『モズナガレボシは格上達が集う一勝クラスのレースに挑む事を選び、そして勝った』ッッ!! その彼女は今やG3の栄誉も勝ち取っている!!」
その話を聞いてのび太は驚き、耳を疑った。
――つまり……それは、テストでいつも0点を取っているボクがいきなり「中学生のテストで合格点取れ」って言われてるようなものじゃない?
「ハルウララがトレーナーとの専属契約を解消せず、共に中央で歩み続けるのであればモズナガレボシと同じ道を歩む必要がある」
秋川理事長は強い眼差しで、野比理事長を見据える。
「改めて聞こう。彼女たちにはこれ以上傷を負う事を避け、その責務を投げ出す事を勧告すべきか? それとも彼女たちが勝利をつかむ事を信じて道標を築いてやるべきか?」
どちらを選ぶにしても多くの大人達が労力を割く事になるのだから、のび太も易易と意見を言うべきじゃないのは分かってる。けれども、それを理解した上でのび太は自分の意見を正直に述べた。
「ウララちゃんの事を手伝ってあげなければ、きっとボクは後悔すると思う。やよいちゃんだってそんな顔をしてる」
対面する理事長の言葉に、秋川やよいは力強く頷いた。
「私もようやく心が決まった。……これらは果たして三女神の思召か? 近日開催される一勝クラスのレースが1枠空いている。私は、その枠にハルウララを推薦しようかと思う。そこで宗石トレーナーとハルウララの処遇を決めるべきではないだろうか!!」
そして秋川やよいは、話の最後にのび太にも自分にも覚悟決めさせるような言葉で締めくくる。
――そこで勝たねばハルウララは中央からは移籍してもらわねばならぬ。
「えっほ、えっほ」
ハルウララは、今日もトレーナーの指示に従ってトレーニングに明け暮れていた。
トレーナーが体調を管理してくれているのもあってか、彼女が不在の時のように倒れる事は全くない。
「やっぱりトレーナーはすごいなぁ。これなら次のレースはきっと一着だっ!」
元気いっぱいにそう語る彼女の瞳に曇りはない。ただ純粋な喜びだけが溢れていた。
だがしかし、その傍らに立つトレーナーの顔色は優れない。
――本来、菊花賞手前の9月の時点でどうしても勝たせねばならなかった。その勢いのまま彼女をクラシック三大レースの一つである菊花賞に出場させて、キングさんのようにG1にも出場した事のある名バだと証明するという淡い英雄譚も夢見ていた。
その大事な時期にトレーナーの自分が入院するだなんて、ウララさんが中央で輝く道を閉ざしてしまったに等しい。
『理事長として彼女を長い目で見たい。機会は必ず作るゆえ、ハルウララにはその時に実力を証明してほしいと思っている』
……もはや秋川理事長が約束してくれた事を信じてハルウララの調整を心がけるほかなかった。
「トレーナー? どうしたの」
「うぅん……なんでもないよ。それより、もう一周したら休憩しましょうか」
「うん! わかった。えへへ~、今度のレースはいつかな? 私、今度こそ一着取ってみんなに褒めてもらうんだ~」
……三女神様。どうか、ウララさんに一着を取る機会をお与えください。