起きたら金髪ケモ耳美少女だったんだが自分の記憶がとんとありません 作:裏白いきつね
イベント合わせ作業もあってそちらにかかり切りの夏でしたが、その後もグズグズと年を越え、ようやく先の話に着手できるところまで来たようなので更新再開です。
とはいえ相変わらず不定期なのですが。
基本的に色々忙しすぎるのがいけない。
一歩踏み込むたび、足元から柔らかな感触が返ってくる。しかしただ柔らかいだけではなくしっかりとした反発を伴った感触だ。
ダートの砂とはまるっきり違うそれは脚の発揮するパワーを余す所なく受け止めて、俺の体をグンと前へ押し出してくれる。
スタンド前の直線から1コーナーを抜け、2コーナーのさらに隅へ。カーブでも俺のパワーをしっかりと受け止めてくれるのは、さすがに芝の本領発揮と言うべきか。そしてスターティングゲートがいよいよ見えてきた。
ゲート周りには何人かの係員が待機していた。まだ発走時刻ではないらしく、後ろ扉が開け放たれたゲートには誰も入っていない。
屈伸運動をする者、軽くその場ダッシュをする者、じっとゲートを見つめたまま何かを考えている者。出走者が思い思いに集中力を高めている姿が見て取れた。
俺はなるべくゲートを意識しないようにすべく、少し離れたところでゲートに背を向け屈伸運動を繰り返していた。そのうちにスタンドの方からパラパラと拍手が聞こえてきて、そして背後で気配が動き始めた。
「それでは出走です。奇数番の選手からゲートイン開始して下さい」
内ラチのお立ち台の上に赤旗を掲げた係員が立っている。
その彼が見守る中、奇数番のゲートインが流れるように終わって、間髪入れずに偶数番が続く。12番を付けた黒鹿毛ショートの娘が俺のゲートインを待つ形になった。
特訓で多少緩和したとは言え、やはりゲートインには少なからず抵抗が沸き立つ。竦みそうになる脚を強引に動かしてゲートの中へ。
背後でゲートを閉じる金具の音がカチャリと響く。イヤーカバーのおかげで棘を抜かれたその音を合図に、深く息を入れた。喉元から飛び出しそうになっている鼓動を鎮め、スタートダッシュの体勢を静かに取る。
2つ隣のゲートが閉じた。
スターターと目が合った。
『ッカン』
軽い金属音と共にひと蹴り、ふた蹴り、み蹴り。
タイミングは奇跡的に完璧で、前に他のウマ娘はいなかった。
風の音が耳を打つ、二十二重奏のドラムロールがそれを追う。スタートが完璧すぎて、ルジェさんから提示されていた作戦が頭からすっ飛んでいた。
逃げるか、一息入れるか、どうすればいいか分からないまま闇雲に脚を回転させていた。
赤い14の数字が飛んでいく。脚にはまだまだ余裕あり、だがそれもいつまで持つか。どこかで息を入れなければと頭では分かっていても、後続との距離を測りかねる。後方から聞こえる足音はスタート直後よりも小さくなったが、やはり細かい音の違いは拾い切れていなかった。
訳のわからないまま赤い12が消えた。ここまでの400メートルはほとんど全力で駆け抜けた。ここまで来てようやく、後方からの足音が聞こえなくなったことに気がつく。少し安心して脚の回転を緩め始めた。
追いすがってくる相手のいないまま赤い10も飛び去った。第3コーナーが近づきやや疲労感が出てくる。多少脚の回転を緩めたとは言え、さすがにこのままゴールまで走り切るのは無理と感じる。
ハロン棒1区間当たり、競走馬であれば30歩ほどなのは覚えている。ウマ娘の場合にそれがどれほどになるのか数えたことはなかったが、これまで現実や夢の中で走った感じでは馬とそう変わらない歩数だったように思う。そして踏んだ数と掛けたパワーの分だけ疲れが溜まるのは馬もウマ娘も同じだ。
ここで後方の様子を窺うことができたらまだ良かったのだろう。けれど今の俺にそんな余裕があろうはずもなく、不安は大いにあるが勝つためと心に強く念じてさらに速度を落としていく。後方の足音はまだ遠い。
落とした速度を維持したまま赤の8を抜けた。思惑通り脚を維持したまま第3コーナーに飛び込む。ここに至っても後方からの足音に変わった感じがないのは不気味だ。早仕掛けならそろそろ後方が上がってくるはずだが、その気配が感じ取れずに焦り始める。さらに悪いことに、後ろを見る心の余裕は未だまったくと言って良いほどないのだ。
この先は4コーナー、中段からは加速を入れて最終直線へと飛んでいくのが本来のプラン。後方の様子が分からない以上、プランに沿って走るしかない。緩めていた脚に再び活を入れて前へと飛ぼうとした。
瞬間。背筋を撫で上げられる感覚が走った。
(来る!?)
4コーナー序盤。ここから再加速して逃げ切るというタイミングで、後方から殺気が上がった。
それまでとは明らかに異なる足音が聞こえる。イヤーカバーを付けていても分かるそれは、カバーなしならもっと重い音だったろう。だが今はカバーのおかげでくぐもって聞こえるせいで、その分届くプレッシャーも弱く感じているはずだった。
後方からの追撃を感じ取って、身体が加速体勢に入る。それは俺の意志とは別の動きで、より速い反応だった。
再加速を始めて最高速度に乗るまでは数歩、いや十数歩必要だ。その間にも後方からの追い上げはやってくる。イヤーカバー越しに聞こえてくる地響きの数が、1つまた1つと増えつつ近づいてくる。こうなるともはや後方を気にする余裕は完全になくなった。俺は身体の反応に任せて脚を回転させ、速度をどんどん上げていく。上がった速度の分だけ急速に疲れが溜まって行く。大口を開けて酸素を取り込むが追いつかなくなってくる。
ただひたすら滅茶苦茶に脚を蹴り上げ、前へ飛び、芝を掻き込みまた蹴り上げる。視界は狭まり、見えるのは進行方向の一点のみ。周囲の音も上手く拾えなくなりつつある中、後ろからの地響きと客席のどよめきが混ざった重低音だけが酸素欠乏に陥った脳髄を激しく揺さぶる。
あと何歩脚を出せばこれは終わるのか。あと何回芝を蹴り上げれば勝てるのか。
思考力が急速に失われていく。音も直に聞こえなくなる。
それでも脚を最高の速度で、最大の力で回すことだけは止めずに。蟻の穴のように狭まった視界の中をひた駆ける。
視野の左隅で縦線が輝いた。
「ああああああああああっ!」
並ぶ影はおらず、勝利を確信した。
次回 「これ、持っていて」